銃声が行き交い、崩れた本棚からバサリ、と音を立てて落ちたフォルダーの資料と写真。合間から見えた母の写真に恐る恐る自由な方の手を伸ばした。

ーーああ、なんだ。

 目の前にはこちらに銃を向けるキラ、と呼ばれる少年。オーブに潜入した際にモルゲンレーテでフェンス越しに出会った少年。何故かそうだと分かった、ストライクのパイロット。ミゲルやニコルを殺した男。ディアッカと、そしてもう一人はムウ・ラ・フラガ。現在のストライクに乗る男だ。ラスティも少年と同じように震える手でこちらに銃を向けながら、一歩ずつ後ろへ下がり彼らに味方する。
 額に脂汗を滲ませながら、自分の手首をうっかり折れたらどうしてくれるのかと思うほどの力で握り締めてくるクルーゼは、弾丸に常の仮面が弾き飛ばされて狼狽しているようにすら見える。
「銀髪の坊主!!全部聞いてたんだろ?!それでも自分はザフトだからって、そんな男を信じるのか?!君は!!」
「ッ……黙れ!!この子だけは貴様にはやらん!!」
 銃声が響く。ラウが放った弾は大きく逸れて、薬品の並ぶ棚を撃ち抜いた。ガラスの割れる音。何かの劇薬だったのか、白い煙が上がっているのが視界の端に見えた。
 おいで、と言われて手首をギリギリと握られたまま強く引かれる。何か苦痛に悲鳴を上げそうなのを押し隠そうとしている、ぎこちない微笑。
「イザーク…!!」
 銃を構えるラスティの後ろで、ディアッカが自分を呼ぶ声がした。

ーーアスランを、たのむ

 片手に己の秘密を抱きながら、イザークは腕を引く彼の力に逆らわず走り出した。ラスティは来なかった。

 被弾したジンを抱えて、うめくラウはデュエルのコックピットに共に乗せて。ヴェサリウスに着艦するなり、やはり手首をギリギリと掴まれて強い力で士官室まで連れて行かれる。ザフトの一般兵の軍服を着たあのナチュラルの女が驚いたようにこちらを見ていた。
 デスクを開けたラウが何かケースを取り出すと、青と白のカプセルを乱暴にそのまま飲み干した。呻き声を上げて苦しむ姿に、水で飲まなくても良いのだろうか?と我ながら明後日な方向の心配をしていると思ったけれど、それが現実から逃避する為の思考だったことは分かっていた。
「ーーアデス!!」
『隊長?!どうなされーー』
「ヴェサリウス発進する!!モビルスーツ隊出撃用意!!ヘルダーリンとホイジンガーにも打電しろ!!」
『は、しかし……』
「このまま見物しているわけにもいかんだろう?!あの機体、地球軍の手に渡すわけにはいかんのだからな……!!」
 ですが、と艦長のアデスがいきなりの命令に困惑している声。そりゃあそうだろうな、と頭の片隅で考えながら、通信機のレバーに触れている手が小刻みに震えていることに気が付いた。
「私も出る。シグーを用意させろ。すぐブリッジに上がるっ……」
 通信機のレバーを下げて、会話は問答無用に切られてしまう。荒い呼吸を落ち着けるようにした後、彼は心配を隠せない表情をしている彼女に向き直った。
「……さて、君にも手伝ってもらおうか?」
 不敵な笑みを浮かべた目の前の男に彼女は怯えたように一瞬後ずさる。
「私も疲れた。だから君が届けてくれ。これが地球軍の手に渡れば戦争は終わる。私の最後の賭けだ……扉が開くかどうかのね」
 もう一度通信機のレバーを上げると、捕虜である彼女を地球軍の戦艦に返還する旨を伝える。支度のために数人の護衛が彼女を連れて出て行った。自分もMSの出撃準備をせねばならないと床を蹴ろうとした瞬間に「イザーク、待ちなさい」と制された。
 イザーク、まちなさい。
 そう言ったのか、この人は。
「お前は良い。此処にいなさい」
「……此処にいた方が、危ない気がするので」
 何故かそう思った。それがヴェサリウスが沈むという意味なのか、此処にいては自分の精神が耐えられないという意味だったのか。そのどちらなのかは分からなかった。
「……少し、休んでから行け」
 その気遣いの言葉は、世界を憎悪し滅ぼそうという人間が使う台詞なのか。変なの、と言って笑ってやりたかった。
「お前を死なすわけにはいかない」
「……矛盾では?」
「人間の心とは不可解なものさ」
「それは、確かに」
 落ち着きを取り戻したラウは「おや?」と意外そうな声を出してイザークを見つめた。仮面を付けているから表情は窺えない。
「やけに素直だな。潔癖で正義感の塊のようなお前のことだ。こんな私に歯向かってくると思っていたのだがね」
「……混乱して逃避しているだけかもしれません」
「ーー兎に角、君は暫し休みたまえ。ラスティが離反したショックもあるだろう」
「……」
 一緒に出て行ったはずのラスティは、一緒に戻らなかった。当然だ。あんな話を、あれだけの話を聞いたのだ。自分の手を引いたこの男の手を振り払わなかった己の方が、多分おかしい。
 ラスティはディアッカやあの二人と共に脚付きとエターナル、それからもう一隻の戦艦にきっと合流した。あちらにはアスランもいる。けれど自分はザフトに戻ってきた。そうしなければ、目の前の白服を着る男は死んでしまうような気がした。
「出撃はそれからだ。君のタイミングで構わない」
「……了解しました。ありがとうございます」
 ラウが部屋から出て行くと、イザークは彼の士官室に一人になった。手にしていた資料を徐に捲る。

