5、不気味の谷のアネモネ




一通りシャワーを浴びたトーマスが研究室に戻ってくると、既に部屋には誰もいなかった。
IVが凌牙を抱えてベッドまで運びに行ったのだろう。
自分の服だけが畳まれて椅子にかかっている。
それに腕を通し、振り返ったところで―――目の前にIVが立っていた。

「……なんだ、驚かすなよ」

トーマスとIV、両者が向かい合うと、二人は服の色が白と黒で反転するだけでまったく同じに見えた。

「見れば見るほど気持ち悪ぃな、スクラップくん」

トーマス・アークライト。
彼は正真正銘、生身の人間だ。
Genuine Adonis、IVのモデルとなった男。
瞳の色も、声も、身長も、彼がオリジナル。

「僕はスクラップじゃない。IVです。
革新的サイバネティックスと、凌牙の記憶移植の結晶……
あなたの記憶だけでなく周囲の人間の証言まで統合し人格形成した、凌牙だけのアドニスです」
「それが既に間違ってんだよ。
本当に俺をコピーできたなら、そんなお上品になるわけねぇだろ」

同じ声のはずだが、トーマスが若干低くなるのは感情の起伏だろう。
IVは事故防止のためにマイナスの感情に対しストッパーがかかっている。
二人の性格のぶれはこれが原因だ。

「俺の上辺の性格しか真似できない、失敗作のくせに」

鏡を見るようでまったく違う二人。
紳士のIVと悪魔のトーマス。
アネモネ色をした互いの瞳に、まったく同じ姿の男が映り込む。
トーマスは、自身と同じ容姿をしたIVを心から嫌悪していた。
人間に似すぎているロボットは、その精巧さがむしろ違和感を強調し、見るものに恐怖感・嫌悪感を抱かせるという。命を持たざるものが味方のふりをして人間の皮をかぶっているかのような、そんな違和感を人間は本能で感じ取るのだ。
この現象の名は、「不気味の谷」。
しかしロボットの姿が人間と見分けがつかなくなってくると、再び違和感はなくなり、今度は親近感の方が沸いてくる。(谷を越えるという)
IVはもちろん、不気味の谷を遥か昔に超えてきた最新型アンドロイドなのであるが、トーマスにとってはどうもその谷を越えられないようである。
それは単にIVが機械であるという理由からではない。

「誰にも俺は超えられない。俺は地球上に存在する男の最上級だからな……!
お前は所詮、プログラムの恋愛ごっこだよ」
「違う……、確かに僕はアドニスです。
でも、凌牙のことは真剣です、愛している」
「ふざっけんな!」

トーマスが拳を振り上げると、IVはあっという間に床にくずおれた。

「俺の顔と声で気持ち悪ぃことほざいてんじゃねぇぞ……!
スクラップが愛だの恋だの……寒気がする!!!」

IVが出来るのは受身で自分をわずかに庇うだけ。
人を傷つけないようにプログラムされたIVは、健気なまでに抵抗が出来ない。
それをトーマスは蔑むのだった。

「何がアドニスだ……っ
女を相手に自分を売らなきゃならねぇ屈辱も知らないくせに。
いいよなお前は純情ぶっていられて。
プログラムに従うだけで苦しむこともねぇんだから」

トーマスは地球で珍しい健全なY染色体の持ち主だった。
性器から精子、男性ホルモンに至るまで、男としての機能は全て完璧に備わっている。
政府に認定された「完全な男子」。
女性と結んで子を作る義務があり、そのカラダの価値はどんな宝石や命よりも高い。
トーマスは結婚こそしていないが、既に何人か子供を成している。
純粋に子供が欲しいと願う女もいれば、ただ単にトーマスの体が欲しいと跨ってくる女もいた。
彼を前にして、何がGenuine Adonisだというのだろう。
赤ん坊の頃からその香りと容姿で多くの女神を虜にしたという美少年、アドニス。その名を冠するのには、彼こそが相応しい。
トーマス・アークライトこそが地球上で唯一のGenuine Adonis(完全なるアドニス)。
IVを始めとする最新式アドニスは、政府が彼をモデルに作るよう、凌牙に依頼したものだ。

