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もしかしたら私は、とんでもないことを言われたのかもしれない。



「俺は......貴女のことで頭がいっぱいで......!!」



そう言った彼の表情はなぜだかひどく切なげで、決して私をからかっているわけでもなく、少なくともタチの悪い冗談ではないのだろうな、と思った。きっと本心からの言葉なのだろう。しかし、考えれば考えるほど深読みしてしまい、もしかしたらジェノスは私のことを好きなのかもしれない、という仮説へと至った。

自惚れているわけではないし、自意識過剰な方でもない。彼のまっすぐすぎる目が、言葉にせずとも、なにかを訴えかけているのはわかる。それが一体なんなのか私にはまだ分からないけど、剥き出しの好意に気づけないほど鈍感ではなかった。しかし、私たちはまだ出会ったばかりで、互いに知らないことも多い。私だって大人だ。直感が好きだと告げたら即告白ーーなんて、まるで学生のような青臭いこと、この歳にもなってできるわけがない。そんな言い訳じみた考えを捨てきれず、私は正直、ひどく悩んでいた。



「......」



ジェノスのことは、嫌いではない。むしろ好きの分類である。だが、その好きが異性に対する恋愛感情の好きであるかと問われれば、いまいちピンとこない。もし、このタイミングでジェノスに好きだと言われても、私は首を縦には振れないだろう。中途半端な気持ちのまま、同情にも似た感情で告白を受け入れたところで、誰も幸せにはなれない。

一度、浴槽を磨く手を止め、なまえはその場にうずくまり、ついさきほどまでのやり取りを、できるだけ鮮明に思い起こした。ジェノスの、自分に向ける眼差しが、声が、すべてが優しさに満ち溢れていて、思い返せば今日に限らず、今までだってそうだった。ジェノスはいつだって優しくて、紳士的で、頼りがいがあって。それでも、相手が20もいっていない歳下であることに加え、忘れられない過去の残像が、重い足枷となっていた。



ーー私は、最低だ。



その時、コンコン、と扉をノックする音が鳴り響き、なまえは我に帰る。そういえばここがユニットバスであったことを思い出し、ジェノスがトイレを使いたいのかもしれないと思ったなまえは、すぐさまその扉を開いた。そこには深刻そうな顔をしたジェノスが立っており、いつだったか、前にもこの表情を見たことがあるような気がする。あの時も、なまえが脱衣場にいて、そこにジェノスがやって来てーーううむ、デジャヴ。



「あ、ごめんねジェノス。まだお風呂掃除終わってないんだけど、トイレなら......」

「なまえ」

「?」

「聞きたいことがある」



それだけ言って、ジェノスが差し出したのは、一枚のメモ用紙。



「これに見覚えは?」

「えーっと......ああっ!!もしかして、スーツのポケットに入れっぱなしだったでしょう!?」

「! やはり、見たのか......!?」

「これ、サイタマに買い物メモだって渡されたの。でも、ぱっと見買い物メモには見えなかったから、とりあえず読まずにたたんでおいたんだけど......すっかり忘れてた」

「......そうか」

「でさ。結局これ、なんなの?ジェノスが書いたの?」

「いや、......まぁ、そうだが」

「なにそれ」

「今はまだ話せない」



今は、ということは、いつかは話してくれるのだろうか。ジェノスの触れてはならない部分を掠ってしまったようで、なまえはほんの少し居心地が悪くなる。



「気を悪くしたか?俺が、こうして隠し事をしていることに」

「そりゃあ、気にはなるけど......話したくないことの1つや2つ、誰にだってあるでしょう?」

「それは、なまえにも当てはまるのか」

「!」

「なまえのことを、俺はもっと知りたい。だから教えて欲しい。もちろん、タダでとは言わないし、俺も......できる限りのことを話そう」

「......」



なまえは今まで一度だって、過去のことを口外したことはない。口にしたところで虚しいだけだから、しかし、今の自分になら、客観的に心のあり様がすべて見えるような気がした。彼になら、自分のすべてを打ち明けてもいいと思った。



