爪の一枚に至るまで君が愛してくれるから






「あ、」

突然向かいで弁当を食べ終えたばかりの霧野が声をあげる。俺は最後のひとつになったおかずを口に運び、空になった弁当箱に向かって「ごちそうさまでした」と手を合わせた。

「神童、右手貸して」
「何だよ」
「いいから」

鞄から何やら細長い板を取り出した霧野は俺の手を取り、ご丁寧なことに一本一本爪の湾曲をなぞる。

「爪、欠けてるぞ」
「…気付かなかったな」

そして少しでも欠けている部分を見付けたらすかさず先ほど取り出した爪やすりで整えていく。
ピアノをやっているからか、時々綺麗な手だと言われることもあるが実際自分では何もしていない。全部こうして彼が勝手にやってくれるのだ。

「まぁ、いつも俺がやるから神童はそうだろうな」

ついでなのか何なのか、爪磨きまで用意して本気を出し始めた霧野を手持ち無沙汰な俺はただ眺めていた。
真剣な表情で俺の手をじっと見つめる彼の頭を、空いた手でふわふわと撫でた。さらさらとした、綺麗な髪。





「――…てゆーか、霧野先輩女子顔負けじゃないですか」

「うわっ!」
「か、狩屋!?」

何の前触れも無くひょこっと現れた後輩に二人して驚いた。二年の教室に何故?とも思ったが、どうやら音無先生に練習試合の書類を俺に渡すよう頼まれたらしい。

「キャプテンの手、綺麗だなぁとは思ってましたが貴方がやってたんですか」
「俺の神童の手だからな」

いつの間にか両手の爪が艶やかに整えられていて、霧野は満足そうに笑う。しかし俺は彼の言葉に遅れて疑問を浮かべた。それは隣に居る後輩も同じだったらしく、すぐさま躊躇いもなく聞き返した。

「『俺の"好きな"神童の手』じゃないんですか?」

ストレートにそう言った後輩が少し羨ましくなった。怖いもの知らず、とでも言えばいいのだろうか。
それを聞いた途端、お前は何を聞き返すんだ、とでも言いたげな霧野が不敵に笑った。

「違うよ」

「"俺の神童の手"だ」

掴まれたままだった手を一気に引かれたら、もちろん体勢が崩れてそのまま霧野の腕の中に収まる。
あまり放っておくと厄介なことになるのは目に見えていたから、軽くたしなめるくらいの行動は起こしておかなければ。

「ちょっ、霧野!」
「なーに?」
「何じゃない!くっつくな!」
「やだ、神童は俺のものだもん」

ああだこうだ言って言われてを繰り返しているうちに、腰を掴まれ逃げられなくなっていた。そんな間にも彼は肩口に顔を埋めるのだ。

「霧野!」
「霧野先輩ばっかり狡いじゃないですかぁ」
「は…?ちょっと、狩屋まで!」

後ろの霧野ばかりに気を取られている間に今度は狩屋に前から抱きつかれるという始末。結局予鈴が鳴るまで二人に振り回された。

がやがやと騒いでいる場所が自分の教室であることに気付いたのはそれより後の本鈴が鳴る頃で、この時俺はまだその事実が頭から抜け落ちていた。




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