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3日目 早朝


身体の節々がぎしぎしと軋む。寝返りを打ちかけたところでハッと目が覚めた。痛みに顔をしかめ、縫い合わさっていた瞼をゆっくりと持ち上げる。腕が痛い、腰が痛い、あらぬところが痛い。その痛みが、未だ身体に残る微熱が、起きかけの脳裏に昨夜遅くまでの行為を生々しく思い起こさせた。普段自分でも触らないような場所までくまなく暴かれ、彼の指で、熱い舌でーーそこまで考えてかっと顔に熱が集まるのを感じ、小さく頭を振って脳裏に浮かびかけた映像を散らした。そうでもしないと恥ずかしさのあまりどうにかなってしまいそうだった。

僅かばかり身体を起こすと、背中に回されていた逞しい腕がぽとりとシーツの上に落ち、とっさに身動きをぴたりと止める。もしかしたら今の衝動で起きてしまったのではないか、と。しかし幸いシズちゃんが目を覚ます気配はなく、穏やかなリズムで上下する胸を確認するなりほっと息を吐いた。伏せられた睫は長く、その子どものような安らかな寝顔は行為中のギラついた目から程遠いものである。



ーー……あれ?



ふいに、彼の肩に引っ掻いたような爪痕が残されていることに気が付く。血は既に止まっているし、傷口の表面は薄い膜で覆われている。大して深いものではないが、傷ひとつない肌に一点だけ赤々と走った線は酷く痛々しく見えた。それをなぞるようにそっと包帯越しに触れると、シズちゃんの身体がぴくりと反応する。ゆっくりと瞼を開き、未だぼんやりとするであろう視界へと私の姿を映すなり、伸ばしていた私の手首を掴みそのまま強引に引き寄せた。こうして私は再び彼の胸元へと引き込まれ、2度起き上がることを諦める。



「何しようとしてた?まさか寝込みを襲おうとしてたのか?」

「……シズちゃんじゃないんだから。ただ、その傷が気になって」

「傷?みさきが?」

「違う違う。ほら、肩。シズちゃんがそんなところ怪我してるなんて珍しくない?」

「あぁ、これ……」



自分の肩を掴むように触れ、その傷の存在を確認する。それを見るなりシズちゃんは何処か満足げな笑みを浮かべ、これは特別なんだよと言って笑った。その言葉の意味が分からないまま私は小さく首を傾げる。そしてその傷に思い当たる節を思い出しーー咄嗟に謝罪の言葉を口にした。



「……!ごめん!も、もしかしてそれ、私が昨日引っ掻いたやつ……!」

「いいって、お互い様だろ?みさきだって昨夜どころか、それよりも前のものが残ってるくらいだし」



そう言って触れた身体の傷は、確かにシズちゃんがつけたものだった。しかし厳密に言えば更に上からより深く濃く痕を残したのは臨也であって、半分は正しいが半分は違う。それを素直に言える訳もなく、私は代わりに唇をぎゅっと噛んだ。この後ろめたい気持ちを何処まで話していいものか、或いはこの先1人で抱え込むべきなのか。少なくとも今は臨也の名を口に出来る状況ではない。そこまで空気が読めないほど私は馬鹿ではなかった。

明け方はまだ肌寒く、その分人の体温が心地良く感じる。身体の部位の中でも唇は特に柔らかく、そして温かい。彼のそれが私の身体の至るところへと押し付けられ、その箇所がまるで熱を帯びるかのように次々と赤い花を咲かせた。思わずくぐもった声が漏れ、まるで自分の声でないようなそれに思わず赤面する。



