13、囚われのプシュケー(魂)・下




凌牙が連れて行かれた施設は、かつてここを出入りしていた時とあまり変わっていなかった。
歓談室でもある温室を抜ければ、白い廊下が続いている。
トーマスの治療に協力させられた凌牙は、個室や生活の保証が与えられたものの、ほぼ軟禁状態にあった。

「明らかな原因が分かっていて何故 取り除かない!!」

凌牙はガラス越しの男に怒鳴りつけた。
スーツを着た例の男は、閉じ込めた凌牙を見据えながら微動だにしない。

「一刻も早くトーマスの脳内からシリコンチップを抜けッ!
あれがある限り治療はなんの意味もなさないッ!!」
「博士。
我々はトーマス・アークライトを正常に戻してくれとは言っていない。
彼をこれまでの状態に留めてほしいのだ。」

政府はあくまでトーマスの脳内チップを抜くわけにはいかないらしい。
あれがなくなっては、トーマスは計画に従わなくなる可能性があるし、第一あれほどの女の相手は出来なくなるだろう。

「君はかつてこの地球に浸透していた、『人類の自然交配』を尊ぶ気持ちはないのかね。当たり前だったあるべき人類の姿を。
今のようにシャーレの上でしか子を成せない人類は、いずれ滅びる」
「お前達がトーマスにやらせてるのは『自然交配』じゃねぇ……!」
「博士のように科学を重んずる男からそんな言葉が出るとは思いもしなかった。
では、博士は何をもって人類の繁栄を取り持つと?
まさか『愛』だとでも仰りたいのか。馬鹿馬鹿しい」
「……」

愛、その言葉に、凌牙はぴくりと反応した。
自分とは無縁だと思っていたその言葉。
こんな出来損ないの体では、女どころか男でさえも馴染めない。生まれてからずっとその言葉を実感したことはなかった。
しかし今は、それが懐かしい。
温室の蝶が一匹、どこからか迷い込んで凌牙の肩に止まった。

『綺麗ですね』

耳元に蘇るのは、トーマスの声だ。
トーマス、このままお前は消えてしまうのか。
俺との日々を全て忘れて。手の届かないところへ行ってしまうのか?





深夜の0時を過ぎると、凌牙に与えられた部屋は消灯されて鍵をかけられる。
シーツの上で凌牙は寝返りを打った。
連れ去られるようにしてここへ閉じ込められてから、一週間ほどが経っていた。
IVはどうしているのだろう。人間の子供であるまいし何事もないとは思うが、殴られた衝撃で動けなくなっていたら。
またフォーマットが必要になっていたら。
そう思うと眠れない。
そのベッドに、一瞬明かりが差し込んでまた消えた。
鍵がかかっているはずのドアが開いて、誰か入って来たらしいのだ。
何者かはまっすぐにベッドへ向かってきた。

「誰だ」

起き上がろうとした凌牙、それを押し戻してベッドへ磔にする。何者かは首尾よく凌牙へ馬乗りになった。

「!!お前は?!」
「博士、」

男が凌牙の顔を確認し、にたりと笑った。
彼はそれ以降 何も言わず、ただ無心に凌牙の服を剥く。
興奮した鼻息と衣擦れの音、上擦った凌牙の悲鳴。
凌牙の体はこれから何をされるか知っていた。純真と尊厳を奪われるのだ。
二年前のあの時のように。

「離せっ、気持ち悪ぃんだよ……っ!!
嫌だ、ぁっ!!!」
「静かにしろッ!!」

男は目を血走らせながら凌牙へのしかかる。
この時を待っていたのだ。当直のガードマンらと示し合わせ、深夜に疲れきった神代凌牙がベッドに潜り込むのを、今か今かと。
この施設の職員は重大機密を扱うために出入りが制限されており、職員は何ヵ月もここで生活せざるをえない。
周りは完全男子を育成する関係で生身の女性職員が少なく、いても年の頃は若くないのが普通だ。
16歳のうら若き少年は格好の獲物だった。
それも一度 男の手にかかっており、隠蔽までされている。
再びレイプされても表沙汰にならないのではないかという期待がそこにあった。

「下半身は女なんだろ……!?なぁ……?!見せてみろって!!」
「い、いや、っめ、……やめろ!」
「こっちは銃持ってんだぞッ!!オラ脱げよ!!」

男が逸る気持ちを抑えきれず、凌牙の服を引きちぎる。
ベッドの上で重なり合う二人。
凌牙の首筋に男の顔が埋まる。
その後方で再びドアが開き、もう一人分の靴音がした。
差し込む光のせいで何者かは分からない。シルエットの男はベッドで捻じ伏せられている凌牙を見て静かに話しかけた。

「……そこ代わってくれ」
「順番だ…ッ、後から来いよ!気が済んだら代わってやる」

息を弾ませながら、男は振り向きもせずに答えた。
凌牙の白い足を開かせながら、その間に腰を割り込ませている。
だが突然、シルエットは男の腰に手を伸ばした。
ホルスターから銃が抜かれて、かちりと男のこめかみに照準が合わせられる。

「そいつには俺が先に手ぇつけてんだよ。
お前がどけ、種無し野郎」

そこにいたのは完全男子の、トーマス・アークライトだった。

「……トーマ……」

凌牙がベッドの上から目を見開く。
凌牙を組み敷いていた男は何秒か硬直していたが、トーマスが引き金に力をこめたのを察したのだろう。押されるようにしてよたよたとベッドを降りた。

