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1時間前
池袋 来良学園 屋上

今宵は良い月だ、なんて厨二病みたいなことを口にしてみる。ここに来るのは随分と久方ぶりだった。学生時代、ここから化け物の荒れ狂う姿を何度も眺め、ほくそ笑んでいたのを思い出す。あの頃は純粋に楽しかった。何故なら、平和島静雄という名の人間らしからぬ存在が、とても新鮮だったから。だが、それももう飽きてしまった。従順な駒にできればよかったものの、化け物相手にそう上手くいくはずもない。

自分の思い通りにいかない存在が、とてつもなく疎ましかった。他人を意のままに操り、学園全体をあたかも自分の城のように事実上モノにしたこの俺に反発する者があろうとは!ただひとりーー自称友だちの、新羅だけは例外として。



「ねぇ、君もそう思わない?」

「……」

「あぁ、そうだった。君は眠っているんだった」



傍らにいるみさきにそう語りかけ、くるりと身を翻す。月光の元、そこにあるのは新品同様のスーツケース。丁度人1人入るようなーー



「起きていたとしてもそこからじゃあ、何も見えないだろうけどね」



♂♀



現在 来良学園 保健室

屋上で夜風に吹かれ、少し冷静になったところで俺はスーツケースを開く。小さく丸まった彼女を抱きかかえ、少し薬品臭いベッドへと横たわらせた。学生時代、適当な理由で授業をサボる時によく使っていた窓際のベッド。身を乗り出して頬杖をつき、丁度校庭を近くから眺めるのにうってつけだった。



「……」



都会の喧騒を離れ、人気のない狭い空間にいると、まるで時が止まったかのような錯覚を起こす。ここにいるのは俺とみさきの2人だけーー今この瞬間、俺はただの折原臨也で、彼女はただの苗字みさきで、そこに化け物は存在しない。俺たちを妨げるものなど何もない。



「……みさき」



そっと頬に触れると、みさきはううんと小さく声をあげ、俺の手のひらに頬を摺り寄せてきた。そのあまりに無防備なところがおかしくて愛しい。



ーーまったく、こういうことを無意識にするもんだから君は本当に恐ろしい。

ーーこんなに無垢で、純粋で、

ーーだから今でも汚すことを躊躇ってしまう。



俺はもう片方の手で懐から小さなケースを取り出すと、器用にも中身を取り出す。注射器が1本と針が数本、そしてそれぞれ用途の異なる液体が数種類ほど。これらは全てネブラの研究の賜物。効能や副作用に関しては全く保証できない。恐らく死に至ることはないだろうが、それでもそれ同様の副作用は覚悟しなければならないだろう。

今起こしている錯覚が現実ならばよかったのに。このままみさきが眠り続けていればーー誰のものでもない、俺のものであり続けるのに。しかしそれが叶うことは決してない。だって、ほら。もうすぐ近くにヤツがいる。慎重さの欠片もない廊下を駆ける足音が次第にこちらへと近付いてくる。こちらが身構える暇もなく、迫り来る足音は突然扉の前でぴたりと止まると、次の瞬間にはガラリと扉が開いていた。そこには肩を大きく上下させ、息を切らす化け物の姿。なんて余裕のない顔をしているのだろう。今まで見たこともないその姿を目の当たりにし、思わず笑ってしまった。まったく、なんてツラだ。今にも倒れそうになるくらい他人の為に必死になって、君らしくもない。



ーーそんな顔、まるで……



♂♀



みさきを抱き寄せ、片手に持った注射器からは見るからにヤバそうな雰囲気。この歳にもなって注射が怖いだとか、そういう訳ではないはずだが、それを目にした途端疲れとも暑さとも違う嫌な汗が頬を伝った。何かトラウマか、或いは何か注射に纏わる嫌な思い出でもあっただろうか。無理に思い出そうとすると鈍器で思い切り殴り付けられたような激痛に襲われ、本能的に脳が記憶の模索を拒んでいるのだと悟った。とにかく、ヤバイ。理由なんかどうだっていい。何が何でもみさきをそれから遠ざけなくては。

当然「貸せ」と言ったところで臨也が素直に「はい」と手渡すなどとは思っていない。ならば強行手段か?いや、みさきがそちらにいる以上迂闊に手は出せない。



「……で、俺にどうしろってんだ」

「化け物にしては珍しく素直だね。強行手段に走らないのは賢明な判断だと思うよ」

「んなことしたらみさきに何かするつもりだろ」

「俺は何もみさきを痛めつけたい訳じゃあないのさ。むしろ、こてんぱんにしたいのは君の方。そりゃあ出会った瞬間から気に食わなかったけど、ここ最近は特に……ね」



冷ややかな笑みを受けべ、臨也は俺をまっすぐに指差す。その瞳には何の感情も込められていない。



「どうせ君らは俺の思い通りになんてなってくれないんだろう?だから俺は考えた」

「……一応聞いといてやるが、一体何を企んでやがる」

「傍観者として、あくまで第三者として楽しむ方法さ。恋は障害があるほど燃え上がるっていうだろう?」



そのまま燃え尽きてしまえばいいのに、なんて小声で付け足された言葉は、しっかりと俺の耳に届いていた。



「でも、俺は思い通りにならないみさきが好きなんだ。俺に従順な女なんていらない。そんなもの、今までにいくらでもいたからね」

「相変わらず意味分かんねぇ野郎だな。なら、てめぇはみさきに何を求めてる?もし……もしだかんな?天と地がひっくり返ったってありえねぇ話だけどよぉ、仮にみさきがてめぇのことが好きになったとして、その途端に興味が失せるっつーなら、始めから関わる必要もないだろうが」

