優しい記憶


シャークさんは高校生設定




『どうしたんだい?ーー転んじゃったのかな・・・・・・?』


 夏の蒸し暑さにそよぐ風が、アイリスの青紫を撫でて靡かせる。自販機で買ったペットボトルのウーロン茶は補充したばかりだったのか、予想したより生ぬるく、凌牙は不満を露わに眉を顰めた。
 暑いし飲み物はぬるい。休日なので駅前広場は平日より混雑しているし、その上ーー
「おせぇ・・・・・・」
 待ち人は来ない。
 この日にしようと言ったのも、この時間を指定したのも待ち合わせ場所を決めたのも彼ーー北野右京だというのに、来ない。
 何してやがる、と内心毒を吐きながら思う。まあ、休日と言ってもあの男は中3の担任なんだし、忙しいのは仕方がないかもしれない。教育者の立場になど立ったことがない凌牙には、教師というものがどれだけ裏で生徒のことを考え、日々奮闘しているのかなど想像もつかないのだ。そう思えば、待ち合わせの時間に遅れることにも寛容になれる気がしたし、同時に中学の頃に自分の担任だった教師には、些か申し訳ない気分になった。

 パタパタと女の子が足早に駆けていく。小さな子どもというのは、どうしてそうも無駄に体力を消費したがるのか、というか走り回りたがるのだろうか。
 お兄ちゃん早く!と急かす女の子の後から、差して年も離れていないだろう男の子が「ちょっと待って」と慌てたように走ってくる。兄妹か、と少しばかり刺々しくなっていた心が微笑ましい場面に少しばかり安らいだ気がして、自分も大概簡単だなと短く笑った。
「待ってってばーーわっ!」
 妹である女の子を追いかけて走ってきた男の子は、段差に躓いたようでーー凌牙の目の前で派手に転んだ。
「・・・・・・・・・」
 どうなるだろうかとそのまま少し成り行きを見守る。男の子は目を見開くと、あっと言う間にボロボロ大きな涙を流し始めて声を上げて泣き始めてしまった。
 懐かしいな。凌牙が目元を和らげる。自分も小さな頃にこんなことがあったっけ。「はやくはやく」と妹に急かされて走って・・・・・・すっ転んで大泣きした。

ーーどうしたんだい?

 泣いていた自分に、優しい男の人が手を貸して起きあがらせてくれたっけ。



『ふぇ・・・うわあぁぁん』
『転んじゃったのかな?ほら、泣かないんだよ』
『だって・・・いたいよぉ・・・・・・』
『りょーちゃん、いたいの?リオのせい?』
 兄の異変に気がついて戻ってきた妹は、凌牙が泣いているのを見るとオロオロし始めて、つられたように涙目になってしまった。自分が急かしたのがいけないと思ったらしい。
 青年は「妹さんかな?」と笑う。
『ほら、お兄ちゃん。お兄ちゃんが泣いてると妹さんまで泣いちゃうよ?』
『うぇ・・・っ・・・』
『女の子を泣かせるなんて、カッコ悪いぞ?』
『う・・・・・・』
『それに・・・』





「・・・・・・大丈夫か?」
「うわああん!」
 手にしていたペットボトルをゴミ箱に放り投げ、凌牙は転んで倒れたままの男の子をとりあえず抱き起こしてやる。擦り傷程度で、大きな怪我はないようだ。
 女の子が走り寄ってくる。同じだな、と凌牙が笑った。
「男だろ。いつまでもぐずぐず泣くな」
「だって・・・だって・・・・・・」
「妹の前でカッコ悪いぜ?」
「ふぇっ・・ひっく・・・・」
「それに泣いてたらーー楽しく遊べないだろ?」
 泣いていた男の子が涙を溜めた目で何度も瞬きし、凌牙を見る。凌牙はぽんぽんと頭を撫でてやった。
「な?」
「・・・・・・うんっ!」
 立ち上がり、ぱあっと笑顔になったのを見て、凌牙も満足そうに笑ってやる。
「よし、強いな」
「うん。お兄ちゃんだもん!」
「そうか。じゃあ今度は転ばないように・・・・・・2人で手、繋いで行け」
「うんーーありがとう!」
 幼い兄妹が手を繋いで広場を抜けていく。ずっと向こうから母親らしき女性が駆けてきて、凌牙に向かって深く一礼していった。

「ーーやあ、すまないね」
 後ろからかけられた声に、やっと来たかと溜め息を吐いた。
「遅かったな」
「やり残した仕事を片付けていたら遅くなってしまって・・・・・・でも良いものが見られたよ」
「っ!?」
 見てたのか。言葉にできず、口をぱくぱくと開閉していれば、のほほんとした笑顔の右京が「君も大人になったね」と言うものだから、凌牙の顔が耳まで赤くなる。


「それにしても懐かしいなぁ」
「何がだ」
 遅刻してきた罰にアイスクリームを買ってもらう。普段はこんなこと絶対しないが、暑いし恥ずかしいの連発で少しでも涼みたいのだ。 チョコミントのアイスを食べる凌牙の横で、蕎麦茶というなんとも珍しいチョイスをした右京がふふっと笑う。
「昔、僕も同じように転んだ男の子を慰めてあげたことがあってね」
「・・・・・・へぇ」
「それがきっかけで色々考えて、教師になったんだけれど・・・・・・綺麗な青紫の髪をした子だったなぁ。その子も妹を追いかけて転んだんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」

 自分を抱き起こしてくれたのは眼鏡をかけた、茶色の髪。
 不仲で自分の子供にすら興味を示さなかった両親には、手を繋いでもらった記憶すらなかった。
「でも優しい子に育ったなぁ凌牙は」
「うっせぇよ・・・・・・うぜぇぜ」
 青紫の髪を右京の手が撫でる。大人の、優しい手。
「ああ、確かあの子も・・・・・・『りょーちゃん』って呼ばれていたけれど。もう凌牙ぐらいの年齢になってるんじゃないかなぁ」
 凌牙が手にしていたアイスを手からこぼす。それから暫く、再び真っ赤になった凌牙は、右京の顔が見られなかった。



『それにーー泣いていたら楽しく遊べなくなってしまうよ?』
『・・・・・・うん』
『よし、良い子だ。強いね』

 小さな凌牙を初めて褒めて撫でたのは、あの優しい青年の手。



20120724



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