15、青い星の見える丘で





「見覚えありますか?」
「い、いや……、懐かしい気はするが」

トーマスとIVがたどり着いたそこは大きなドーム状の建物だった。
営業時間はとうに過ぎていて、生き物の気配がしない。
その静寂は本物の宇宙のよう、これが最新式ステラリウム。トーマスと凌牙にとってはかつて初めてデートをした場所であり、IVと凌牙にとっては行く事の出来なかった思い出の場所。

(これが……凌牙の思い出の場所……)

初めて足を踏み入れる事が出来た。
IVはその厳かなたたずまいを見上げながら、思わず口元を緩ませる。
凌牙、僕もここへ来る事が出来たよ。
しかしトーマスは、かすかに覚えがあるものの頭を抱えるだけだった。

「……なんだか、ヘンな感じだ。
安心する……、どうしてここなんだ?」

神代凌牙を忘れてしまった彼には、関連の深い場所もその記憶から消えかかっているらしい。

「僕にとっては活動しやすいんです」

ここのアドニスたちは、オペレーターもガードマンも凌牙が開発したものだ。
同タイプ上位互換のIVには突破が容易い。
その上、国内最大規模のデータ変換投影システムがある。

「大量の映像記憶を直接脳へ送り込めば、ただでさえ副作用で傷ついているあなたの脳は混乱するかもしれない。
ステラリウムの立体映像システムで、あなたの網膜に僕の記憶を投影しながら流し込みます。
脳だけでなく、目や耳からも取り込んでください」
「てめぇ、目的はそれだけじゃねぇんだろ」
「あ、分かります?」

凌牙と一緒に来てみたかった場所なんです、結局はあなたと来る事になってしまいましたが。IVはそう言ってはにかんだ。
トーマスを支えながら、ぐらぐらとおぼつかない足取りで前に進む。
人工知能からネットを繋いでステラリウムのシステムに進入し、ロックを解除。ドアが開き、二人は無事にステラリウムへ侵入を果たした。

「ぁっ!!」

そこでトーマスとIVはバランスを崩し倒れこんだ。

「お、おい、スクラップ……!」
「す、すみません」

トーマスが揺さぶると、うつぶせに倒れたままのIVの髪が揺れ、うなじが見えた。
人工皮膚が焦げ付いて痛々しい。

「お前……!」
「こ、ここからはあなた一人で……歩いてください……」

自壊ウィルスがIVの体を侵食しているのだ。もう左腕は機能しなくなっていた。
凌牙を失神させた時に、首にかけられていたワクチンソフトを拝借していたのだが、それでも連続して命令違反を続けている以上、間に合わなかったようである。

「……自分が死にかかってるのを眺めるってのは、気分悪ぃな……」

IVの機能する右腕をひっぱりあげながら、今度はトーマスが肩を貸す。

「放って置くと夢見悪いだろ、連れてくぜ」
「あ、ありがとうございます……」
「……お前、どうしてここまでするんだ」
「……夢のためです」

ドームを進むと、ぽっかりと開いた一番広い空間に出た。IVがネット経由で操作しているのか、ドアが開いた瞬間にぼんやりと淡い光が灯る。
どこまでも白い空間だった。床のトラベレーターが動き出し、トーマスとIVを中心部まで運び出す。
そこでトーマスはIVを座らせて、べったりとフロアへ倒れこんだ。

「も、もう動けねぇ」

ぜぇぜぇと肩で息をするトーマスの目に、IVは手のひらを当てた。

「今、ステラリウムを起動させます」

辺りが再び真っ暗になった。
自分の手さえ見えないほどの濃い闇が、ふわりと二人を包み込む。
少しの間があって、囁くような優しさの光が見えた。
星だ。
ひとつ浮かぶと、そこから洪水のように星が輝き始め、床も天井も宇宙へと変貌を遂げる。二人はまるで星の海に浮いているようだった。

「ステラリウムへ出る映像は、あなたの目に入っているコンタクトへ流しますよ。目は閉じたままで結構ですから、集中してください」

IVはかろうじて動く右手で、トーマスのまぶたへ映像を流し込み始めた。
ステラリウムの高度な映像システムなら、より鮮明にデータを移行できるはずだ。
トーマスの人格を変えた、あの悪魔を全て上書きしながら。
二人の意識は今、繋がっているも同然だろう。
チップを介し、初めてトーマスとIVの意識が重なった。

「「……」」

閉じたまぶたの裏に、ステラリウムの星が輝きだす。
しかしやがてそれは、かつての施設、そして研究室に重なっていく。
星々の合間に現れるいくつもの光景。白いベッド、埃のない研究室、緑に溢れた温室。
白衣を着た大勢の研究員や職員が行き交い、さまざまな声が聞こえる。
初めての知能テスト、体力テスト、完全男子として合格した幼いトーマス・アークライト。ぞくぞくと追体験していく。
そうだ、色んな装置をはめられて、息苦しく、そして背伸びをしていた。それしか生き方を知らなかった。閉じ込められた檻の中で独り、実験と研究の繰り返し、繰り返し。
1歳の自分、3歳の自分……5歳、7歳、10歳。トーマスの前で成長していく自分の姿。

