12、囚われのプシュケー(魂)・上
トーマスがその日 大事な客との約束をすっぽかしたために、事態はすぐ知れてしまった。
数時間後には凌牙の研究所にまで職員が押しかけ、トーマスの引き渡しを要求してきたのだ。
彼らは完全男子を管理している政府の連中だろう。
トーマスの仕事の全てを厳密に監視している。
「トーマスを連れていくだと……?」
向かい合うテーブル越しに、凌牙はスーツ姿の男をにらみつけた。
髭をたくわえた男は、かつてIVの開発を持ちかけてきた男だ。つまり、政府の者である。
他にも数名、戸惑う凌牙を無視して上がりこんできた。彼らの目当てであるトーマスは今、隣の部屋で休ませてある。
「ちゃんとした医療施設に入れるんだろうな?
実験施設じゃなく」
「もちろん、我々は治療を目的としてトーマス君を連れていきたいのだ。
いいか、これは君が決める事ではない。君はIVの開発が済んだ時点で、トーマスに対する権限がないのだから」
男は威圧的に凌牙を見下ろしている。
政府としては、完全男子プロジェクトに欠陥があっては困るのだ。トーマスに現れた副作用が世間に知れれば、プロジェクトが終わってしまう。
自然交配による人間の繁栄は、また夢物語になるかもしれないのだ。
政府はそれを恐れているだろう、隠蔽される可能性がある。
凌牙とトーマスの、かつての事件のように。
しかし凌牙の所にいても何も始まらないのは事実だ。ここでは専門的な治療が行えない。
トーマスが死んで困るのはあちらも同じだ。ある程度の治療は見込めるだろう。
「あいつは、隣の部屋だ」
凌牙がそう告げると、後ろに控えていた男たちがずかずかと寝室へ向かった。
ちょうどその寝室のドアが開き、中からIVが立ち塞ぐ。
「一応病人ですよ。
もっと静かにしたらどうです」
施設の連中は目を見張った。
IVの表情や声は、常に愛想をふりまくアドニスの域を超えている。
「RYOGA四号機か……。もうほとんど人間だ。
データの蓄積がうまくいっている。神代博士の最高傑作だな。
やはり、あなたは天才だ」
スーツの男がおもむろに立ち上がり、ソファの上の凌牙を引き寄せる。
「では、行こうか」
「何してる……?!離せ!!」
立ち上がらされた凌牙の足元で、コーヒーカップががちゃりと音を立てた。
「この件が表に漏れては困るのだ。事情を知られたからには博士にも来てもらおう。
それに、君は元々こうなることを予測出来ていたらしい。
トーマスの治療にはその頭脳が必要だ」
「凌牙に触るな!」
IVがスーツの男に飛びかかる。
「やっ、やめろ!IV!停止だ!!」
凌牙が咄嗟に制止を命ずると、IVはぎくりと体を強張らせて止まった。
スーツの男は、銃を構えていたのである。シャツの袖から掌へ滑り込むように現れたそれが、IVに銃口を向けながら鈍く光っていた。政府関係者に逆らうアドニスは、この場で廃棄処分されるのだろう。
銃の許可まで出ているとは、政府も本気という事だ。
「……、なかなか興味深いアドニスだ。
怒りの表現がどこか人間くさい。ストッパーはついているのか?」
「当たり前だ、IVはロボット境界法を全てクリアした……!」
しかしIVはその場で停止しながらも、男をにらみつけている。まさに噛み付かんばかりの気迫だった。アドニスの感情表現にしては多彩すぎる。
「IV、俺なら大丈夫だ。
必ずトーマスを完治させて、帰ってくる」
銃を向けられた凌牙は、両手を頭の後ろへ当てた。IVにもそうするよう、目で急かす。
IVがしぶしぶ同じ体勢を取ると、職員が恐る恐る背後に立った。
「神代博士の身体検査を」
スーツが命ずると、職員が凌牙の手から肘、肩と順々にさすって武器や通信機がないか調べていく。
「ん……!」
後ろから伸びた手が、執拗に凌牙の胸を押し揉んだのは気のせいだろうか。
乳首を掠められて、凌牙が身を捩った。
「胸はないけど、ずいぶん華奢な体ですね博士。噂は本当だったんだ」
「……」
「博士は不完全XYの中でも極端な類だそうで。初めて見ます。
……ほら、足開いてくださいよ」
ずいぶんと軽々しい口を利く職員だった。凌牙の太股の間に手を入れて叩く。
凌牙が背後の男に舌打ちしながら足を開いた。
抵抗出来ない相手に嗜虐心がわいたのだろう、その背中にべったりと寄り添った職員が、凌牙のうなじに熱い息を吹きかける。
「不完全XYだとここはどうなってるんです」
「やめろ!!!」
妖しい手つきで凌牙の腰に腕が回った瞬間、IVが叫んだ。
「凌牙の通信機は右ポケットだ!それ以外には何もない!
