脳内ポイズンベリー
駄目だ現状把握が上手くいかない。あーあ。空から推しが降ってこないかなー。

「紅茶でいいか?」
「アールグレイは駄目だからダージリンでお願いしたいです。ミルクとお砂糖つけてください。熱すぎるのは飲みづらいのでいい感じに冷めかけのやつだと嬉しいです」

いや、もう目の前にいたわ推し。御御足が長くいらっしゃって素敵ですことね。おほほほほ。

「これを」
「服ですか。そういえば私下着しか着てないですもんね。下着だけでもふもふの毛布でぬくぬくするの凄い気持ちいいですよね」

なんだろうこれ。マント?鎧の上に着るやつかな。普通ならここでは彼シャツイベントが発生する筈なんだけどな。

「昨夜とは随分様子が違うようだが」
「うふふ。いつバイオレンスが始まるかはわからないですもの。とても正気でなんていられませんのよ」

わかる。わかるぞ。蔵馬トリップ、奈良シカマルトリップ、安室透トリップを死ぬほど読み続けてきたからわかるぞ。こういう頭が良いやつには3回殺されかけないと信用してもらえないんだ。

「しっかしこのソファー固いですね。ソファーってかベンチですね。けつ痛くならないんですか?」
「執務用のものだからそれくらいで丁度良い」
「へー。あ、ちょっとお願いがあるんですけど」


**


一度死ぬほど冷たい水ぶっかけてもらってもいいですか?

机を挟んで向かい側に座る女は目の焦点が定まらないままそう言った。だから、花瓶に生けてある花を抜き、貸した外套を剥ぎ取って頭から水をかけた。その後に訪れたのは沈黙。俺も女も微動打にしないまま、滴る水の音だけが室内に響き続けている。

目を覚ませば昨夜の女が隣で寝ていた。殺そうと首を掴んだ。力を込めることは叶わなかった。話を聞いてからでもいいだろう。甘えだったのかもしれない。昨晩とは違ってその風貌は余すことなく全てが窓から差し込む光によって照らされていて、恥じらう様子を少しも見せず寝息を立てる彼女の肌色の手足が目に眩しかった。そして、それは今も。

「……お前、寒くないのか?」
「聞くのが遅いし、寒い。とてつもなく寒い。やっぱりここは現実。イケメンの神様に導かれるイベントを経験したわけでもないのに現実。階段から落ちたわけでも車に跳ねられたわけでもないのにここは現実」

ちくしょう。どうせなら作中で死んだ推し君が私の家に逆トリップしてくるとかにしてくれよ。一緒に買い物に出かけたら隣を歩く推し君が女の子の視線を集めるでしょ?そして私に陰口を叩くでしょ?そしたら優しく手を握って甘い言葉をくれるんでしょ??知ってるぞ!私はプロだからな!!

一息に言い終えてから女は冷めた紅茶を飲み干した。「いや、あっま?!」角砂糖を3つも入れたんだから当たり前だろう。口に出せば話は進まない。返事の代わりにもう一度外套を頭から被せた。

「聞きたいことがある」
「……奇遇だね。私も聞きたいことがあるの」

だから私に質問権を一回だけちょうだい。それに答えてくれたら、ホメぴの質問には何でも、幾つでも、答えるよ。

人差し指を立てる彼女は至極真面目な顔で、張り詰めた空気は重苦しい。「どうする?」「答えよう」「嘘は無しだよ」「無論だとも」…なんて、白々しい。公平な取引等存在する筈もない。悪魔の鏡とマネマネの化かし合い、とでも言ったところか。──…生憎、得意分野だ。

「グレイグのこと、どう思ってる?」
「……どう、とは?」
「いやー。私、身内に腐女子がいるから生きて帰れたときの手土産にでもしようかなって」

生きて帰れたとき、ということは相応の覚悟を持ってこいつは此処に乗り込んだ。しかし、それでは寝ていたことに説明がつかない。ザメハは正常に発動されたから睡眠状態にあったのは確定事項だ。婦女子…成人した女への手土産とは一体どういうことか。手土産、と言うからには本来の目的ではない。

「答えはー?」
「…一騎当千。デルカダールを支える立派な将軍だ。友としても鼻が高い。私も尊敬している」

殺したいほど、と心中で付け足してみても、気分は晴れるどころか不快感が増すだけだ。お前はこんなこと、気付いてすらいないんだろうな。前だけを見据え、後ろを振り返らずに進む背中が頼もしい、羨ましい、などと。置いて行かれる立場に気付かないからこそ浮かぶ言葉だ。

「…ああ、もしや」
「なあに?」
「その女はグレイグに恋情を抱いているのか?」

お前と同じ質問をするやつは幾度となく見てきた、その言葉は飲み込んだ。鍛錬中の兵士に、門の番をする兵士に、そして、俺に。好いた相手のことを知りたいと思うのはごく自然。時も場所も考慮せず押し掛ける女は後を絶たない。

「あーまあそんな感じ。沼の中でしか生きれない籠の鳥だよ」
「かごの鳥、か」

恐らく淫婦の暗喩だろう。それならば、沼の中でしか生きれないという言葉も落ち着きが良い。身内がそうならば…こいつの服装は仕事着、ということか。わざわざ寝ていたのは無防備な状態で俺を誘い既成事実を作る為で、水をかけてほしいと頼んだのもまた同じ。俺を陥れて金を要求し、仕事を辞めるまではいかなくとも生活費に当てようとした、のかもしれない。成功率を計算する時間が惜しいほど穴だらけな策だ。

「私の質問は終わりだけどホメぴは?」
「…お前は帰りたいか?」
「あったりまえだのクラッカー」
「何処へ?」
「やっぱりそうなるよねえ」

俯き、目元を手で隠されてしまえば表情は伺えない。この状況下では店の名前を答えようと故郷の名前を答えようと弊害が及ぶ。「どうだ?」それは催促を施すのと殆ど同時だった。一滴の雫が態とらしく陽の光で輝きながら落ちていく。

「…いや、質問を変えよう」
「え?」
「お前の名前は?」
「……ジョセフィーヌシャルルロッテでございますわ」
「偽名は聞いていない」
「だよね。つばきだよ。戸籍とか探してもないよ」

首を落とすことは容易い。侵入方法を聞き出してそれが利用できれば使い捨てればいい。邪魔になって消したとしても後始末さえ必要ない。

「もう一つ、聞きたい」
「うん」

勇者が見つかれば世界は終わりを告げる。世界中の命は無に還る。こいつもその例外にはなり得ない。皆等しく、それは一時の救済でさえも等しく、残るものは無。

「私に保護される気はあるか?」

勢いよくあげられた顔に涙の影は見えない。