「ミハエル、こっちこっち!」
「遅れてごめん!」

 やって来た祭りの会場は見渡す限りの人に溢れ、うっかりするとはぐれてしまいそうだ。そんな中で漸く遊馬達一同を見つけることが出来たミハエルは、ホッと胸を撫で下ろす。
 紺色の布地に黒の兵児帯を結んでいる遊馬はいつもと違って少し大人っぽく見える。隣で手を振った小鳥も黄色の布地に可愛らしい梅の花を咲かせていた。

「ミハエルくんの浴衣、とっても素敵」
「えへへ……ありがとう」

――女の子みたいだけど。

 小鳥とキャッシーが如何にかその言葉を飲み込んだのには気が付かず、ミハエルははにかむ。気が付かない方が幸せなことってあるよね。うん、あるある。

「ミハエルくん。トーマスさん達は?」
「兄様なら僕より先に出掛けたから……もう着いてるんじゃないかな」

 D・ゲイザーを取り出して電話を繋ぐと、彼は存外早く応答した。

『ミハエルか』
「兄様。今何処ら辺ですか?」
『お化け屋敷の前なんだけどよ……その、凌牙が』
「凌牙が?」

 言い辛そうにするトーマス。まさか直前になって計画が暴露し、行かないと言いだしたのだろうか?ミハエルは焦る。
 が、兄から帰って来た言葉はそれよりも若干不味いものだった。

『その、はぐれちまって』
「え――えええっ!?」 

 仰天するミハエルに周囲が何事かと顔を合わせる。近くで聞いていた璃緒はこめかみに手をやっていた。トーマスが言うに、連絡を取ろうにも凌牙のD・ゲイザーの電源がオフになっているのか繋がらないと言うことらしい。

「忘れてたわ」
「いもシャ?」
「いつもはしっかりして――いいえ、いつも何処かぽやんとしてるところはあったわ。“昔”から」

 はぁ、と溜息を吐く璃緒の出で立ちは白地に可愛らしい金魚が泳いでいる。

「人混みが苦手で、お祭りとか人が集まるところに来るとそれを避けて歩こうとして……はぐれて迷子になるの。いつも侍従と近衛兵隊が探し回ってたわ」
「……王様の時から常習犯だったのか、シャーク」
「あの頃はそうならないよう、私が隣で腕を組んで歩いていたからすぐにはそうならなかったんだけれどね……」


 こうしてはいられないと璃緒は行動を起こしにかかった。集団で探すのは効率が悪いだろうということで、分かれて凌牙のことを探すことにし、ミハエルは凌牙を探しつつトーマスと合流するように言われて履きなれない下駄をカラコロ鳴らしつつ、小走りに兄のもとへ向かう。

「トーマス兄様!」

 人混みの中を足が縺れないよう気をつけつつ、お化け屋敷を少し過ぎたところで、漸くトーマスがD・ゲイザーを操作しているのを見つけた。黒地に白い流水紋と言うらしい柄のあしらわれた浴衣に、深い赤の帯を身に着けている兄はなんとも大人の雰囲気を漂わせていて、ミハエルは人知れず見惚れて頬を赤くする。

「ミハエル。凌牙は見掛けたか?」
「い、いいえ。こちらには」
「そうか……」

 いなくなったことに気が付いたのはミハエルが来る途中に見たガラス細工のくじをやっている露店を過ぎた辺りだったと言う。それならばトーマスを探してこの辺りを既に通り過ぎてしまっている可能性の方が高かった。

「しっかし……俺なんてすぐに見つかりそうなもんだがなぁ」

 自分で言うのも何だが、派手だし。辺りを見回しながら凌牙を探すトーマスがそんなことを口にするので、笑ってしまう。

「いつもと違う格好をしてらっしゃるから、見つけにくいのかもしれません」
「それもそうだけどよ」
「ふふっ……あ、玩具くじだって。何だろう?」
「おいおい」

 通り過ぎようとした店にミハエルが興味を示し、寄り道。困ったようにトーマスはその後を追う。なるほど、これでは迷子が多発するのも頷けた。

「玩具とかマスコットのキーホルダーとか、一杯ありますね」
「こっちに下がってる紐を選んで引っ張って、先に付いてる景品がもらえるだけだぞ」
「そうなんですか?ちょっとやってみようかな。――あ、でも先に凌牙を探さなきゃ」
「……まあ、このくらいすぐに終わるから、良いんじゃねぇか」