「……仕事の前に、1回だけ」

「!?」



結局、この日は朝からシズちゃんのせいで散々な目に遭うこととなる。とうとう自分の手のひらを見ることが出来ないまま、私は包帯と共に3日間を過ごした。

そしてこの日、後に私はハリウッドの名を耳にする。



♂♀



チャットルーム


甘楽【という訳で、チャットルームをより良く改善しちゃいましょう計画ー!】

田中太郎【うわっ】

田中太郎【なんだか随分とテンション高くて面倒臭そうですね】

甘楽【とりあえず個々の発言を色違いにしてみたり、色々と試行錯誤中なんですよう】

あひる【相変わらずですねぇ、皆さん】

あひる【久しぶりに来てみましたが、何よりです】

あひる【あ、でも少しメンバーの数が増えてるような……?】

バキュラ【どーもーっす!あひるさんとは初めましてですよね!?】

バキュラ【噂には聞いてましたよー!田中さんと甘楽さんを足して2で割ったような人だって!】

あひる【え、それどういう意味ですか】

甘楽【私の可愛さプラス田中さんの毒舌さを兼ね揃えてるってことにしときましょうよ!】

田中太郎【甘楽さんの可愛さってw】

甘楽【え、どうして笑うんですか?】

バキュラ【まぁ、この際甘楽さんは置いといてー】

甘楽【やだっ、皆さん好きな子は虐めるタイプなんですね!】

甘楽【だけど私、ツンデレデレくらいの割合が好みです!きゃっ☆】

みさき【ポジティブだなぁ】



罪歌さんが入室されました



罪歌【こんばんは】

田中太郎【あ、こんばんは】

あひる【罪歌さんお久しぶりです】

甘楽【こんばんはー☆】

バキュラ【ばわっす】

罪歌【きょうは、人がいっぱいですね】

罪歌【うれしいです】

甘楽【確かに、あひるさんがいるっていうのがレアかもですねー!】

田中太郎【この時期は何かと忙しいですよね】

田中太郎【私もようやく試験を乗り越えたばかりで】

甘楽【で、終わって早々私に会いに来たんですよねっ☆】

バキュラ【この時期は仕方ねーっすわ、何かと】

罪歌【わたしも、たいへんでした】

罪歌【でも、はるはすきです】

バキュラ【あぁ、もう春っすねぇ】

バキュラ【青春の春っすねぇ】

バキュラ【花見とかもうしてるんすか?】

田中太郎【そういえば、ついこの間桜が綺麗に咲いているのを見ましたよ】

田中太郎【まだ満開とまではいきませんが】

あひる【桜、もう咲いてるんですか?】

あひる【いいなぁ、私も見たいです】

田中太郎【あれ、あひるさんも確か池袋住みでしたよね?】

あひる【ええと、今ちょっと訳ありで外出できてないんです】

バキュラ【ええっ、まさかの病気っすか!?】

甘楽【ちょっと皆さん!まさかのスルー!?】

甘楽【ひどい!酷過ぎます!】

甘楽【ていうか、あひるさんって彼氏さんいませんでした?】

バキュラ【話題の切り替え早っ】

バキュラ【つーか、初耳っすよ俺!】

田中太郎【バキュラさんはまだ入ったばかりですからね】

罪歌【わたしも、はじめてききました】

罪歌【みなさん、おとななんですね】

バキュラ【まぁ、いい歳して未だに特定の相手つくらない人もいますけどね】

甘楽【えー?それってもしかして私のことですかー?】

甘楽【モテる女は違うんですよう!みんなのアイドルでいなくっちゃ☆】

バキュラ【うわ、めんどくせぇ】

田中太郎【恋人といえばセットンさんも確か……】

罪歌【せっとんさん、いないですね】

あひる【珍しいですね、あのチャット大好きセットンさんがこの時間帯になってもログインしないなんて」

あひる【ええと、その話ですけど】あひる【彼氏……といいますかね。一緒に暮らしてますし……?】

バキュラ【何故に疑問系!?】

田中太郎【あひるさんって彼氏さんの話題になるとあやふやですよね】

田中太郎【あっ、別に嫌味ではないですよ!?】

田中太郎【まぁ、私はそういうのは疎いので……お恥ずかしい話ですが】

罪歌【わたしもです】

罪歌【すみません】

罪歌【かれしとか、できたこともないです】

バキュラ【皆さん純っすねぇw】

バキュラ【そーいうのは俺担当っていう訳で!】

甘楽【いやぁー!バキュラさんのエッチ☆】

バキュラ【ますますうぜぇっすね】

バキュラ【死んでください】

あひる【バキュラさん、甘楽さんに対してかなり辛辣ですよね(笑)】

田中太郎【これが彼の基本形なんです】

甘楽【ほんと、酷過ぎますう】

バキュラ【ほらほら、話題を逸らさない!】

バキュラ【……んで?】

あひる【はい?】

バキュラ【またまたすっとぼけちゃってー!ここからはあひるさんのターンですよ!】

あひる【ターン!?】

罪歌【たーんって、なんですか】

バキュラ【ここからはあひるさんの惚気話を聞きましょうってことです】

