14、さよなら、初恋



施設の人間は、トーマスとIVの見分けがつかない。
おかげでIVは悠々と侵入し、トーマスの部屋までたどり着くことが出来た。
どうやら彼は監禁されてはいないらしい。室内には鍵はかけられていなかった。
白で統一された室内に、トーマスはいた。
眠っているように見えた彼だったが、部屋にIVが入ると、ゆっくり目を開けた。

「……よぉ、スクラップくんか」

低い声がいつもどおりの台詞を囁く。
こうしていると、何も問題のないいつものトーマスだった。

「僕の事、分かるんですか?」

IVは一瞬安心したが、サイドテーブルの周囲には、大量の写真とメモがでたらめに貼り付けられている。
神代凌牙、スクラップくん、主治医……、
研究室の部屋番号、施設の地図、……ステラリウムのパンフレット。
これはトーマスがやったのだろうか。
だとしたら、その記憶は頼りない。
IVが凌牙の写真をなぞっていると、

「……好きなやつがいたはずなんだ……」

トーマスがベッドの上でぼんやりと呟いた。

「夢の中で俺は、そいつと月の上にいる。
そこから地球を眺めてる。
……そいつの目が、地球の色に似てた……」

はずなんだ。
トーマスは目を覆う。
忘れたくないのに、指の間から零れ落ちていく欠片。
あの星は何色だった?あの瞳は?
記憶の中の彼は、顔がよく分からない。
名前は?
声は?
どうしてよりによって、一番忘れたくないものから失っていくのだろう。
こんなに叫んでいるのに。

「トーマスさん」

IVはベッドの傍らに膝をつく。

「僕は……
自分の記憶……、あなたへ移植できないかと思っています」
「移植だと?」

トーマスのアネモネ色をした瞳が見開かれる。

「僕の記憶は、あなたの記憶をそのまま移植したものです。
あなたが忘れてしまった記憶が全てここにある。
それをあなたの脳内チップに上書きしましょう」

トーマスの人格を変えたあのシリコンチップのデータを上書きすることで、記憶を取り戻し、かつトーマスの攻撃性・生殖本能は元に戻るはずだ。
それがIVの計画だった。

「待て。
俺の脳内チップは国家政策だ。無許可で外すなんて、反逆罪になるんだぜ。
……お前、本物のスクラップになるって事、分かってんのか……?!」
「分かってますよ」

IVは深刻そうに深い息を吐いた。
IVが反逆罪を犯せば、また自壊ウィルスが発動してしまう。
次にそうなれば、IVにはもう手立てがない。
それは、IVにとっての死を意味するだろう。

「それにこんな事が成功してしまえば、ロボットの意志が人間の体を乗っ取ったなんて言われて、世間からは非難がごうごうと……」
「乗っ取……!?
じ、冗談言うなよ……!」

びくりと顔を起こすトーマスを見下ろしながら、IVは眉をひょいと上げておどけた表情を作る。
乗っ取ってあげてもいいんですよと言いたげだ。

「や……やっぱお前、オレだわ……」

根っこの部分が性悪なのだ。
トーマス・アークライトの人格をそのまま移植したと言われるだけある。
開発者の腕は確かだったようだ。
トーマスはあきれ返ってしまい、がっくり横たわって抵抗の意志を完全に失くした。

「だからこそ信用できるんじゃないですか。僕ら、同じ男なんだから」

IVはトーマスを抱き起こす。

「起きれますか?」
「今、薬が入ってる。うまく体が動かせねぇ」
「では、肩を貸します。
とは言っても、僕も今は予備装備なので、バランスが取りにくいんですよ。
かなり遅い足取りになります、お許しを」

IVはトーマスの手枷を外し、慎重に彼を支えた。

「僕の記憶は膨大だ。
移すには時間がかかる。ここでは出来ないので、逃げましょう」

一歩踏み出す。
瞳のステレオカメラで前方の空間を認識、間接制御。トーマスがよりかかった分のバランスを修正するのに、IVのプログラムは煙が出そうな忙しさだ。
急がねば、捕まってしまう前に。

(ぼ、僕の体ももう長くないな……)

IVの焼け付いた基盤が、ばちりと一瞬火花を飛ばした。
さよなら初恋、神代凌牙。







ゆっくりと瞼を持ち上げてみると、無機質な天井がこちらを見つめていた。

「……ぅ、」

凌牙はゆっくりと体を起こす。
ベッドの上で横たえられていた体。傍らには銃が置かれていた。

「……IV……?!」

そうだ。IVに気絶させられたのだ。
足をもつれさせながら部屋を飛び出せば、既にIVの姿はなかった。
トーマスの病室へ向かう。
真夜中の施設は、いつの間にか人が大勢集まっていた。

「どうした!トーマスはどこへ行った!」

騒ぎの中心は問題の病室だ。
そこにはガードマンがいるだけで、肝心のIVも、トーマスさえもいなくなっていた。

「か、神代博士!?部屋に閉じ込められているんじゃ……」
「何が起きた。トーマスはどこへ?!」
「分かりません……。気がついたらいなかったんです。
警備のアドニスはみんな電気信号が混乱して作動していない。
一体、どうやって……!」

ガードマン達が監視カメラの映像の乱れに気がついた時には、既にこの施設のセキュリティシステムはストップしていたのだという。
もしかして、IVがやったのか。
彼は性能面でアドニスの頂点を行く。自分より低廉な回路の弱点をつき、他の警備アドニスを停止させる事は出来るだろう。
だがその為にIVの体は、一般よりも強力な自壊ウィルスや能力制御が仕掛けられているのだ。
反逆行為にはそれらが発動するはず。
それにも関わらずIVは凌牙に対する虚偽を始め、失神させるためとはいえ危害まで及ぼし、政府の施設を混乱させている。こんな事、アドニスに出来るはずがない。
プログラムに従わず、自分の意志だけで動いている彼はまるで、普通の人間だ。

(……一度バーチャウォールを越えたあの時か?……まさか……!)

あの時から、IVの態度はよりアドニス離れした気がする。
一度自壊ウィルスが働いたせいで、施された抑止プログラムが壊れた?
信じたくなかった。凌牙は自分の発明の欠陥を認めたくないわけではない。ただ、自我の目覚めたIVがどう動くのかが不安だったのだ。
溢れていく彼の想い、愛というべきものは、果たしてあの人工知能に収まるのか……?

(落ち着けッ、IVは予備装備しか持っていなかった……!!)

もし仮にトーマスの脱走を手助けしたのだとしても、あれでは遠くに行けないはず。
どこへ行った?彼の目的は?

『ステラリウム、いつか行きましょうね』

IVの寂しげな最後の言葉がふいに浮かんだ。
まさか……―――

「部屋へ戻ってください、博士」

ガードマンが凌牙の肩に手を置いた瞬間、凌牙はその手を掴んで捻り上げ、相手の後ろを取った。
そのまま腰から抜いた銃を突きつける。

「動くなッ!!!」

思いも寄らない凌牙の行動に、全員が硬直した。

「……この部屋のキーを出せ。
お前達には一晩ここで過ごしてもらう」
「か、神代博士……、一体何を……?!」
「尋ね人を探しに行くだけだ。
……いいから、そこへ並べ。武器と通信機は捨てろ!早くッッ!!!」

いくらセキュリティシステムが止まっていても、明日にはみんな起き出して助けてもらえるだろう。凌牙は彼らをひとまず部屋に閉じ込めた。
警備の停止してしまった施設内を抜け、凌牙はステラリウムを目指す。
急がなければ。IVの体はもうもたない。



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