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例え頭が冴えていても、どんなに眠くなかろうと、それに包み込まれることによって人は眠気に誘われる。ふんわりとした肌触りの良さ、全身に被さっているというのに全く不快に思わないその質量、別名『太陽の香り』とも代名される鼻に優しい自然の香り(無論、洗い立て限定)ーーつまり、布団は素晴らしい。今日はこうしたぐだぐだとした形で始まり、1枚の敷布団スペースの中でのんびりとしたひとときを過ごした。忙しないとされている現代人の朝を、こうも時間を気にせず過ごしたのは随分と久方ぶりだ。冬のように布団が冷たいことも、かといって夏のように寝汗をかくこともない。程良い室温、窓の外は快晴。きっと良い1日になる予感。



「腹、減ったな。そろそろ何か食うか」

「え、シズちゃんが作ってくれるの」

「お前、そんな状態でどう料理するつもりだったんだよ」

「まさか……本当に今日もこのままでいろと……?」

「当たり前だろ。昨日治療したばかりで」

「だって、このままだと色々とひと苦労なんだもん。着替えだって大変だし、トイレだって……あ、別に手伝って欲しいとか、そんなんじゃないからね!」



まるでツンデレのような台詞を口にしているが、そんな意図は全くない。断じてない。ただ、誤解されぬようシズちゃんが口を開くよりも先に真っ向から否定しておいたのである。



「それで、何を作ってくれるの?」

「あー……そうだな、適当に目玉焼きでも焼くか。スクランブルエッグとやらでもいいぞ」

「スクランブルエッグとやらって……」

「要するに、フライパンの上で卵ぐちゃぐちゃにかき混ぜればいいんだろ?」

「うーん、当たってるといえば当たってるけど、なんか違う……」



彼が身振り手振りでスクランブルエッグを作っているらしき仕草をしてみせるが、それを見る限りだとどうにも不安。しかしそれから数分後にテーブルへと並べられたスクランブルエッグは意外にも見栄え良く、とても美味しそうだった。添えられたウインナーと、ボイルされたブロッコリー。それから、私の分にと取り分けられた皿の上にだけプチトマトがちょこんと飾られている。バターロールの入ったバケットが中央に置かれ、テーブルの上は何とも小洒落た雰囲気を醸し出していた。淹れたてのコーヒーの香りが鼻を掠め、目を閉じれば喫茶店の内観風景が瞼に浮かぶよう。目から、鼻からの刺激を受け、大して空いていなかった私のお腹がぐうと鳴る。「ほれ」と彼に促されるがままスクランブルエッグを口に入れた瞬間、絶妙な加減の半熟卵が舌の上でとろりと流れた。



「美味しい……!この卵の半熟具合が最高!」

「料理評論家かよ。ま、褒められて悪い気はしねぇけどな」



一口分にしては少し多めのスクランブルエッグをのせて、再び目の前にずいっと差し出された大きめのスプーン。まるで餌付けされている雛鳥のように、ぱくぱく、もぐもぐ。促されるままに食べ進めていくうちに、ぺろりと平らげてしまった。「これも食うか?」とバケットの中身を指差され、返事をする代わりにこくこくと頷く。シズちゃんが小さく千切っては私の口へと運びーーもう今更何も考えまいと、自分を客観視することをやめた。今の私はあまりにも情けなく滑稽な姿だから。元はと言えば、この何故か楽しそうに餌付け親となった目の前の彼のせいなのだけれど。



「食べ終えたら……どうしようか」

「どうするって?」

「だって、仕事休みなんでしょ。せっかくの休日なんだから有意義に過ごさないと」
「つってもなぁ……俺は普段ゆっくりできない分、今日1日を睡眠時間だけに費やしてもいいとさえ思ってる」

「えええ、勿体無い!どうせなら休みにしかできないことをしようよ!」

「例えば、どんな?」

「例えば……例えば……」



突然具体例を挙げるとなると、何とも答えにくい。確かに休日の過ごし方なんて人それぞれだし、普段から激務の社会人にとっては優雅に過ごせる貴重な休暇だ。別にこうしろと強制するつもりもなく、ただ言い出したからには何かしら返すべきだと思考をぐるぐると巡らせた。

同棲する恋人たちは、休日をどのように過ごすのだろう。ふとそんな疑問が浮かぶ。



「ドライブ……って、免許持ってないんだっけ。じゃあさ、もう自転車でも何でもいいから出掛けようよ」

「自転車なんてどこにあるんだよ。つか、お前さりげなく外出たいアピールすんな」

「シズちゃんも一緒なんだから別にいいじゃん。ねぇーどこか行こうよー」



テーブルに突っ伏し、不満げに口を尖らせる。シズちゃんはあからさまに嫌そうな顔をしてみせるが、そんなことで私は屈しない。どんなに「なんだこいつ面倒臭い」とでも言いたげな顔をされようが、私は気にしない。気にしたくない。


ーーもしこの機会を逃してしまったら、きっとこの先しばらくは外に出られないような気がする……!

ーーこのまま引きこもりの人生だなんて絶対に嫌だ……!