 迷子の捜索だけで祭りが終わっても、つまんねぇだろ。そう言ってトーマスが腰に下げていた信玄袋から財布を取り出す。ミハエルは自分で代金を払おうとしたのだが、このぐらい奢られておけ、という兄に素直に甘えることにする。

「これかな」

 引っ張った紐に括りつけられた品がするすると上がって行く。屋台の主人が紐から外して「はい、おめでとう」と弟が渡されたのは、可愛らしくデフォルメされた少し大きめのマスコットが付いたキーホルダーだ。ライオン、というのが少しマニアックにも思えたが、プラスチックの水鉄砲や良く分からないチープなものよりはずっとマシだろうとトーマスは思う。

「わぁっ……ふふっ、可愛いですね。ありがとう兄様!」
「折角取ったんだから落とすんじゃねぇぞ」
「はいっ」

 カラコロと下駄を鳴らす。トーマスの少し後ろを歩いていたミハエルは、学生らしい集団が横並びに道を占領して歩いて行ったものだから、それをやり過ごそうとして少し距離が広がってしまった。慌てて追いかける。なるほど。これは迷子になるだろうなぁと、先程の兄と同じようなことを考えているとは微塵も思いはしない。

「どうした。足でも痛いか?」
「あ、いいえ。ちょっと集団をやり過ごそうとして」
「そうか。――お、チョコバナナ発見」

 いそいそとトーマスがまた財布を取り出して、買ってきたチョコバナナを一本ミハエルに渡す。ピンク色のチョコレートにカラフルなチョコスプレーが塗されたそれは実に可愛らしい。

「なんだか懐かしいな。昔、兄様や友達と皆でおやつにチョコレートフォンデュをしましたよね」
 僕の誕生日パーティーだったかな。ミハエルが思い出してくすくすと笑う。チョコバナナを齧ったトーマスも少し考えて「ああ」と思い出す。

「マシュマロを鍋の中に落としたら罰ゲームってな。お前すげー下手糞で泣いた奴」
「そう。わぁわぁ泣いたら『仕方ないな』ってトーマス兄様が一緒にやってくれて……嬉しかったです」
「……ガキの頃だろ」
「でも、僕にとっては大事な思い出なんですよ」

 ミハエルもチョコバナナを齧る。バナナとチョコの香りが口いっぱいに広がって、嬉しくなった。微笑みは深くなるばかり。
 ふと、小さな子供が足下を駆け抜けていく。驚いてバランスを崩したミハエルは転びそうになった。けれど衝撃は何時までも襲ってこない。

「……あれ?」

 恐る恐る目を開ければ前屈みに倒れた自分の身体は浅黒い腕とに支えられていた。

「ったく……気をつけろよ。ガキなんて何処にいてもはしゃぐのが仕事の怪獣だからな」
「あ……ありがとう、ございます」

 体勢を立て直して浴衣の乱れを少し直す。大きな着崩れは起こしていないようだ。礼を言いつつ、ミハエルはトーマスの顔が見れない。
 突然、手を繋がれた。目を丸くして兄を見れば、「甘いもんばっかじゃなくてヤキソバとか食いてぇ」とぼやいた。そしてそのまま繋いだ手を引いて歩き出す。
 浅黒い肌の指が、自分の手に絡められている。なんだかデートみたいだと頭の片隅で思った。トーマスは無意識なのだろうけれど、手を繋ぐなんてミハエルからすれば夢のようだった。

