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◇◆



「博士!」



一時間も経たないうちに、ジェノスは再びクセーノ博士のもとを訪れていた。突然の事態に博士は動揺することなく、ちょうど啜っていた玄米茶の入った湯呑みを机に置くと、彼の方へと向き直り、いつもの穏やかな口調で名前を呼ぶ。



「どうしたジェノス。そんなに息を切らせおって、ついさっきやって来たばかりじゃろう」

「......またひとつ、新たに聞きたいことができました」

「ほぉ?なにやら穏やかな話ではなさそうじゃな」



クセーノ博士は、よっこらせ、と口にしつつ、座っていた椅子から腰を上げる。



「なまえ、という名前に聞き覚えはありますか」

「ふむ。これまでの人生で、同じ名前の人物に出会ったことは何度かあったかもしれんのぉ」

「苗字なまえ」



彼女のフルネームを口にした途端、クセーノ博士は驚いたように目を見開き、今直面している事態をようやく悟った。



「一体、どこでその名を......いや、ひとまずオヌシの話を聞こう」

「やはり、博士はご存知でしたか」

「知っているもなにも、オヌシが生身の人間だった頃、想いを寄せておった先輩じゃろう?」

「なっ、なぜ、博士がそれを......!」



今まで秘密にしていたことがバレてしまったとばかりに、急にあたふたとしだすジェノスに、博士はまるで我が孫を見るようなあたたかな眼差しを向ける。



「オヌシがそう取り乱すとは珍しい。その様子では、今も気持ちに変わりはないようじゃな」

「......しかし、俺がなまえ先輩のことを思い出したのは、つい最近のことです。そもそも、俺はこの身体となってから、一度もそのような話をした記憶がありません」

「そうじゃろうな。今のオヌシの頭の中にはないはずじゃ」



ひとまずメンテナンス室に行こう。そこで話す。博士がそう言って踵を返し、研究室の奥へと進む。ジェノスもその言葉に従い、黙って博士の後に続いた。メンテナンス室に着くなり博士はジェノスを簡易ベッドに座らせ、その傍らに立つ。



「ジェノス。彼女は元気か?」

「はい。今は俺やサイタマ先生の住む部屋の隣で暮らしており、生活を共にしていると言っても過言ではありません。しかし、先ほども言いましたが、俺が先輩のことを思い出したのはつい最近......それまでは、懐かしい、と思うだけで、今でも記憶に欠落が多すぎます。博士、なぜ俺は先輩のことを思い出せなかったのでしょうか?これは脳部分のバグなのでしょうか?」

「......」



博士はやや眉をしかめ、腕組みをして考え込んでいる。ジェノスはいてもたってもいられず、博士に詰め寄り、肩を掴んで揺さぶった。



「博士、答えてください。それとも、博士が俺の脳に、なにか特殊な細工を施したのですか?」

「......まさか、こんな巡り合わせがあるとはのう......」

「巡り合わせ?それは、なまえ先輩とのことですか?」

「その前に、ジェノス」

「......なんでしょう、博士」

「真実を知る覚悟はあるか?」

「真実......?」



一気に話の核心へと近づいたような気がして、ただならぬ雰囲気に、ジェノスは思わず背をぴんと張る。博士の目は苦渋に満ちており、ジェノスの返答次第では話すことすらやめてしまうだろう。



「真実とは時に残酷なものじゃ。知りさえしなければ、これまでと同じ平穏な日々が送れるじゃろう。真実を知ることで、今まで培ってきたものすべてが覆ってしまうのだとしたら......それでもオヌシは、本当のことを知りたいと願うか」