「く……くそ……、お前には何百人も女がいるんだろ?
こんなガキをどうしようってんだよ……」
「言わせる気か?ん?」
「……お、俺にも代わってくれよ、お前の後でいいから、一回だけでもッ…」

媚びるように声を震わせた男の口に、トーマスは銃を突っ込んだ。

「ガタガタうるせぇんだよッ!!!とっとと失せろッッ!!!!!」

トーマスが吠えると、男は足を滑らせて転んだ。
その拍子に口から小さな欠片が飛び出す。手探りでそれを拾い上げた男が、情けない悲鳴を上げた。
銃に当たって抜けてしまったのだろう、己の歯だったのだ。
潰れた声でトーマスを罵倒してから、彼は部屋を飛び出していく。
残された凌牙は、トーマスを警戒しながら壁際へ這い寄った。先ほどの男よりももっと手荒な真似をされるかもしれない。破かれた頼りない衣服を掻き寄せながら、凌牙は目元を尖らせる。

「……怖がるなよセンセイ。
便所に行く途中 怪しい男がいたもんで、様子見に来ただけだぜ」

トーマスは銃の安全装置を元の位置に戻しながら笑ってみせた。
ベッドへ腰を下ろし、銃を凌牙へ託す。

「ドアなら開いてる。今のうちに逃げたらいい」
「トーマ……」

凌牙は足元へ置かれた銃に手を伸ばす。トーマスはその手を見て、ふと思いついたように突然 凌牙を引っ張り寄せた。
―――それは、随分と無邪気なキス。
凌牙を抱き寄せ、じっと唇の味を味わう。
抵抗出来ないまま、凌牙はトーマスに身を委ねた。何度か音を立てながら吸い付く。
唇の温度が高い。それが離れると、寂しいくらいに。

「今夜の礼にもらっとく。続きはまた会えたらでいい」

唇が離れてから、トーマスはベッドを立ち上がった。

「……おい、待て」

離れようとしたトーマスを、凌牙は呼び止める。
背中を見上げながら、凌牙は先ほどのキスを思い出していた。



「……お前、IVだろ……!」



トーマスはぴたりと足を止めた。
ゆっくりと振り返って、迷惑そうに眉をゆがめる。

「ったく……スクラップくんと同じにされちゃたまんねぇよ」
「いや、お前はIVだ。俺の目はごまかせない。
どうしてここにいる」

凌牙はそう断言する。
迷いはない。

「凌牙センセイ、どうかしてるぜ」
「やめろIV!
トーマスはもう、俺の事を覚えてない!」

その目が泣いていた。
頬に幾筋も涙をこぼしながら、神代凌牙はIVを見つめている。

「……もうそこまで進行してるなんて、思ってませんでした……」

IVは演技していた表情を緩める。
トーマスからIVへと戻った瞳が、申し訳なさそうに揺れていた。

「……どうやったんだ!!?
お前は一人では研究室から出られないはず……!!!」

IVが自分の意志でバーチャウォールを越えた事がある一件を、凌牙は知らない。
しかし越えられたとしても自壊ウィルスがある。
ここまで移動してこられるはずがないのだ。
IVは観念したように微笑んで、自分の後ろ髪をかき上げる。
髪に隠れたIVのうなじ部分、基盤が入る場所が露になる。
そこは焼け爛れていた。

「黙っていてすみません。
僕はもう、バーチャウォールを越えられるんです」

越えた瞬間に自壊ウィルスが起動する事は分かっていた。
そこで、バックアップ用の基盤を持って出たのだ。
IVはバーチャウォールを越えて自壊が始まったところで、装備していた基盤を自分で外して捨てた。
そうして電源が全て落ちるその前に、バックアップ用基盤を再び自分で差し込んだのである。
これでもう、予備はない。

「り、理論的に不可能だ……!そんな事、アドニスが自分で出来るはずがない……!」
「僕は、最も人間に近いアドニスですよ?」

愛のためなら壁くらい越えられる。
IVは精巧すぎたのだ。
忠実に、かつてのトーマス・アークライトの恋を再現しすぎた。

「何をする気だ?!一体お前は、」
「凌牙、」

IVは凌牙をベッドへ押し戻した。

「僕を作ってくれて、感謝してます」
「……そ、それはまた今度聞く。
だから今は家へ戻れ、IV!検査しないと……っ」
「僕はIVであり、かつてのトーマスでもある。
だからあなたのこと、初めて会った時からずっと好きだ、これからも」

IVは凌牙の首に手をかけた。的確に頚動脈を狙って、最低限の力で絞める。

「……っ」
「ステラリウム、いつか行きましょうね」

5秒と持たず失神した凌牙を、IVはベッドに寝かせた。
すぐに意識は戻るはず。銃を彼に携帯させておけば、この施設から逃げ出せるだろう。
ごめん、と囁く。
念のため、IVは凌牙の胸元で輝くシルバーのネックレスを拝借した。
耳裏に差し込んでワクチンソフトを起動させておく。
これである程度の無茶はできるかもしれないが、あくまで応急処置程度だろう。期待はできない。
凌牙に最後のキスをして、IVは部屋を出た。
目指すはトーマス・アークライトの部屋だ。



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