――ずっとこうだったら良いのにな。

「(……駄目だ)」

その考えをすぐに振り切る。

「(兄様には凌牙がいるから……)」

 そうだ。あの時トーマスが自分を抱いてくれたのは、自分が凌牙の代わりだったからだ。彼はせめてと思いながら自分の手で汚してやれなかった凌牙の代わりに、自分を抱いたのだ。そしてそれは自分が望んだことだったではないか。
 ふとした拍子に告げてしまいそうになる。その心を如何にか押し留めてこれまで過ごしてきたのだ。たった一度。けれどその一度の抱擁が、今でもミハエルを縛っていた。

「(凌牙が、いるんだから……)」
「あ」

 トーマスの声にミハエルがハッとする。視線の先を追えば――

「あれ……凌牙?」

 深い緑色の浴衣に黄色い帯。右寄りに高い位置で纏められた髪には、簪が挿されている。声を掛けようとした時、彼の方がこちらに気が付いたらしく、「いた」という言葉が唇に形作られていた。

「あー……ったく、手間掛けさせやがって。電話にも出ねぇし」
「余所見したら、見失っちまって」

 どうやら電話には気が付かなかったらしい。「悪かった」と謝る凌牙の視線は、ごく自然に繋がれた兄弟の手に行く。

「ふぅん」
「凌牙?――あ、」

 それが分かってミハエルは慌てて手を離そうとした。そこで漸くトーマスも自分が無自覚に弟の手を繋いでいることに気が付いたらしく、気まずそうに顔を逸らして僅かに耳が赤くなる。

「俺を探しながらデートか。青春してんのな」
「でっ……!?違うよ!」
「手まで繋いでんのに?」
「兄様のデート相手は凌牙でしょ!」

 僕は兄様のお手伝い!真っ赤になって否定するミハエルに、凌牙は首を傾げる。桔梗色の髪に挿された鬼灯の垂れる簪が揺れる。

「……俺もこいつとデートではないぜ」
「え、でも」
「俺達、そう言う意味で好きなわけではない」

 だろ?と尋ねる凌牙に、トーマスは傷付いた顔をした。

「お前」
「なんだよ」
「俺はお前が」
「ないだろ」

 ないない。至極当然のように言ってのける凌牙に、ミハエルはぽかんと口を開けてしまう。どういうことだ。

「お前、昔から『弟が、弟が』って煩かったし」
「……そうだったか?」
「そうだっての。手なんて繋いでるから漸くくっ付いたと思ったんだが、まだ違うのか」

 つまんねぇ。拗ねるように唇を尖らせて脹れる凌牙に、やはりミハエルの開いた口は塞がらない。

「俺これからドルベ達と遊馬のところ行くから。お前ら二人でデートの続きでもすりゃあ良いんじゃね?」
「は!?お前こんだけ人に探させといて」

 というかあいつら来てるのか。辺りを見回せば少し遠くにあった射的の露店で、ドルベとベクターが何やら躍起になって勝負している。アリトとギラグ、ミザエルは野次馬になりながらたこ焼きを食べていた。何やってんのあいつら。中身うん千歳、うん百歳のくせに恥ずかしい。

「でもお前は、遊馬とは」
「テメェは俺に構い過ぎなんだよ」

 トーマスが目を見開く。

「大丈夫だっての」
「だが」
「あいつらもいるし。大丈夫だ、俺はもう」

もう、お前がいなくても。

「凌牙……ッ」
「遊馬達には言っておく。じゃあな、“トーマス”」

 言いたいことだけ言って、凌牙が彼らの元へと下駄を鳴らす。けれど一度振り返った。

「気付いてるかわかんねーけどな。ミハエルの浴衣、直した方が良いぜ」

 今度こそ振り返らずに凌牙は彼らの元へ向かっていった。勝負に躍起になっていた二人の決着は、どうやらベクターに軍配が上がったようだ。獲得したらしい鮫のぬいぐるみを凌牙に押し付けている。
 ケタケタと笑うその声は、トーマスの耳に届いた。





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