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言っておくけど、絶対にいる保証はできないよ。僕の知る限りでも臨也は何十もの拠点を転々としているんだからね。そう何度も執拗に念を押され、やって来たのはとあるマンション。こうしてわざわざ臨也の元を訪れるのはこれが初めてではない。後にリッパーナイトと呼ばれたあの日の夜、罪歌と対峙するほんの少し前に俺は奴と会っている。それと直接顔を合わせた訳ではないが、姿を消したみさきを連れ戻しにもう1度。馬鹿みたいに高いマンションを見上げているうちに痛んだ首を軋ませながら、何重ものガラス製の厳重な扉からズカズカと大股で入り込んだ。

入るだけなら容易い。問題はここからだ。特に治安の悪い地域ではセキュリティが特化しており、入って早々天井に取り付けられた2つの防犯カメラに出迎えられる。疚しい気持ちなどなくても、疑わしき監視の目を向けられるというのはあまり気持ちの良いものではない。俺みたいな凡人の住む安物件アパートでは防犯システムなど全くもって皆無なので、そういったものに”慣れていない”のも一理あった。



「……」



正直、ここにみさきがいるなどと期待はしていない。視線を向けた先にある手元のメモには少なくとも10の項目が。これらは全て臨也の所持するマンションリスト、のほんの一部。みさきの居場所を特定するには今のところ最有力候補である。新羅曰く県外にも部屋を所有しているとかいないとか、いずれにせよセルティに盲目的な新羅が他の奴の全てを知るはずもない。そのあたりはもともと期待していなかっただけに、これだけの情報を得られただけでも俺にとっては大きな収穫であった。

メモに記された通りの部屋番号を部屋一覧から探し出し、最上階を目指す。タイミング悪くエレベーターが来る気配もなかったので、「1番上とかどんだけ月額高ぇんだよふざけんなよ」だのブツブツ小言を呟きながらひたすら階段を登っていった。



ーー……みさきの匂いがしねぇ。

ーーま、1つ目からビンゴとはいかねぇか。



気配だとか匂いだとか、そういった目に見えないもので相手を感知するのにはそれなりに自信がある。ここまで近付いても尚何も感じないということは、恐らくそのままの意味だろう。それでも一応部屋だけでも確かめたくて、あわよくばみさきのいた痕跡だけでも掴めたらいいと密かに願う。


「……ここ、か」

最上階の、街全体を見渡せる絶景ポイントにその部屋は存在した。あの憎たらしい涼しげな表情でここから全てを見下しているのだと思うと、なんだか無性に腹が立った。まぁ、アイツらしいといっちゃあアイツらしいのだけれど。

どうせ何もないと思いつつインターホンを押し鳴らし、応答を待つ。とりあえず扉を叩いてみたり。案の定沈黙だけが続き、仕方なく次の候補場所へ向かおうと身を翻した時だった。再び、携帯電話が鳴り響いたのは。



「……」

『やぁ、シズちゃん。無言で出るなんて相手に失礼だと思わないかい?』

「どうせてめぇだろうと思ってたよ。わざわざ名乗る必要もねぇだろ。……で、なんだ。居場所を教える気にでもなったか」

『そんなことをして俺に何のメリットになるっていうのさ。ただ、この調子じゃあ君はいくら経っても俺たちを見つけられないと思ってさ。スリルのないゲームなんてつまらないだけだろう?だから、特別にヒントをやるよ』

「ヒント……?」

『1つ、ここは高いところにあります』

「高いところつったって色々あるだろ。てめぇのマンション部屋、ほぼ最上階じゃねぇのか」

『おや、もうそこまで行き着いたのかい?けど、それじゃあ時間の無駄さ。全部回ってたらキリが無い。ついでに補足させてもらうと、俺たちの居場所は事務所のどこでもない』

「!?」



仮にシズちゃんが辿り着けたとして、逆上した君に部屋をめちゃくちゃにされたら堪ったもんじゃないからね、なんて笑いながら話す。人を手の平で泳がすこの状況を心底楽しんでいるのだろう。



ーーてことは……なんだ?無駄足だっつーことじゃねぇか、おい。

ーー出だし早々とんだタイムロスだ。



『どうせ新羅あたりにでも聞いたんだろうけど、はい残念。まぁ、頭の悪いシズちゃんにしてはよく考えた方じゃない?以前の君なら感情のままに暴れ出していたかもしれないしね」

「てめぇ……そんなに俺を怒らせたいのか?ぁあ?」

『もう怒ってんじゃん。会話が成り立っているだけマシか』





ピキッ、と血管の浮き出る音で我に帰る。だめだ抑えろ、感情的になるな。怒りのあまりわなわなと震える片手に力が込もる。それからも臨也は何か挑発めいた言葉を口にするも、聞くだけムカつくだけなので自閉した。もはや何を言っていたかすら思い出せないが、きっとこれが1番正しい。