あひる【!?】

罪歌【じつはわたしも、きょうみあります】

罪歌【ききたいです】

甘楽【あーらら、これはもう色々と根掘り葉堀り聞き出すしかないですねぇ?】

あひる【ちょっと、皆さん!?】

あひる【こういうのは集団リンチってやつですか!?】

田中太郎【リンチってw物騒なw】

バキュラ【さぁ!今こそ全てを曝け出す時っすよ!】



あひるさんが退室されました



バキュラ【あぁ!?】

バキュラ【逃げた!】

甘楽【もうっ、バキュラさんが虐めるからですよぉ?】

バキュラ【ちょっ、】

バキュラ【やっぱ俺のせいっすか!?】

罪歌【ごめんなさい】

田中太郎【謝らなくていいんですよ、罪歌さん。この際バキュラさんのせいにしときましょう】

甘楽【ぷーんだ!甘楽ちゃんを虐めた天罰ですよーっと!】

バキュラ【あひるさーん?俺が悪かったっすから拗ねないでー!】

バキュラ【あひるさん、カムバーーック!!】


♂♀



「ただいま」



目が覚めたら、いつの間にかシズちゃんが仕事から帰って来ていた。



「ん……あれ、シズちゃん。いつの間に帰ってきてたの?」

「今さっきな。疲れてるならそのままでいろよ」

「んー……大丈、夫……」



目を擦り、ぼんやりとした意識のままそう答える。実のところ大丈夫ではない。ここ3日間、特に昨晩から今朝にかけての身体への負担は想像以上に大きかったようだ。気だるい身体では動くのも億劫で、大半をパソコンの前で過ごすという堕落しきった1日を過ごす。とはいえ、何もチャットばかりしていた訳ではない。自分に課されていたやるべき項目トップ3(主にレポート課題)を一気に片付け、今日中に無事終わらせることに成功。身体の疲労感に加え、やるべき課題を終えたことによる安堵感に呑まれた私は、ほんの少し眠ってしまっていたようだ。



「もしかして昨夜、無理させちまったか?」

「……そう思うのなら多少は手加減してくれないかなぁ」

「なんだよ。別に嫌いじゃねぇんだろ?」

「もう、今日だけは絶対に邪魔しないでよね!私、今すっごく忙しいんだから!」

「あー、これ?この資料、みさきがつくったのか?」
「うん。大学の課題」

「……」
「もしかしたらシズちゃん忘れてるかもしれないから一応言っておくけど、私、現役大学生だよ?」

「……忘れてた」

「はぁ……やっぱり。私の大学、無駄に学生数が多いマンモス大学で本当に良かった。出席しなくても課題や試験の結果だけで成績つけてくれるから」



誰かさんのせいでここから出られないしね、と嫌味を溢すものの、シズちゃんは一切動じることなく黙り込む。その固い表情に胸がずきりと痛む。



ーー彼はどうしてこんなにも思い詰めたような顔をしているのだろう。

ーーそんな顔をさせているのは、私?

ーー何か余計なことを言ってしまった?



何度か名前を呼ぶと、ようやくハッと我に返るシズちゃん。私はつい先程までの不安な気持ちを押し殺し、何食わぬ顔で「シズちゃんのことだから何か変なこと考えてたんでしょ」と軽い冗談を口にした。

長いこと一緒にいると、ちょっとした気持ちのズレや変化が何処となく感じ取れるようになる。それに加え、嘘の下手なシズちゃんは表情を隠すことが大の苦手だ。嘘の吐けない正直者だと言ってしまえば可愛いものの、それは時として損を蒙ることにも繋がる。その素直で純粋であるが故、正確性のない戯言にすら耳を傾け、それを鵜呑みにしてしまう傾向にある。だから真っ白なものほど恐ろしい。ちょっと擦っただけの小さな汚れさえ目立ってしまう。



「変なことって……いや、割と真剣な話……」

「なに?真剣な話って」

「あ?あー……、えーっと……、は……ハリウッドって、知ってるか!?」

「なにそれ。海外映画の撮影場所?」

「……」



ざっと聞いた話によると、今池袋で起きている連続殺人鬼のあだ名らしい。『池袋喧嘩自動人形』だの『ハリウッド』だの、この地のネット住民のネーミングセンスはある意味素晴らしいというか何というか、よくもまぁ思い付くものだ。惨忍な犯行をする者が同じ地に住んでいるかもしれないというのに、不思議と恐怖はなかった。それはあまりにも自分が非日常に浸かり過ぎてしまったが故か、或いは外部から遮断されたこの部屋に篭りきりでいるが故か。世間から離れ過ぎていると普通の感覚を失ってしまいそうで、世の中を知る為にも今話題のものには常に関心を持つべきだと悟った。

ハリウッドとは何なのか。初めは、そんな好奇心からだった。

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テーマ「人外ファンタジー」
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