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人を嫌うってなんだろう。ふと、そんなことを考えてみる。生涯忘れられないほどの深い憎しみを抱くようなーーそんな出来事を経験したことが今までにないから、想像にすら至らない。そもそも私は臨也とそれなりに長い付き合いがあって、既に彼に対する印象は出来上がってしまっている。その固定概念に近いものを覆してしまうほどまでに「憎い」と感じることなんて今更あり得るのだろうか。これが出会って間もない人間ならばまだしも、そう悪いイメージを持っていない相手をそう簡単に嫌いになんてなれるはずがない。少なくとも、私の考えの及ぶ範疇では。

きょとんとする私に対し、臨也はふふっと笑みを零す。この柔らかく穏やかな笑顔を見せる彼を嫌う要素など何処にも見当たらない。



「みさきってさ、俺のこと知っているようで意外と知らないのかもね。俺は自分のためなら何だってするような人間だよ」

「そんな身勝手な人間が他人にわざわざ危険を報せたりする?」

「だからそれは俺の計画に穴が開くと困るからであって……」

「その計画が何なのか私は知らないけどさ、理由はどうであれ私にとっては有り難いことだよ。結果的に無視しちゃったけど」

「楽観的だなぁ」

「まぁね。そのくらい楽観的でいないと息が詰まりそう。色々あって、私なりに思ったんだけど……難しく考え過ぎても意味ないなって。だったら多少都合良く考えたっていいじゃない?気持ち的にも」

「その考え方は嫌いじゃないよ。うん、確かに。いちいち気にしてばかりいたらそれこそ鬱になるね」

「だから私は悟ったのです」

「ははっ、神様でも信じ始めたのかい?みさきらしくもない」

「違うって。願って叶うくらいなら世界は今よりもっと平和だよ」

「世界中にいるどれだけの人間が本心で平和を望んでいるかは別としてね」

「……もう、またそういう難しいこと言う。話が逸れちゃったじゃない」



会話を交わせば笑い合い、時には冗談を言えるような関係を覆す”何か”。それはきっととんでもなく酷いこと。考えたくはないけれど、本気で憎まれたいのなら出来るであろうその”何か”を誰しもがふと思い浮かべるだろう。だけどそれはとても酷く恐ろしいことだから良心がそれを許さないし、第一そんな非道な行いをそう簡単に決行できるとは思えなかった。いや、正確にはそう思いたくないと言った方が正しいのかもしれない。彼がそれを平気でしてみせるその姿を想像するのが何よりーー怖い。



「みさきみたいな人間には直接手を下すより、もっと効果的な方法があるよね」



どくん、跳ね上がる心臓を掴まれたような感覚に一瞬呼吸が出来なくなる。



「自分のせいで大切な人が傷付くのって、辛いよねぇ」

「……何を言って……」

「殺せるよ。俺、みさきの大切な人」

「!!」

「ていうか、もともと殺したいくらい嫌いなんだもんアイツ。みさきのこと抜きにしたって、いつかは……ってね。だからみさきが負い目に感じることはないよ。これは俺が高校時代から決めていたことなのさ」

「ま……ッ、待ってよ!臨也はそうでも、相手はそう思ってないかもしれないよ!?確かにすぐ手は出るし物投げつけるし、口では殺す殺すなんて言ってるけど……!」

「ストップ。俺、まだ誰とは言っていないよ?まるで特定の誰かさんのことを言ってるね、その口振り」

「……分かってるくせに」



あぁ、なんて意地悪だ。私の大切な人で且つ臨也が目の敵にしている人間なんて1人しかいない。「決ぃめた」なんて言いながらにっこり笑う彼の表情も、今となっては柔らかくも穏やかとも感じられなかった。ただただ恐ろしく、不気味で、得体の知れない。このたった数分もの間にここまでがらりと印象を変えてしまった彼はやはり只者ではない。

無意識のうちに後退る私の背に、ひんやりとした冷たい壁の感触。その時ようやく追い詰められていたことに気付いた私は咄嗟に顔を背けてしまった。今感じているこの感情は間違いなく『恐怖』だ。すぐ目の前にまで迫ってきた笑顔もただの仮面にしか見えず、ぴくりとも微動だにしないその笑みが逆に恐ろしい。臨也の狂気染みた部分がこれほどまでに現れたことがかつてあっただろうか。



「いつか必ず、シズちゃんを殺してみせるよ」



その言葉は「愛してる」だなんて使い古された台詞より、確かに深く胸へと響いたーー



♂♀



好きな子を苛めてしまう人の心理。それは誰しもが潜在的に持っている本能的な行為である。その傾向は幼少期、更に詳しく言うと大体小学生の男児にありがちな行動。友達とは違う、少し特別な感情を抱いた女の子をついついからかったり悪口を言ったり。本人はただ女の子の気を引きたいだけなのだ。が、幼い子どもにそれが理解できるはずもなく、女の子からしてみたらそれは単なるいじめである。愛情表現が裏目に出てしまうなんて皮肉な話だが、それは子どもに限らず大人たちの間にも見られる光景ではないだろうか。例えそれが異性に対する恋愛感情でなかったとしても、相手を想うからこそ憎まれ口だって叩く。

俺の場合、その行為は単に気を引きたいからなんて理由ではない。相手の心の奥底に自分の存在を深く刻み込みたくて、それこそ相手の常識を大きく覆してしまうほどの大きな転機となりたかった。そうすればみさきは俺のことを忘れたくても忘れられない。一時の恋愛感情なんて長い人生において微々たるものでしかないのだから、そんなつまらないものになりたくはない。常々そう考えていた俺は、今この瞬間こそが深い爪痕を残すべき絶好の機会だと本能的に察知した。



「いつか必ず、シズちゃんを殺してみせるよ」



この時見せたみさきの表情は戸惑いとも単なる恐怖とも違う、言葉で形容し難いものだった。ただただ美しく、歪んだその表情が俺の心を大きく揺さぶる。普通「綺麗だよ」なんて台詞、今言うべきものではない。分かってはいるがそれでも言わせて欲しい。俺はみさきのその表情が堪らなく好きで好きで、その首を切り落としてガラスケースに保管してしまいたいほどに愛おしい。そこで俺は自分の部屋に並ぶ2つの生首ーー1つはデュラハンであるセルティのものーーを想像してしまい、思わず笑ってしまった。笑うような場面でないことは重々承知。己の感性の異常さを改めて再認識させられる。



「ッ、も……もう、帰るね……?」



この重苦しい空気に耐え切れなくなったのか、そう言って踵を返すみさきの腕を取る。ここまで腹を割って口に出してしまった以上タダで帰す訳にはいかない。知られてしまったからには自分にとって何かしらの成果を出しておきたかった。



「……なに?まだ何か……」

「大有りだよ。このまま何もせず帰す訳がないだろう?……宣戦布告っていうのかな。そうした以上、俺だってこれからは本気でみさきと向き合おうって決めた。遠慮も妥協もせず、真っ向から挑もうってね」

「い、今までだって遠慮も妥協もしてないでしょう!?」

「そんなことないよ?俺、ものすっごく我慢してたんだから。短期間のお付き合い中だって、出そうと思えばいくらでも手は出せただろう。それをしなかったのは俺なりにみさきを大切にしようと決めていたからであって……そういう訳だからさ。これからはもう少し自分の本能とやらに従ってみることにするよ」



そう言い終えるや否や俺は掴んだ手首をぐいっと背中に回すと、みさきの動きを完全に封じ込む。警察が犯人を現行犯逮捕するような、所謂羽織締めである。女性相手にこの方法は気が進まなかったが、暴れられたら厄介だし、第一みさきがこの暴露直後にそう簡単に気を許す訳がない。ならば強行手段しかないと即座に判断し、こうして今に至る。



「痛い痛い!臨也、ほんとに痛いってば……!」

「あはは、ごめんねぇ?みさきが大人しくしてくれるのなら離してあげてもいいけど、今の状況じゃあ無理だよねぇ」

「だからってこんな力技……わわっ!」



次いで彼女の膝間接を前触れなくカックンと屈折させ、その場に崩れ落ちた隙に前に立ち塞がるような位置へと移動した。これで袋のネズミとなったみさきはもう逃げられない。



「いっ、いきなり膝狙うとかやめてよね!もう、びっくりしたぁ……まだ心臓がバクバクいってる」

「それは不意打ちに驚いたことが原因かな?……少なからず、この状況が何を意味しているのかくらい、鈍感なみさきにも分かるよね」

「……」

「これで分かっただろう。俺がいかに本気であるかが、さ」



呼び出して、己の想いを告げるーーそんな普通の方法でみさきが首を縦に振るはずがない。ならばどんなに卑怯と思われてでも多少強引な手を打つべきだ。



ーーあぁ、もっともっと恐怖に歪んだ顔が見てみたいなぁ。

ーーどうすればもっと俺を怖がるのだろう恐れるのだろう。



「もっと歪んでみせて」



なんて台詞をつい口にしてしまい、それを聞いた彼女は当然嫌な顔をする。まるで言葉の通じない相手への不信感、不快感をそのまま露わにしたかのような表情を向けられても尚、前言撤回する気なんてさらさらなかった。これが己の本性なのだ。予め言っておくが、嫌われることに快感を見出せるようなマゾ体質ではない。



ーーさぁ、恐れて。俺を。



「いっ、臨也!」



まるで命乞いするかのような真っ青になったみさきの顔を見て、尚、可哀想だとは思わない。ただただ、愛おしい。狂おしいほど。

幾度となく口にし考えてきたが、これほどまでに実現させようと思ったことはない。それを今、確信した。来たるべき日が訪れた時、俺はあの男を手に掛けることに微塵も躊躇しないだろう。かといって毒薬で楽に殺す気もないがーー



「……どうして、そんなに楽しそうなの」



みさきの瞳に映し出された俺の顔は恍惚とした笑みを浮かべていた。それはもう楽しげな表情で。

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