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この時、街を賑わせていた要因は大きく分けて2つ。1つは外を出歩けば誰しもがその姿を見かけたであろう逃走中の黒バイクーー首無しライダーの件。そしてもう1つは主にネット世界を中心に大きな波紋を広げていた。【悲報】『羽島幽平と聖辺ルリ真夜中の密会』ーー俳優同士の恋愛ネタなんてものは芸能界にはよくある話で、嘘か真か分からぬまま情報だけが溢れ返っているが、これに関してはかなり信憑性があると人々は言う。情報サイトに大きく掲載された写真には高級車に乗る男女の姿がはっきりと写っており、激写されたにも関わらず何食わぬ顔でカメラへと視線を向ける無表情の男ーー羽島幽平ともなる有名人を見間違える者はそういない。そのお相手がこれまた超が付くほどの有名アイドル、聖辺ルリだというのだから報道陣が黙っちゃいない。
この一報は瞬く間にあらゆる情報網を駆使して人々の目や耳へと行き届き、多くのファンが嘆き悲しむ。ファンならずとも驚きの表情を浮かべる者も多く、それは彼らも例外ではない。
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「「結婚!!?」」
まず最初に視界へと飛び込んできた漢字二文字をそのまま口にすると、それはもう見事にトムさんの声と重なった。たまたま通り掛かったコンビニのガラス越しに見えた情報誌、その表紙に大きく掲載された写真に写っている人物は間違いなく弟である。家族の顔を見間違えるはずがない。
「ふぅん、すごいねぇ。羽島幽平、聖辺ルリちゃんと結婚しちゃうんだ」
美男美女でお似合いだねぇ、なんてのんきに話すみさきとは対照的に、トムさんは「今日1日で一体どれだけの涙が流されるんだろうなぁ」と若干ズレた視点で心配を始めた。
「職場にもいたべ、羽島幽平の熱烈なファン。明日会社休みますってか?」
「それを言うならこのアイドル……聖辺ルリ?ってのファンも結構いたでしょう。そんなんで休まれたら明日仕事になりませんよ」
「おぉ、確かに。かくなる俺も実はファンで……ま、オタクってほどではねぇわな。けどなぁ……国民的アイドルの熱愛発覚はいつの時代もショックだよなぁ……お前、弟から何も聞いてなかったのか?」
「初耳っすよ。そんな浮いたような話、今まで1度もありませんでしたから。近々会う約束はしてたんすけど」
「? 会うって、誰と?」
ここで口を挟んできたのはみさき。そうだ、俺はまだみさきに弟の名を明かしていない。
「言っただろ、弟に会わせるって」
「うん、分かるよ。けどそれは弟くんのことであって、羽島幽平とは関係ないよね?私、芸能関係に疎いけど、羽島幽平のことは知ってるよ。そりゃあ毎日テレビで見ない日はないし、主演ドラマの視聴率も好調で……そういえばハリウッド映画からもオファーが……確か前にテレビでお兄さんがいるとかいないとか……」
知り得る情報を片っ端から口に出していくうちに、みさきは次第に何かを察し始める。ハッとして片手で口を覆うその驚く様が実に分かりやすい。そこで俺は冗談混じりに「羽島幽平を10回言ってみろ」と言うと、みさきはそれを素直に受け取り、まるで呪文のようにその名を連呼し始めた。
「羽島幽平羽島幽平羽島幽平羽じゅ……あうっ、噛んだ。はね、じま……」
「そうそう、羽って違う読み方で」
「羽……えっと、わ?じま……ゆう……へい、わじま……へいわじま……あああ!!?」
俺が2つ目のヒントを提示する前に自力で答えを導き出したらしい。まるで世紀初の大発見をしたかのような驚きの表情を見せたものの、案外すんなりとその事実を受け入れ、両腕を組みながらうんうんと頷いた。
「へぇ〜……そうだったんだ。前から気にはなってたんだよねぇ。シズちゃんと初めて出会った頃から、なーんか誰かに似ているなって。きっと羽島幽平のことだったんだ」
「そんな風に思ってたのか。初耳だぞ」
「だって直接話したことないもん。シズちゃんこそ、どうしてずっと黙ってたの?弟くんが羽島幽平だって、まさか私が世間に言いふらすとでも思った?」
「別に、隠してた訳じゃねぇけど……」
出来過ぎた弟を持つと兄ってのも色々ある。幽は俺なんかと違い凄いヤツだ。何が凄いかって言い出したらキリがないし、まぁとにかく凄い。かといって今までその存在を疎ましいだとかコンプレックスに感じたことはなかったが、好きな女相手となると話は別。みさきの前では格好良くありたいという見栄っ張りな気持ちばかりが先行し、比較されてしまうような話題を無意識のうちに避けていた。もっとも、1番の理由は言うタイミングを逃し続けていたことなのだが。
探るような視線にふと気が付くと、背の低いみさきがまじまじと俺の顔を見上げていた。身長差故に上目遣いで見つめられることに異常なまでにドギマギしてしまい、視線のやり場に困った挙句ぽりぽりと頬を掻く。赤く染まった頬までは誤魔化せないが、せめてもの抵抗である。
「な、なんだよ……」
「ねぇ、サングラス取ってもいい?」
「い、今は駄目だ!!」
「? それじゃあいつならいいの」
「家ではいつも外してんだろ。よりによってどうしてこんな公衆の場で……」
「(なにもここで服を脱げって言ってる訳じゃあないんだけど)」
「とにかく駄目なものは駄目だ。眩しいだろ」
「なにそのドラキュラみたいな理由」
この何処までも真っ直ぐな目で直視されてしまったら、心の中まで見透かされてしまいそうで。みさきの視線から逃れられたと思った矢先、今度はトムさんからのニヤニヤとした視線を右から察知した。
「なんすかトムさん。その目は」
「いやぁ?いいねぇ青春だねぇ。先輩差し置いていちゃつくたぁ、静雄もやるようになったよなぁ」
「そっ……!んなつもりじゃあ……!」
「つーかさぁ、幽くんは大丈夫なん?こうも大きく取り上げられると、後々の活動に影響出るんじゃねぇの?皆が祝福してくれる訳ではないだろうし、人気が下がっちまう可能性だって否めねぇしなぁ」
「そうっすね……本人は人気に然程執着してねぇっすけど、仕事量に比例するんじゃねぇかなとは思います」
「私は喜ばしいことだと思うけどなぁ。確かに、あまりにも熱狂的なファンは快く思わないかも」
「あーそれな、嫉妬ってのは怖ぇよ。特に恋愛沙汰となると話は別だ。人気者となれば結婚なんてそう出来るもんじゃねぇだろ」
そんな国民的アイドル同士の恋愛報道に便乗してか、街の至るところでは聖辺ルリのデビュー作がBGMとして使われていたりとその反響は大きい。道行く人々もその曲を口ずさみ、幽の起用されている広告もやたら多く見受けられる。
「……まぁ、話題性としては大いに役立ってくれちゃあいるわな」
結局その日大した事件は起こらず、強いて言うならば幽の恋愛沙汰が発覚したことくらい。平和に越したことはないが、みさきの携帯に届いたあのメールの正体は未だ分からずにいる。もうこれ以上何もないだろうと判断した俺は一旦みさきと別れ、トムさんと共に所長の元へと向かう。その間上司から色々と茶化され対応には困ったものの、彼女の身の安全を守れたことを何より誇らしく思えた。
やっぱり俺は暴力が嫌いだ。平和な日常にそぐわない、必要ない。出来ることならこの力を振るうことなく穏便に事を済ませたいものだがーー「ん?なんだあの兄ちゃんたち。随分と荒れてんなぁ」トムさんがガラの悪い連中に気付いた時点で、もう既に嫌な予感はしていた。
「おい、お前ら。ちょーっと聞くけんどもよォ。この辺のシマでハバぁ聞かせてるチームってのは何てとこよ」
ーーあぁ、面倒臭ぇ面倒臭ぇ。
ーーシマとか何だよ。ここは島じゃねぇ池袋っつー街だろーが。
内心色々と思うことが多々あったものの、チンピラ共の質問に冷静に対処するトムさんの隣で解放される時を待つ。怒りのボルテージは上がる一方、同時に腹も減ってきた。
「お前らさ、埼玉の『To羅丸』なろ?あのよぉ、お前らの総長はよぉ、そういうの好きじゃないだろ?あそこの総長は女好きだけどよ、一本筋を通した奴だって聞いてるぜ?」
「っせぇ?総長は関係ないんじゃぁ!」
「あの黒バイク捕まえて金を手に入れりゃ、俺らがそれを上納金にして独立できる筈だったんだよ!」
「……お前ら、1000万円ただで手に入れて、それをわざわざヤクザに渡すの?マジか?」
ーー1000万円、か。そんな大金、あったら何に使うだろう。
ーーいっそ田舎の方に家買って、そのままみさきと隠居生活ってのも悪くねぇな。
ーーとりあえず今は腹が減った。何だっていいが腹が減った。
「……ってっめ!俺らをペンコロ風にディスろうってのか?ああ!?」
「ペンコロってなんだ?」
「トムさん、もうほっといて行きましょうよ。俺、腹減ったっす」
「あー、そうだなあ。所長も夕飯ぐらい奢ってくれりゃいいのによぉ……」
「ッメェら……俺らぁ無視してんじゃねぇぇえぇーッ!」
次の瞬間、鉄パイプを振り下ろされると同時に何かをスパッと切り裂く音が鳴り響く。痛みは感じず、ふいに目をやった先には僅かに切れたブラウスの裾。空腹だったことも相まって、俺の怒りが爆発する理由としてその出来事はあまりに十分過ぎた。
「俺の服を……」
「弟から貰った服を……ってっめぇらぁーーーーーーーーーーッ!」
こんなのはまぁ許容範囲。
総じて、池袋の街は今日も平和だった。