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「まぁ、なんにせよ良かったじゃねーか。自分の気持ちに気づけたんだし」



そう言いながらサイタマはその場から立ち上がると、空になった食器を片手に台所へと移動する。一方、話すことばかりに夢中になってしまったジェノスは、汁を吸って伸びてしまった残りの麺を、慌てて口の中へとかきこんだ。ずっと疑問に思っていたことが解決したのは確かなのだけれど、これが恋慕なのだと発覚した今、頭の中にかかっていたもやもやとしたものが、より一層濃度を増した気がしてならない。ひとつ知れば、またひとつ。彼女のことが聞きたい、知りたい。



「お、なまえ」

「!!」



サイタマの声にいち早く反応したジェノスが俊敏な動きで振り返ると、そこにはまるで何事もなかったのかのように、サイタマへと微笑むなまえがいた。その笑顔を見て、ジェノスはほっと安堵のため息を漏らすと同時に、ぎゅっと胸を締め付けられるような感覚を覚える。この感覚にはふたつ理由があって、ひとつはなまえへの愛おしさ、もうひとつは師への嫉妬。自分以外に気の許した表情を向けるのを、例えその相手が尊敬する師であっても、心穏やかでいられなかった。



ーーなまえ先輩。貴女は気づいていないのでしょう。

ーー俺がどんなに貴女を想い、どんなに恋焦がれているのかを。



今までの身体の異常の原因が恋煩いなのだと言ってしまえば、すべての現象に説明がつく。彼女に抱きしめて欲しいと言ったことも、......キスしてしまったことも。しかし後者のことに関しては、記憶を忘却させてしまっているため、なまえの中ではなかったことにされている。

そもそも、あれは『キス』ではない。なぜなら自分はサイボーグで、人間同士のする『キス』なんてできない。人を模した機械と口づけたところで、所詮それはただの真似ごと。だからこそ、人間であるなまえから、本物の『キス』をして欲しかった。触れて欲しかった。こうしてジェノスは、自分がいかに欲深いのかを知る。今、こうして再び彼女と巡り会えたこと、共に生活できることーーその幸せを噛み締めつつ、一方で、この幸せを失いたくない、なまえをどこにも行かせたくないと考えてしまうのだった。



「おかえりサイタマ。ねぇ、ドアの外にたくさん昆布が置いてあったんだけど」

「やっぱりなまえも聞くのかよ」

「......その、ものすごく言いづらいんだけれど、確かに髪に良いとは聞くけど、実は医学的根拠はなくて、発毛作用があることまでは確認されてないんだって」

「言うことまで一緒ときた。まさか、ふたりして口裏合わせたりしてねーだろうな」

「? なんのこと?私がこの間見たサイトによると......」

「いや、だからなんで髪フサフサなお前らが髪について調べてんの」



サイタマが持ち帰ってきた大量の昆布を見て、ジェノスはなまえとまったく同じ反応を示していた。まるで相手を諭すように、同情の眼差しで、そして心底申し訳なさそうに、昆布には発毛作用がないのだ、と。それはサイタマだけに限らず、髪にコンプレックスを抱いている者にとってあまりに酷な事実だった。そして極めつけに、なまえが目の前につき出してきたスマホ画面には、さきほどジェノスが「昆布には発毛作用がない説」を根拠づけるために見せてきたものとまったく同じサイトが映り出されている。



「(デジャヴ......)いや、もういい。わかったから」

「そう?」



彼女は特に気にした素振りもせず、そのままスマホをポケットにしまった。

それから、なにもないまま時間だけが過ぎた。なにもなさすぎて、サイタマは正直拍子抜けした。今度こそ、ジェノスは忘却機能を使うことなく、なまえに胸の内を告白したのだと聞いた。多少なりともぎくしゃくとした雰囲気は免れられないだろうと覚悟していたが、あまりにも普段と変わらぬやり取りに、今しがた聞いた話はすべてジェノスの捏造だったのではとすら疑ってしまった。その間にもジェノスはてきぱきと夕飯の支度を済ませ、目の前には3人分の食事が並べられてゆく。昆布だしを使った味噌汁に、刻み昆布と野菜の煮物、それから豚肉の生姜焼き。この豚肉はサイタマがむなげやのタイムセールで得た戦利品である。



ーー......やっぱり普段通りじゃねーか。

ーージェノスのやつ、大袈裟に言いやがって。



「あ。もしかしてこの昆布、ダンボールにたくさん入っていたあの昆布?」

「はい。新鮮なうちに食べてしまおうかと。......発毛作用が科学的に実証されていないとはいえ、身体に良いことには変わりないですし」



なまえとジェノスの普段通りのやりとりに、サイタマはもどかしさを感じると同時に、ほっとしていた。彼は3人での共同生活をわりと気に入っており、だからこそ、恋愛沙汰でこの関係性が崩れてしまうことを心のどこかで恐れていたのかもしれない。ただ、強すぎる力を手にした彼は、ここ何年も恐れという感情とは無縁であり、それ故、この感情が恐怖からきているものだとは夢にも思わない。

しかし、変化はあった。



「......あの、ジェノス」

「なんでしょう先輩」

「ずっと見られているのも食べづらいんだけれど......」

「あぁ、すみません。俺がつくったものをなまえ先輩が美味しそうに食べているのを見ると......それだけで、俺は心満たされるんです」

「あ、ありがとう......?いやいや、まずは心より先にお腹を満たそうよ。料理があたたかいうちに」



彼の、なまえへと向ける視線がやけに熱い。彼女への愛おしさをまるで隠そうともせず、人より鈍いサイタマでも、一目見ただけでその確信を得られた。



「なまえ先輩。今日の煮物、俺の自信作なんです。是非、貴女に食べて頂きたくて......」



そう言ってジェノスはあろうことか、煮物を一口分箸で摘むと、なまえの方へとそっと差し出した。きらきらとまぶゆい眼差しと共に向けられた昆布を拒めるわけもなく、なまえは恥じらいながらもそれを受け入れ、ぱくりと口に含む。