◇◆



低いテーブルを挟み、ふたりで向き合って腰を下ろす。いまさら、どうして他人に話す気になったのか、なまえ自身にもわからない。永遠に胸の内に秘めておきたいという気持ちもまだ残っていたのだけれど、一方で、楽になりたい気持ちがあるのも確かだった。正面から確かめた、自分の内心というものを吐き出してしまえば、喉をつまらせる圧力は弱まって、もっと自由に息ができる気がした。



「さて、なにから話そうか」

「なまえが話しやすいようで構わないが......まず、ひとつ聞きたい。なまえが、ヒーロー協会から届いたアルバムを避けているのはなぜだ?」

「あぁ、あれね。思い出したくない記憶がいっぱい詰まってるから......かな」

「思い出したくない、とは?」

「ジェノスはさ、寝ている間に見た悪夢の内容、目が覚めて思い出したいと思う?」

「幸せな夢でないのなら、わざわざ思い出すことでもないな」

「そういうこと。私にとってこのアルバムの時代は、悪夢なの。だから、しいて見たいとも思わない」

「悪夢......」



数秒、気まずい沈黙が流れて、そのあと迷うようにゆっくりと瞬いてから、ジェノスは静かな声で続ける。



「俺が見る悪夢は、いつだって雨が降っている。だから俺は雨が嫌いだ」

「どんな夢なの?」

「暴走サイボーグによって、故郷が破壊尽くされる夢。......もう、4年も前のことになる」

「!」



ジェノスがなんらかの理由で、暴走サイボーグを追っていることは聞かされていたが、そこに至るまでの経緯や理由、つまりは肝心なことを、なまえは何ひとつ知らない。しかし、今までうやむやにしてきた数々の疑問がようやく一本の線となって繋がり、やがてひとつの結論へと至った。ふたりの過去には、あまりに共通点が多すぎる。降り注ぐ雨、遡ること4年前、そしてーー暴走サイボーグ。



「俺は当時、15だった」

「(私は当時、18だった)」

「ある日、暴走したイカレたサイボーグが俺達の町を襲ってきた。ヤツらの異常の原因は、恐らく......」

「身体改造の失敗」

「!」

「知ってるよ、その町。今はもう、地図にも残されていないけど......毎日のように通っていた、大切な場所だったから」

「......なぜ、なまえが......しかし、町人の生存者は俺以外にいなかったと、クセーノ博士が......」

「隣町から2時間、電車に乗って通ってたの。だから、正確には故郷、ではないんだけれど」

「......」

「周りになにもなかったけど、景色だけはよかったなぁ。校舎の建て替えなんかも頻繁でさ、庭に噴水なんかつくっちゃって、さすが私立......」

「ち、ちょっと待ってくれ!!」



珍しく、ジェノスの声がほんの少し上擦った。よほど驚いたのだろう、彼はテーブルに腕を打ち付け、身を乗り出し、ずいっと寄せられた端正な顔の筋肉が、やや硬直しているように見受けられる。



「ねぇ、ジェノス。この校章に見覚えはある?」



なまえは、心の中では大いに動揺していたが、表情の上では完璧なまでにその動揺を隠し、無表情そのままでつとめて抑揚のない口調を心がけながら、スッとアルバムを差し出した。彼はその目を大きく見開き、穴が空きそうになるくらい、じっとそれを見つめる。



「......確かに、俺の母校のものだ」



その言葉を耳にした瞬間、まるでからっぽだった器にあたたかいものが注がれてゆくような感覚と共に、言葉にできない安堵感、安心感が、なまえの心を満たしていった。いっこうに留まることの知らないそれは、なみなみと器いっぱいになって、やがて涙となって零れてゆく。

ようやく見つけたのだ。過去の、自分との繋がりを。すべて失われたかと思われた暗闇の中、一筋の光が射し込んだような気がした。

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