※W←凌でカイ凌


 ぱたぱたと降り出した雨に短く舌打ちをした凌牙は、帰り道にある幼稚園前の道路で信号に足止めをくらいながら、我が子を迎えに来たのだろう傘を持った母親達に連れられる幼子達を憎々しい面持ちで横目に睨みつけていた。
 出かけるのではなかった、と思う。そうすれば雨になんて降られなかったし、母親に手を引かれている子供達を見てこのように大人げない気持ちを高ぶらせることもなかっただろう。ーーだが今日ばかりは出かけない訳には行かない。
 青に変わった信号に、バイクを急発進させる。家に到着した頃にはすっかりずぶ濡れになり、肌に張り付いた服に凌牙は不快感を色濃くさせた。

 ワンルームの安アパートの階段を上がり、合い鍵を使って施錠された玄関の鍵を開ける。
 今のこの時代には珍しい構造のこのアパートは、Wが家族で暮らす家とは別に借りている、いわば隠れ家のようなものだった。この場所を知っているのは、Wと凌牙の2人だけ。家の電話線は繋げていない。誰も訪ねてはこない。
 凌牙の自宅であるワンフロアのだだっ広い高層マンションで過ごすこともあったが、いかんせんあそこは2人きりには広すぎる。あんなとこに中学の頃から凌牙は独りぼっちでいたというのだから、どんなに寂しかったことかと言ってくれたのは、水色の髪の優しい少年であった。
『広いところに突然独りぼっちにされたら、誰だって寂しいよね』
 ハートランドにある展望台の最上階で一人の時間を過ごしたことがある彼だからこそ、分かる寂しさ。あの頃の小さい肩にどれだけ重いものを背負っていたのだろうと、小さく微笑み返すことしかできなかった。