『トーマス・アークライト。君は完全男子プロジェクトにおける主席だったな』
『はい』
『君に新たな計画がある。
完全なアドニス開発のためのモデリングだ。
責任者の神代凌牙博士と会ってもらおう』

職員の命令に、昔の自分は神妙な面持ちで頷いた。次の計画も期待に応えなければならない。
トーマスは16歳の誕生日を緊張のまま迎える。
そう確かこれは、運命の日になるのだ。覚えがある。とてもたいせつな何かが、すぐそこまでやってきている。なんだろう、この気持ちは。
切なくて、苦しくて、不思議と心地よい。トーマスは辺りを見回した。周囲の光景が、真っ白な施設から徐々に変わっていく。
舞い飛ぶ蝶、こぼれる光、風の吹く温室。
それらの間から、『彼』は現れた。
青い目の東洋人。
初めて会った時のあの記憶。しかし今 再び会えたような、そんな想いでいっぱいになった。

『新型アドニスのシステム開発担当、神代凌牙だ。
モデリングにも立ち合わせてもらう』

トーマスは自己紹介も忘れていた。だって、博士なんかいうからてっきり老紳士でも来るとばかり思っていたじゃないか。
トーマスは走り出す。
また会えた。やっと。ずっとずっと探していた。
俺の初恋、そう、この時から。


「凌牙!!!!」


神代凌牙、君に恋をしていた。
抱きしめる凌牙の映像。

「やっと見つけた……!」
『お……おい……トーマス?』

抱き締めた凌牙がきらきらと星になる。胸の中で弾けてまた、その光がさまざまな映像を投影する。懐かしい声がした、あの低い声。
蝶がとまった凌牙、不機嫌そうな凌牙。痛いほど真剣で、無愛想で、かわいくない、その全て。
ステラリウムは続々とその空間に凌牙の全てを映し出していく。
ドームの星空と、神代凌牙の一瞬一瞬。
彼に伝えたいことがある。その昔、もっと若かった頃、不器用すぎて伝えられなかった。

(綺麗だ……)

トーマスの脳裏にステラリウムの映像を送りながら、IVは天を見上げている。
ステラリウムが処理していく映像は、星の間に浮かんでは消え、また浮かんで、消えて。
書類を見つめている凌牙の近くでは、流れ星が見えた。
綺麗だと言われて目をそらす凌牙、チェアの上で目を休めている凌牙、報告書を読み上げている凌牙。星のようにまたたいている。
凌牙、君にも見せてあげたかった。
さすが、君がシステム開発しているだけある。こんな星空、アドニスの僕でも泣けてしまいます。
でももう、右手が動かない。足も動かない。

(あと5%でカメラの機能も全部止まるな……)

この記憶移植は、プログラム上許された事ではない。
IVの人工知能でけたたましく発信され続ける緊急停止命令。しかし彼は自分の意思で拒絶する。
自壊ウィルスが命令に背いたIVの行為を止めるべく、牙を剥きながらデータをまっさらに戻していく。IVの人工知能が徐々に働きを弱め、反応を薄めた。
それよりも早く、この記憶を全てトーマス・アークライトへ。
これだけは誰にも邪魔させない。IVはステラリウムの凌牙に向かってもう一度呟く。

(ごめん、凌牙……)

好きだ。
初めて会った時からたまらなく、好きだよ。君を見ているとまばたきも惜しくなる。切なくて、苦しくて、張り裂けそうだ。
天上に浮かび上がる数々のいとしいひと。
IVの母であり父であり、神であり、恋人だった。

「IV!!!」

ドームのドアが開く。
きらめく星の中から、こちらを呼ぶ声がする。

「IV!トーマ!」

本物の凌牙だった。
息を切らしながらこちらへ向かってくる。トーマスとIVの元へ一直線に。
周囲に浮かぶ立体映像で、IVのやっている事は察しがついたのだろう。
凌牙は叫んでいた。

「IV!!!やめ……ッ!!IV……!!
やめろぉお――――ッッ!!!」



気持ちだけが急いてうまく走れない。凌牙は星の間を駆けていく。

「りょうが……っ!」

IVは家を見つけた子供のような顔で、目元をくしゃくしゃにした。ぶわりと溢れた涙を拭いもせず。凌牙へ手を伸ばそうと、もがいている。
しかし凌牙がたどり着くほんの数メートル手前で、IVの体はぐらりと傾いた。
ガシャン、とまるで人形のような音を立てながら、凌牙の目の前でIVは床へ倒れ伏したのだった。

