濡れ鼠に響く雷鳴


32回収後/4様の御目が覚めてる



 遠くで雷が響いた。灰色の雲に覆われた空からは止めどなく大粒の雫が降り、行き交う人々は様々な色の傘を差している。頭の中にまで響くような雷鳴に、凌牙は眉を寄せる。雨の日は好きじゃない。雷はもっと好きではなかった。
――ゴポリ…
 不意に胸が抉られるように痛み、寄せた眉の皺はより濃く刻まれる。頭に響いていた雷鳴は、ゴポゴポという水の音に掻き消された。
「っ……」
 胸元を掴んで痛みに耐えながら、凌牙は目立たぬようによろよろとなんとか路地裏に逃げ込む。手にしていた透明のビニール傘は、途中に放置された。
 雨に濡れたコンクリートの壁に背中を預け、ずるずるとその場に腰を落とす。
「ぐぁっ…!」
 痛みと一緒に頭に響く声は、聞こえない。凌牙の中に、それはもういなかった。爪痕だけが残された。何をしていても、どんな時間だろうと構わずに、それは日に一度は必ず疼いて凌牙を苦しめる。それと共に主を無くした暗い海のゴポリゴポリという音が、消えた主に代わるように絶えず響いた。
 空から降り注ぐ雫達が肌を髪を服を、じわじわと濡らしていく。凌牙は侵食されていくような感覚に陥って、小さく震えた。
 短くと息を吐きながら、何とか呼吸を整えようとする。苦痛に耐えるようきつく閉じた瞼を開ければ、目の前には誰かの人影があった。同時に、ぱさりと上から何かをかけられる。
「濡れるぞ」
 気だるい体では視線を持ち上げるのが精一杯で、だがそれでも目の前の人物が誰なのかは分かった。
「……何しに来やがった」
 紛れもなく、Wだった。凌牙はその赤い瞳を視界に捉えると、出来るだけ睨み付けるようにする。消耗している今の彼では、あまり鋭いものにはならなかったが。
「お前が見えたから、からかってやろうかと思ったんだが」
「てめ、」
「その様子じゃ楽しめそうもねぇしなぁ」
「…っ……」
 殴ってやろうかと拳を握った凌牙だったが、力が上手く入らず、握った拳はすぐに解かれてしまう。Wはその様子を見ながら彼の前にしゃがみこむと、膝を付いて濡れて冷たい凌牙の白い頬を撫でた。嫌がるように、凌牙はその手から逃れようと無駄だと思いながらもそっぽを向く。
「っ、触る、な……」
 そうは言うものの、凌牙は冷えた自分の肌に伝わる手の温もりに、安堵を覚えていることに気がついた。こんな、こんな奴の。こんな奴に。
「俺の視界に入るな……失せろっ……!」
「そいつは聞けない頼みだな。無理だ」
 頬を撫でていた手で、Wが今度は濡れたアイリスの青紫をした髪に触れる。きっぱりと言い切った声に凌牙は複雑な表情を作ったが、すぐにギリッと奥歯を噛み締めて途切れ途切れになりながら叫んだ。
「テメェ、なんかっ…大嫌いだ…!!」
「…だろうな。好きになってもらえるとは思っていない。俺が勝手にお前に惚れちまってるだけだ」
 あわよくば好きになってもらいたいが。そう言ったWが、ずぶ濡れの凌牙をもたれ掛かったコンクリートの壁から自分の胸へと抱き寄せる。
「大嫌いで大変結構――それでお前がお前でいられるなら、永遠に嫌われててもかまわねぇよ」
「お…まえ…なんかっ……」
 涙が出る。青い瞳から溢れていった雫は頬を伝ったが、雨はそれを隠すように音を立てて降り注ぐ。雨避けにかけられたWの上着もずぶ濡れになって、最早雨避けの意味をなさなくなっていた。

 遠くで雷鳴が響く。Wの腕の中でしゃくりを上げる凌牙は、胸の痛みとゴポゴポと響く水の音が消えていることに、まだ気がつかない。


20120626



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