「おい。凌牙センセイを起こして来いよ。
……モデリングに来てやったんだぜ」

トーマスはIVが完成したあとも研究所に定期的に通い、心理モデルや行動パターンデータを提供している。
それがIVの新しい経験値となっていくのだ。

「……」

この気持ちはどうすればいいのだろう。
感情のメーターに安全装置がつけられているIVは、極度の怒りや悲しみを感じる事がない。
しかし今、確実にIVは己の人工知能が焼け爛れるような感覚を感じていた。
目の前のトーマスに感じる、嫉妬。憎悪。そして衝動。
IVは我を忘れてトーマスに掴みかかる。

「……っ?!」

人を傷つけられないはずのIVに力ずくで迫られ、トーマスは呆気にとられていた。
アンドロイドに胸ぐらを捕まれて詰め寄られるのは、予想だにしないぶん普通の人間からそうされるのより恐ろしい。
ましてやそれが自分とまったく同じ顔をしているのだ。

「……お、お前……!?」
「……凌牙は今、疲れているでしょうから。少々お時間いただけますか」

しかしIVのプログラムではそこまでだった。
IVは指先をきつく締めてトーマスを掴んでいるものの、顔はいつもの柔和な微笑みを浮かべている。
振り上げた利き手は宙で震えたまま、やり場もなく止まっていた。

「……っ、本当にメンテナンスはできてるんだろうな?
凌牙がいつもつきっきりらしいが、それも徒労だと見える」

トーマスは腕を振り払い、襟を直した。
振り払われた自分の掌を、IVは呆然と眺めながら開き、そして閉じた。
暴力を振るえない自分が、明らかにトーマスを殴るつもりで動いていた。
本当にこの体に支障が出ているのか?
ここ最近の凌牙がずっとメンテナンスに悩んでいるのは、そのせいなのか……

「……っっ」

怖い、凌牙。
助けて。





「凌牙……」

ベッドに寝かせされた凌牙に呼びかけると、彼は寝返りを打ってIVを見上げた。

「……悪いな。
ステラリウムに行けなくて……」
「いいんですよ、凌牙」

普段、約束を違えられたりすれば、拗ねたり甘えたりの行動をとることができる。
しかし今回、IVは思ってもいない言葉で場を濁すことしか出来なかった。
IVはアドニスで、凌牙とトーマスは人間。
この違いは越えられない。
何より、トーマスを元にして生まれたIVだ。
トーマスが言っていたように、しょせんプログラムはオリジナルを越えられないのかもしれない。
せめて、この体が機械でなければ。
IVはベッドの傍らに膝をついて凌牙の手を握った。

「IV?」

凌牙は不安げにその手を握り返す。
IVの瞳が潤んでいた。
―――涙?いや、彼にそんな機能はない。
では自分から人間の模倣をしているのか?

「どうしたIV……お前……!」
「凌牙……人間になるには、どうしたらいい?」

こどもが純粋な気持ちを尋ねるように、IVは問う。

「凌牙と本物の肌で触れ合いたい……
僕の生身の体で、凌牙の一番深くまで潜っていきたい、
―――本当のセックスがしたい」
「……」

―――ロボットが自身の願望を持つ、いや、夢を持つ事例を、凌牙はこれまで聞いたことがなかった。
プログラム上、ロマンスに特化したコミュニケーションをはかるアドニスは、相手に対し「そばにいたい」「声がききたい」などとはよく口にするし、18歳以上の女性が望めば「僕もずっとこうしたかった」と囁きつつセックスも行える。
しかし、アドニスと人間の境界を曖昧にするような人工知能は、現代のロボット法で禁じられていた。
人間は人間。
アドニスはアドニス。
あくまで使役者と労働役だ。
アドニスが自ら人間になりたいなどと思考するのは、ある意味で危険なのだ。
凌牙もそれをプログラムした覚えはない。
ならば、辿り着いたのか。
IV自らがその境地に。

「IV……、バッテリーが熱い……
お前、また……」

凌牙は言葉を飲み込んだ。
IVほどの高度なアドニスがバッテリーの熱を持つことなど、本当ならありえないことなのだ。
またフォーマットが必要になるかもしれない。
最近はずっとこうだ。
市販化された量産型にはなんの異常も報告されていないのに、凌牙の手元に残ったIVだけ情報処理の加速が止まらない。
想いが溢れていく。

「どこかおかしいんでしょうか、僕」
「そんなことはない」

凌牙の呟きは、半ば自分に言い聞かせるようでもあった。

「平気だ。
お前は……正常なんだ」



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