「へぇ、シズちゃんは付き合いたくて、人と関わろうとするんだね。付き合って、あわよくばその先もキスしたりセックスしたり……その”したい”って欲望があるから、君はみさきと関わろうとした。そういうことかい?」

「! べっ、別に始めからそんな訳じゃあ……!」

「結局のところ、君に下心があったからこうなったんじゃないか。そういうところが浅はかなんだよ。……俺は違う。君みたいにあれこれ求めたりしない。与えたいんだ。勿論、それに対して見返りを求めたりするかもしれないけれど……ただ、みさきを1番そばで見ていたいだけなのさ」

「……悪ぃが、俺にはてめぇの言ってる意味がこれっぽっちも分かりゃしねぇ」

「おかしいな。俺は日本語で喋ったつもりなんだけど」



目の前に俺がいるにも関わらず、臨也はまるで見せつけるかのようにみさきの身体へと手を這わせ始める。焦ったくも厭らしいその手つきは誰がどう見ても性的なもので、俺の許可なしに指一本触れただけでぶん殴りたいのが本心なのだけれど、同時に艶めかしさを増してゆくみさきの表情がなんとも言えずーーこうしてみさきの移りゆく様を客観的に見ているのも悪くねぇ、なんて一瞬でも思ってしまった自分自身こそを殴りたくなった。



「ッ、触んな!そいつは……俺のもんだ」

「なら奪ってみなよ、力づくで。君の得意分野だろう?」

「あぁ……本当は今すぐにでもそうしてぇのは山々なんだけどよぉ……動けねぇんだよ。そいつから目が離せねぇんだ。……はは、なんでだろうな……?」



ーー触るな触るな。

ーー俺のものに触るな。

ーー見たい見たい。

ーーその姿を見ていたい。



矛盾した想いが頭の中で交差し、ぐちゃぐちゃになる。この汚い感情に名前を付けられるものなら是非とも教えて欲しい。



「……あぁ、この際てめぇでもいいや。誰でもいいから教えてくれ。ほんと……意味分かんねぇよ……」



目の前に大事な女がいる。意識はない。その彼女が今まさに別の男に襲われそうになっている。なら、何故俺はすぐに助けてやれないのだろう。男の手を払いのけ、無理矢理にでも引き剥がしてやれないのかーー



「その答えは至って単純。”見たい”から。色々な彼女の顔が、”見たい”から。……そうだろう?」

「!!」

「まるで似ているよ。だからこそ理解はできる。相手のことを愛しているからこそ、見たいよねぇ……?その顔が例え苦痛に歪もうと、恐怖に引き攣らせようと。君はこの感情を異常だと自覚していたからこそ、自分から行動を起こせなかった。だから今、こうして他人の手によって愛しの彼女が乱れる姿を内心喜んで見ていられるんじゃないのかい?自分が手を下していないのだから、後でいくらでも責任転嫁できるしね」

「ち……違う……俺は、そんな……てめぇなんかと……!」



何言ってやがるこの変態野郎が、なんて言いたくても言えなかった。何故なら、自分が心の奥底で願っていたことをそのまま言葉にされてしまったから。気付かないようにしていた感情を言葉として目の前に突き付けられ、もはや目を逸らしようがない。

そうさ。俺は見たかった。ずっとずっと、みさきの色々な表情が見たかった。ただ、嫌われてしまうのが怖かった。「君って案外気弱だよね。そのデカい図体とは裏腹にさ」なんてヤツの皮肉にも反論できない、それなりに自覚していた。だって、俺は少し前まで『自分』という存在さえ認められないほどの臆病者だったのだから。きっとあの時のように開き直ってしまえば楽なんだと思う。



ーーあぁ、確かに俺は変に気が弱い。いざって時に色々と躊躇しちまう。

ーーだからこんな風に物事が拗れる。

ーー分かってんだ。そんなこと、ノミ蟲野郎なんかに言われなくたって。

ーー……けどよぉ……こんなにも歪んだ感情を共有できる共感者が……どうしてよりによって、こいつなんだ……?



いつだっただろう。以前みさきに、俺と臨也が似ていると言われたことを思い出した。具体的にどこが、という訳ではない。しかし、あの時は釈然としなかった言葉が、今はすんなりと受け入れられる。認めたくはないが。

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