 ユーレン・ヒビキ博士が完全なコーディネイターを創るために開発した人工子宮。
 アル・ダ・フラガの研究資金援助を受けるために創られたクローン。
 ヒビキ博士の研究に手を貸していたオーギュスト・ジュール博士。
 ヒビキ博士の妻であるヴィア・ヒビキが懐妊した子どもを受精卵の段階で取り出し、人工子宮で育てられ、最高のコーディネイターとして誕生するキラ・ヤマト。彼を創るための最高の環境を作るために、それまでの経験を踏まえた上で人工子宮のポテンシャルを最良の状態に保っておく必要があった。ーー繋ぎが必要だった。

『どうせ産まれてこないと、ジュールが自分の奥方の遺伝子とラボにストックされていたクローンから採取した遺伝子を遊びで掛け合わせた受精卵を、繋ぎとして一号機で育成することになった』
『例のハイブリッド被験体の経過は順調』
『ヴィアが双子を懐妊。片方を人工子宮で育成するため、例の一号機のハイブリッド被験体は取り出すことに』
『八月八日。一号機から取り出した被験体が、何故か産声を上げた。数週的には早産だった為、身体が小さい。世界で初めて人口子宮から誕生したアレは、外見を何もかもを母親と同じになるようジュールが遺伝子操作済み。観察してみると目の色が僅かに違い、父親となるクローンのものと酷似』
『遺伝子操作をしているとはいえ、ナチュラルのクローンとコーディネイターの間に生まれたこの被験体はコーディネイターでもナチュラルでもない混血だ。最高のコーディネイターにはなり得ない……やはり出来損ないの失敗作だ』
『だがこれで、新たに一号機で育成することになった私の子に望みは生まれた。次こそは成功させてみせる』

ーーなんだ、そうだったのか。

 一人、ごちる。以前のようにナチュラルを偏見の対象として見下す言葉は、最早浮かんでは来ない。
 目の前の紙に羅列された文字が語る真実が事実として現実に存在する。それすらまるで他人事のようで。唯々、何かを酷く哀れに思うだけだった。




