>11
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



待ち合わせ場所に着いた時、雨はより一層激しさを増していた。雨音はポツポツどころかボツボツと、大粒の雫が勢いよく地上へと降り注ぐ。雨は嫌いだとジェノスは言った。私だって、あまり快くは思っていない。服は濡れるし、傘は荷物になるし、髪は湿気で広がるし。そういったごく一般的な理由に加え、私にはもうひとつ他の理由があった。

4年前のあの日も、どしゃ降りの雨だった。しかし、雨はそう長くは続かなかった。全てが無へと還った町ーーだった平地は、次の日にはまるで何事もなかったかのように、さんさんと太陽の光を浴びていた。一筋の光によって照らし出された瓦礫の山、折れ曲がった標識、スクラップされた軽トラックーー皮肉にも、前日までの雨による水たまりや水滴が綺麗に反射して、テレビ越しに見たその光景はきらきらと、とても神々しく見えた。



ーー何を考えていたんだ、私は。



その瓦礫の下には、親しい友人が埋もれていたかもしれないというのに。

映画や小説を含め、創作物において『天候』というものは、主に登場人物の情景描写に使われている。例えば、雲一つない青空、だとか、あるいはどんよりとした空模様、だとか。もはや空模様と天気というのは、似ているところが多いとかそんな次元を通り越し、ほとんど同じものなのではないかとさえ思う。心が目に見えないから、空が代わりに表すーーそう思えるほどに。それも所詮、想像の世界にのみ限った話なのだと、この時私は痛感した。仮にこのすがすがしい天候が誰かの感情の表しだというのなら、こんなにも腹立たしいことはない。失ったものがあまりに大きすぎて、少し混乱していたのだろう。ただの八つ当たりだと自覚しつつ、残された者の心情を労わろうともしない天候に、私は苛立っていた。



ーーずっと雨が降っていて欲しい、なんて、あれ以来考えたこともなかった。

ーー学生の頃はあったかもしれない。雨が降れば今日の長距離走は中止になるとか、そんなレベル。



雨が降る度、脳裏に蘇るあの光景。否応なしに思い出してしまう。だから私は雨が嫌いなのだ。

駅の改札をくぐり、階段を降りたところにジェノスは立っていた。なぜだか雨の降り注ぐすれすれの位置に。背中が若干濡れているようだが、果たして彼はそのことに気づいているのだろうか......?



「ただい......わっぷ」



またも言葉を遮られ、今度は勢いよく抱きつかれた。遅い時間だということもあり、人通りは少ないが、だからといって全くいないわけでもない。



「......あの、大丈夫?なんだか今日は調子狂うなぁ」

「おかえりなさい。随分と待ちくたびれてしまいました」

「連絡しなかったことは謝るって。......げっ、やっぱり背中びしょ濡れだし」

「すみません。雨があたっているという感覚がなかったもので」

「本当?結構濡れてるよ?」

「ご心配はいりません。じきに乾きます」

「......ねぇ、ジェノス」

「なんでしょう」

「なんか......雰囲気違くない?あと、そろそろ離して」

「? そう、でしょうか」

「うん。とりあえず離して」



ようやく開放され、改めて向き合う。身長差があるため、必然的に彼の顔を見上げていると、次第にそわそわし始めたかと思いきや、再びぎゅっと抱きしめられた。やけにごつごつとした腕が私の腰に回されて、ほんの少し見じろいでみたものの、到底抜け出せそうもない。押しつけられた胸板、密着した身体の部位すべてが、筋肉にしては異様なほどに硬い。



「えー......もう、どうしたの一体」

「すみません......今だけは、一瞬たりとも離したくない......」

「......じゃあさ、いったん離してくれない?私、サイタマにおつかい頼まれてるから、とりあえずむなげや寄らないと」



間違った買い物メモが手渡されたということはひとまず置いといて、とにかく今はこの場所から移動するなにかしらの理由が欲しかった。サイタマの名前を引き合いに出したのは正解だった。ジェノスはサイタマのこととなると即座に反応し、微塵の疑いもなく、いきましょう!と意気揚々と答えた。師の力恐るべし。

