7、過去における事実調書その一





トーマスは幼少期、常に自身の生活を記録されていた。
専用のコンタクトレンズで網膜投影されたそのままの映像を読み込み、ピアスで音声を保存する。
他にもグローブや靴で触感、運動を。チョーカーで脈拍や血液濃度を。
そのデータが最新型アドニス開発に運用され、IVに全て移植されている。
より自然な経験や感情を再現出来るように、IVは生まれながらにしてトーマスの過去をほぼ完全に記憶していたのである。


―――今から約二年前の事だ。


「新型アドニスのシステム開発担当、神代凌牙だ。
モデリングにも立ち合わせてもらう」

忘れもしない十六歳の誕生日。
前々から聞いていた、神代博士と体面した。
壁も天井もガラスで覆われたドームには、様々な植物が植えられ、蝶が放たれている。
そこに現れた博士は、想像よりもずっと若く……というよりトーマスよりも年下だった。

「……は、博士と聞いていたもので……てっきり老紳士でも来るのかと……」

トーマスは驚きのあまりすっかり自己紹介も忘れていた。
神代凌牙は、今はもう珍しい東洋人の血を引いている。
ほっそりした体躯に据えられた神秘的な幼顔。艶のある髪はまるで絹糸だった。
そこから垣間見える瞳は深く青い。霊妙不可思議なる雰囲気に、トーマスは圧倒されてしまったのである。
青い目のオリエンタルビューティーは、笑わない。

「……じ、女性だったんですね」
「いや、不完全XY染色体型。」
「!!……、これは、、、
すみません……」

神代凌牙は、まるで絵画のように表情を動かさない男だった。
いや、男、といえるのだろうか。それは分からない。
後から聞いたところによると、神代凌牙はデザイナーベビーだという。
彼の場合、優秀な精子と卵子をかけあわせるところから始まり、受精卵の段階で遺伝子操作を行って、知能や体力・外見にいたるまでのすべてを向上させた。
おかげで凌牙は天才的な頭脳をもってして生まれはしたが、結局のところ、これまでの男と同じくY染色体は不完全である。
今の地球で言う不完全XY染色体型は、見た目にはなんら異常はなく、精子だけがその繁殖能力を失っているのが一般的だ。
しかし凌牙の場合、男性ホルモンが少なく、また、男性器も発現することはなかったという極端な例だった。
遺伝子をデザインされた容貌はおそろしく整っているのに、限りなく中性的で、髭も生えず骨も細いまま。
その頭脳がなければ、もはや差別や嫌悪の対象だったろう。
実際に、彼には性的な嫌がらせが多数あった。
自身の存在に意義を見出せない男達が、凌牙のような男を「失敗作」といって見下す。
本物の女に対しては出来ない屈折した反動をぶつけていくのだ。
凌牙が感情を表に出さないのは、そういった悪意を無視するための自己防衛なのかもしれない。

「……あ」

その時、凌牙の肩に一匹の蝶がとまって、羽を休めた。
ここの蝶は閉じ込められているせいか人を嫌うのに、凌牙がそれに気付いてもなお、蝶は動こうとしない。
思わずトーマスがそれに指を伸ばすと、蝶は慌てて飛び去った。
蝶をすり抜けた手は、そのまま止まらずに凌牙の肩に触れる。

「いきなり動くからだ」

凌牙が突然口を開いた。
トーマスは凌牙の肩に触れたまま動けなくなる。
咄嗟に手を伸ばして凌牙の肩を触るなんて、彼の機嫌を損ねたかもしれない。胸がどきどきと高鳴っていく。
このまま脈拍のデータが凌牙に報告されるなんて、考えただけでも恥ずかしい。
この手をどけなければ。
思考しているうちに、凌牙は無言で人差し指を差し出した。
そこにさきほどの蝶が舞い戻ってくる。
鮮やかな瑠璃色の羽。それと同じ色の瞳で、凌牙は合図する。
トーマスがゆっくりと肩の手をそちらへ差し伸べた。
凌牙の指先とトーマスの指先が触れる。蝶は逃げなかった。
交差する、指と指。そこへ乗り移る蝶。

「き……綺麗だ」

トーマスが呟いた瞬間、凌牙の目はほんの僅かだが陽光の下で細まった気がした。
その微笑は光のいたずらか、まぼろしか。






あの時綺麗だと思ったのは、蝶じゃない。
神代凌牙。
トーマスとIVの中の記憶。
性別の判然としない凌牙は、不思議なことにどちらか一方にカテゴライズされているよりも、完璧な人間にみえた。
女であるから、男であるからという役割を徹底的に思考誘導されているトーマスには、凌牙がそれらから解き放たれているかのように見えたのかもしれない。
不安定なはずの凌牙、いや、それこそがあるべき人間の姿。
それからほどなくして、トーマスに自慰行為が見られ始める。



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