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別に、"いいひと"になりたかったわけではない。ただ、弱い者が強い者に従わなければならないという、そんな世の中の理不尽さに、嫌気がさしていただけ。



「あぁん?俺らが誰をカツアゲしようと、お前には関係ねぇだろ。真面目ぶりやがって、正義のヒーローにでもなったつもりか?」

「......ふん、ひとりではなにもできない臆病者が。こうして群れにならないと、なにもできないくせに」

「な......っ、んだとてめー!!」



ドカッ、バキッ。不良たちの容赦ない蹴りが、俺の腹部に命中する。相手がひとりならまだしも、時に数の暴力は腕っぷしの強さを上回る。彼らの標的は気弱そうな下級生から、仲裁に入った俺へとシフトし、他の通りがかる者は誰ひとりとしてこちらに見向きもしなかった。こんなに馬鹿でかい声で叫び、派手に暴れているのだから、騒動に気づかないわけがない。それでも、人間とは無情な生き物で、厄介事に巻き込まれたくないという心理が潜在意識に刷り込まれている。俺はそれを知っていたので、助けなどもとから期待していなかった。ただ、そんなヤツらと同等の立場でいたくなかった。

こうして同じようなことを繰り返すうちに、俺に似た考えを持った人間が現れやしないか、と。そんな淡い期待を抱きながら、もう何度も理不尽な暴力を受けている。まぁ、所詮この世もこの程度。はじめに絡まれていた下級生も、隙を見て逃げ出してしまったらしい。これ以上制服をボロボロにされてしまったら、母親にすべって転んだだの、適当な言い訳が通用しなくなってしまう。



「(......そろそろ、か)」



相手の視界に映らない位置で、右手の握りこぶしにぐっと力を込めた矢先ーーふと、視界の端に、こちらをじっと見つめているひとりの女性の姿を捉えた。普通立ち止まることなく、避けて通り過ぎるのが当たり前だったので、これは稀に見るケースであるが、遠くからこちらを伺うことなど誰にだってできる。ひととおり見物し終えたあと、彼女もこの場を去ってしまうのだろう。そんな、目に見えた展開を待っているつもりは毛頭なかったので、俺は意識を再び目の前の不良たちへと戻し、敵意むき出しの視線を投げかけてやった。それだけで不良たちは一瞬ひるむが、たったひとりが大人数相手に勝てるわけもなくーーいつの間にか背後にまわっていたひとりに両腕を拘束され、身動きが取れなくなってしまった。



「そういえばお前、ジェノス、っつーんだってな。女子がきゃあきゃあ騒いでたぜ?イケメンの、金髪王子ってさ」

「はっ!随分と良いご身分じゃねーか。か弱い王子様は玉座で見てりゃあよかったものの、下手に正義ぶるからこうなるんだよ!」

「さーて、その綺麗な顔......今からメチャメチャにしてやるぜ」



ーー......くだらない。

ーー表面上だけの評価など、俺にとってなんの意味も持たないのに。



「ねぇ」



その時、俺の声でも、不良たちのドスの効いた声でもない、場違いな可愛らしい声が、こちらに向けて発せられた。声のした方向を見ると、つい先程までこちらを見つめていたあの女性が、いつの間にか不良たちのすぐ真後ろに立っていた。



「......?なんだよ、女」

「格好悪いと思わない?こんな公共の場で、弱い者いじめなんて」

「! 弱い者......だと!?それは違......!!」

「(いいからいいから、ここは合わせて)」



弱い者、という言葉に過敏に反応し、思わず反論してしまった俺に対して、彼女は身振り手振りでそう伝えると、カバンから取り出したのは携帯電話。



「実は、私の家系......警察官なんだよねぇ」

「!?」

「しかも、すっごい過保護でさぁ......勤務中でも、私の電話にはすぐに出てくれるの。......ね?いいパパでしょう?」

「!!?」



携帯を口元に添え、くすり、怪しげに微笑んだ彼女はとても美しく、その妖艶な笑みに、俺は釘付けになっていた。目の前の不良たちなんて、そっちのけで。

初めてだった。不良と揉め、殴れ蹴られボロボロにされることなんて日常茶飯事だったけれど、見て見ぬフリをせず、通り過ぎなかったのはーーしかも、それが女性だとは。男尊女卑な理屈を述べるわけではないが、女は守ってやるべき存在なのだと、責任感の強い父親からそう言われて育ってきた。だから、幼い頃からそういうものなのだと理解してきたつもりだったが、その守るべき存在に助けられているのが、今の俺の現状である。それでも、不思議と屈辱とは感じない。彼女にもまた俺と同じように、確固とした信念があるのだとひと目でわかった。



「......チッ!ヅラかるぞ!」



そんな捨て台詞のようなものを吐き捨てて、不良たちはわらわらと行を成して帰ってゆく。その後ろ姿が見えなくなるまで見届けたあと、彼女は思い出したように、俺の方へと振り返った。