「大丈夫か、キラ」
「うん……ありがと……」
 バイザーを外してやると、明らかに衰弱しているキラがぎこちなく笑う。先程までの戦闘で負傷したわけではないが、ヴェサリウスから射出されたあの救命ポッドから聞こえた声を聞いた途端に、だ。彼は明らかに動揺して、周囲も自分の状態も把握せずにひたすらカラミティによってドミニオンへ保護されたポッドに追い縋ろうとしていた。「僕が傷付けた、僕が守ってあげなきゃいけない人なんだ」と叫んで。
 アスランは彼女がキラにとってどんな存在なのかを知らない。今の彼の状態をどうしてやれば良いのか見当が付かず、もどかしい思いで唇を噛んだ。
 コロニー・メンデルで、ザフトーーラウ・ル・クルーゼと鉢合わせたというムウは負傷して戻ったと言う。キラがその応援に行ってから、一体何があったのか。もしかすると、それが今の彼を余計に蝕んでいるのかもしれない。
 パイロット待機室の扉が開くと、先程まで艦橋にいたラクスが姿を見せた。アスランの方を伺うように視線を合わせると、彼女は床を蹴って彼が背を預ける長椅子の傍に寄る。
「キラ…」
 真っ青な顔色のキラが、呼びかけに視線を泳がせてラクスの姿を捉えた。
「ッ……ごめ、ん……」
「キラ!!」
 彼女を前に怯えるように目を見張ったキラは、小さく謝罪を口にして意識を手放した。慌てて彼に声を掛けたが、ぐったりとしたまま目を覚まさない。
「ラクス、とにかくキラを部屋へ運ぶ。手伝ってくれ」
「分かりました」
 そうして二人は意識を失ったままのキラを連れ、ばたばたと待機室を後にする。

