6、嫉妬のための(切実な)犠牲




少ししてから凌牙は研究室へと戻り、白衣を着てトーマスと向かい合っていた。

「定期モデリングの日は今日じゃなかったはずだが」

チェアに腰掛けた凌牙は、足を組みながらつとめて無感情に指摘する。
先ほど抱かれてしまったのが悔しい。
迂闊だったのだ。白衣を着ると、トーマスは一見してIVと見分けがつかなくなってしまう。
それを見越してわざと凌牙をからかったのだろう。

「いや?今日だったろ?」
「ああ、今日のはずだったが、お前が来週に変更しろと言ったんだ。
互いに確認をしたろう」
「?そうだった?」

トーマスが自身の手首についたウェアラブルコンピュータを確認している。
スケジュールにはきちんと『来週』の定期モデリングがインプットされていた。
しかしトーマスの身勝手は今に始まったことではない。
諦めて凌牙はモデリングに移行する。

「まず心理作用のモデリングを始める。
報告書にある事を質問するので答えるように」

トーマスは自身の生活を簡単な報告書にまとめている。
日記のようなものだ。それは随時凌牙の元へ転送されていく。

「まず一日目にアクア・テアトルにて観劇、これは一人で行ったのか」
「いや、それは女と行った」

チェアに腰掛けながら、トーマスは頬杖をつく。

「ジュリアだったかな、いや、ケイト……、サキ……、ユウ、シュローハスノーフィ」
「……」
「アヤカ……、あっ、そうだアヤカだ」

完全XY染色体ともなれば、日々の忙しさが窺える。
凌牙はそんな皮肉をこめてデスクをコツコツと爪でならしていた。

「仕方ねぇだろ。
俺は人類存亡をかけた政府認定の公式アドニスだから」

トーマスは憎々しげに吐き捨てる。
彼は幼少のころから政府による教育を受けてきた。
それは性のための国家教育で、完全男子には必ず課せられる。
女性の扱い方、自分自身の役割。それに歯向かうことは国家反逆罪だ。
見た目が麗しいトーマスは期待が集まる分、モルモットのような生活だったろう。
くわえて彼には性欲に逆らえないよう手術が施されている。
トーマス自身この状況を恨めしく思っているのに、体はセックスなしではいられない。

「……凌牙センセイ、白衣 色っぽいね」
「黙れ」
「抱かれてる時だけずいぶん人格変わるんだよなァ。たまらん」
「質問にだけ答えろ」

こうして凌牙を口説くのも、そういったことが原因なのかもしれない。
初めて会った時、幼かったトーマスはこんな男ではなかった。
まだ手術を施される前は、純情な、笑顔の無邪気な男だった。
そう、IVにプログラミングされたあの人格ほぼそのもの。物柔らかな男だったのに。時代と欲望が彼を変えた。

「俺そっくりのアドニス造って恋人にしちまうなんて、相当イかれてる。
なぁセンセーってセックス好きだろ」
「……」
「俺もだ。
女は信用できねぇのに。セックスは、大好きだ」

トーマスはチェアをぎしりと前にずらして、凌牙の膝に手を置いた。
細めのジーンズ越しに熱さが伝わる。
やめろ、と凌牙がその手を蹴飛ばすように足を組み替えたが、トーマスは腰を上げてチェアごと凌牙を引き寄せた。

「っ、」

背もたれに仰け反る凌牙を追うように、トーマスは立ち上がる。
見事に凌牙の唇をつかまえて、チェアを軋ませながら執拗な口づけをした。

―――ドン!

鈍い音が響いて、二人は咄嗟に振り向く。

「紅茶を持ってきましたよ」

そこには壁を蹴り飛ばしたIVが、微笑みながら自慢の紅茶を携えて立っていた。
サイドテーブルにトレイを置くと、彼は同じ微笑でトーマスの肩を掴む。
トーマスを手荒く元のチェアに座らせてから、今度は凌牙の顎をすくいあげて、先ほどより熱烈な口づけを重ねた。