「大丈夫?怪我はない?」

「......貴女は、」

「私?ただの通りすがりだよ」



あ、ちなみに家系が警察官だなんて、真っ赤な嘘。私のお父さん、ごく一般的な会社員だから。そう言っていたずらっぽく笑う顔が、不良たちに向けられたそれとはまったくの別物で、そのギャップに思わずどきり、としてしまった。思えばこの時、この瞬間、俺は彼女に心を鷲掴みにされたのだろう。ただ、この気持ちをどう形容したらよいのかわからず、恋愛というものをしたことがなかった未熟な俺は、胸をギュッと掴まれるような感覚に名前をつけることができなかった。

次の日、俺はあの衝動がどうしても忘れられず、彼女のことを調べた。あまりに出逢いが唐突で、とっさに名前を聞かなかったことを何度も悔やんだが、着ていた制服、リボンの学年色、顔、声だけを頼りに、ひとりの人物へとたどり着く。



「なまえ先輩!」



花びらが舞い散る季節、その日は桜がとてもよく栄える日だった。




◇◆



長いこと胸につっかえていた疑問が、すっと流れて消えた。あんなに苦悩していたにも関わらず、やけにあっさりと。彼女と出逢った時、まるで初めて会ったとは思えない感覚に、異様なほど高まるコアの温度、そしてなにより、隣にいる時の安心感ーーきっと、彼女との過去の記憶や経験が、脳に刷り込まれていたのだろう。例え身体は生身でなくとも、自前の脳になんら変わりはない。ならば、なぜ、今の今まで彼女のことを思い出せなかったのだろう。現に、彼はなまえとの思い出をすべて思い出せたわけではない。断片的な、欠片のような記憶たちが宙にふよふよと浮かんでいて、それをぱっと掴んだ瞬間に、ふと思い出していくような、そんな感じ。本当に大切なものこそ手の届かない場所まで浮遊し、必死に掴もうと手をばたつかせたものの、あと少しのところで指先を掠るのだった。

なまえと過去に出逢っていたことまでは分かった。というより、このアルバム自体が揺るぎない事実証拠である。実際に思い出せていることといえば、あの桜吹雪の中で、確かに、彼女への想いを告げていたということ。他にも大切な思い出はあったはずなのだが、ぼやけた映像の断片が頭にちらつくだけで、事実と認定するにはあまりに不確かであった。



「なまえ。いや、なまえ先輩」

「......」

「俺は......貴女を傷つけてしまったのでしょうか。なぜ、先輩が泣いているのか......俺に非があるのなら、いくらでも謝りますから」

「......違う。そうじゃなくて......」

「では、なぜ俺の目を見てくれないのですか」

「だって......し、死んじゃったのかと......思ってて......」



なまえはしゃくりあげながら、必死に言葉を伝えようとするのだけれど、涙が出ていれば必然的に話しにくいし、泣きやもうとしても、なかなか泣きやめられないらしい。鼻を啜り、震えるなまえの肩を抱き寄せ、ジェノスはその小さな小さな身体を、ふんわりと包み込んだ。

機械の身体にはない、あたたかな体温を感じながら、ジェノスは彼女をとても愛おしく感じた。なまえを特別に想う気持ちに迷いなんてなくて、むしろ、こうなることが当たり前だったのだとさえ思う。例え、他の記憶を何ひとつ思い出せなかったとしても、なまえを好きな気持ちだけは疑いなく信じられたし、過去の記憶なんてなくたって、ジェノスはなまえのことを心の底から愛していた。



「しかし、今の俺はあの頃とは違う」



だからこそ、伝えなくてはならない。今の自分が人ではなくて、限りなく機械に近い存在なのだということを。



「これを見てください」

「......!」



ジェノスは己のシャツの裾を掴むと、ゆっくりと捲り上げ、明らかに人とは異なった機械的な身体をむき出しにする。その行動に驚き、反射的に顔を背けるなまえに、逃げないで、と切なげな声で懇願して。彼はなまえの手を取ると、そのまま触れるように促した。なまえはほんの少し戸惑いながら、恐る恐る、その冷たい胸部を手のひらで撫で上げる。ジェノスが装甲に手をかけ、外へとこじ開けると、青く輝くコアの光が溢れた。



「なまえ先輩......言いましたよね。俺が死んだと思っていた、と。それはあながち間違いではないのです。本当のジェノスは4年前に死んでいて、俺はその残骸......もしくは、ジェノスの真似をしている、ただのロボットなのです」

「! そ、そんな意味で言ったわけじゃあ......!!」

「貴女が義手だと言っていたこの腕は......いや、それだけじゃあない。この瞳も、足も、心臓も、すべてつくりものなのです。唯一、生身のものといえば、脳殻の中の脳くらいで......」



そこまで言うと、ジェノスは一旦言葉を止め、唇を噛む。今、こうしてコアを目の当たりにしているというのに、心臓のあるべきからっぽのあたりがチクチクと痛み出した。まさか、自分の口から発される言葉に、自分で傷つくなんて。