その後さっそくむなげやに向かったのだが、私は原付きで向かったはずが、なぜか徒歩のジェノスの方が到着が速いという摩訶不思議な出来事が起きた。そして合流するなり三度(みたび)抱きしめられるものだから、もうなにも言えなくなってしまった。たしかに私はいったん離して、とは言ったが、少なくとも「場所さえ変われば抱きしめてもいい」という意味合いで言ったつもりもない。



ーーうわ......どうしようこの状況。

ーーあ。今、犬の散歩してたおばちゃんと目が合った。


「え、なにしてんのお前ら」



そこにちょうどよく通りかかったサイタマが、むなげやの店前で抱き合っている私たちを見て、若干引いたような顔をして言った。



「サイタマ助けて」

「なにがどうしてこうなった」

「俺は今、なまえと熱い抱擁を交わしている最中です。サイタマ先生」

「そりゃ見りゃ分かるっての」



それからサイタマの説得の末、どこか不満げな表情を浮かべつつも、渋々と私から離れるジェノス。彼はそこでようやく我に返ると、途端に苦しげな表情をつくった。眉を寄せ、まぶたの影が深くなる。その視線がこちらにまっすぐ向けられているようで、その実、肝心の焦点はわずかに奥の方へとずらされていることに気づいてしまった。なにを今更、うしろめたいとでもいうのか。私は凄まじい力で拘束されたおかげで、もうすでに二の腕の関節あたりがじんじんと痛い。



「一体どうしたってんだ、お前」

「それは、その......俺にもよく分からないのです。ただ、今彼女から離れてはいけないような気がして......」

「そんで?」

「......すみません。なにも言えません」

「はぁ、そうか。思春期か」



ジェノスも年頃だもんなぁ。そんなことを言いながら、サイタマはぽんぽんと彼の肩を叩いた。ジェノスはなにかいいたげな顔をして、わずかに口を開きかけたものの、ぐっとその言葉を飲み込んだ。

買い出し中も、ジェノスはどこかうわの空だった。今朝、買い出しメモと間違われた紙切れがなんだったのか聞こうとしていたのだけれど、サイタマとあれが食べたいこれが食べたいと食材をぽいぽい買い物かごへと入れていくうちに、そんなことは頭から抜け落ちてしまった。



「......!調子に乗ってたら買い物かごがすげぇことになっちまった......!」

「先生。なんなら、俺が払いましょうか?」

「あっ、私半分払うよ」

「いや、なまえはいい。今日はお前の1週間お勤めご苦労さま会をやるんだからよ」

「!」

「まぁ......なんだ。せっかくのお隣さんだからな。今夜は盛大にやろうぜ」



◇◆



自宅に戻るなり、ジェノスはすぐにピンク色のエプロンに着替え、夕飯の支度へと取りかかった。その横で、私は買ってきた要冷蔵ものの食材を選定し、冷蔵庫の中へとしまい込む。黙々と作業をしていると、ふと視線を感じ、振り返る。しかし、そのたびに目の映るのはジェノスのうしろ姿ばかりで、それから何度か同じやりとりを繰り返すうちに、とうとう私たちは互いに視線がぶつかってしまった。しかし、ジェノスは動揺することもなく、また、諦めたような素振りも見せず、ただただじっと私を見つめている。



