惰性、何も知らない顔で

※性描写有り!!


「凌牙、電話だ」
 着信を知らせるD・ゲイザーに気が付いたトーマスが、本を読みながら頬杖を付いてぼうっと外を眺めていた凌牙を呼ぶ。いつの間にか窓ガラスを雨粒が叩いており、静寂の中には二つの音だけが鳴っている。今日は昼から雨の予報だったか。そんなことをぼんやり考えた。
 気だるげに椅子から立ち上がった凌牙がソファーに投げ出されたD・ゲイザーを手にとると、その表情がほんの僅かに柔らかくなる。トーマスが横目にそれを見ていることに気が付くとすぐにいつもの表情に戻ってしまった。
「――分かった。じゃあ六時にな」
 五分ほどのやりとりの後、凌牙のその言葉で会話が途切れる。ちらり、とトーマスが壁に掛けられた時計を見やれば、針が指し示す時刻は十三時。
「なあ」
「ん」
「夕方に出掛ける。たぶん、泊まりで」
「そうか」
「ああ」
「明日仕事だから鍵持って出ろ」
「うん」
 トーマスの隣に腰を下ろすと、テーブルに並べられた紅茶と珈琲のうち、珈琲を手にとって凌牙が口に運ぶ。苦いのが嫌いでミルクも砂糖も目一杯入れ、吐きそうなほど甘ったるくなったものしか飲まなかったはずの彼は、トーマスが知らないうちに砂糖を二つ入れるだけで平気な顔をするようになった。少し前に「もっと甘党じゃなかったか」と首を傾げたら「そうだったかもな」と少し寂しそうな表情を見せたので、それ以来追求していない。追求してはいけない気がしたのだ。
 吸いかけの煙草を手に取る。吐き出した白煙からは万人受けしない独特の香りがする。凌牙がこの香りが好きだと笑ったのは何時だったか。

 いつの間にか自分の知らない凌牙が出来て、いつの間にか凌牙の知らない自分も出来た。――ただそれだけのことだと考えるのを止めた。

「カイトだから」
 少しの沈黙の後、凌牙が思い出したように口を開いた。一緒に出掛ける相手のことだと理解するのに一呼吸置いた後、トーマスが本から目を離さず頷く。
「そうか」
「……ああ」
 マグカップをテーブルに置いた凌牙がトーマスに寄りかかってくる。縋るように腕を掴む手は付き合い始めた頃よりずっと男性らしくなったけれど、やはり中性的だ。
 そんな自分のものよりずっと細い凌牙の手を本を離したトーマスの手が握ると、そのままゆっくりとキスをしながら押し倒した。
「ん……」
 段々と深くなるキスに舌を絡ませれば、時期に凌牙の息は荒くなっていく。頃合いを見計らって、舌を離せば二人の間に銀の糸が垂れた。このままヤってもかまわないが、とトーマスが思う。このままリビングで致してもいいのだが、後のことを考えると色々と面倒だ。ベッドでならシーツを換えるだけで良い。
 ひょいと凌牙を抱えてトーマスが寝室へと歩を進める。抱き上げられている凌牙は彼の首へ腕を回し、右手だけで器用にトーマスが着ているシャツのボタンを外していた。


「う、あ……」
 菖蒲色の長い髪が白いシーツの上に散らばる。腰を押し進める度に聞こえる卑猥な音に凌牙は赤く染めている顔を遮るように手で覆っていた。手を退けろ、と口に出す代わりにトーマスは顎に口付けながら鼻先で真白な手を押しやる。
「ひっ……あぁっ!」
 啄むように体中にキスをしながら固くなっている胸の突起を舌で押しつぶしてやれば、凌牙の身体がびくりと跳ねて一際高い喘ぎを漏らす。同時に良いところに当たったようだ。腰を動かしながら、凌牙の額に瞼に頬に首筋に、キスを落としていく。だらしなく開いた口へ深く口付けると、喘ぎがくぐもって響いた。
 顔から退けられ、シーツを強く掴むことになっていた凌牙の手が、トーマスの肩へと伸びる。白く大人びた長い指が浅黒い肌の頬と、十字傷を愛おしげに撫でる。何かを告げようと唇が戦慄いた。
「な、トーマス……」
 何かを告げるために震えた唇は何かを言いたげに何度か開閉されて、しかし言葉を紡ぐことをしなかった。
「凌牙」
 代わるようにトーマスが口を開く。
「っ……なん、だよ」
「――好きだ」
 そう告げて凌牙の頬に手を添えた。最早子供のように丸みを帯びた輪郭はなく、すっかり大人びている。随分と長い時間を彼と共有してきた証拠のように思えた。
 しかし凌牙にとっては予想外の言葉が降ってきたらしく、驚いたように目を見開いていたが、暫くするときゅっと唇を噛んで酷く悲しそうな顔を見せる。今にも泣き出しそうな目がトーマスの胸に痛みを走らせた。
「愛してるよ」
「……ああ」
 俺もだ、と小さく続けた凌牙の瞳から涙が目尻へと伝っていく。



 そうしてトーマスが目を覚ませば、既に凌牙は出掛けた後。時計は八時を回っていた。ベッドから抜け出て適当にシャツとジーンズを着込んで寝室を出ていく。
 キッチンカウンターには凌牙が作っていったのだろうシチューが鍋に入っていた。少し散らかっていたはずのリビングは綺麗にされていて、窓際に置かれた小さな花瓶には紫陽花が咲いている。凌牙が替えていったのだろう。
 しかし、テーブルの上に置かれたマグカップとティーカップはそのままにされていた。淹れたてだったはずのそれらはとっくに冷めきって、価値を失ってしまっている。小さな溜息を付いて、それらをキッチンの排水口へ流し込んだ。
 ふと思い立って凌牙に電話をかける。明日は何時に帰るのかを聞いていなかったのを思い出したのだ。電源が切られている、とアナウンスされる。バスルームの脱衣所にある洗濯機の上で、ドライヤーのプラグが刺さったまま放置されていた。トーマスが後処理に凌牙の身体を清めた後で、彼は風呂に入り直したらしい。バスタブにぬるく冷めた湯が張ってあった。
「……」
 ゴミ箱にくしゃくしゃに丸められた便箋がいくつも入っていた。明日は燃えるゴミの日だから、ついでにまとめてしまおうと指定のゴミ袋へそれを移す。

 書き損じた手紙の内容は分かっていた。何故、D・ゲイザーの電源が切れているのかも分かっている。だが、今はまだ離したくないのだ。せめて、凌牙が自分の口で切り出せるようになるまでは。それまでは、彼が切り出す別れで終わるはずの恋を、まだ終わらせたくはない。まだ、新しい恋を始めたくはない。
 都合のいいことだ。


13.06.22

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イメージソング:ボタン/Max Boys



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