ジェノスは、脳以外の肉体をすべて機械化していた。普通の人間とは明らかに異なる身体感覚に最初こそ戸惑ったが、次第にすっかり慣れてしまった。慣れていくにつれて、ジェノスは自分の心そのものが変わっていくのを感じた。身体に合わせて、思考までもが無機質になっていくのだ。合理性を極端に優先するようになり、日を追うごとに人間の感情、それに付随する数々の概念がわからなくなっていった。サイタマやなまえに出逢って以来、急激に人間らしさを取り戻したものの、それでも、いくら過去の記憶を思い返したところで、それも所詮人間だった頃のものなのだと思うと、サイボーグとなった今、それを完全に理解できるのかと問われると、正直、自信はない。



「俺は貴女が好きでした。そして、今も」

「......」

「しかし、今感じているこの感情も、人間だった頃の記憶がそうさせているのであって、現に、俺は貴女との思い出をすべて思い出せたわけではない。記憶も意思も、全部俺のものではないのだと思うと......今となっては、それすらも虚しい」

「ジェノス......何を言って、」

「それでも」



ジェノスはなまえの手を再び取り、自らの頬へと持っていく。



「なまえが好きです。......例え、この気持ちが偽物だったとしても」



一度自覚してしまうと、後から後から湧き出し、とどめなく溢れた。こんなに好きなのに、こんなに欲しているのに、この衝動が全部、過去の記憶に基づいたものだなんて、嘘だと思いたい。偽物の心しか持たない自分に、愛を語る資格などないのはわかっている。それでも、彼女を愛する資格がないだなんて、そんなことはないと誰かに言って欲しかった。

この身がロボットなのだとしたら、こんなにも溢れるような感情の数々を胸に抱けるはずがない。だからこそ、信じられない。それでも、現実を受け入れなくてはならない。そして、なまえのことを本当の意味で愛することができたならーー



「......あのさ、ジェノス」

「なんですか?先輩」

「その、自分のこと残骸だとかつくりものだとか......そういうの、やめよう?」

「しかし、紛れもない事実です」

「違う」



やけにきっぱりとそう告げ、なまえの涙で濡れた瞳が徐々に見開かれてゆく。



「ジェノス......そうだ、ジェノスだ。どうしてずっと忘れていたんだろう......!私はジェノスとの思い出、忘れたことなんて一度もなかったよ」

「では、どうしてそれを俺に教えてくれなかったのですか?」

「だからこそ、記憶の中の彼とジェノスの姿が重なって見えるたび、正直......つらかった。もしかしたら同一人物じゃないかとも考えたよ。だけど、当時生存者はいないって聞いていたから......ありもしない可能性を信じて、落ち込むのも嫌だなって。私がジェノスの名前を覚えてさえいたら、もっとはやくわかっていたのかな......。多分、思い出したくないって思いがよほど強かったんだろうね」

「......」

「ごめんね」

「っ!やめてください!俺は、貴女の口から謝罪の言葉を聞きたかったわけではありません!」



頭を下げようとするなまえに、ジェノスは憂いも忘れて慌てふためいた。



「ふふ、その反応......やっぱりジェノスだ」

「? どういう意味ですか?」

「秘密。自分で思い出せるように頑張って」



なまえは意味深な言葉と共に、ジェノスの記憶の中にも残る、あのいたずらっぽい笑みを浮かべた。こうして、彼女が間違いなく初恋の相手なのだと確信したジェノスは、虚しさ以上のあたたかい気持ちで心が満たされてゆくのを感じた。



ーー貴女はいつもそうだ。俺をいつだって正しい道に導いてくれる。

ーーだからこそ、俺は貴女を好きになった。



「あのさ、ジェノス。......その、私に告白してくれたじゃない?」

「えぇ、はっきりと覚えています。なんなら、今から再現しましょうか?」

「!?い、いいっ!そうじゃなくて!......だって、私......あの時......」

「そうですね。俺はなまえ先輩にふられてしまいました」



あまりいい思い出ではないはずなのだけれど、なんだか面白おかしくて、ジェノスは思わずくすりと笑う。



「なんでも、誰とも付き合う気はないとか......」

「わー!なんか、私、上から目線!?他人の口から聞くと、すっごい恥ずかしいんだけど!?」

「見事なまでの一刀両断でした。でも、俺にとっては初めてのことだったのです。人を好きになるのも、告白するのも、そしてふられてしまうのも。俺は記憶と共に、当時抱いていたなまえ先輩への想いをも思い出すことができたのです」

「......」

「いや、仮に思い出せていなかったとしても、俺は貴女が好きだった。今なら、そう断言できます」

「......うん」



途端に、なまえの声が小さくなり、表情がやや曇り始める。あまり思わしくはないと瞬時に察したジェノスは、若干身構えながらも、彼女の次の言葉を心して待った。もし拒絶されてしまったとしても、それでも構わない。人を好きだと想う感情は、その胸に心を宿す限り、誰も偽れやしないのだから。

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