 念のために軍医を呼んで診察をしてもらったが、やはり外傷はない。恐らくは精神的な疲れだろうとの診断を受けてからそろそろ一時間というところで、キラが倒れた旨を聞いたのだろうカガリがクサナギから様子を見にやって来た。彼女が真っ先に目にしたものはサイドテーブルに置かれた写真立て。先程、フリーダムを整備していたメカニックがコックピットにあったと持って来たものだった。
「これ……どうして……」
 自らが持つ写真をポケットから出して見比べる。何故、戦闘から戻ってきたキラがこれと同じ写真を持っているのか。困惑に染まった橙色の瞳に、アスランとラクスも居た堪れない気持ちで視線を逸らした。
 ーー或いは。ムウと共にザフトの対処へ向かい、その場に居たディアッカや、メンデルでザフトからの離反を決意して共に此方へ来たラスティならば、と今はアークエンジェルにいる友人達の姿をアスランは思い浮かべる。彼らならば何か知っているのではなかろうか。
 刹那、小さな呻きが耳に届く。ハッとして振り返ったラクスはベッドに横たわるキラが魘されているのを見ると、覚醒を促すように何度か名を呼んだ。恐る恐ると言うように目を開けたキラは、やはり何かに怯えるようにして強く目を瞑り顔を背けてしまう。
「キラ……」
 彼女の声に漸く正気を取り戻したのか。暫し身体を強張らせていたが、深く息を吐くとベッドから起き上がろうとする。
 まだ起きてはいけない、とラクスはそれを押し留めようとした。何かに傷付き、酷く衰弱しているキラを少しでも休ませたい一心で。それを悟ったのか、キラは上半身だけを起こした体勢になってラクスに「ごめん、ありがとう」と礼を告げる。
「キラ……あの……」
 キラからするとラクスの姿の影になってしまっているカガリが、困惑して何を言えば良いのか分からないまま声を掛けた。どうすれば良い? 何から聞けば良いのだろう。疲れ切っているキラに対してぶつけて良い疑問なのだろうか?
 カガリが手にしているものを見て、キラは彼女が何を聞きたいのか察した。けれども表情を歪め、黙り込んだまま。
 傷付いている。何かに。それはきっと、自分達には想像もつかないようなことなのだろう。
「え?あ、おい、ちょっと……!!」
 アスランは少し考えた後、部屋からカガリを連れ出した。
「何すんだよ!!」
「今は……ちょっと待ってやれよ」
 なんだかあいつ、ボロボロだ。
 今、聞いてはいけない。キラが話すにはきっとまだ時間が必要だ。
「あ……うん」
「……あの声、知ってるか?」
「声?ーーああ、フレイ。前にアークエンジェルに乗っていた、キラの……キラ達の仲間だ」
 仲間。その言葉に少しだけ違和感を感じた。
 まだ自分がザフトに居た時。アークエンジェルに捕虜にされていたラクスを、キラが独断で返してきたあの時。彼は言っていた。あの艦には仲間が、友達が乗っているのだと。彼女もその一人だったのだろう。しかし、どうにもそれだけだったとはアスランには思えない。
 僕が守ってあげなきゃいけない人。キラは何か、罪悪感に縛られているような気がした。
「みんなが……泣いてるみたいだな……」
 ぼんやりと呟く。カガリは何も言わずにアスランに寄り添うように、彼の肩へ凭れた。
 彼女が自分に何故それ程までに寄り添ってくれるのか、アスランはまだ気付いていない。そんな可能性を考えてすらいなかった。
「ーーアスラン」
 ディアッカの声がアスランを呼んだ。はたとして見やれば、彼がラスティの腕を引っ張りながら此方へやって来る。今頃はアークエンジェルで休息を取っているだろうはずの彼らが何故。キラのことを心配して来たのか。
 けれどもラスティはアスランの姿を見つけるなり、そのままガバッと正面から抱き付いた。寄り添っていたカガリは反射的にそれを避ける。
「うわっ!!ラスティ、どうしたんだ?ディアッカも。キラなら今はまだ……」
「キラじゃなくてお前。お前に話があって来た」
「俺? というかラスティ、本当にどうしたんだ」
 強く抱き締めてくるラスティからなんとか逃れようと身動いだが、びくともしない。漸く落ち着いて話せる姿勢を取って尋ねると、肩口に頭を擦り付けるようにして顔を隠していた彼は小さな嗚咽を漏らした。
 衝撃だった。ラスティが泣いている。あの明るくて、いつも自分を優しく甘やかしてくれていた笑顔の絶えない男が。泣いてる。ただ事ではないことが起こったのだ。
「何が、あったんだ」
「……イザークが……」
 嗚咽混じりに、それだけをラスティが言葉にした。
 イザーク。今は此処にはいない。メンデルで、ラスティはザフトを離反し三隻同盟に力を貸すためやって来た。けれども彼は此処にはいない。
 嫌な予感がした。先程の戦闘で、アスラン自身はデュエルを見かけることがなかった。それに安堵したのだ。戦わないで済んだ、と。
 しかし、エターナルとの戦闘の末に彼らが母艦とするヴェサリウスは沈んだ。自分達も慣れ親しんだ、共に過ごしたあの戦艦は、永遠に失われた。ーーもしもあの時、艦にイザークがいたとしたら。戦闘で被弾し、引き揚げていたとしたら……彼はヴェサリウスと共に。
「イザークがどう……」
 まさか。熱がザアッと引いていく。全身も、尋ねた言葉も情け無いほど震えていた。
「まさか」
「生きてる。アイツは無事だ」
 それ以上を話せないでいるラスティに代わって、ディアッカが答える。
「俺がさっきの戦闘でデュエルに遭った。連合の、例の新型にやられそうになってたのを助けたんだ。ちゃんと引き揚げて行ったから」
「ぶじ……?」
「アイツがそう簡単に死ぬ男かよ。お前が一番知ってんだろ?」
 だから無事だ。安心して良い。ディアッカ がそう言って笑ったのを見て、最悪の予想をしていたアスランは強張らせた身体の力を抜いた。
「そ、そう、だな。イザークだもんな……ごめん、ちょっと、考え過ぎた」
「ただ、実はメンデルでも顔を合わせたんだ。ラスティと、クルーゼ隊長と一緒に潜入調査に来てて」
「メンデルで……やっぱり、イザークもいたのか」
 自らアスラン達と戦うことを選んだ。その事実が心に重くのし掛かったけれど、イザークらしいと言えばイザークらしい。アスランはふっと笑った。反対に、ディアッカの表情は暗いものへと変わる。
「話ってのは、その時のことだ。キラが弱ってんのも、そのせいだと思う」
「お前達……何か知ってるのか?」
 縋るように、カガリが尋ねる。何がどうなっているのか、誰でもいいから教えて欲しかった。
 カガリの困惑はよく分かる。しかし、だからこそ今は話せなかった。彼女はキラからきちんと話を聞いた方が良いだろうとディアッカは考える。
「ーーお前は、今はとにかく待て。本当はきっと、蚊帳の外にいる俺達が話して良いことじゃないって分かってる。そのくらいナイーブな話なんだ……だから、お前はキラが話せるようになるまで信じて待ってやれ」
「でも」
「大丈夫、アイツは絶対に立ち直る」
「……ああ」
「けどアスラン。お前には今、知ってほしい。イザークの為に、今知っててほしいんだ」
「俺が聞いても……良いことなのか?」
「……正直、分からない」
 それが正しいことなのかは分からない。『イザークの為に』なんて最もらしい理由を付けたが、この事実を自分達だけが抱えていることが苦しいから、イザークが誰よりも心を寄せたアスランにぶちまけてしまいたいだけなのかもしれなかった。
「でも、アイツが俺達に言った。お前のことを頼むって。だから、知るべきだと思う」
「……分かった、聞くよ。部屋で話そう」
 ぽんぽん、とラスティの背を叩く。目を真っ赤にした彼の手を引いて、カガリに「また後で」と言い残すと部屋に向かった。