「……早く終わるといいですね、モデリング」

何事もなかったかのようにもう一つチェアを持って来て、IVは凌牙のすぐ隣に座る。

「……あんたのスクラップくん、ちょっとアブナイ気がするぜ」

頬を引き攣らせるトーマスに、半ば呆然としながら凌牙は呟いた。

「……いや、正常だ……」






昼を大分過ぎてから、トーマスは研究室を出た。
表には彼のFCコンバースが停めてある。最新式のラグジュアリーカーだ。
磨かれた白地の艶は、銀色がかって見える。
こいつが気に入っているせいで、トーマスは全自動運転機能を使わない。
ハンドルを握るのが好きなのだ。機械が自動で目的地に向かうのでは、まるで自分が運ばれている荷物のようで気分が悪い。

『トーマス!』

ドアを開けた瞬間に通信が入ったので、手首のウェアラブルCPUで対応する。
甲高い女の声が車内に響いた。

『今日は私達の記念日でしょ?
どうして連絡くれないの、約束したのに!』
「あーもう……、今行く」

ハンドルにもたれながらおざなりな返事をする。
こっちはお前の名前すら覚えてない。

『やだ、ごめんね、お願いよ。機嫌損ねないで。
ねぇ、ホテルの予約とったの、今日は朝まで一緒にいてくれるでしょ?』
(一人ひとり相手にする俺の身にもなれよ。
みんないっぺんに集まってくれりゃいいのに。抱けるぞ俺は)

トーマスはぼんやりとハンドルにうつ伏せていた。
しかし女のほとんどはトーマスを自分だけのものにしたがる。
たくさんの女の中の一人、という形では抱かれたがらないのだ。

「せめて避妊するのやめてくれ。
どいつもこいつもみんなしてピル飲むんだよな、俺がヤる意味ねぇだろ……」
『妊娠したら会ってくれなくなるんでしょ?!?!』

女はヒステリックに叫んだ。
セックスは好きだが、トーマスは個人個人に対してあまり思い入れがない。
子供が出来た場合はどうせしばらく性交できないのだし、政府の方針によりトーマスには子供の養育に対する義務がないので(効率的に多くの女性へ精子を提供するため)、大抵 それを機に女とは別れる事にしている。

『お願い……結婚したいの……』
「……」
『他の女とは別れて、私のそばにいて』
「ああ……この仕事引退できたら考えとく」

面倒を起こしたくないので当たり障りなく答えておく。
そんな事よりセックスがしたい。ホテルの場所と部屋番号を聞き出す。凌牙の姿を見た日は特にヤりたくてヤりたくてたまらなくなるのだ。

「トーマスさん!」

今度はコンバースの外から声がかかった。
研究室から出てきたIVだ。トーマスと同じ顔が、こちらへ向かって駆け寄ってくる。
トーマスはまだ話し中だと片手でサインする。IVは、コンバースの一メートルほど前で止まった。
女との会話が終わるまで、じっと待っている。

「みんなして俺の邪魔ばっかりだな」

通信を終えたトーマスがシートを降りて、IVを睨み付けた。
こいつだけは好きになれない。自分とまったく同じ姿をしていながら、神代凌牙ただ一人と一途に結ばれているアドニス。

「……モデリングはもう、結構です。
あなたの攻撃的すぎる人格は、僕のデータに入れられない」

IVはオリジナルを前にして、きっぱりそう言った。

「それは凌牙センセーが決める事だろ?」
「じゃあ、僕の凌牙に手を出すのをやめていただけませんか」

二人は刺す様に睨み合っていた。

「それもセンセイが決めるだろう、嫌なら抵抗すればいい。
口で嫌がってるだけで相当よがってるじゃねぇか。
ああいうタイプが乱れるとすげぇんだよな」
「……」

IVの感情は今、激しく覚醒値を上げた。怒り(Anger)を確実にする。
表情はそれに伴い、大きく歪んで目つきを血走らせた。今にも飛び掛ってきそうな猛獣を思わせる。

「いいねその顔、そっちの方が俺に似てるぜ」

トーマスは笑っている。
彼は知っているのだ。
―――IVは、研究室と自宅に囲まれたある範囲を超えて、外へ出られない。
あくまで新機能実験用プラットホームである彼が外へ出るためには、凌牙の許可が必要だ。
今、IVが立っている所がちょうど境界線なのである。
バーチャウォールといって、予めその範囲をマーカーしておくと、IVはプログラム上その境界線を「障害物(壁)」として認識し、衝突を避けるために進めないようになっている。
実際には二人の間に何も存在しないのだが、IVにとってはそこに見えない壁があるのだ。
人間とアドニスの決定的な差。文字通り、越えられない壁である。

