月の熱とぬくもり

「死にそうな声で『助けてくれ』なんて言うから、何事かと思えば……」
 風邪かよ。凌牙の表情は、すっかり呆れ返ったようなものに変わっていた。部屋に駆け込んできた時の、必死の形相に歪められた顔は何処へやらといったところである。
「すまない」
「ドロワがいるなら来る必要……なかったし」
「俺は断った。だが『放ってはおけない』と言われて」
「……へぇ。そうかよ」
 つい、と凌牙はそっぽを向いてしまう。面白くないと、背中に書いてある気がした。
 キッチンでは、先程からドロワが何か食事を作っている。察するに、粥か何かだろう。
「ハルトは」
「もうそろそろ帰ってくると思うが……移してもいけない。明日は土曜だし、遊馬に頼んで預かってもらえたらと思っている」
「連絡したのか?」
「今は授業の時間だ――本来的にはな?」
 本来的には授業時間はまだ終わっていない。凌牙は時計を確認して、「そういえばそうだな」と呟いた後、サボっていたことがバレたのだと気が付いて、バツの悪そうな顔をした。
「貴様もさっきまで学校にいたんだろう?」
「……かったるくて屋上でサボってたけどな」
「そうか」
 彼らしいとカイトは思う。それでも自分からの連絡を聞いて、慌てて来てくれたのだ。――病人の看病など面倒くさいことこの上ないだろうに。
「移ってしまうから来ない方が良いと言うべきだったんだがな」
「はっ、柄にもなく人恋しくなってんのかよ?」
「そうだな……無償にお前に会いたくなった」
「っ……」
 真っ赤になった凌牙が、ぱくぱくと声にならない言葉を紡ぐ。珍しい表情だ。病に臥せった甲斐があったなと、カイトは内心で小さなガッツポーズをする。
「カイト。食欲はある?」
 キッチンから戻ってきたドロワは、一人用の土鍋を手にしていた。その後ろからオービタルが取り分けるのに使う小皿と散蓮華を運んでくる。
「ああ」
「良かった。あまり料理をしないから、味に自信はないんだけど」
 嬉しそうに微笑むドロワと対照に、凌牙の表情は曇ってしまう。なんだか自分が邪魔者のように思えてしまったのだ。
 勿論、ドロワにそんなつもりがないことは凌牙も分かっている。純粋にカイトが好きで、彼を気遣っているのだ。
 だが見せつけられた気分だった。――男同士なんて未来がない、と。
 そうして一度生まれてしまった醜い嫉妬の感情を抑えることは、凌牙にはまだ出来ない。不安、嫉妬、焦り――そして『奪われてしまうのではないか』という恐怖。それらがぐるぐると凌牙の頭の中で回り始め、気がついたら「ドロワ、」と声を出していた。
「シャーク」
「面倒かけたな。もう大丈夫だから」
 上手く笑えているだろうか、と凌牙は思う。
「だが、」
「ありがとう。後の面倒は俺がみる」
 醜い感情を悟られたくなかった。


「…………」
 ドロワが帰って、凌牙はずっと黙ったままカイトの傍にいた。膝を抱え、顔を埋めて。
 一度ハルトが学校から帰ってきて、事情を話して遊馬がハルト(もしもの時のためにオービタルもついていかせた)を迎えに来た時に少し話したが、明らかに彼は変だ。
「どうした」
「……反省してんだよ」
「何を」
「彼女に自分勝手な感情を押し付けちまったんだ」
「……意味が分からん」
 カイトは今朝よりはかなり楽になった身体を起こし、凌牙の肩に触れる。だが熱は下がりきっていない。触れた凌牙はいつもより冷たく感じた。
「嫉妬した」
「……それだけか?」
「邪魔だと思った。でも邪魔なのは俺かもしれねぇって、不安になった。取られるんじゃねぇかって、」
「神代」
「……怖かった」
 凌牙は膝を抱く力を強くする。顔は益々見えなくなったが、泣いているとカイトには手にとるように分かる。
「俺はハルトが一番大事だ。家族…兄弟なのだから、当然だろう?――お前だって妹が一番大事な筈だ」
「……愚問だろ」
「だがな神代」
 カイトが凌牙を抱きしめた。与えられることに慣れていない凌牙の肩が、突然のことにびくりと震える。
「俺がハルト以外に愛しい、自分の手で幸せにしてやりたいと思うのは、お前だけだ」
「……それは、いつまでだ」
「ん?」
「お前が俺を愛しいと思ってくれるのは、いつまでだ」
 くぐもった涙声がカイトの耳に届いた。いつまで、だと?
「それこそ愚問だな。俺がお前を愛しいと思わない日など、来ない」
「…………」
「神代。拗ねたり嫉妬するのは可愛いから許すが……不安になる必要はない」
「なっ……ふざけんな!何が可愛いだ!」
「事実だろう」
 顔を上げた凌牙の目は涙で潤んでいた。カイトはその目元に口付ける。また凌牙の身体が強張ったが、ゆるゆると背中を撫でてやれば次第に強張りは解けていった。
 与えるぬくもりに慣れてくれる日は来るだろうか。――自分から俺に触れてくれる日が来るだろうか。
「(まあ、焦らずゆっくりだな)」
 出会った頃とは違う。今の自分達には、有り余るほどの時間があるのだから。



 凌牙を抱き締めたまま眠りについたカイトは、その翌日、凌牙に自分以上の風邪を引かせることで全快した。


20120523




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