「特務隊へ転属?」
「ああ。即刻本国へ帰投せよとのことだ」
「それは……おめでとうございます」
 最低限の荷物を纏めながら、ラウは、やれやれと言わんばかりの様子で大袈裟に肩を竦めて見せた。
「君にもこれから正式に異動の通達があるだろう。残存部隊は新しく配属になる者達を含めて、お前を隊長に置いたジュール隊として動くことになるそうだ。期待しているぞーーなどと今更私に言われても、説得力はまるで無いだろうがな」
「……はっきり言って、何を期待されているのか分かりかねます」
 ラウは苦笑する。イザークは少しムッとした表情を作ったが、相変わらず正直な子だとむしろ安心したからこそだった。

 扉が開くかどうかの最後の賭け。それはむしろ、賽を投げるようなものだった。

 結果として鍵は扉へ辿り着き、今は地球軍の下にある。その中身がなんであるのかを知っているのは自分だけだった。その時がくればイザークも知るのだろう。いや、既に勘付いているかもしれない。そして、それはそれで少々心苦しいものがあった。
 彼自身、不思議でならないのだ。何もかもを憎悪しながら、何故かイザークには愛着しか湧いて来ない。例え自分が父親であることを知らずとも、何故だか可愛かった。故に現在に至るまで見守ってきたのだけれど。

ーー親子というものは、そういうものよ

 ずっと以前。今はもうこの世にいない女性が、幼い自分の息子を抱き上げてそう言っていた。
 そして結局。現在に至るまで、彼女が言ったことを自分は理解出来ずにいる。
「……難しいものだな」
 荷物を鞄に詰め終えたラウは、傍らにいるイザークをじいっと仮面越しに見ながら呟いた。気が付いたイザークは言葉の真意が掴めずに首を傾げる。
「イザーク。私は昔、エザリア様にお前を託して父親であることを放棄した」
「……」
「仕方がないことだったのではないのかと聞かれたら、そうでもない。共に暮らすことを選ぶことも出来たというのに『お前が平和に暮らす為』と手前勝手な言い訳をこじつけただけだ」
「……」
「そして結局、最後まで放棄する。自分の望みを叶える為にな」
「……」
「だと言うのに、お前にはやはり誰よりも幸せでいてほしい。世界を滅ぼすことを望みながら、同時にお前が平和に生きることも望んでいるわけだーーお前も言っていたが、酷い矛盾だと我ながら思うよ。だが、事実そう願っている」