「お、美味しい......」

「本当ですか!?」

「うん。明日になったら味が染みて、もっと美味しくなりそうだね」

「実は作り置き用として、たくさんつくっておきました。明日以降のものは別に取ってありますので、どうぞたくさん召し上がってください」

「......」



サイタマは思う。若さって、怖い。



「(これは......あれだ。憧れの先輩に家庭科でつくった手作りクッキー渡す女子生徒)」

「先生?箸が止まってますが......味、お気に召しませんでしたか」

「いや、お前のつくるメシはいつもうめぇから安心しろ」

「! ありがとうございます......!」



彼女への想いを思い出したという、たったそれだけのことが、ジェノスにとって紛れもなく大きな変化となった。彼はサイボーグであり、基本的に笑わない。必要もないので、笑おうともしない。例え最新の技術をもってしても、機械化された身体が人間のそれとまったく同様に作動するほど、現代の科学は行き着いていなかった。意識的にでしか笑えなかったはずが、今、こんなにも自然な笑みを浮かべている。それも、無意識のうちに。

昆布をふんだんに使った夕食を終え、食器洗いはなまえが自ら名乗り出た。その間暇を持て余したジェノスはどうしたらよいかわからず、暫しうろうろとしたあと、サイタマから少し離れた位置で正座する。それでもそわそわとやけに落ち着かない様子のジェノスを見かね、サイタマはふぅ、とひとつため息を吐いた。



「お前、加減すんの下手だよな。思い立ったら真っ直線つーか、ある意味すげーと思うけど」

「それは、褒め言葉として受け取っても?」

「はは、今時いねーよ。お前みたいなやつ」

「......俺は、」

「ん?」

「意外と欲深いのかもしれません。多分......いや、絶対」

「いいんじゃねーの。お前、今まで色々と苦労してきたんだろ」

「......」

「ま、その気持ちに応えられるかどうかはなまえ次第だろうけどな」



頭ではわかっている。一度とならず、二度も想いを拒まれてしまったことが、どういう意味かということも。そこで適当にあしらわず、かといってうやむやにもせず、はっきりと断れるところがなまえのいいところだ。ジェノスも、そんな彼女を好きになった。



「先生。以前、俺と手合わせした時のことを覚えてますか?」

「あー、うん。それなりに」

「俺は、強くなるためならどんなことでもやる覚悟があります。あの日、先生に手合わせして頂いて、貴方の強さに圧倒され......そして誓ったのです。例え、今はまだ足元にさえ及ばなくても、いつの日か必ず......俺は、この気持ちを単なる夢物語に終わらせたくはない」

「......」

「彼女に対する恋慕もまた同じです。なぜ4年も忘れていたのかはわかりませんが、もしかしたらこれも意図的なものだったのではとさえ思ってしまいます。それほどまでに、俺は......なまえ先輩と」

「だから長ぇっつの。要するに、あきらめられないんだろ?」

「......はい」

「まぁ、俺が見る限りだと、なまえはお前を嫌ってなんかないぜ。むしろ好きなんだろうけどよ」

「しかし、その好きという感情が、俺と同じとは考えられません。事実、なまえ先輩もそう仰ってましたし」

「なら、もうあきらめるしかないな」

「ッ!」



飛び込んできたそのひとことを、ジェノスは咄嗟にうまく飲み込めなかった。平坦な言葉のひとつひとつを何度か頭の中でなぞってみて、初めて言葉の意味を理解することはできたのだけれど、そうしたところで結局、どう言葉を返したらいいのか、どう話を繋げばいいのかわからなかった。まとまらない思考の中をいくら探っても、正しいと思えるものは見つからず、間に横たわる無言の空気に急かされて、ジェノスは再び口を開いた。



「......無謀、なのでしょうか」

「だからといって、生ぬるい湯に浸かったような現状に満足できるのかよお前が」

「それでも、なまえ先輩のそばにいられるのなら......」

「そんなの、お互い苦しいだけだろ。俺だったらやるだけやって、玉砕した方がまだマシだね」



ていうか、捨て身で俺んところに押しかけてきたあの勢いはどうしたんだよ、俺だって初めは受け入れる気なんてさらさらなかったんだぞ。サイタマは我ながら不器用な慰め方だと思ったが、ジェノスの前向きさひたむきさを知っていたからこそ、かけてやれる言葉でもあった。



「それに、なまえはお前にまだなにか隠してんぞ」

「!! それは一体......!?」

「勘だけど」

「......」

「いいか?ジェノス。野生の勘ってのは案外当たるもんだ」



ジェノスの思いつめたような表情とは対照的に、サイタマはのんきに笑ってみせる。無論、そんなことでジェノスの気が晴れることはなかったが、口に出すことで幾分かは肩の力が抜けた気がした。

ふいに、台所に立つなまえの姿へと視線を移す。彼女を見るだけで言葉にできないなにかが込み上げてきて、サイボーグが涙を流すことなどありえないが、思わず目頭が熱くなった。「泣く」というのは、涙を流すことによって気持ちを発散させる洗浄効果があると聞く。泣けないことがこんなにもつらいことだったなんて、そんなこと知りたくもなかった。

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