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世の中にまだ、今ほどヒーローが認知されていなかった頃。

当時、私は18歳だった。ごく一般的な学生生活を送り、田舎の高校で学業に励み、それなりに恋愛沙汰もありーー例えば、年下の後輩から告白されちゃったりなんかして。(今思い返せば彼は結構イケメンだったなぁ、なんて。)ごく普通の家庭で育ったが、何不自由なく、そこそこ幸せな人生を歩んでいた。



ーーつまらなくも、幸せな日々ーー



そりゃあ、物騒な事件や凶悪な犯罪者はどの時代にも存在する訳で、それでも世の中に横行する悪に対しての違和感は感じていなかった。年内に大学受験を控えていた私は日本史を専攻しており、日本の歴史をひととおり学んだ。それに付随した外国史のことも。その上で何か感想は、と訊かれひとことで言い表すとすれば、それはーー「人間は残酷な生き物である」。そして同時にこうはなりたくない、とも。何故そう思うのか、歴史上の事例を挙げていけばきりがないが、この時から私は、善人が損をする世界に諦めも絶望もせず、ただそういうものなのだと受け入れていたのかもしれない。感情豊かだとはよく言われるが、実は冷めた人間なのだろう、私は。

そんな世の中で、どうすれば私はうまく立ち回ってゆける?答えは単純。誰にも逆らうことなく、ただにこにこと笑顔を振り撒いていればいいのだ。当然、周囲からの評判は良い。「いつでも笑顔で、どんな時も前向きだね」そう言われる一方で、己の感情を押し殺し続けてきた私からは想像もできないほどの、あれほどの負の感情を剥き出しにすることとなったのはーー過去にも未来にも、未来永劫恐らく"あの時"だけだろう。



◇◆



思い出の地が何者かに襲われ、何もかも消え去った"あの時"から、すでに5年の年月が経過した。当時その場にいた者は皆、死んでしまったらしい。高校の同級生、教師、そして私を慕ってくれた後輩も。遠方から通っていた私の家は、幸いにも被害に遭うことはなかったが、毎日通いつめた街の中に足を踏み入れた瞬間の、あの景色の変わり様といったら......もう、思い出したくもない、が。

私は今年、社会人になった。忙しくも充実した毎日を過ごしている。



『今朝、J市で新たな怪人がーー』

『災害レベル"虎"。皆さん、速やかに避難してくださいーー』

『S級ヒーロー爆誕!しかし、最近はヒーローの質が下がっているとの批判も多くーー』

「......」



そして今日も生き残った私は、この理不尽な世界を生きている。時折"あの時"のことを、頭の中でチラつかせながら。










Shock Hight Impact !!!





「今日も物騒な世の中ね」



連日嫌なニュースばかりを映し出すテレビにそう吐き捨て、私ーー苗字なまえの一日は始まる。悪事を働かせている輩に向かって、常日頃言っている定番のフレーズは「人間という名の同じカテゴリーだと思いたくない」。独り暮らしを始め、そんな私の独り言に付き合ってくれる者は誰もいない。実に虚しい。

ヒーローという名の職業が当たり前になってまだ日は浅いが、既に多くのヒーローたちが次々と名を上げている。世間の流行に疎い私でも、S級の顔と名前くらいはチェックしているつもりだ。そういえばついこの間も1人、新しくS級に任命されたらしい。ヒーロー協会が前々から目をつけていた逸材で、期待の新人として世間からの期待も高いのだとか。その彼の名はーーそう、今日調べるつもりだった。忘れていた訳ではない決して。



「さて、今日は何をしようかな」



外では小鳥が囀り、柔らかな風がカーテンを撫でるーー今日はなんて優雅な日曜日。社会人となった私は、週末が訪れる度に、休日の有難みをひしひしと身に染みて感じていた。学生時代がいかに暇であったか、どんなに時間があり溢れていたことか!だからこそ私は、これからの人生を無駄のないように生きようと決めた。有意義に過ごすのだ!己の人生を!

朝ご飯を食べたらテレビを消して、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干す。今日は近くのスーパーの特売日。開店と同時に配られるクーポン券と、先着30名にだけ買うことが許された、特価のひじきだけは、なんとしても手に入れなくては。生活費を節約することも、人生の無駄を省くことと何ら変わりない。



「えーと......今日の目玉商品は、っと」



スーパーむなげやのチラシを片手に、一週間分の献立を買出し前に書き出す。今夜の献立はすぐに決まった。特売のひじきを使った、大豆とひじきの炒め物。既に買えること前提であって、ひじき無くしては成り立たない。これはなんとしても手に入れなくてはならないのだ。

部屋着の上にパーカーを羽織って、セミロングの髪の毛をひとつに束ねて、スーパーまで自転車でおよそ20分。開店前の人の列が徐々に見え始めてきた。あと5分家を出るのが遅かったら、きっと先着順に配布される割引クーポンには間に合わなかっただろう。コスパは完璧。ただこの激安スーパーにおいて、私だけではどうしようもない点がひとつだけ存在する。それは『おひとりさま1点限り』の表示。本来ならば買い物カゴいっぱいに入れてしまいたい衝動を抑え、私は一際大きく見える立派な白菜を、山積みになった中から選び抜いた。こんなにも大きなものを1人で食べ切れるわけがないと思われがちだが、葉物の野菜は大きさのわりに水分量が多いため、調理すると途端に縮んでしまうのだ。



ーーあとはたまごと、お豆腐と......