そもそも武器なんて持ってるはずがない、早く終わらせろッッ!」
職員はずいぶん驚かされたようだったが、所詮相手はアドニスと思い直して、言われた通りに凌牙の通信機をポケットから抜いた。
終わりましたよ、と言って凌牙の尻を撫であげてからドンと背中を押す。
「お前はそこを動くなよ」
IVは部屋の隅に移動するよう強いられ、寝室からトーマスが連れ出された。
両脇から押さえ込まれるようにして、こちらも銃を当てられている。
ぐったりしているように見えるのは、こちらも寝室で軽く診察や検査をされたようだ。
同行していた別の職員がスーツの男に耳打ちする。
「トーマス・アークライトの問診を終えました。
『快』の記憶……つまり幸福の記憶から消えていくのが早いように思います。
我々施設のことや仕事のことはある程度覚えていますが、家族や友人に関する記憶はほとんど曖昧です」
「原因はやはり脳内チップか?」
「ええ……
脳内チップは性欲をコントロールするために彼の視床下部を刺激し続けています。
その視床下部は元々 恐怖などの『不快』な感情を判断するための体反応情報を出している部分ですから、彼はそれが活発になり『不快』を大きく感じすぎてしまっている。
それが『快』に対する感情や記憶を侵食していっているのでは……。
これは三年ほど前の神代博士による仮説そのままの意見です。やはりその関連を認めざるをえません」
スーツの男は、そうか、と重苦しいため息を吐いた。
銃で部下達に指図する。
「トーマス・アークライトと神代博士を連行しろ」
二人は男達に抑えられながら、丸腰で腕を引っ張られた。
凌牙……、IVがそう呟くと、凌牙も心配そうに振り向く。二人の視線が絡まったが、すぐに割り込まれて切り離された。
「生意気に睨みつけやがって…アドニスのくせに!」
さきほどと違い、がらりと口調を変えた職員の一人がIVを殴り飛ばす。IVは抵抗できず無残に床へ転がった。
「はぐっ、ぁ…!!」
「何してる、IVは無関係だ!!やめろ!!」
凌牙の悲痛な叫びが聞こえる。
しかし彼は担がれるようにして、無理やりに連れ去られた。
「IV……っ!!」
白い掌が必死にIVへ伸びている。凌牙が懸命に暴れるも、届くことはなかった。
床の上で、IVは凌牙が奪われるのを見送るしか出来ない。人間に対して反撃する事は許されていないのだ。
「凌牙……ッ!ッ!」
蹴り飛ばされながら、それでもなお凌牙が連れ去られた出口へ這い寄るIVの手を、革靴が踏みつける。
「神代凌牙っていや、二年前のレイプ事件の被害者だろ?」
「……ッ」
「まだ施設に映像が残ってるんだとよ、泣きながらよがるメス犬みてぇだったって聞いたぜ」
施設に戻ってくるなら、一番最初に俺の相手をさせてやる。
IVに降りかかったその言葉は、人工知能の奥をショートさせた。歯を剥いて起き上がるIVだったが、すぐにバランスを崩す。
「こいつ放っておいて大丈夫か」
「ああ、どうせバーチャウォールは越えられない。
追いかけて来れるはずもない」
這いつくばったままのIVを、みんな見向きもせずに部屋を出て行った。
取り残されたフロアでIVがもがいても、体は抑止プログラムが制御している。
こんな時であっても、IVは彼らに抗う事ができないのだ。凌牙を奪い返すことさえ。
(凌牙……)
動け、動けよ。
凌牙の元へ行かなくちゃいけないんだ。お前は最新アンドロイドのはずだろ!!動け!
(凌牙……―――ッ!!)