 暫くの沈黙が過ぎた。時計を確認したラウが鞄を手に部屋を出ようとすると、それまでじっと堪えるように黙っていたイザークが恐々と口を開く。

「貴方は、自分が滅びたいのですね」

「もう何も踏みにじりたくなくて」

「誰にも踏みにじらせたくないから」

「だから、全部消そうとしてるんだ」

 黙ったまま、ラウは手にしていた鞄を床に置くと徐に手袋を外した。そして仮面に手を伸ばし自らそれを外してみせる。
『彼の素顔を見た者、見ようとした者、見たがる者は死ぬ』などと言うくだらないジンクスが軍の中でまことしやかに広がっていることは昔ミゲルから聞いて知っていた。けれども今も昔もまるで信じていないし、そもそもメンデルで既に一度見ている。だから恐ろしくもなんとも思わなかった。
「イザーク」
「はい」
「ーーお守りのペンダントをアスランに渡しただろう」
「は……」
「恐らくはカーペンタリアで別れた際に」
「なっ、何故知って……!!」
 唐突に尋ねらた問いに虚を衝かれたイザークは、ぽかんとした後、顔を真っ赤にしてあわあわと慌てる。ラウは「やはりそうか」とケタケタ心底楽しそうに笑った。
「ち、違います!!あのっ!!別に深い意味は無くて!!」
「そんなはずはないな。敬愛する母上から貰った宝物を、お前が深い意味も無く他人にくれてやるものか」
「はあ?!何でそんなことまで知っているんですか!!」
「さて、何故かな?ーーだがお前に想う相手がいるのは私としても嬉しい限りだよ。しかし……それではお前を守るものが無い。それはそれで問題だな」
 軍服の詰襟を寛げたラウが、首に下げていたペンダントを外してイザークの首に下げる。

アスランに渡した物と同じだ
違う
対になっている

 頭から爪先まで全身を見渡すように視線を行き来させて満足気に頷くと、両手で自分と揃いの色をした目の下を撫でる。
 そして微笑んで抱き締めた。
「大きくなったな」
「……まだ伸びる予定です」
「そうだな。まだもう少し伸びる」
「貴方と同じくらいまで、伸びます」
 些か拗ねたような声で、イザークは答えた。自分が彼と同い年の頃には今の彼よりも既に大きかったことは秘密にして、小さく笑う。多分、伸びても後数センチだ。自分には届かないだろうと検討をつけながら。
「楽しみだ」
「……見てください」
「お前は白服姿も似合うだろう」
「なります。必ず」
「楽しみだよ」
「……見てください」
 ラウがイザークの頭を撫でた。小さな子どもをあやすように。言い聞かせるように。不思議と、イザークはその手を知っている気がした。もうずっと昔に、この手を知っていたような。
 おずおずと回された手が、クルーゼの背中でぎゅっと白い軍服を掴む。
「俺は、貴方と同じくらいの背丈になって、いつか、同じ白服を着て、同じ色の瞳で、世界を守っていきます」
 小さな息を吐いて、イザークは宣言するように言いきった。ぴたり、と。銀の髪を撫でていた手が止まる。
「そうか……そういうことだな」
「見てください」
「それは、見てみたい」
「見てください」
「是非見てみたいな」
「見てください」
「……さあ、お別れだ」
 最後にこと更強く腕の中の存在を抱き締めて、ラウはとうとうイザークを離した。
 手袋をはめて仮面を付け直すと、そこにいるのはもう先程とは違う人間にすら思える。

「ーー本当に、見てみたかったよ」

 イザークは最後まで、父親であった男の背中を泣かずに見送った。次に出会う時、自分が何をすべきなのかはもう分かっている。けれどもそれを認めるにはまだ時間が欲しかった。
 そうして、人知れずに親子の時間は終わった。



 自分が知る、メンデルで見聞きした限りの全てを話し終えて、ディアッカは深く息を吐く。
 話し始めた当初、アスランは戸惑いや驚愕の声を折々に上げていた。けれども話を続けていくうちに段々と無口になり表情を曇らせて、最後はただ黙って聞いていた。
「正直言ってやっぱりちょっと複雑だよな。あの人に世話になって来た俺達としてはさ。まあ、キラとイザークのことは……だからってアイツらの何が変わるってわけでもないし。どう受け止めるのかは本人達次第だなーーおい、ラスティ。気持ちは分かるけど良い加減しゃんとしろよ。そんなになってたって、今の俺達がイザークに何してやれるわけでもないだろうが」
「そう……何もしてやれないんだよな、俺は……何も……」

