ストックホルムの黒ウサギ

Wくんが綺麗すぎて別人28号注意



『なんか欲しいもんあったら買ってやるぜ』
 2人で出掛けたデパートで、あの男が苦笑いしながらそう言ってくれたあの日。俺は結局、何かをねだることはなかった。
 小さな頃から妹にばかり向けられ、与えられた両親の愛情。俺は「欲しがる」ということを覚えずに育った。そうしたところで、誰も何も与えてはくれなかったから。
『本当に良いのか?』
『いらねぇ』
『……そうか』
 俺が首を横に振り続ければ、彼奴は残念そうに笑って頷いた。欲しい。あそこで棚に座っていた、あの――
 素直に言えたら良かったのに、俺が意地を張ったせいで彼奴に悲しそうな顔をさせてしまったことに罪悪感を覚えずにはいられなくて、小さく「ごめん」と呟く。聞こえるか聞こえないかの判別も出来ないほどにか細くて掠れた声に、彼奴は答えるように手を握ってくれた。「はぐれてしまうから」と、幼子にするように。
 体温が低い彼奴の手はひんやりとしていたけれど、今まで握ったことのある誰の手よりも温かかく感じた。
 ぬくもりだけで人は安らぐことが出来る生き物なのだと、あの時、俺は始めて知ったんだ。


 その数日後。俺の誕生日だった。目を覚ましたら彼奴は仕事で既に居なくて。
『…………』
 代わりにこいつがいた。
 宝石みたいな赤い目。黒いビロードの布でできた肌。貴族風の服。首のリボン。長い耳。俺が欲しかった、あの。
『……なんで分かったんだ』
 言わなかった。これが欲しいだなんて、ただの一度も。確かに何度か目で追ったかもしれないが、それだってきっと一瞬で、他の物を見ていた時間の方が遥かに長かったはずなのに。
 そうして夕方頃に帰ってきた彼奴は、悪戯が成功したとばかりに喜んだ。
 俺がなんで分かったんだと問い詰めれば、『だって、俺だからなぁ』と得意気に笑われる。
『なんだそれ』
『俺はなんでもお見通しなんだよ』
『……わっかんねぇ』
『俺はお前が可愛くて仕方ないってことだ』
 ぐりぐりと頭を撫でられる。抱き締められてキスされると、彼奴の纏う香水の匂いが鼻を掠めていく。嫌じゃなかった。
 それから彼奴が買ってきたケーキを食べて、眠たくなるまでダラダラして、一緒のベッドで眠って――


 目を開けたら暗闇だった。分かっている。夢だったんだ。身体が何となく汗っぽくて気持ち悪い。確か突然熱を出したんだったか。「ナンバーズの副作用か何かだろう」と銀髪の男、Xが言っていたのを思い出す。
 落ち着かず、体の向きを変える。少し上を向いた時、視界が捉えたものに目を疑った。
 黒いビロードの肌。宝石みたいな赤い目。貴族風の服。首のリボン。長い耳。――家に置いてきたはずの、それ。
「……オズ?」
 ちょこんと枕元に座っている『オズ』と名付けたそれを思わず起き上がり、手にとる。
「どうしたんだ、お前……」
 まさか、すたこらと此処まで歩いてきたわけではあるまい。どんなに可愛がっていても、ぬいぐるみだ。
 しかしそれでは我が子ではないのだろうかと首を捻る。途端、扉が開いた。――Wだ。露骨に嫌な顔をしてやれば、奴はケタケタと笑った。
「んな顔すんなよ。折角オトモダチ連れてきてやったのに」
「テメェが持ってきたのかよ……変な想像しちまったぜ」
 ベッドに腰掛けて、抱き上げたオズは膝の上に乗せる。
「トコトコ歩いてくるわけねぇだろ」
「だろうな」
「…………」
 それきりWは黙ってしまった。何しに来たんだと言って追い払うこともできたけれど、そうしなかったのはあんな夢を見たせいだろう。
「……ウサギ」
 暫くの沈黙の後、Wはオズを目に捉えながら口を開いた。
「そいつ、オズって言うのか」
「そうだけど」
「良い名前だな」
「――悪かったな、ガキっぽくて」
 ぬいぐるみを大切にしてる中2の男。どうせファンシーな趣味だって笑いたいんだろ?と眉をひそめたが、Wは小さく微笑んだだけだった。
「部屋でそいつを見つけた時」
「…………」
「正直、嬉しかったよ」
 もう捨てられたと思ってたし。笑っているだろうWの顔が見れない。顔を見たら、なんだか泣いてしまいそうだったから。
「ぬいぐるみに罪はねぇだろ」
「そうだな――大事にしてくれ」
 バタン、と扉がしまる音がして部屋は無音になった。先程までWがいた場所には誰もいなくて、彼奴が部屋を出ていったんだと理解する。
「……変な奴」
 膝上のオズをギュッと抱きしめる。僅かに彼奴が纏う香水の匂いを感じた。
 自分とウサギの名前がお揃いだったと喜んでいたということを知ったのも、眠りにつく前に、最後に俺に会いに来てくれたということを知ったのも……後になってから彼奴の兄貴に聞いたことで。


 顔ぐらい見てやればよかった。
 本気で好きだった。今でも、好きだ。
 お前が欲しい。


(伝えれば良かった)

(寂しくて、死にそうだ)


20120519





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