「まぁ、また今度な」

「今度っていつ!?具体的に!言ったからには絶対約束守って……、むぐっ」



私の不満は吐き出されることなく、半強制的に喉の奥へと追いやられる。突如口へと突っ込まれたパンと共に。危うく喉に詰まらせ掛けたはものの、表面をほんの少しだけ焼いたバターロールは何とも香ばしく美味だった。

そして気付く。今私が口いっぱいに頬張っているこのバターロールの正体に。ふんわりもっちりとした弾力のある生地、ほのかに香るバターの風味、そして僅かな塩加減。いつか雑誌で立ち読みした食レポそのままの在り来たりな表現でしかこの感動を言い表せないのがもどかしい。



「これ、もしかしてあの駅前のパン屋さんの……塩バターロール……!」

「? そんなに有名なもんなのか?なんか普段からすげー人が並んでるから、もしかしたら甘いもんかと思って適当に並んでみたらこれだった」

「今すごい話題なんだよ!休日なんてお一人様2点限りって制限掛けられるんだって!うわぁ、ブームが去るまで食べられないものだと思ってた……!」

「……おー、まぁ、喜んでもらえて何よりだわ……」



結局、塩バターロールの美味しさに全てを持って行かれた私は、ひとまずこれ以上外出を要望することはなくなった。



「お前、ほんと単純だよな」

「む?」

「(今度から話誤魔化す時はなんか適当に美味しいもん餌付けしよう)」



塩バターロールを堪能し、至福に浸る私の姿をシズちゃんは頬杖をついてじっと見ていた。何か言いたげに口を開き、視線を外して天井を仰ぐ。少し様子がおかしいなと思ったはものの、特に気に留めることもない。シズちゃんが不思議な行動を取るのも珍しい話ではないし、私が視線を合わせようとすると何故かふいと顔を逸らされてしまう。まるで何か疚しいことでも隠しているようだ。「変なの」と思いつつ私がコーヒーを飲みたいと言うと、シズちゃんがストローを持って来てくれた。マグカップに入ったコーヒーをストローで飲むのも可笑しな光景であるが、確かにこれなら両手を使わずしてコーヒーが飲める。もういっそのこと両手の包帯を外してくれさえすれば全てが解決するだろうに、シズちゃんは何としてでもそれだけは譲れないようだった。こうなってしまった以上、暫しの間自分の手のひらを目にすることは叶わないだろう。

スクランブルエッグと塩バターロールをたらふく食べ終え、彼にやってもらう2度目の歯磨き。昨夜ほどの抵抗感はない。このイレギュラーな生活に少しずつ、確実に慣れてきてしまっている自分の適応力が恐ろしい。それでも、たまにはこんな生活でもいいかと前向きに考え始めていた。何が目的なのかは定かでないが、いずれ解放される時が来るだろうと、そんな安易な考えを持っていた。彼が突然、とんでもないことを言い出すまでは。



♂♀



「ギブアンドテイクだ」

「……は?」



ーーどうしよう。シズちゃんが何言ってるのか全然分からない。



「なんだ、そんな言葉まで知らないのか」

「要するにお互い様ってことでしょう?」



彼が突然おかしなことを言い出してきたのは、まだ外も明るい昼時だった。覚束ない手つきでパソコンを叩いているかと思いきや、ふと視線を上げてこちらを振り向く。背中をぴったりと合わせて雑誌を読んでいた私は、その不可解な行動に思わずページを捲る手を止めた。ようやく包帯で巻かれた両手を使ってページを捲ることにも慣れてきたというのに。



「まぁ、つまりはそういうことだ」

「え、ちょっと待って意味分かんない。突然何言い出すのって言うか、なんでそんなに近いの?」



ずいっと顔を近づけられ、やはり反射的に背中を仰け反らせる。ちらりとパソコン画面を覗き見ると、『休日の過ごし方カップル』なんて言葉が検索欄に打ち込まれていた。一体どんな記事に触発されたと言うのだろう。どうやら彼は何かに悩んだ時、見ず知らずの人の意見を参考にする傾向にあるようだ。



「確かに前にも雑誌とか参考にしたこともあったけどよ、こういうことに疎いんだから仕方ねぇだろ。トムさんばかりに頼ってもいられねぇし……別に他の奴らの意見に頼ってる訳じゃないんだからな!」

「私何もそんなことまで言ってない……」

「つー訳で、しよう」

「……何を?」

「ナニを」

「どうしてそうなるのかが理解できない!」



先ほど述べたように、現時点では昼時。こんなにも明るい中で破廉恥なことができるほど私は大胆ではない。ついでに言わせてもらうと、シズちゃんがどうしてそんなに突拍子のないことを言い出したのか、それに至るまでのプロセスが知りたい。



「これでも結構我慢してたんだけどな」

「むむむむ無理無理!絶対に無理!私、今そんな気分じゃない!」

「お前、絶対にまず拒否るよな。みさきがそんな気分になる時なんてあるのかよ」

「だって私、そこまで欲求不満じゃないし……そ、それに……未だに恥ずかしいし……」

「……それ、煽ってるのか?それとも無意識か?」



やはり1日を何事もなく終えることは不可能だったようで、何やら雲行きは怪しい。朝感じていた予感は全くの嘘だったようで。



「だって、俺ら運命共同体だろ?」

「付き合ってる……んだよな……?」

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