ーーあ、そういえば昨日、お醤油切らしちゃったっけ。



その時、勝負の時を告げる鐘の音がけたたましく鳴り響いた。これがタイムセールの合図。棚の奥の方から醤油を引っ張り出して、どれが1番賞味期限が長いかなんて、そんなもの悠長に選んでいる暇など皆無!すぐに向かうも、不幸なことに、この日特売のひじきを狙う者は多かった。私が戦場にたどり着いた時には既にひじきの残り数は少なく、目の前で最後から2つ目のひじきが、ご老体の手に渡っていった。



「「最後の1個!!」」

「「......ん?」」



ひじきまであと数センチのところで、ピタリと止まる2本の腕。ものの見事にハモった声の主と顔を見合わせ、私たちはひじきに手を伸ばしたまま、暫し固まってしまった。その隙に最後のひじきはどちらでもない、何食わぬ顔をした主婦がそそくさと持ち去ってしまったのだが。



◇◆



「不覚......!やはり俺はすぐ油断してしまう癖があるらしい。なんたる失態......学習しない奴め......!」

「あ、あの」

「今日は先生がご不在であるというのに、弟子の俺はおつかいのひとつもできないのか......これでは先生に見離されてしまう。クーポンに間に合わなかったのならせめて、先生の好物のひじきはと......!」

「......」



ーーあ、この人変な人だ。

ーー......関わらないでおこう。



戦場の跡地に佇み、そのまま膝から崩れ落ちてしまいそうな勢いで落胆する青年の姿を、私は不審者を見るような目で見ていた。先生やら弟子やら、おかしなことばかり口にする。彼は学校の先生に頼まれ、文化祭の買い出しにでも来ているのだろうか......?そのわりに彼の持つカゴの中にはわかめやら白菜、調味料ばかりで、文化祭の買出しにしてはあまりにも買うものが生活感に満ち溢れていた。

落ち込んだ彼の顔を横からひょいと覗き込むと、その目に生気は宿っておらずーーというか、ものの例えだとかそういう意味ではなくて、本当に生きた目をしていなかった。まるで底の見えぬ谷のようにどこまでも暗い淵には、人間にあるはずの眼光だとか、瞳の水晶体らしきものだとか、まったく見当たらない。よく見ればさらさらの金髪はまるで糸のように細く、幼さの残った顔つきにガタイの良すぎる身体は、どこか違和感があった。



「......?」

「!」



つい、時間を忘れてまじまじと見ていたのが悪かった。突然、何もなかったはずの瞳に人工的な色をした瞳がヴン、と音を立てて映し出されたのだ。言い逃れもできないくらい、間近でばっちりと目が合ってしまった私は、やり場のない視線を泳がせる。なんとなく気まずくて相手の顔を直視できなかったが、彼はまるで子どものようなきょとんとした表情で私のことを見ていた(に違いない)。身長こそは私よりも20センチは高いが、もしかしたら年齢は下なのかもしれない。



「......あの、よかったらこれ......」

「!! こ、これは......先着順に配布されたクーポン......!」

「うん......これ、1000円以上買わないと使えないから......私、ぎりぎり1000円いかないと思うし」

「しっ、しかし......初対面の貴女からこんな貴重なものをもらう訳には......」

「いいからいいから」

「......!!」



私は財布の中から割引クーポン券を抜き取ると、彼の手にそれを押し付けた。カゴの中は見るからに彼の方が遥かに多いし、恐らく5人前といったところか。対して私は1人前、独り暮らしなので、安いからといってたくさん買えばいいってもんではないし、生物は買い溜めできないのだ。冷凍庫もそこまで広くない。



「せめて、お名前を......!」

「ほんと、いいから。大したものじゃあないし」

「......」

「......あの......私、結構頻繁にここのスーパー利用するから。また会えるんじゃないかな?君はどうか知らないけど」



お礼はその時でいいよ。それだけ言い残し、私はそのままレジへと向かった。彼に対して思うことは多々あるが、きっと会うのもこれっきりだろう。



ーーそれにしても......

ーー少し似ているな、"彼"に。



胸の奥がきゅっと締め付けられる。そんなことあるはずもないのに、何を考えているのだろう、私は。今こんなにセンチメンタルなのも、きっと特売のひじきを目の前で逃してしまったせいだ。

ちなみに、今日のお会計は1069円だった。うっかり1000円を超えていた。

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