「さっきはもう少しで殴れたのにな。惜しかった……
あれが最後のチャンスだっただろう」
「……っ」

IVは必死で左足を動かそうとしている。
しかし靴底がわずかに煉瓦の地面を踏みにじるだけで、浮き上がりもしないのだった。
これ以上は進めない。殴ってやりたい奴がすぐ目の前にいるのに。
トーマスはコンバースにもたれかかり、シガレットを取り出す。

「止めとけ、正真正銘スクラップになるぜ」

プログラムに逆らった時、IVの人工知能には「自壊ウィルス」が発動する。
暴走した時のための対策だ。
自壊ウィルスはIVの基盤を破壊して、動きを完全に止めるだろう。

「凌牙を犯されて何も出来ないお前が、あいつの恋人、ね」

シガレットに火が灯される。
IVに向かって紫煙をゆっくりと吹きかけながら、トーマスは煙の向こうでぎらりと目を光らせた。

「さっきの台詞、そのまま返す。
凌牙に手を出すのはやめろ、鉄屑」
「……」
「愛なんて、お前には永遠に分かりっこない」

再びトーマスに着信が入る。ボイスメールだ。
吹き込まれた声がそのままトーマスのCPUを通して伝えられる。

『トーマス!お願い……今すぐ会いたい……
どこにいるの?
もう他の女を抱くのはやめて!!』

さきほどとは違う女の声だった。
嗚咽交じりの呼びかけが、IVの脳内で凌牙に変換される。
この先、トーマスと交わる事でこんな風に傷つけられるであろう、未来の凌牙の姿が見えた気がした。
凌牙、凌牙、泣かないでくれ。君の涙は見たくない。

『トーマス、会いたい……!』

IVの感情が振り切れた瞬間だった。
右手を振り上げながら、一歩。踏み出て砂埃を立てる。

―――バーチャウォールを、越えた。

IVは目の前にあるはずの強固な壁を打ち砕き、その向こうのトーマスめがけて、渾身の拳を振り下ろしたのである。シガレットが唇から零れて吹き飛ぶ。

「ぐぁッ?!」

コンバースに叩きつけられるようにしてトーマスが倒れたが、すぐに体を起こした。
IVは自分の足元を見つめ、壁を越えた事を確認しながら自分でも意味が分からず左足をもう一度上げ下げしている。

「……っ……てめぇ……!」

トーマスは一瞬怯んだが、すぐに凄んでみせる。
しかしバーチャウォールを越えた事を確認したらしいIVは、退かなかった。

「これ以上凌牙を傷つけるのはやめろ……!」
「なんだと……!」
「今のあなたが知っているのはセックスだけだ!
僕と同じだ……愛や恋を知らないくせに、人間を名乗っているだけだろッ!!!」

トーマスがIVに飛びかかる。
しかしその瞬間。
IVは突然がくりと足を折って地面に着いた。

「?!……っ」

今度はIVが倒れる。

「くっ……、」

自壊ウィルスだ。IVの全機能を強制停止させ、基盤を破壊する。
IVの赤い瞳が一瞬点滅した。
『RYOGAタイプ 四号機、人工知能停止』
警報が鳴った瞬間、研究所から凌牙が飛び出してきた。

「IV!!!!!!」

倒れているIVを見つけ、凌牙はトーマスから奪うように彼を掻き抱く。
IVはまったく動かない。目の閉じられた姿は死体のようだった。
凌牙はすぐに自分のネックレスを外し、IVの耳裏のコネクタに差し込む。
鮫の歯のマリンアクセサリーのようにデザインされてはいるが、それが自壊ウィルスに対するワクチンソフトなのだ。

「IV!しっかりしろ!」

IVは動かない。凌牙は彼を抱きながら泣き叫ぶ。

「IV……っ!!何があった、目を開けろ!!IV!!!」
「……」
「IV!!!命令だぞ、目を開けろって言ってんだッッ!!!俺の命令だぞ!!」

トーマスは唖然としながらその光景を見つめていた。
未だにIVの名を呼び続ける凌牙に、彼は何も説明できないでいる。
言えるはずがない。
人間の自分が政府の言いなりであるのに対し、アドニスである彼がプログラムを打ち破ったなどと。


これでは、どちらがアンドロイドなのか分からないではないか。



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