「IV……―――ッ!!!」

ワクチンソフトは使用してしまって既になかった。
予備の基盤ではここまでのようだ。
凌牙は床へ倒れたIVを上から覆うように顔を覗き込んだ。

「しっかりしてくれ……!」
「……」
「命令じゃねぇんだぞ、聞けねぇのか!!
俺が……ッ頼んでるんだぞ……ッ!!」

倒れたIVの目に映る、幾万の星、その中心の凌牙。
それを焼きつけるため、IVは残った機能を全て感覚器へ回し、他機能を放棄した。もう修復する必要もないだろうから。

「……やっと一緒にステラリウムに来れましたね?」

パチパチとショートを起こした彼は、既に声が掠れて飛んでいた。それでも微かに笑っている。

「もう止めろ……!!
犠牲にするためにお前を生んだわけじゃねぇんだよ……!」
「はい」

凌牙を見上げながら、彼は幸せそうに目を細める。

「愛するために生まれた僕です。
全うしますよ、あなたのくれた生きる目的を、、」

記憶の移植は最終段階へ来たようだ。
突然、空間の色が変わっていく。
そこは月面だった。
砂の谷と川、クレーターが再現されていく。

「あ……あと……10秒で、地球が昇り、ます」

地平線の向こう、青い星が無音の闇に浮かび上がる。
吊るされているわけでも支えられているわけでもなく、独り、気高く。

「……これが見たかった……綺麗だ、凌牙」

そう言いながら、既にIVは地球ではなく凌牙を見ていた。
美しいよ凌牙。
不完全だからこそ悩み苦しみ、独りを恐れながら独り戦う、君が美しい。
あの地球と同じ色だ。
こうして星と一緒に君の姿を投影すると、よく分かる。

「あなたが、どれ、ほど美しいか、覚えていて、ください。
これが僕の目に映っていた、全て……、ほら。」

だからもう、自分を責めないで。君は、出来損ないでも失敗作でもない。
凌牙が二度大きく頷いた。
こんなに何気ない一瞬一瞬を大切にされて保存されていたなんて思いもしなかった。
フォーマットも追いつかないはずだ。
しかしそのどれもがこんなに綺麗に映されていれば、怒るに怒れないではないか。

「凌牙……」

涙がIVの頬辺に落ちる。かわいかった。
保存してロックしておこう、削除できないように。そうしたら、残りの機能はあと2%を切った。

「僕は……記憶の全てをトーマスさんに移して、彼の中に溶け込むんです」
「……」
「僕の一部が…、人間、に、生まれ代わ、……」

凌牙はIVの上半身を抱え上げた。
IVの真の目的が分かって、もう止められないことを悟ったのだ。
ようやく、IVの夢が叶う時がきた。その時を待つべく、じっと見つめ合った。

「血の通った唇と肌で、ようやく凌牙に触れられる」
「IV……」
「……、凌牙。その時が来たら……」

君に伝えたい事がある。
IVは凌牙の映像を反芻するかのように目を閉じながら、微笑む。
地球が見守る月の上で、彼の全てが動力を失い始める。

「IV……!」

IVが完全に機能を失うと、ステラリウムに浮かんでいた凌牙の映像は天上から崩れ初めて、元の星宙に戻っていく。

「IV、待て、……行くな……!」

凌牙がIVにすがりつく。
生まれた時から既に、「失敗作」という立場にあった凌牙にも、ずっと伝えられない事があったのだ。
男でも女でもない、こんな体では、打ち明けられなかった。
初めて自分の事を綺麗だと言ってくれたあの少年に、素直な態度も取れずに傷つけてばかりで、そんな自分だからこそあの事件が起きた。
トーマスを止めてやれなかった。
だから、贖罪のつもりだったのかもしれない。
IVという命を創り出し、自分たちの初恋を守ろうとしていた。
でも違ったのだ。本当にすべきことはもっと他にあった。
どうして人間は、IVのように生きられないのだろう。
みんなが彼のように純真なら、きっと、もっと色々な未来が選べたはずなのに。

「……IV……!!!」
「……」
「い、行くな……って……俺も、……ま、ま゛だ言いたい゛ことが、っっ」

IVの目が再び開くことは、なかった。
月の上に取り残された凌牙の目の前に、地球が煌々と輝いているだけだ。
IV。その名前を呼びながら、凌牙は泣き続ける。
何が天才博士だ。いつもIVに教えているつもりで、本当に教えられていたのは、自分だった。

「……………ぅ………、、」

慟哭の闇の中。
視界の端で何かが呻きながら起き上がった。

「……!」

凌牙の目の前で彼は、頭を抱えながらゆっくりと目を開き、自分の体をまず確認していた。
まるで生まれたての、いや、生まれ変わった自分をぼんやりと確かめるように、手のひらを見つめている。

「……トー、マ……?」

凌牙が呼びかけた。
彼は声に驚いた様子で振り向く、しかし凌牙を見ると、次の瞬間。



「な、……なんだか久しぶりですね、凌牙」



ようやく自分を取り戻したトーマス・アークライトが、笑っている。

「ト……トーマなんだな……?」

凌牙だからこそ分かる。
今の彼の中で、IVは息づいている。
トーマスとIVの記憶移植、それは深い部分に及ぶ融合に近いだろう。そしてそれこそが、本来の彼の姿だ。
月の上でトーマスははにかむ。けれど真っ直ぐに凌牙を見つめながら、唇を開いた。


「凌牙……っ、」


もしあの月で再び、二人が出会えたなら。






君に、伝えたい事がある。



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