ーーうわ地雷踏んだ。めっちゃ面倒くせぇ。

 暫くの間泣いていたラスティだったが、今は漸く落ち着いたところだ。しかし、泣き止んだと言っても一人ザフトに置いて来る形になってしまったイザークの身を案じて、果てしなく落ち込んでいるのは変わらない。自分があの時ザフトに戻っていたら、若しくは無理矢理でも此方に引っ張って来ていたらと自己嫌悪に陥ってしまっている。
「ったく……あのなあ、お前がこっちに来てくれたから俺達は戦わなくて済んだんだ。俺はマジで良かったって思うぜ」
「……それは、俺もだけどさ」
「確かにイザークは俺達と違う、ザフトで戦うことを選んだ。でもお互い生き残れば、また会えるだろ? なら今はその日が一日でも早く来るように戦争を終わらせる為に自分に何が出来るか考えな」
「……めっちゃ良いこと言ってる。お前どうしたの。そんなキャラじゃなかったのに」
「あのなぁーー言わせてもらうけど。この中でイザークと一番長くダチとして付き合ってきたのは俺だ」
 ラスティはハッとして顔を上げた。そうだ。アカデミーの頃から、そのずっと前から彼らは仲の良い友人だった。その友人の出生にこれだけの大きな闇が隠されていたのに、彼はあくまでも出来るだけいつも通りで過ごそうとしている。そんな彼が、くしゃりと表情を歪めて吐き捨てるように言った。
「俺だって泣きてぇよ」
「そう、だよな……悪い」
 二人の様子を伺いながら、アスランは何も言わないまま部屋を出る為に立ち上がった。カガリにまた『ハツカネズミ』と呼ばれようが、構わない。どうしても一人になりたかった。
「アスラン?」
「すまない。少しだけ、一人になりたい」
「……分かった」
 ディアッカは苦笑する。彼の言うことに間違いはない。今は落ち込むより前を向いて行かねばならないのだ。その為にも、どうしても。
「ごめん……」
「俺らも、もうちょっとこっちに居るから。心配すんなよ」
 僅かに頷いてアスランは床を蹴ると部屋を出た。無重力の中をふわふわ、ふらふらと進んで選んだ場所はパイロット待機室。格納庫を見渡せるガラス張りの壁に凭れて、手摺りに掴まると、彼は軍服の詰襟を寛げて首に下げられていたペンダントを手にする。
 特務隊へ転属になった際にイザークがくれた物だ。「お前は危なかしい。自分がそっちに行くまで守ってもらえ」と。そう、言って。
「……危なかしいのは、お前だよ」
 ぽつりと呟いた言葉。
 ストライクとの戦闘で顔に大きな傷を作ったり。それも癒切らないまま戦闘に無理矢理出てきて、重力に引かれて地球に落ちたり。
「危ないのは……お前だろ……」
 カーペンタリアでこれを渡されて別れた後は、スピットブレイクであわや死にかけていた。
「心配なのは、お前の方だ……」
 堪えきれず、涙が滲む。

 大丈夫。
 直ぐにまた前を向いて歩くから。
 今だけだから。

 だから、プラントも地球も、コーディネイターもナチュラルも、スーパーコーディネイターもクローンも。
 今だけは世界を取り巻く全て何もかもがどうでも良いと思わせて欲しい。

ーー今度は俺が部下にしてやる

ーーそれまで死ぬんじゃないぞ

 そう言ってくれた強い彼に会いたかった。
 会って、確かめたかった。
 彼がこの世界にいることを確かめたかった。
 誰よりこの世界にいて欲しいと望む人を想って、アスランは泣いた。


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2020.3.30 花房ユギ

 

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