To be, or not to be


ナッシュvsW戦後直後に書いたので、その後の展開をまるっと無視してる



 カイトがその部屋に足を踏み入れたのは暫く振りのことだった。中央に置かれたベッドの他には全くと言っていいほど物がない広い部屋は、一面がガラス張りになっている南向きの窓の外で街の灯りがイルミネーションのように輝いている。此処はハルトの部屋によく似ていた。
 そんな何もない部屋のベッド以外で家具として存在するテーブルと対になったソファーに、桔梗色を特徴的に跳ねさせた髪の彼が凭れている。いわゆる部屋の主である彼は、照明の明かりもつけずに規則正しい調子でその手に何か投げては受け止めているようだった。

「凌牙」

 部屋の明かりをつけ、呼び慣れた名で彼を呼ぶ。僅かに肩を跳ねさせた彼は、けれども何事もなかったと言うように振り返らない。トン、トン、と彼が宙に浮かせては手にするそれの正体はどうやら真っ赤に色づいた林檎だ。テーブルには数個の小さな菓子も散らばっている。誰かがこっそり持ってきたのだろう。

「誰か、此処へ来たのか」

 彼はやはり答えない。振り向きもしない。
 流石に苛立ちが募ったカイトは彼の肩を掴み、無理矢理こちらを向かせる。規則正しい調子が消えて彼が手にしていた林檎を投げるのをやめたと理解した。
 ゆっくりと向けられる瞳。向けられた蒼玉の瞳は確かに見慣れたもので、掴んだ肩も十四歳という青年になりきれない少年の肩の、己が抱き慣れたものであるはずだと言うのに、それはやけに知らない人間にも思えた。
 彼はカイトを一瞥すると林檎を食べる気はないのか。やはりまたトン、トンと規則正しい調子で手持無沙汰に投げては受け止めることを繰り返す。

「凌、」
「俺は」

 再び彼の名を呼びかけると、ようやく彼は口を開いた。

「俺は凌牙じゃない。しっかり名乗っただろう」
「……ナッシュ」

 とうとう観念して、カイトが彼をそう呼ぶ。血を吐くような想いだった。彼、ナッシュはようやくしっかりとカイトを見据えた。

「なんだ」
「……その、林檎と菓子はどうした?此処に許可なく立ち入ることはできないはず」

 やっとの思いで紡ぎだした声で尋ねると、ナッシュは口元に弧を描いて林檎を見つめた。

「『お腹が空いてるんじゃないかと思って。でも、分かったら怒られちゃうから内緒ね』って。可愛らしい小さなお客さんが」

 可愛らしいお客さん。そう言われてカイトはすぐさま弟の姿を思い浮かべる。自分達の目を盗んで此処へ忍び込んできたというのか。――この、敵の親玉とも言うべき彼の元へ。

「今回が初めてではないけどな」
「何度目だ」
「三回。俺から聞いたって言うなよ?俺があの子に怒られる」

 カイトは頭を抱える。可愛らしい弟の何とも大胆な隠し事に、まんまと今まで騙されていたわけである。一度きつく言わなければ。
 ふとゴトリ、と鈍い音が響いた。彼は小走りに窓際に駆け寄って窓ガラスに手を這わせている。床には落としたらしい林檎が情けなく転がっていた。

「――また消えた」

 緑に光る、巨門の星。ナッシュが譫言のように呟く。刹那、彼の左目が赤く染まったが僅かな時間に過ぎない。ここではバリアンの力が使えないよう特殊な仕掛けが施されていた。
 どうやら遊馬とアストラルは上手くやっているらしい。Wとのデュエルに勝利したものの深手を負って捕縛されたナッシュを取り戻そうとしている七皇達と、バリアン界に向かった遊馬達が戦っている。既にアリトに勝利した遊馬達が、再び七皇側に勝利したのだろう。ナッシュの言葉から察するに、ギラグか。バリアンを治める者であるナッシュはそれを感知できるらしかった。
 堪えるように眉間に皺を寄せて瞼を閉じ、血が滲むのではと思えるほど強く拳をギリリと握った彼は、深く溜息を吐くと「それで」とカイトに向き直り、足音を立てて近寄ってくる。

「それで……お前は俺に何のようだ?らしくもなく思い出話でもしに来たか?」
「……」
「他の七皇のように俺を一思いに殺さないのは、俺達がお前等の仲間を葬ったことへの報復か」
「……黙れ」
「Xを葬ったことへの制裁のつもりか」
「黙れ!」

 カイトがナッシュをベッドへ押し倒し、首に手をかける。もう少し力を入れたら折れてしまいそうだと、頭の片隅で考えた。
 けれど、ナッシュは涼しい顔をしている。人形のような表情だ。