「あ......えっと、賞味期限遅い方は、奥にしまっておいたから」

「......」

「ジェノス?」

「いえ......なんでもありません」

「なんでもないような顔には見えないけど」

「......俺の話を聞いてくれますか?」



なんとなく長くなりそうだということを察し、急いで作業を終わらせると、屈んでいたその場から立ち上がり、彼のすぐ隣に並んで立った。



「支度、手伝いながら聞くよ」

「......ありがとうございます」

「それとさ。ジェノス、どうして突然私に対して敬語になったの?」

「それは、もちろん......」



そこまで告げて、ジェノスは口元に手を添え、はっとした顔をする。



「もちろん......いや、なぜだ......?どうして、俺は」

「あ、別にどちらでも構わないんだけど。ちょっと不思議に思っただけだから」

「......年上だから、なのか......?」

「どうして疑問形なの」



笑っていいのか悪いのか、曖昧な空気の中で、とりあえず私は苦笑いをし、ジェノスが洗った大根を輪切りにすると、味の染み込みをよくするために十字の切り込みをいれていった。今夜の献立は、おでんに酒のつまみ、ビールを少々。いかにも居酒屋に置いてありそうなラインナップである。ジェノスに限ってはまだ未成年者であり、私も酒自体そこまで好きなわけではないので、あくまで嗜む程度に。冷蔵庫の中を覗いてみたが、今日買ってきたビール缶以外にそれらしきものは見当たらなかったので、普段から酒を飲む習慣がないのだろう。

私に指摘され、いつの間にかジェノスの口調は今朝までのものに戻っていた。そもそも変わったことにすら本人は気づいていないようだったが、とはいえ、なにか支障があるわけでもなんでもない。妙な話だが、本人に言ってもただ首を傾げるだけなので、私もこれ以上なにも言わなかった。ただ、彼に敬語で話しかけられると、恥ずかしいような、むず痒いような、なんとも言えない気持ちになる。



「最近、夢のようなものを見る。いつの頃の記憶だったかは分からない。ただ、今から何年も前に見た光景だということだけは記憶している」

「......夢ってさ、ある種の現実逃避なんだって。脳が勝手に無意識な欲望を満たそうとして、目が覚める頃にはすっかり忘れちゃうみたい」

「欲望......」

「もしジェノスが昔の出来事を夢に見るようなら、それは『あの時ああすればよかった』って思ってるってことじゃない?」

「それはつまり、俺が後悔しているということなのか」

「どうなんだろうね。けど、それもあながち間違っていないのかもしれないよ。私だって、昔の夢はよく見るし......あまり思い出したくはないけど」

「なまえはどんな夢を見るんだ?」

「私?私は......」



思い出そうとして、やっぱりやめた。どうしようもない過去に縋ったところで誰も報われない、救われない。私の表情を見て察したのか、ジェノスが言及してこなかったことに対し、正直、とてもありがたかった。私は未だにあの時のことを頭の中で処理しきれていない。この時ふと頭をよぎったのは、つい先日のサイタマの言葉だった。



「思い出そうとして思い出せないってことは、思い出さない方がいいことなのかもしれないね」

「......そうなのかもしれないな」



ぐつぐつと煮え立つおでんの具材を、おたまでぐるりとかき混ぜながら、私は立ちのぼる湯気と共に今の話題を振り払った。はんぺんにしらたき、それから餅巾着も入れよう、他にはなにを入れて欲しい?そういう日常の会話を重ねれば重ねるほど、胸の底によどんでいた感情が薄れていくような気がした。ジェノスがなにも気づかないでいてくれるのなら、もしくは、気づかないふりをしてくれるのなら、それがいちばんありがたかった。

サイタマがお風呂掃除から戻ってきたところで、私がテーブルの真ん中に新聞紙を敷き、ジェノスがおでんの入った大きな鍋をまるごと持ってくる。まだ大根に味が染み入っていないようだったが、まさかこれだけの量をたった3人で食べきれるわけがないし、明日になればきっと食べ頃になるだろう。受け皿、箸を3つずつ用意し、それぞれの柄がバラバラであることに気づいた私は、明日にでもお揃いの食器類を買ってこようと決めた。



「そんじゃ、とりあえず乾杯しようぜ。ジェノスはジュースな」

「......ありがとうございます」

「なに拗ねてんだよ。ガキが変に背伸びするなっての」

「先生。しかし、俺の身体は......」

「関係ねぇよ、そんなん。お前は未成年!以上!......とと、なまえサンキュ」

「いえいえ、こちらこそ」



サイタマと私が互いのコップにビールを注ぎ合い、その様子をジェノスがじとっと見つめている。それを面白おかしく笑ったサイタマが、あいつの成人式には一緒に祝ってやろうぜ、と耳打ちした。

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -