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「ただい……って、なんだよ。みさきのやつ、帰って来てねぇじゃんか」



玄関にあるはずのみさきの靴がーーない。もう数時間も前に帰らせたのだから、先に帰っていないというのは明らかにおかしいではないか。一旦荷物を下ろし、一応辺りをキョロキョロと見回してみたものの、やはり彼女のいる気配は何処にもなかった。テーブルの上の灰皿には、今朝ベランダで吸ったタバコの吸い殻が残されたまま。几帳面なみさきのことだ。きっと帰って来て早々に片付けているに違いない。その吸い殻が今朝の状態のまま未だに残っているということは、やはりみさきはまだこの部屋に帰って来ていないのだろう。



ーーつーか、これって結構ヤバいんじゃねぇ?



時刻はじきに次の日を指す。24時も過ぎれば帰りの足もなくなってしまう。とりあえずみさきの携帯に連絡を入れてみるものの、数回コールの末、無機質な留守番サービスの音声に切り替わってしまった。とっくにいるものだと思っていたのに、その姿が見当たらないのだから本当に不安で堪らない。

まずは落ち着かなければと椅子に腰掛ける。頬杖をつき、様々な思考を巡らせた。もしかしたら今頃危険な目に遭っているのではないか。迷子か、いやはや誘拐か。頭に浮かぶのはそんな物騒なことばかりで、そわそわとしたままでは当然気が休まる訳がない。いてもたってもいられず、かといってどうすればいいのかも分からず、苛立ちが積もり募った末に髪の毛をぐしゃぐしゃと?き回した。このままでは駄目だ。まずは状況を整理する必要がある。



ーー落ち着け。みさきのことだから単に迷っただけかもしれねぇし。

ーー……て、無理あるよなぁ。この辺の道何度行き来したと思ってんだ。

ーーチッ、今日は平和だったと思ったのによぉ……!



どうやら『平和な1日』として締め括るにはまだ気が早過ぎた。携帯を右手に握り締めて、行く当ても無く外へと飛び出した。

背後で玄関の扉が閉じると同時に、場違いな程に陽気なメロディが小さく鳴り響く。不通知からの電話はすぐに鳴り止むことなく、早く電話に出ろとばかりに催促してくるようだった。これ程までにしつこい着信はどこかの企業の営業担当か、或いはーー



『やぁ、シズちゃん。随分と出るのが遅かったけど、何かあったのかい?』

「白々しいんだよ。分かってるくせに」

『あっはは、やだなぁ。俺はエスパーなんて使えないよ?けど、なんなら当ててみせようか。君が今、どうしてそんなに動揺しているのかを』

「そんなことよりも俺が聞きてぇのは、てめぇが今、どこにいるのかだ。それ以外は喋るんじゃねぇ。こっちは声だって聞きたくねぇんだ」

『言う訳ないじゃん。殺されるようなものでしょ?まだ死にたくないし』

「殺されても文句言えねぇようなことやってるからだろ。……いや、大抵のことは目ぇ瞑ってやる。今までのことも全部水に流してやってもいい。けどなぁ……みさきに少しでも触れてみろ。まじでぶっ殺すからな」

『怖い怖い。まるで飼い主に従順な狂犬だね。化け物である君は俺の観察対象外だけど……飼い主の為に一体どれだけ”壊れてくれるのか”に興味はあるよ。ねぇ?飼い主さん』

「!! おい、そこにみさきはいるのか!?」

『あぁ、いるよ。意識はないけど』



悪びれもなくそう言う臨也に対し「このクズ野郎が」と吐き捨てる。携帯を握る右手に徐々に力が込もってゆくのが分かるが、このまま何も聞き出せずに握り潰してしまっては困るので、有り余る力を深いため息と共に口から外へと吐き出した。



『さて、俺は今からみさきを好きなようにできちゃう訳だ。あんなことも、こーんなことも……ね』

「回りくどいな。俺にどうしろってんだよ」

『じゃあ死んで』

「やってみろよ。できるもんならな」

『それができたら俺はとっくに実行してるさ。まぁ、少し落ち着きなよ。短絡的な君のことだから、どうせ何も後先考えず外に飛び出しているんだろう』



行動が見透かされていることに大して驚きもしないし、臨也のことなどどうだっていい。ヤツの居場所が知りたいのもただみさきがそこにいるからであって、臨也なんてノミ蟲野郎は俺の知らないところでの垂れ死ねばいいとさえ本気で思う。互いに口を開けば「殺す」やら「死ね」だの物騒な言葉ばかりが行き交う仲だ。当然である。



『実は俺もまだ……迷ってるんだ。これからみさきをどうしてやろうか。何の感情もない相手なら、このまま危ない連中に引き渡すこともできただろうにさ。そして俺は怒り狂う化け物の生態観察に勤しめた訳だ』

「……」

『けど、俺はみさきにそれをするつもりはない。ていうか、得体の知れない連中がみさきに触れることだって許せない。……ねぇ、聞いてよ。俺はこんなにもみさきが好きなのにさ、1度は本気で距離を置こうとして、忘れようとさえ思ったんだよ?この俺が』

「へぇ、そうかよ。で、そんなこと俺に言ってどういうつもりだ。同情されてぇんなら他を当たれ。そもそも、俺からしてみればてめぇは邪魔者でしかねぇんだからよ」

『まさか。化け物なんかに人間の気持ちが分かって堪るか』

「なら俺の気持ちも分からねぇだろうよ、人間様」

『……はは、ほんと……なんでこんなことシズちゃんなんかに話してんだろうなぁ……俺。馬鹿馬鹿しい』

「……」



本当は、分かる。痛いくらいに。だけど相手はあの臨也だ。分かりたくないし、考えたくもない。が、普段人を見下したような口しかきけない輩がこうも弱音を吐くというのはあまりに新鮮で、逆に薄気味悪くて、どう反応すればいいのか戸惑ってしまった。



『あぁ、そうだ。いいこと思い付いた。今から無防備なみさきを無理矢理犯してやろうか?なんなら、通話繋げたまま』

「!?」

『君も前にやってみせただろう?忘れたとは言わせないよ。あれは俺が電話を掛けるタイミングが悪かった訳だけど……うん、化け物にしては嫌がらせとして十分に上出来だった。おかげで俺は猛烈な殺意を感じたよ』



へぇ、お前でも感情を昂ぶらせることがあるのかと言い掛けた台詞をそのまま喉の奥へと押し込む。これ以上挑発してしまえば臨也は間違いなくそれを実行してみせるだろう。みさきの身を第一に考えれば、下手に相手を刺激してはならない。



『……てめぇ、どうしてそこまでみさきにこだわる?』

「さぁ、どうしてでしょう」

『俺が……みさきを好きだからか……?」

『……』

「なんだよ、それ。じゃあ、もし俺がみさき以外を好きになったってんなら、てめぇもその女を好きになんのか?」

『その時は有難くみさきを頂くとしよう』

「チッ……ほんと意味分かんねーな。そういやまだてめぇの口から聞いてなかったわ、色々。この際聞かせろよ。みさきの何が好きなんだ?」

『それさぁ、答える義務ある?むしろその質問、そのままそっくり返してやりたいよ』



このままでは埒が明かない。どうやら答える気もないようで、言葉の節々に若干の苛立ちも感じられた。正直、時間の無駄である。かといってこのままでは何も出来ない。この寒い夜空の下でただ突っ立っているだけなのも阿呆らしい。



「……もういい。俺にはてめぇの戯言に付き合ってられる暇もねぇんだよ」



じゃあな、あばよ。そう言って一方的に通話を切った。が、この行為を俺はほんの数秒後に後悔することとなる。携帯を耳から離し、通話終了のボタンを押す直前ーーほんの僅かであったが、確かにみさきの声を聞いた気がした。もしかしたら気のせいだったのかもしれないし、単なる聞き間違いや幻聴の可能性もある。それでも圧倒的に情報量の足りない俺からしてみれば、みさきがこの受話器の向こう側にいるのだと確信しただけで希望が持てた。

一瞬こちらからまた電話を掛け直そうかと思い立ったものの、そういえば臨也の連絡先など知る訳もないことを思い出しーーまたも絶望を味わう。そもそもあいつが1つの固定電話番号を持っているとは思えない。どうせ携帯もいくつか所持しているのだろうし、たった今使っていた番号だっていつ手放すか分からない。



「……あ」



そこでぽんと頭に浮かんだ人物に、俺は夜中であることも忘れ電話を掛ける。今更遠慮するような仲でもない。普通電話で了承を得てから向かうべきだろうが、俺は呼び出し音が鳴り響いている間にもその人物の自宅へと向かっていた。むしろこの時間帯の方が相手にとっても都合が良いかもしれない。なんせ、彼は闇医者なのだ。



♂♀



「うん、否定はしないよ?ていうか正真正銘僕は闇医者なんだけど、こんな時間に人んち来るなんてどうかしてるよ。もし仮にセルティとお楽しみ中だったらどうしたのさ。インターホン連打されたって僕は居留守を決め込んでセルティとーーぶほッ」



真横に吹っ飛ばされた新羅を横目に、俺は今し方新羅に拳を食らわせたセルティと向かい合う。



『大丈夫。お楽しみするようなことなんて全然、全く、断じてなかった』

「お、おぉ……つーか、それもそうだな。今日は真昼間から騒がしかったが、なんでもお前に懸賞金が掛かっただとかなんとか……俺は噂で耳にした程度なんだけどよ」

『あぁ……そうなんだ。まぁ、その件に関しては無事収拾がついたからいいものの、これから先何が起こるのかやらで私も頭が痛い』



そう言ってセルティはない頭を悩ませながら、すかさず『頭、ないけど』と付け加えた。



「静雄も静雄で随分と大変そうだね。どうせ大方みさきちゃん繋がりなんだろうけど、一体全体こんな時間に何の用さ?電話では『今から向かう』としか言わないし、もしかしてあまり大きな声では話せないような……ハッ!もしかしてちょっとエッチな相談!?男同士でしか話せないようなことかい!?ならばそれは仕方ない!!セルティには悪いけど、本当は一瞬たりとも離れたくないんだけど……!ほんの少し席を外してもらって夜通し語り尽くそうじゃないか!!」

『その調子では9割お前の惚気話で夜が明けそうだな』

「おい待て、誰もそんなこと言ってねぇだろうが」

「えっ、違うのかい?憧れてたのになぁ、修学旅行中に夜通し語り合うっていうシチュエーション」

「何言ってんだ。修学旅行に夜更かしとか、早く寝ろって怒られちまう」

「……ほんと、静雄って変なところ真面目だよね」

「あ?」



まぁ、そんなことはどうだっていい。と、1度話題を切り替える。このままでは新羅の無駄話で夜が明けてしまいそうだ。



「臨也の野郎の連絡先を教えてくれ」

『あいつの?そんなこと知ってどうするつもりだ?』

「それは……言えねぇ」

『お前が臨也のことを口にするってだけでも珍しいのに、どうしてわざわざ……、……!!まさか、あいつに脅されたりなんかしてないだろうな!?』

「心配すんなって、セルティ。ただ、今は……悪ぃ。言わねぇのは俺の意思だ。別にあいつに脅された訳じゃねぇよ」

「ふむ、どうやら訳ありだね。とりあえず今は何も聞かないでおこうよ、セルティ。何も静雄は怒りのあまり思考判断がどうかしてる風にも見えないし、むしろ冷静そのものじゃないか」

『……』

「おい、それじゃあまるで普段俺が冷静じゃないって言い方だな」

「単純で、少し短絡的な君のことだ。臨也の名前が出たってだけで怒り狂う姿は想像も容易い、だろう?」

「ぐっ……、い、今はそんなことどうだっていいんだよ!とっとと俺の質問に答えやがれ!」



思わずテーブルに拳を振り下ろすと、ガラス製の表面にピシリと大きな亀裂が走る。「やべ」と思った時にはもう既に遅く、目の前で新羅は動じることなく肩を竦めやれやれと首を振った。

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