8、過去における事実調書その二
※これはIVに対する記憶移植の完成度をテストする為、彼に過去の記憶を辿らせたものである。
※従ってここから先は、トーマス・アークライトの映像・音声記録に、IVの手記も多々混じっている。
※いかなる研究員も許可なしに閲覧、複写、廃棄、および持ち出しは禁ずる。
※自由アクセス権はIVのみにあるものとする。
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7月7日 15:33
曇り
「モデリングの日に自慰が重なるという事は、真新しい人間との交流が刺激になっているのかもしれない」
年下の凌牙は、さらりとそんな事を言ってのけるから恐ろしい。
自分が妄想の中で裸にされているとは思ってもみないのだろう。
白衣を引きむしられて、まっさらな体をさらけだす神代凌牙。毎晩 僕の頭を悩ませる魅惑の博士。
そもそも彼に僕の自慰を報告したのはどいつだ。許さない。
「ちょうどいい、Hフェアシュテルケン手術を早めましょう」
研究職員がそういった。凌牙はそれを聞いて初めて不機嫌そうに眉をしかめた。
「いや待て。
あれは副作用の懸念がある。ホルモンのバランスから攻撃的になったり、脳の…」
「それを提唱しているのはあなただけですよ」
「そうでなくともトーマスは16歳、あと二年は待つべきだ!」
凌牙が反対している手術とは、脳内にシリコン製のチップを埋め込んで、性欲を司る視床下部に働きかけるものだ。
完全体男子にはそれを行って性行為を効率的に促す。
ほとんどセックス依存症を作り上げるようなものだ。凌牙は必死で抗議していた。
「神代博士、これはあなた個人の研究ではない。
国家指導のもと、人類のための処置だ」
しかしもともと凌牙のように男同士からも蔑まれていた人間は、意見を通すことすら難しい。
凌牙の訴えは、退けられた。
「相変わらず神代博士サマとはやりにくくってかなわねぇよ」
「不完全XYも、あそこまでいけばお嬢ちゃんと変わりない。
とんだヒステリーだ」
「ああも華奢だと正直な話、抱けるよな。
生意気な口きいてると犯してやろうかって気がしてくる」
影で囁かれる悪意に、僕は胸を黒い何かで埋め尽くしていた。
殴ってやりたい、出来るものなら。
凌牙は相変わらず一ミリも表情を変えない絵画のようだったが、この状況に傷つかないはずないだろう。
僕は思い切ってこの日、彼をプラネタリウムへ誘った。
(何万年も前では、7月7日は願い事を紙に書いて星を見る日だったと聞いたのだ。)
答えはノーだった。凹んだ。
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7月10日 14:44
晴れ
今日は凌牙がコーヒーを飲んでいるのを見た。
砂糖一杯。かわいい。
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7月19日 16:05
晴れ
モデリング中、凌牙の髪にまた蝶がとまる。
東洋人は蜜の香りでも発しているのか?
かわいい。
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7月29日 10:13
晴れ
「綺麗ですね」と言ってみた。
「馬鹿にしてるのか?」と返された。
かわいくない。
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8月2日 20:52
晴れ
蝶が好きなのか聞くと、「本当は海洋生物がいちばん好きだ」と言われる。
最近は少しずつ雑談に答えてくれるようになった。
絶滅した鮫が好きらしいが、そうか、プラネタリウムよりアクアリウムに誘えばよかったのか。
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8月3日 15:06
晴れ
Hフェアシュテルケン手術の日程が決まった。
正直言うと、怖いんだ。
凌牙があんなにも反対してくれているのに、誰も耳を貸そうとしない。
僕はどうなってしまうんだろう。凌牙は、どう思っているんだ。
凌牙、僕はあなたに傷ついて欲しくないんだ。
「大変ですね、凌牙。僕のせいかな」
「いや、俺は自分の仮説が正しいと思っているだけだ」
「……」
かわいくないんだよなぁ。こういうとこ。
「あの、オーシャンエリアに行ってみませんか」
勇気を出して、施設内の巨大プールに行かないかと声をかけた。
水が好きなんじゃないかって。
「僕の体力測定テストあるでしょう、そこで水泳もやるんです。
ただのテストですが職員の方々も参加する人が多いし……凌牙も応援に来てくれたら、うれ、しいんだ」
「……」
「もちろん、終わった後は自由に使っていいって許可を取りましたよ。
息抜きにどうかな?」
「……」
一瞬、凌牙は苦しそうに胸に手を当てた。
「……嫌いなんだ、泳ぐの」
やっぱり答えはノーだ。
ああ、つれないよな……。
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8月10日 13:34
晴れ
手術日開始。
朝から緊張していたが、麻酔をされて次に目が覚めた時にはもう済んでいた。
半日眠っていたらしい。
ベッドで一人過ごしていると、気が狂いそうだった。
恐ろしかったのだ。
自分の体を、心を。意思とは関係なく変えられてしまった気がする。
僕はこれまでにたくさんの女性とデートさせられてきた。でもどきどきするような、気分がハイになるような、そんな経験がない。
その階段をすっ飛ばしていきなりセックスなんて、許されるのだろうか。
僕はこれから、どうなってしまうんだろう。
「調子はどうだ。
気分は」
凌牙がお見舞いに来てくれた。
彼は朝も部屋に来てくれていたけど、もしかしてずっとついていてくれたんだろうか……いや、それは都合の良すぎる妄想かな。
「よく、分かりません。でもどこか変わってるんです」
凌牙が来てくれて嬉しい。でもいつもより苦しいみたいだ。
その顔を見ると、どうしてか臍の下がむずむずする。
「僕の心はきっと、何かにとって代わられる。
メスで切り刻まれた拍子に、悪魔が滑り込んできたような、そんな気がするんです……!」
「トーマス、落ち着け。
何かあればすぐにチップを取り除く」
凌牙、優しいんだな。あの目を見ると、胸が貫かれたような感覚になる。
綺麗な顔に、この低い声がいい。
やっぱり今日の僕はおかしい、その、とくに下半身あたりだ。僕はこれをスクールで習ったことがある。脈拍増大、生殖細胞の活性化。
僕の中で精子が悶えている。
求愛行動への欲求。生殖行動に対する衝動。
「水はいるか?」
体温を確認するとき、凌牙はうんと近づいて無防備になる。
そこを抱きしめて、キスした。
舌を入れたところでキックを食らう。
この件に関しては、何故か僕ではなく凌牙が始末書を書かされた。
大事な精子を持つ僕の股間を狙ったせいか。
申し訳なくて情けないし泣きたいし、まだ蹴られたところが痛い。
でも、体が熱い。
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8月17日 22:46
晴れ
凌牙が来てくれなくなった。
体がいう事をきかない。イライラして、落ち着かない。
熱すぎて頭がぼんやりする。
助けてくれ。
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8月18日 04:01
嵐
骨が軋んでる。
痛い、眠れない。体中の骨がぎしぎしいっている。
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8月19日 22:18
晴れ
凌牙に会えないと、彼の裸ばかり考えている。
あの白衣の下、どうなってるんだろうって。
自分は凌牙の体が物珍しかったのか?性的な好奇心で彼を見ていたのか。
これじゃ、凌牙に嫌がらせしてる連中と変わらない。
でも正直、抱きたい。
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8月20日 19:34
雨
部屋中を暴れまわって備品をめちゃくちゃにする。
どうして俺だけこんな目にあわなくちゃならねぇんだ。
会いたい、凌牙、会いたい。
俺が俺でなくなる前に。
凌牙、
会いたい。
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