11、悲劇の続き




事件は事故として処理された。
手術により雄本来の攻撃性が昂進していたトーマスを、許可なく不用意に連れ出した神代凌牙、彼自ら招いた過失事故だと。

「以前の謹慎の件もありますし、神代凌牙はアドニス開発のプロジェクトから下ろすべきでは」

誰かがそう言っていた。
凌牙はトーマス・アークライトに悪影響を及ぼすというのが主な言い分だ。
ただこれは被害者である凌牙を遠くへ追いやって、事件を隠蔽しようという思惑が見てとれた。
実質神代凌牙を退職させるということは、その頭脳が自分の全てなのだと考えている凌牙から、生きる目的を奪うのに等しい。

「神代凌牙をプロジェクトから外すなら、俺はモデリングに協力しない」

トーマスの一言で、施設の会議は紛糾した。
しかしトーマスは譲らない。
雄としての独占欲から凌牙を手放したくなかったのか、それとも「博士として」の凌牙の立場を守ってやりたかったのか、彼自身よく分からない。
結局、
『肉体的なパートナーを限定してはならない。(=一人に夢中になってはいけない)』
『同性のパートナーは作らない(=子供が自然発生しないような恋人関係は持ってはいけない)』
そのほかのルールがトーマス・アークライトに課せられる事によって、神代凌牙は仕事へ復帰する事を許された。
この事件で退職するかに思われた凌牙も、この判決を受け入れた。
あの時の周囲の驚きようは大きい。レイプされた凌牙は、わずか一週間の休職で現場に戻ったのだ。
いくらか痩せ、以前よりもずっと無口になっていたが、またトーマスのモデリングにも変わらず立ち会っていた。
とりつかれたように研究に没頭する姿は、まるで事件を忘れ去りたいかのようにも見えた。
しかしトーマスの攻撃性はその頃になると増すばかりで、案の定そのほとんどが凌牙に向くこととなる。よってトーマスが凌牙を抱くことは半ば施設で容認されていた。
政府もトーマスの性欲を抑えるような真似は不本意だ。神代凌牙一人が犯されるくらいで済むなら、むしろ積極的にトーマスをけしかけたといえる。
事件以来、初めて二人が会った温室の、監視カメラの死角で何度か二人の営みがあった。
といっても、凌牙が納得していたわけではない。初めての頃となんら変わらない形でトーマスとの性交渉は行われた。
嫌がる凌牙を花の咲き誇る草原へ捻じ伏せて、蝶の飛び交う場所で犯す。
もちろん監視カメラに映らないからといって、施設の人間からはバレていたろう。しかし現場に居合わせ、凌牙の助けを求める声が聞こえても、その全員が見なかったフリをする。
それでも凌牙は研究と開発を続けた。彼の執念が実る頃、トーマスは18歳を迎えて、女を相手に仕事をし始める。
この時、凌牙はまだ16歳だった。モデリングの回数がぐんと減ってから、トーマスはようやく女に対してその性欲を発散するようになったのだった。

(また綺麗になった。)

二人が顔を合わせられる僅かなモデリングの時間のたび、相手の変化に驚かされる。
たくましくなって、美しくなって、そして離れていく。
とどめることのできない時間の流れが、あの初恋を遠い日にしていった。
ここまでが、トーマスとIVの共有の記憶だ。





「やっと会えたな」

とうとう完成を迎えたIVが初めて目を開いたとき、凌牙はそう話しかけた。

「凌牙……久しぶりですね」

初めて会ったはずのIVが、そう言って微笑む。
だって彼にはトーマスの記憶がある。初めて会ったその瞬間から、とても懐かしかったのだ。
しかしIVはアドニスであるがゆえに、あの忌まわしい手術を受ける事もない、優しいままのトーマス・アークライトだった。

「ちょうどステラリウムの夢を見ていました。
また凌牙と行きたいなって」

IVの言葉に、凌牙は泣き崩れる。
また恋は始められるだろうか。
気付くのが遅すぎた初恋を、二人で。






そして現代。

「IV、俺から離れるなよ」

人ごみにぶつかると、凌牙は必ずIVに注意を払う。
二人は空中遊歩道(モール)を歩いていた。ガラスばりの床には、遥か下に街並みが見渡せる。
今日はようやく、凌牙とIVのデート、ステラリウムへ行く日なのだ。

「まったく。
転んでバーチャウォールを越えただなんて、お前も人間みたいなボケをしてくれるんだな」
「ははは。すごいでしょう。
僕は人間に最も近いアドニスですから」

一時は自壊ウィルスで全機能壊滅の危機に晒されたIVだが、対処が早かったおかげでその翌日には再起動できた。
ちなみに、IVを研究室まで抱えて運んだのはトーマスだという。
彼が「IVがバーチャウォールを越え人間を殴った」事を話せば、IVはすぐにでもアドニス安全対策委員会から捕縛され、会議にかけられただろう。
しかしトーマスは、「IVが風で靡く落ち葉に滑って転んだせいで、バーチャウォールを越えしかも自分を殴り飛ばした」という馬鹿馬鹿しい言い訳をしてくれた。
不思議な事もあるものだ。
トーマスからすれば、気に入らないスクラップを処分する絶好の機会であったはずなのに。
もちろん凌牙がその言い訳を全て信じたわけではなかったろう。
しかしIVが自らプログラムを破ったとは考えたくなかったのかもしれない。IVの中にある記録映像を検証する事なく、委員会に連絡する事もなかった。

