「ご苦労だったね、W」

 ホテルの一室でテレビを眺めながら、仮面の下でトロンは不気味な笑いを浮かべている。
外は急な雨で、傘を持たず車も呼ばなかった為にホテルに着く頃にはWはずぶ濡れになってしまっていた。それを拭うこともせずに、彼は水滴を床に滴らせる。

「凌牙は随分泣いていたけれど、余程君と離れたくなかったんだろう。君に依存しきってた証拠だ」
「……ああ」
「今頃は君の名前を呼んで助け求めてるだろうねぇ。顔も名前も知らない男達に体の隅々まで弄ばれて汚されながら」
「……そうだな」
「何とも思わないのかい?お気に入りだったのに」

 仮面の下の少年は不気味に笑みを湛えながら尋ねてきた。Wはそれを通り過ぎるようにトロンの瞳の向こうを眺めている。

「あいつには、あんたに言われて仕方がなく構っていただけだ。誰に何されてようが……もう、関係ない」
「よく出来ました!!W、君はいつも僕の願いに願う以上の結果で答えてくれる。本当に優しい子だね!」

 これからも君を一番の頼りにしているよ。ニコニコと笑うトロンから逃げるように、Wはその部屋を足早に立ち去る。
 トロンのいる部屋を去って最初に出会ったのはXだった。ずぶ濡れになったWの姿を見るなり怪訝そうに眉を寄せて見せる。

「帰っていたのか」
「……ああ」

 短い返事をしただけで通り過ぎようとする彼を、Xは呼びとめる。

「W、神代凌牙のことは」
「俺は命令を守っただけだ」

 鋭いマゼンタがXのサファイアの瞳を刺した。彼の口元は弧を描くように歪められ、乾いた笑いが短く廊下に木霊していく。

「流石はトロンが用意した玩具。ちょっと紳士面したらコロっと堕ちてくれた。甘やかせばその分疑うこともせずに心を開いて……笑い堪えるのには毎回本当に苦労したぜ。そして仕上げは今日のあいつの絶望した顔!X、お前にも見せてやりたかった!」
「W!お前はっ、」
「おおっと!非難される覚えはないぜ。俺はあんたの望み通り、“トロンのために”やったんだ。あいつの命令でな!じゃなかったらあんなガキ、相手にするかよ」
「待て!」
「うるせぇな!全身ずぶ濡れで寒いわ気持ち悪いわ仕方ねぇんだよ。早く着替えてぇんだ」

 Xの制止を振り切ってWは自室に宛がわれた部屋へ戻る。閉め切られたカーテンと雨雲のせいで明かりをつけなければ暗く、静かだ。
夏だと言うのに肌寒く感じるのは雨が体温を奪ったせいだろう。早く着替えて髪をか若さなければ風邪を引く。ああ、それともシャワーを浴びた方が良いだろうか。ドアを閉めてベッドの置かれた方へとふらふら歩いて行く。そうだ、服を、服を着替えなければ。髪から滴り落ちた滴が白いシーツの上に広がって、色を濃くした。

凌牙は泣いているだろう。名も顔も知らぬ男達の欲を幾度となく受け止め、汚されて。泣き叫び自分を呼んでいるだろう。助けてくれと、来るはずもない自分の名を。痛みは通り越し快楽に変えられて、淫らにあの唇から喘ぎを漏らしているのだろうか。汚れも何も知らなかったはずの、知らずとも良かったはずの幸せだった少年は。

 その場に崩れるようにして膝を折る。虚ろな目でシーツの白を見つめながら、Wはその情景を頭の中に描いていた。白い肌、細い手足。肩に走った古い傷は昔妹を庇ったのだと言って懐かしむように触れ、笑っていた。そうだ、笑っていた。
 剥き出しの太股ががさつな男の太い指に撫でられて行く。暴れる両足を持ち上げられ開かれて、誰も触れたことのないそこへと指は辿りついて。抉じ開けられる痛みに海色の瞳は声にならない悲鳴を上げるだろう。
そして貫かれる。純真な少年の魂は黒く塗りつぶされて、暗い夜の中に放り投げられるのだ。Wの思考の中、幼く小さなあの身体は一回りも二回りも大きな男の身体の上で悲鳴を上げながら悪夢を見るように淫らに踊っていた。