「なにを言っているのですか、博士。俺の性格を知っているでしょう。俺は知りたいと思うことすべてが知りたい。そのためなら、どんなことだってやってみせます」

「......そうか、そうじゃったな。オヌシはそういう人間じゃった」



博士は肩を落とし、ため息を吐くと、やがて諦めたように小さく笑った。



「よかろう。本当のことを話してやろう、ジェノス。こうなってしまった以上、本当のことを話してやる他ないじゃろうからな」

「ありがとうございます。博士」

「しかし、あまりにも唐突じゃな。なにがあった?」

「......聞いたのです。なまえ先輩の口から、博士の名前を。しかし、先輩は博士の名前を言ったっきり、なにも話してはくれませんでした」



ーージェノス。ひとつだけ約束して。今から話すことは、どうしようもなかったことなの。

ーーだから、どうか落ち着いて、最後まで聞いて。



それから、なまえはたったひとことだけ告げる。「クセーノ博士に会ったことがある」、と。それはいつ、どのような場面で、なにを話したのか、なにひとつ肝心な部分を聞き出せないまま、彼女は再び黙り込んでしまった。ジェノスからしてみれば、勿体ぶらずに話して欲しいというのが本音であったが、その時のなまえの顔があまりに真っ青だったものだから、それ以上聞き出すことも、問い詰めることもできなくなってしまった。

彼女の反応を見て、きっとただ事ではないのだろうとそれなりに覚悟を決めてきたつもりだったが、いざ真実を目の前にすると、ほんの少し足が竦んでしまう。



「......しかし、俺だって当事者です。知る権利はあります」

「そうじゃな。今、オヌシが真実を知ることを願い、彼女がそれを話そうと試みたのなら、ワシには話さなくてはならない義務がある」



博士が傍らのコンピュータを操作し、モニターに映像を映し出した。モニターには人間の脳らしきものが映り、様々な角度から見たそれの映像が矢継ぎ早に再生される。クセーノ博士が現在メインで研究を進めている課題の中には、機械化人体の開発の他にも、人体に関する様々なものも含まれていた。その中でも「脳」とは特段複雑で、なかなか解明に至るまでが難しい分野だといわれていることはジェノスも知っていたが、知識として得ていることといえば高が知れている。



「これは......?」

「見ての通り、脳じゃよ。オヌシはワシが脳に細工したのではと言っておったが、半分アタリじゃ。ワシはオヌシの記憶に干渉し、身体を機械化するにあたり、彼女との思い出をすべて消去した」

「!!」

「許しておくれ、ジェノス。じゃが、これはオヌシから頼まれたことだったのじゃ」

「俺が......博士に......?」

「ワシが見つけた時、オヌシはすでに死にかけておった。出血も酷く、喋ることすら困難じゃったであろう状態にも関わらず、オヌシは彼女の名前を呼んでおった。何度も、何度も」

「......」

「治療し、なんとか命を繋ぎ止めたあと、ワシはオヌシと会話しとるんじゃが......恐らく、忘れておるんじゃろうな。あの時、ワシはふたつの選択肢を提示した。このまま人の身体で長期間リハビリを続けるか、あるいは、身体を機械化することによってリハビリ期間を急激に縮めるか。そこで、オヌシの出した答えは......」

「戦闘用サイボーグへと、この身をすべて機械化すること」

「そのとおり。なんじゃ、思い出したのか」

「いいえ。しかし、俺ならきっとそう言っただろうと思ったのです。俺という人間の、根本的な考え方は変わりありませんから」

「そうじゃな。ジェノス、オヌシはなにも変わっておらん。人一倍正義感が強く、本当は心優しいところも、ワシはよく知っておる。あの時のオヌシは、愛しい者への未練を断ち切ることによって、人の心を捨て去ろうとしたんじゃろうが......結局、無駄だったようじゃな」

「......」



暴走サイボーグによる奇襲を受け、当時ジェノスの抱えていたものは、憎悪、悲哀ーーそして、彼女への淡い恋心。どんなに誰かを憎もうと、心の中で憎しみの炎が燃えたぎる一方で、彼女への気持ちが消えてはくれないのだ。この気持ちが記憶の中に留まり続ける以上、自分は非情にはなれない。本当の意味で、復讐のための殺戮者となるために、こんなにもあたたかな感情があっては邪魔なだけ。