「少しは抵抗したらどうだ」
「……命は生まれていずれ死んでいく」

 静かに無感情な声で、ナッシュが言葉を紡ぐ。

「誰がどう生きようと、それだけが誰にだって平等だ。早いか遅いかの違いだけ」

 カイトは首にかけた手を離さず、それを聞いた。

「俺の存在に意味があるとしたら、それを知っていることぐらいだ。いつだって、どんな運命にいても、俺はそれを必ず知る。――そして決して忘れない。それが命だと」
「……だが、貴様は望んで甦ったのだろう」
「けれどまた死んでいく。死んでは甦り、いつかまた死んでいく。ただそれだけだ。お前達人間も変わらない。生まれて、いつか死んでいく」
「なら俺達はどうすればいい。本当にそれが運命なのだとしたら」

 ナッシュの口元が再び弧を描いた。

「そんなことは、俺は知らない。人というのは自分のことしか知ることが出来ない」
「そんなことは」
「無いと思っているのなら、それはただの傲慢だ」

 俺は、お前のことなんて知らない。そう続けられてカイトは後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

「(知らない。こんな凌牙を、俺は知らない)」

 カイトが手の力を緩めた隙に、ナッシュがその手を払いのけて起きあがる。そうして床に転がっていた林檎を拾い上げて、見つめた。

「運命なんて迷路の中を行くようなものだ。目の前に並べられた道を選び、進む」
「迷路……」
「お前達はその先に望むもの、願った未来があると信じ手に入れるために。そして俺は、」

 ぐしゃり。手の中で見つめられていた林檎が呆気なく握りつぶされて割れた。ナッシュが手を離せばそれは無様に落ちていく。

「やはりないのだと知るために」
「凌牙、」
「選ばなかった道など最初からない。いくら願っても戻れはしない」
「救いはないと?」
「救いとは何だ。望んだものが全て手に入ることか?もう一度全てをやり直したいと願って、それが叶うことか?」

 ナッシュは笑っている。瞳の奥に狂気にも似た闇を湛えながら、自嘲するかのように。

「そうして全てをやり直すことが出来た時、今度こそは間違えないと選んだ道が本当に正しい道だとでも言うのか?」
「……」
「ではそれを正しいと決めたのは?神か?そんなものはいない」

 カイトは唇を噛んだ。悔しかった。それを否定できない自分が。

「その通りだ。それが正しいと決めるのは、神などではなく、自分自身だ。俺達は自分達が正しいと思ったことをするしかない……だから俺は、バリアンと闘う。それが正しいと思っている」
「俺達はお前達と闘ってでもアストラル世界を滅ぼす。それが正しいと思っている」

 互いの正義が、互いにとっての間違いなのだと改めて知る。二つの世界は、やはり滅ぼし合うしかないのだろう。たとえ元々が同じ世界だったのだとしても。

 突如として轟音が響く。窓ガラスが粉々に砕けた後、やってきたのはミザエルとドルベだった。

「ナッシュ、すまない。迎えに来るのが遅くなってしまった」

 申し訳なさそうに謝罪して手を差し伸べたドルベの方へ、溜息を吐いてナッシュが歩み寄る。

「もう少しどうにかならなかったのか。忍び込んでくるとか」
「手っとり早い方法を取った。意にそぐわなかったのならば詫びよう」
「貴様等ッ!!」
「ミザエル。後は任せて構わないだろうか?」

 カイトに目もくれず、ドルベがナッシュを抱き上げた。思ったよりもずっと消耗していた彼は自らの力で逃げることが出来なかったらしい。なるほど、暢気に捕らえられていたのはこれを狙ってのことだったようだ。

「ああ、奴は私の獲物。任せておけ」
「頼むぞ。――ナッシュ、我々は戻ろう」
「待てっ!!」

 声を荒げたところで待ってくれる敵などいない。あっという間にドルベとナッシュは空間を歪ませた狭間へ消えていった。




「待たせて済まなかった」
「謝罪は先程も聞いた」

 体温の感じないドルベの腕に抱き抱えられながら、次元の狭間を飛んでいく。

「ギラグはどうなったんだ」
「それは、」
「やっぱり良い」

 落とされないようにドルベの首へしがみつき直す。必然的に彼の肩口へ顔を埋めることになった。
これから自分達はどうなるだろう。滅ぼすのだろうか。滅ぼされるのだろうか。

「……神様」
「ナッシュ?どうした?」

 ドルベの問いに、ナッシュは答えない。
 もう一度呟いた。神様。

「――そんなものはいない」

 決して、いない。



13.10.17

vsWくん後にナシュが生け捕りにされてたらって妄想話。
作中のやりとりの一部は種運命パロ風




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