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それは、バレたらどうしようなどという気の迷いや不安でなければ、話したところでどうにもならないからという諦めや無関心さでもない。
ならば、自分が人間でないことをカミングアウトした途端、彼女の目に映る己の姿が、人から物へと変わってしまうことを恐れているのかと問われれば、そんなこともなかった。

この数日間、ジェノスは彼女をすぐ近くで見てきたが、なまえは例えサイボーグだろうとなんだろうと人を差別するような人間ではなかったし、そうでもなければ、これまでたいして他人に興味のなかった彼が、ここまで彼女の存在を気にするようなこともなかっただろう。



ーー怖くも、なんともないのに。

ーーそもそも、俺に痛む心臓などないではないか。



ジェノスがそっと胸のあたりに手を置いてみると、心臓ーーではなく、熱を帯びたコアが、小さく機械音を立てた。
その音が、なまえにまで聞こえてはしまわないかと、ジェノスはほんの少しだけ冷や汗をかく。

普通、人間の身体からはこんな音はしない。改めて生身の身体との違いを実感するたびに、なんだかやるせない気持ちになるのだった。
ここ最近は、そんなことの繰り返しである。



ーーそうだ。今日はありのままの気持ちを聞いてもらおうと決めたではないか。

ーー先生のお気遣いを無駄にしないためにも、今日は必ず......!



「っ、なまえ!」

「! な、なに?」



突然大きな声で名前を呼ばれたのだから、驚くのも当然。
ジェノスが足を止めたと同時に、同じ傘の下にいるなまえの足取りも、必然的にその場でぴたりと止まる。
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、なまえの表情も、次第に緊張感ある面持ちへと変化してきた。



「少し前まで、俺はとにかくがむしゃらだった。目的のためならば、なんだってできると思っていた。......なまえは知らないだろうが、先生と出会う前の俺は、心に余裕なんてまったくなかった」

「......」

「ただひたすら、強くなりたかった。戦いに明け暮れる日々の中で、思うことといったらそのくらいで......他のことは、心底どうでもよかった」

「じゃあ、今のジェノスがあるのは、きっとサイタマのおかげだね」

「あぁ、先生ももちろんそうだが、もうひとり、大切だと思える人ができた」



そう言うと、ジェノスはなまえの目をまっすぐと見据える。



「俺は......なまえといたい」

「!」

「とりあえずこの際、どういった類いの感情なのかは置いといてくれ。俺自身、自分がなまえをどう思っているのかはよく分からない......ただ、大切にしたいという気持ちは決して嘘ではないんだ」

「あ、はは......なんか、照れるなぁ」



頬をぽりぽりと掻きながら、なまえは思わず視線をそらした。
彼があまりにも純粋で、綺麗な瞳をしていたものだから、そのまっすぐさ故に、直視できなくなってしまった。



「私、ジェノスになんにもしてないよ」

「そんなことはない。見返りなんていらない。......ただ、そばにいてくれればいい」

「......なんか、さらっとすごいこと言われているような......」



恐ろしいことに、当の本人は無自覚であるが、その言葉はプロポーズと捉えられてもおかしくはない。
そのうえ、彼のような端正な顔付きをした青年に言われては、誰だってくらりと傾いてしまうだろう。
しかし、そこですぐにはい、と即答してしまうほど、彼女も馬鹿ではない。

なにしろジェノスはまだ未成年だ。
真剣な愛の言葉を囁くには、いささかまだ若すぎる。
もっとも、まさか本当にプロポーズの言葉だなんて思ってもいないが。



「......今から、変なことを言ってもいいか?」

「うん。とりあえず言ってみて」

「俺を......だ......」

「だ?」

「......抱きしめて、欲しい。なにも感じられないかもしれない。なまえに触れられて、なにも分からないかもしれない。それでも......」

「なぁんだ。そんなこと?全然いいよ」

「!」



事実、なまえは自分を慕ってくれるジェノスのことを大変気に入っていた。
それを恋愛感情だと決定づけるにはあまりに早急すぎるが、少なくとも、弟のような愛情を注ぐ対照であることには変わりない。
それ故、身体に触れることはおろか、抱きしめるという行為に微塵も抵抗感を感じられなかった。
この抱きしめて欲しいというのも、若さ故に、きっと情緒不安定な年頃なのだろう、と、この時のなまえはそのように考えていた。



「いいのか!?」

「うん。ほら、おいでー」

「......」



あぁ、この人は"優しい"のだ。
下心や見返りを求めるなどではなくて、ただ純粋に相手の要望に応えてあげようとしてくれる。
その優しさに踏み込もうとしていることへの罪悪感もあったが、躊躇いなく受け入れてくれるということは、彼女は自分を男としてまったく意識していないのだろうか、と、今まで感じたことのなかった疑問が、ふいに頭をかすめる。



ーー......?いや、別にいいだろう。むしろ、家族のように接してくれるというのは、とても有難いことだ。

ーー年齢的に、俺は弟という立ち位置になるが......



人間が仮に、意中の異性に抱きしめて欲しいなんて言われた暁には、理性なんてどこかに吹っ飛んで、心拍数や体温が急上昇しーーそのような症状が現れると聞いた。
それはジェノスがここ何年も経験したことのない現象だったが、それに限りなく近い不具合のようなものが発生していることも確かで、てっきりサイボーグにも感染する新種の風邪なのだとーーと、ジェノスはいつものように長々と頭の中で思考していたが、前触れなくなまえの方から抱きしめられた途端、今まで自分がなにを考えていたのか、もはやなにもかも分からなくなってしまった。



「(......不意打ちだ)」

「あれ?なんか違う?」

「......」

「おーい、ジェノスくーん」



なまえが顔を覗き込もうとするが、ジェノスはそれを許さまいと、傘を放り投げ、抱きしめ返す。
絶対に見られたくはない。
今、自分がどんなにだらしない表情をしているのかなど。
濡れることもお構いなしに、ジェノスは顔を彼女の首元へと埋め、目を閉じた。すると、どこか懐かしい情景が目の裏の瞼に広がった。

雨の音。肌のぬくもり。ほんの少し濡れた、彼女の黒い髪ーー



「......」

「ねぇ、ジェノス。もうそろそろいい?このままだと濡れちゃう......」

「やはり、そうだ」

「?」

「俺は貴女に会ったことがある」

「え、そうなの?」

「あぁ」

「でも、私、ジェノスと会ったことなんて......」



そこまで言って、なまえはわずかに首を傾げる。
本当に?本当に私はジェノスと面識がなかっただろうか?
ジェノスだって、私たちは出会って一週間だと、確かにそう言ったではないか。

様々な可能性を考えた。例えば夢だったとか、他人の空似だとか。
だが、彼の口にする言葉には信憑性があって、とても嘘を吐いているようには思えない。
まるで無言でなにかを訴えかけているかのような、彼のこの眼差しを、なまえは知っていた。



ーーこの瞳は、確か......

ーー......駄目。やっぱり思い出せない。

ーー思い出そうと思えば思うほど、頭がズキズキと痛む。



これは、無理に思い出すな、という警告なのだろうか。それとも......?

雨の降り注ぐ中、ふたりは暫し抱き合っていた。
互いに互いのことを思い、遠い記憶の中を模索しながら、それでも思い出せないことに悶々とする。そうしているうちに時間は過ぎてゆき、気づけば身体はぐっしょりと濡れていた。
くしゅんっ、と可愛らしいくしゃみにはっと我に返り、慌ててジェノスが彼女の濡れた頬を拭う。
せっかく買った3人分のアイスは、ビニール袋の中で溶けてしまっていた。




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