数え切れないほどのたくさんの人が死んでしまったにも関わらず、幸いにも生き残ってしまった自分にできることはなんだ。苦悩の末、ジェノスはひとつの結論へとたどり着く。生ぬるい感情を捨て去って、死んでいった者達の未練を断ち切るためにも、目的のために非情になってみせよう。遺された者に、恋だの愛だのに浮かれる資格などない。だって、そのくらいの戒めでもないと、死んでいった者たちが浮かばれないではないか。その者たちが納得できるくらいの価値ある人間にならなくてはならないのだ、彼は。



「ワシは止めたが、オヌシの意思は強かった。そして、この決心が揺らがないよう、オヌシはもうひとつワシに頼んだのじゃよ。彼女......苗字なまえに、自分は死んだのだと伝えてくれ、と」

「......そうでしたか。だから、なまえ先輩はあんなに......」



例え真実がどうであれ、知人の死の宣告というのは受け入れ難く、どんな状況であっても悲しい。その宣告を受けた時のことを思い出せというのはあまりに酷で
、それっきりなまえの顔が真っ青になって、その先を話せなくなってしまったというのも、仕方がないと言えよう。



「手放した記憶を取り戻すことはできないのですか」

「なんせ、脳の分野は未だ解明できていないことが多すぎてな。じゃが、可能性はなくもない」

「本当ですか!?」

「ジェノス」



まるで諭すように、博士の声が一段と低くなる。ジェノスは思わず乗り上げた身体をゆっくりと戻すと、両手の拳を膝の上へと置き、博士の次の言葉を待った。



「ワシは、オヌシのことを本当の孫のように思っておる。例え血の繋がりがなくとも、ワシらは家族じゃ」

「ありがとうございます。俺にとっても博士は、身内のように大切な存在です」

「だからこそ、例えオヌシの身になにが起ころうとも、ワシはオヌシのことを愛しておる。それだけは忘れるでないぞ」

「もちろんです。ですが......どうしたのですか急に。その口振りだと、まるで」



お別れのようではないですか。そう口にしようとして、やめる。そんなもの、洒落にならない。今までにたくさんのものを失ってきたジェノスにとって、例え単なる軽い冗談であっても、そのようなことを易々と口にしたくはなかった。

口を噤み、なにも起きない空虚な時間が過ぎ去り、ジェノスが暇を持て余し始めた頃、ようやく博士がゆっくりと口を開いた。



「今、打ち明けよう。オヌシがまだ、ただの少年だった頃の生身の身体を、今もこの研究施設に保管しておることを」

「......!俺の......身体が......!?」

「あの時オヌシが願ったとはいえ、生体を切り離してしまったのはこのワシじゃ。そうすることで外部からの痛みを取り除けたが、それは同時に温もりをも失うこと。ワシは、それがどうしても気掛かりじゃった」



例え脳が生体であっても、身体からのフィードバックを失ってしまえば、脳は簡単に生身の身体だった頃の感覚を忘れてしまうだろう。人間の適応能力とは凄まじいもので、その高い順応性を兼ね揃えていたが故に、ジェノスもまた、機械化した身体にすぐに慣れてしまった。やがて、自らの身を顧みなくなっていった。



「あの身体が使いものになるかどうかはわからん。正直なところ、見込みは薄いが......もし、少しでもあの頃の感覚を思い出せたなら、それがオヌシの脳への良い刺激となるかもしれん」

「......」

「ワシも最善を尽くそう。じゃが、高いリスクが伴うことだけは忘れないでおくれ。脳の移植なんて、そう何度もできるものではないからのぉ。どのくらい時間がかかるかはわからんが......それでも、オヌシはやるのか?」



高いリスクーーその言葉がなにを意味しているのか、ジェノスにはわかる。すなわち、それは人間としての死を迎えるということ。すでに一度移植を経験しているこの脳が、そう何度も手術に耐えられるとは限らない。そもそも、脳が生身の身体に戻ったところで、その身体を正常に動かすことができるのだろうか?仮に手術に失敗したとして、自分はこの世に存在しているのだろうか?不安要素は絶えない。それでも、ジェノスは思い出したい。少しでも可能性があるのなら、その可能性に賭けたい。失敗は同時に、暴走サイボーグへの復讐の機会をも失ってしまうことに他ならないが、それを承知した上で、ジェノスは静かに頷いた。

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