「そういえば、あの時どうしてトーマスに会いに行った?話でもしてたのか?」
「……ええ」

IVは少し間を開けて頷いた。

「お勧めのデートスポットを聞きに行ったんです。
トーマスさんは詳しそうだったから」
「ふぅん。それで、どこがお勧めだって?」
「ホテル『ヘルメス』のベッド」
「……こ、今度あいつが来たらもう一度殴れ」

凌牙がうんざりしながら額に手を当てる。いかにもトーマスらしい答えだ。
だがこれは言うまでもなく、IVの虚偽だった。
嘘をつけないはずのアドニスが、それらしい嘘を咄嗟に受け答えしている。
一度自壊ウィルスが回ったせいで、IVの抑止プログラムは様々な箇所が外れているのかもしれなかった。
皮肉な事に、それがより一層IVを人間の男に近づけている。

「そうだ、飲み物でも買ってきましょう」

ステラリウムのあるドームに着くと、アイスやドリンクを売り歩いているアドニスがいた。
IVは凌牙をベンチに残してそちらへ向かう。
今のところ、日常生活に支障が出るような深刻なトラブルはない。
ほっとしながらベンチに腰掛け、凌牙はIVを待った。
振動がして、ふとポケットにあるスマートデバイスを確認する。
通信だ。相手はトーマス・アークライト。
反射的に身構えてしまった。IVはまだ帰ってこない。
ステラリウムの予約まであと5分しかなかった。

「どうした?」

迷った挙げ句、凌牙は応答する。

『センセイ……』

デバイスから聞こえてくる、消え入りそうな声。

『今、どこ』

弱った捨て猫のように、トーマスは呟く。

「今は休日で、外にいる。
何の用だ」
『……』
「トーマス?」

様子がおかしい。
彼は普段、何の用もなく連絡を寄越すような男ではない。

「お前こそ、今どこにいる」
『センセーの、研究室…』
「俺の……?
モデリングなら先週済ませたはずだ。
どうして……」

凌牙はそこではっと言葉を切った。
まさか……。一番考えたくない可能性ばかりが頭を占める。

『……そ、そうだったよな……。
モデリングなら先週……、そ、そうだった……』

トーマスは力ない声で笑っている。
今は車内にいるらしい。
ハンドルにもたれかかって、ひとりぼっちでいる様子が浮かんでくる。

「トーマス?おい、お前、まさか……」
『か……帰り道が分からねぇんだ……、
俺、どこへ行けばいいのか……センセイ……っ』

トーマスの声が震えていた。
助けを求めている。
暗いコンバースの中で。

「そこを動くな!!」

すぐに行く。
凌牙はそう告げて通信を切った。
立ち上がったその目の前に、IVが立ち尽くしていた。片手には凌牙のためのコーヒー。
砂糖は一杯。

「凌牙……」
「すまない、研究室に帰らないと……」
「待って!」

走りだそうとする凌牙を、IVは引き寄せる。
ステラリウムには行けそうになかった。すまない、と凌牙は繰り返す。

「もしかして、トーマスさん?」
「……具合が悪いらしい、放っておけない……」

IVが掴む手首は細い。
この身体をトーマスに犯されたのだと思うと、IVはやりきれない。自分の記憶としてあの時の光景を鮮明に覚えているからだ。
それでも凌牙は行こうとしている。

「……、今からだとタクシーの方が早い。
僕が予約します。ターミナルまで急ぎましょう」

IVは人工知能をネットに繋いでタクシーを呼ぶ。掴んだ手首を離さずに、凌牙と走り出した。





研究室前でタクシーを降りる。
そこには見覚えのある一台のコンバース。その中に彼はいた。

「トーマス!」

凌牙がウィンドウを叩く。
ドアが開けられると、ハンドルからゆっくりとトーマスが顔を上げた。

「……本当に来たのかよ。
ご苦労サマ……」
「うるせぇ、さっさと降りろ!」

トーマスを引きずり出し、凌牙はサイドドアに押し付けるようにして迫る。

「……何があった。正直に話せ……!」
「先生……」
「トーマ……!お前……?」

異常に気がついたのか。凌牙は俯いたままでいるトーマスの顔を無理やり振り向かせる。

「……言ってみろ!俺の名前を!!」
「……」
「言えないのか?!」

トーマスはますます青ざめている。
凌牙はそれを見て確信した。


「……い、いつからだ……?!
記憶障害が出たのは……!!」


スケジュールの日付を間違えたり、デートの相手の名前が言えなかったり。
それは、些細な兆候だった。
日に日にトーマスの記憶障害は重さを増し、かつて手術を施されていなかった期間の記憶まで蝕もうとしている。

「……凌牙だ!
俺は、神代凌牙だ!!」
「……りょうが……」

トーマスはその名を噛み締めるように囁いた。
神代凌牙。
絶対忘れてはならない名前。
まだ清らかだった頃、ときめきを教えてくれた男の名前。
恋をしていたかもしれないひと。

「……手術の副作用だ。
大丈夫、再手術でチップを摘出できるよう、俺がかけあう、必ず!」

今から数年前、神代凌牙が提唱したHフェアシュテルケン手術の副作用。
過剰な性欲増幅を招くこの手術が、脳の萎縮をもたらし、記憶障害へと繋がる。
トーマスにはその症状が明らかに見てとれた。

「忘れたくない……ッ!
お、俺の唯一の……」

恋。
少年であった時、きっと真実であったろう恋。
今のトーマスにはもう出来ない恋。
トーマスは凌牙にすがりついた。

「凌牙!!!
……行かないでくれ……凌牙!!!」

俺の心から出て行かないで、せめて昔の記憶の中では、笑っていてくれ。
ステラリウムのあの瞬間のように。



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