ーーバサッ
 玄関に足を踏み入れると突如視界が真っ白に覆われる。何事かと賢明にそれを退かそうとしていると、上からガシガシと濡れた髪や服を拭かれた。
「おっかえりマイハニー。そのまま入って来ちゃやーよ」
「黙れこのこの万年発情期馬鹿」
 誰がハニーだ、心にもないこと言いやがって。ずぶ濡れの不快感が後押しして、嫌悪感を隠さない凌牙にWがケタケタと笑う。
「じゃあ義兄さん」
「やめろ」
「おにーたん」
「本気で気色悪いっつーの!!」
 何年経っても自分達の関係は変わらなかった。Wは凌牙を変わらず大事にしていたが、何年経ってもWが凌牙に恋愛感情的な愛を持つことも、結局はなかった。それでも2人の関係は変わらず、今日という日までずるずると共に過ごしてきたのだから、なんだかもう笑うしかない。
「ってか殆ど終わってんじゃねぇか」
「元々そんなに荷物置いてなかったからなー」
「テメ・・・・・・手伝いに人のこと呼びつけておいて」
「まあ取りあえず入れよ」
 そのままだと風邪引くだろ。
 ガシガシと拭かれた後、凌牙はWに腕を引かれるようにしてアパートの中に入る。狭いはずのワンルームには、いくつかの段ボールが積まれており、凌牙が知っているよりも少しだけ広々としている。
「本当に少ねぇな」
「これだけなら車で運搬できるだろーーあ、グラスもう閉まったんだったわ」
「買ってきたから良い」
 凌牙がバッグからスポーツドリンクを2本取り出して、1本をWへと投げる。サンキュ、と礼を言ってWはそれをキャッチした。
 段ボールが積まれているのとは逆の場所に置かれた簡易ベッドに凌牙が視線を移す。ーー何年も前から、自分達が身体を重ねてきた場所だ。
「これどーすんだよ。ベッド」
 Wが新居として住む家には、既に大きく立派なベッドが置かれていた。ともすれば、これはもう必要のないものだろう。
「・・・・・・処分する」
「そうか」
 そう聞いても凌牙の胸は、最早痛まなかった。悲しくもなかった。
 明日の朝、Wがこの部屋を出ていけば、2人は完全に終わるのだ。全てが無かったことになって、Wも凌牙もお互いではない相手をパートナーにこれからを過ごすことになる。
 そんなことが本当にあるのだろうか。Wに別れを告げたのは自分自身だというのに、凌牙は不思議でならなかった。
「なんか俺、死ぬまでテメェと一緒にいる気がしてたぜ。なんかもうそれで良いかって」
「・・・・・・お前って本当、基本的に自分から進んで幸せになりたがらないよな」
「テメェがしてくれなかったんだろうが」
「いや申し訳ない」
 そんな凌牙は「他に好きな奴ができた」と告げた時の一瞬だけきょとんとしたWの顔を忘れないだろう。必死の形相でどんな奴だ、いくつなんだ、何をしている人間だ、お前は本当にそいつに惚れてるのか、流されてるんじゃないだろうな、そいつといて幸せなのかと畳みかけてきた時には「お前は俺の父親か」とつい笑ってしまった。
 父親の記憶などないが、多分こんな感じなのだろうと思った。
「W」
「んだよ?」
「お前が好きだったよ」
 改めて向き直った凌牙が真正面から告げてくるのを聞いて、Wは何度か瞬きした後、何かに気が付いたように笑った。
「過去形ですか凌牙くん」
「だから言ったんだ。−−今はもうお互い別の恋人がいるしな」
 やけに晴れ晴れとした表情でそう言う凌牙に、Wは少し不服そうな表情を作って唇を尖らせた。
「・・・・・・俺の凌牙があいつに盗られるなんて」
「こっちの台詞だ。俺の知らねぇ間に同棲の約束なんてしやがって」
「・・・・・・幸せにできなかったら俺がぶっ飛ばしてやる」
「テメェとよりは幸せになるだろうから安心しろよ」
 でしょうね。不本意ながら凌牙の言葉にWは同意する。これから先、自分と過ごした時間より凌牙はずっと幸せになるだろう。
 Wは今になってそれが悔しかった。凌牙が自分以外の違う人間の手で幸せになることが。嫉妬をしたのだ。自分は愛してもやれないというのに。
「俺は」
「あぁ?」
「お前のこと嫌いじゃない。寧ろ、わりかし気に入ってる」
「わりかし・・・・・・?」
「幸せになってほしい。心からそう思う」
「ふーん」
「・・・・・・俺がお前を恋愛感情の意味で愛せなかったのは、そーゆうことなんだろうな」
「−−勝手に自己解決してんじゃねぇ」
 少し不機嫌を含んだ声でポカッとWの頭を凌牙が叩けば、彼は苦笑した。
「いてぇよ」
「テメェが意味不明なこと言うからだ、バカ」
「ーー奴に譲渡する前にしっかり躾が必要みてぇだなぁ?」
 背もたれにしていたベットがぎしり、と音を立てる。凌牙は密かに眉を顰めたが、Wからキスをされると静かに目を閉じて、温かなそのぬくもりに委ねた。


「それで?」
「美味しくいただかれました」
 昼下がりの喫茶店。苺のショートケーキと、目一杯砂糖を入れて甘くしたコーヒーを食す凌牙の目の前で、カイトが小さく笑った。
「何故俺にそれを話すんだ?」
「疚しいことじゃねぇと思ったから」
「そうか」

−−そうか

 同じ台詞を、何時だったかWに言われたときのことを思い出し、凌牙は息をのんだ。
「そうだな。疚しいことではない」
「っ・・・・・・ああ」
「貴様達にとってはけじめのようなものだったのだろう?」
 凌牙が遠慮がちに頷けば、カイトは満足そうに微笑む。その微笑みに、しくりと胸が痛んだ。
「ともかくこの件はこれで終わりだ。名実共に俺が貴様の恋人になれる」
「・・・・・・悪い。長い間付き合わせたな」
「謝罪はいらん。俺が好きで貴様を待っていただけだ」
「・・・・・・・・・」
「どうしても俺が自分の手で貴様を幸せにしてやりたかった。それだけだ」
「・・・・・・ありがとう」
 小さく小首を傾げて、凌牙がふわりと笑った。



20120820


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凌牙に幸せになって欲しかったWくんと、凌牙を幸せにしたかったカイトくん



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