『2つ、ここは池袋です』

「池袋って……どんだけ広いと……、!」



その時、僅かに受話器の向こう側から臨也の声以外の何かが聞こえた。聞き覚えのあるーー効果音が。



「……チャイム?これ、学校の……か……?」

『ご名答!池袋に学校なんてあり溢れているけど、まさか聞き間違えるはずがないよねぇ?なんせ3年も通ってたんだから。懐かしいなぁ……あの若かりし頃!青春を謳歌した学生時代!!』

「……はっ、てめぇが言うかよそれを。その貴重な青春時代を台無しにされたんだぜ?てめぇのせいでよぉ」



来良学園ーー俺たちの母校。だが、それよりも鮮明な記憶がある。クリスマスの夜、街中駆け回った挙句にみさきとここへ訪れた。屋上から見える景色はとても綺麗で、初めて彼女にプレゼントを贈ったのもこの場所だったっけーーだが無情にも思い出に浸る余裕などないようで、受話器から響く不快な笑い声に眉をひそめた。



「待ってるよ、シズちゃん。早くしないと……みさきはどうなっちゃうだろうね?」



♂♀



こんなに全力で走ったことが未だかつてあっただろうか。疲れなんて感じられず、ただただ無心になって走った。町ですれ違う人たちが何事かと振り返る中、形振り構わず人と人との間を縫って駆け抜ける。多分、ノミ蟲を追いかけ回す時でさえこんなにも本気で走ったことはないだろう。ゼェハァと息切れを起こしているあたり、当然身体に負担はあるらしい。そういえば確かに心臓も痛い。足の速度を少しずつ下げ一旦立ち止まると、まさに今この瞬間死ぬんじゃないかってくらいドクドクと心臓が脈打ち始めた。次いで額からはまるで思い出したかのように大量の汗がドバッと噴き出る。顎にまで滴る汗を手の甲で拭い、腕まくりをする今の俺はどこからどう見てもとんだ季節外れ野郎でーー「暑い」と言える時期はまだ先の話である。

夜の学校というものは、幾つになっても薄気味悪いと感じるものだ。実のところ幽霊だとかそういった類いは得意ではない。怖いというか、得体の知れないものが突然、予期せぬ方向から現れた時の驚き様と言ったらそりゃあもう。どこか懐かしい匂いの漂う空間の中、必要以上に辺りをキョロキョロと見回しながら慎重に校内を進んでいると、突然鳴り響くメールの受信音に思わず身体を強張らせた。



「!!!!? ……チッ、メールかよ。驚かせんじゃあ……って、なんだよノミ蟲からか」



携帯の入ったポケットへと手を伸ばし、いや、どうせ今から会うのだからと思い留まる。とにかくいち早く、屋上へーー

その時、どこからかギジリとベッドの軋む音がした。聞き間違いではない。誰もいない夜の学校で誰が空耳などしようものか。これは間違いなく人のいる証拠。そして、この音は恐らく今立っている廊下の延長線上に位置する保険室から。



「……ッ、みさき!!」



走るなと書かれた注意書きを尻目に、全力で保険室へと駆け込む。まさか社会人にもなって『授業に遅れそうで慌てて教室へと駆け込む学生』の真似事ができようとは。しかしその先に待ち受けていたのはもう少し時間にゆとりを持てと説教を始める教師などではなく、教室という名の神聖な場所とはあまりに似つかわぬ光景だった。



「!!」

「……あれ?随分と早いね。場所を変えようと連絡したのはほんの数秒前だったはずなのに」

「……てめぇ……その手に持ってるの、なんだ?」

「あぁ、これ?見たまんまだよ。ここは保険室なんだし、別に違和感ないだろう?本来こんなものが置かれているのかはまた別として」



電気も付けず、窓から差し込む月の光だけを頼りに部屋の中を見渡す。3つあるうちの1番奥側にあるベッドの上には、気を失っているみさきの姿。その傍らに腰掛けた臨也が手にしていたものは1本の注射器だった。



「……それ、どうするつもりだ?」

「試そうと思って」

「誰に」

「……」



俺の質問に答えることなく、臨也はただただ笑った。



「おい、それ貸せ。みさきの隣で物騒なもん持ってんじゃねぇよ」

「あはは、別に拳銃って訳でもないんだからさぁ。こんなか細い針なんかより、シズちゃんの方がよっぽど危ないと思うけど?」

「いいから……貸せ」

「貸したところで返す気なんてないでしょう?そんなにピリピリしないでおくれよ。少なくとも、死にはしないさ。ただ……」



臨也はそこまで言うと横たわるみさきの身体を上半身だけ起こし、そっと抱き寄せながら言った。



「どんな変化が見られるのかはお楽しみだよ。俺にとっても……ね」

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