「――W兄様」

 ハッと沈みかけた意識を浮上させて振り返る。心配そうな顔をして、弟のVがそこにいた。

「何の用だ」
「X兄様からお戻りになったと聞いたので。そのままでは風邪を引きます」

 彼の腕にはWの着替えとバスタオルが抱えられている。気を利かせて用意してきたのだろう。特に返事も返さず、視線を落とす。Vはそれを見兼ねて傍へと歩み寄って来た。

「兄様……」
「そこに置いて出て行け」
「でも、」
「出てけよ!!一人にしてくれ……!」
「出来ません!」

 膝を追ったままのWに、Vが縋り付く。濡れるのも構わずに。冷え切った体に伝わる自分を抱きしめている弟の体温がじわりと伝わり、温かった。
 離せ、と抵抗して身を捩ってもVは兄から離れようとしない。寒さに震える兄を全身で助けようとしていた。

「そんな状態の兄様を一人になんて、出来ません!」
「寄るな!!」
「嫌です!」

 Wが縋り付くVを引き剥がそうと無茶苦茶に暴れる。負けじとVは一層強くWに縋り付いた。
 暫く続けていると突然にWが暴れるのを止めた。

「俺が、あいつを……」

 暴れることによって火照った頬に、雫が伝う。髪から伝ったものなのか、それとも。Vは兄の背に回した腕で強く強く彼を抱きしめる。

「……W兄様のせいじゃない。凌牙のこと、兄様は、悪くありません」
「俺は……!」

 とうとうはっきりと瞳が濡れ、涙が零れた。
 どちらにせよ罪を背負うのならば、せめて。せめて自分の手で汚して堕としてやりたかったのに。胸の中に収まるVの身体を掻き抱きながら、Wは涙を流す。
 頭の中で凌牙を描く。笑っていた。何処にでも居るごく普通の少年のように、穏やかに。ぎりぎりと神像を締め上げられるようだった。嗚咽が漏れる。

――汚れを知らない少年の、美しく清らな心に自分がしたことは一体何だ。強姦よりも汚らわしく、殺害よりも陰惨な。

母が子を慰めるようにVがWへ口付ける不思議と違和感も不快感もなかった。そうなるのが当然のように、二人は口付けを交わす。
唇が離れた。兄のことを一身に想い、心を痛めるVもまた泣き始める。Wはその目尻に再び唇で触れた。そしてベッドのシーツの上へ雪崩れこむ。

「兄様、僕を代わりに……」
「V」
「凌牙の代わりに、僕を暴いて」

 その日。冷たい廃ビルの硬く冷たい床の上で凌牙が男達に暴かれ泣き叫んでいた時、兄弟は柔らかなベッドの上で初めて身体を繋げた。
 Vと身体を繋げるWには安息が無い。無垢な少年の心を裏切った自分に、それは必要なかった。
 けれど癒されていた。腕の中の弟を、兄弟云々など関係なく酷く愛おしいと感じた。



『貴様は凌牙を愛しているのではない』

 目前のカイトは未だ瞳を鋭くして自分から視線を逸らさずに見つめている。羨ましいと思えるほどに真っ直ぐだ。

『罪悪感から求められてもいない贖いをしているだけだ』
「ち、違う!俺はッ」
『だが、お前は凌牙を抱けまい』

 そもそも、できるのならとっくに抱いているだろうしな。
 トーマスは唇を噛んだ。そうだ。自分達は共に時間を過ごしている時間が多くても、抱きあったことは一度もなかった。そう思わなかった。
「俺はただ、支えてやりてぇんだ!話を聞いて傍にいて……あいつが心の底から笑える日を一緒に待ってやりたい!そうすれば――っ」

そうしたら、きっと。

「そう、したら、きっと」

 漸く、自分は。

「俺は……」
『貴様がどうであろうと俺の知ったことではないが』

 トーマスの言葉を遮るようにカイトは冷たく言い放つ。施設の消灯時間が近いのか、腕時計を気にしているようだった。

『恐らく凌牙は気付いていたはずだ。――貴様だけが悪いわけじゃない』
「……」
『あの頃の凌牙にお前が必要だったのも事実だ。だが今のままではお前も凌牙も、これ以上前には進めないだろう』
「……ああ」
『貴様の手から離れたところで、今のあいつは今更駄目にはならん』
「随分と……自信のあるような言い方じゃねぇか」

 カイトが短く鼻で笑う。いつもの余裕を持った上から目線でイラつくような。

『ただ信じているだけだ』




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -