>16
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
散々弄られた挙句、喘ぎに喘がされ喉を痛めた私。ゼェハァ息を切らしている横でやり遂げたようなすっきり顔をしてみせる彼に対し若干怒りが湧き出たことは言うまでもない。間髪入れず3度も絶頂を迎えた身体の疼きは未だ癒えず、まるで風邪でも拗らせたかのように熱が一向に引くこともなかった。
顔を埋め、枕を抱き抱える腕に力を込める。制御する力も残されていない今、絶対に顔を見られる訳にはいかない。何が何でも死守しなければ。
「みさき?どうした。どこか痛むか?」
心配したシズちゃんが軽く肩を突いてくるが、動じない。ただふるふると顔を横に振ってみせただけ。そもそも彼はこの事態を自分のせいだとは思っていないのか。いつもならこの辺で小言の1つや2つ吐くところ、今はそれどころの話ではなかった。怠い、熱い、むず痒い。この三拍子が揃った今、泣けてしまうほどに私の身体は正直過ぎる。これも生理現象なのだと開き直ってしまえばそれまで。しかし人に対して疎い疎い言ってくる彼も同様に疎いので、きっと今の私の状況も把握できていないのだろう。
まず言わせて欲しい。私をこんな身体にしたのは正真正銘シズちゃんである。だから私がはしたないだとか淫乱だとかそういうんじゃなくて、原因は全て彼の意地の悪さからくる焦らしであり、つまり私は完全なる被害者であってーーつらつらと述べていくと弁解の言葉の果ては見えない。
ーーどうして身体がこんなに疼くの!!?
ーー足りない……ってこと?え、足りないって何!?
ーーいや、もう体力的には無理なんだけど、だって今日は指だけだったから……って、
「なにこれ!?」
「!?」
突然がばりと上半身を起こした私に、シズちゃんは心底驚いたように大きな身体をビクつかせた。どうやら本気でビビッたらしい。頑なに言葉を発しようとしなかった者が唐突になにこれと叫ぶのだから、それこそ「なにこれ」である。
「ど、どうした……?」
「どうした?じゃないでしょ!散々人の身体弄くり回して……こんな、中途半端に……!」
「なんだ、要するにまだ満足できてないってことか?それ」
単刀直入過ぎる台詞に一瞬うっと言葉を詰まらせるも、否定はできなかった。欲に塗れた本心がまだ足りないと叫んでいる。素直に認めてしまうのは恥ずかしいけれど、これはどうしようもない事実なのだ。その証拠に顔の筋肉は表情を偽れないほどに緩んでいる。
「……お前、今どんな顔してんのか分かってんのか?」
「全部シズちゃんのせいなんだからね」
「そうか。それは責任取らなきゃならねぇな」
シズちゃんはすぐに納得したように頷くと、寝そべっていた身体を再びむくりと起こした。その些細な動きだけでどきんと胸を高鳴らせているあたり、彼を求めている何よりの証拠だろう。あぁ、なんて破廉恥な。己の性欲に内心嘆きつつ、待ちきれんばかりに身体を更に疼かせるがーーふいに彼の口角が上がったのを目にし、すぐに嫌な予感が頭を過ぎった。どうやら何かとんでもないことを思い付いたらしい。私の予感は的中してしまった。
「なら、見ててやるから自分でやってみろよ」
頬杖をつき、にこにこ。裏も表もないような屈託のない笑顔(に見える)。言っていることと表情があまりにちぐはぐで「は?」思わず声が裏返ってしまった。
「それとも、そんなに俺に触って欲しいのか?」
「……もういい。寝る」
「じ、冗談だって!つか、その状態で寝れんのかよ」
「うん……なんか、もう萎えた」
「ちょっ、みさきが良くても俺がやばいっていうか……このままじゃ眠れねぇ!」
「元から味見だけの予定だったんでしょう。てことで、おやすみ」
「!!?」
女とはーー性欲を別のものに切り替えることのできる器用な生き物だ。反面、男は単純であるが故に面倒である。
♂♀
翌朝
私が起きるとシズちゃんは既に着替えを済ませ、ベランダで煙草を吸っていた。煙を嫌った私への配慮だろう。もぞもぞと布団から抜け、コンコンと硝子窓を叩くと、透明な隔たりの先にいる彼は慌てて煙草を擦り付け火を消した。こちらを振り向いたその表情はややげっそりとしている。
「おはよう。別に吸っててよかったのに」
「煙草の臭いが染み付いちまうと思ってな。お前、嫌がるだろ」
「……もしかして、それは要求不満のサイン?昨夜あんな感じだったし。それに、最近私のために煙草吸わないようにしてくれてたでしょう?隠れてコソコソ吸わせるのも、さすがに申し訳ないなって」
「あー……まぁ、煙草自体にそこまでの執着はねぇんだけどな。確かに、これで他の気を紛らわせてたってのは一里ある。……いや、かなり」
特に語尾を強調させて主張する彼の気持ちも分からなくはない。双方の意見がなかなか噛み合わないのが、やはりこういった性に関することだった。お互いにがっつくほどの強い性欲はないものの、彼に関してはスイッチが入った時の前と後とではかなりのギャップがある訳で。スイッチの入るタイミングが非常に分かり難い上、なかなかの曲者。それでもこちらの意見に耳を傾け、歩み寄ってくれていることも私は十分に理解していた。だからこそ申し訳ないと思うのもしばしばで、昨夜熟睡出来ずに眠れぬ夜を過ごしたのであろうことを思うと尚更である。目の下にうっすらとクマができているのがその証拠。
つくづく思う。考え方や価値観の相違は人と関わる上で最も厄介ではないか、と。食い違いながらも相手のことを思いやり、我慢したり自重したり、それは理性を持つ人間にしか出来ないことなのだろう。
ーーそういった面、シズちゃんはかなり人間めいてると思うんだけどなぁ。
ーーそれなのに街の人はどうして化け物扱いするんだろう。
隣に並び、身体を前方の柱に預けながら、じっと彼の顔を見上げる。人の考えはよく分からない。ただの噂や評判だけに踊らされる無知さ、流されやすさもまた人間だからこそなのだろうけれど、ならばそれよりも他人を殺めたり貶める輩の方がよほど化け物ではないか。そんなことを考えていると突然「なんて面してんだ」と額を軽く小突かれ、ハッと我に帰る。小突かれた後の額が思っていた以上にヒリヒリと痛み、これを『小突く』と表現していいものか後になって悩んだ。
「また余計なこと考えてんな。みさきは少し考え過ぎなんだよ」
「……シズちゃんが考えなさ過ぎなんだよ」
「そんなことねぇぞ。俺だって俺なりに色々考えてんだからな」
「例えばどんなこと?」
「どんなって……そりゃあ、その……あれだ。昼飯何食べよう、とか。昨日はロッテリア行ったから今日はマック……」
「……」
「なんだその目は」
「別に。平和でいいなぁって」
そんなことねぇぞ他にも色々あるんだぞと子どものようにムキになる彼を他所に、私は頭の中で複雑に絡み合う思考を解きほぐそうと試みた。だが考えればそれでいいと思えるほど単純な話ではなく、例え危険でも考えるより先に行動すべきなのだと自ら悟った。
「ねぇ、どうしてシズちゃんはあの夜、私に行くなって言ってくれたの」
「あ?……あぁ、あの時の。別に、ただみさきに行って欲しくないって思っただけだ」
「危険かもしれないって分かっていても?」
「甘いな。そんなんで俺が手離すとでも思ったか?今まで危険なことなんてたくさんあっただろうが。それに、何度も言うようだが……なにもみさきだけの責任じゃねぇ」
柵に身体を預け、太陽が徐々に昇ってゆく様を眺めながら、私たちは小一時間ほどをベランダで過ごした。今この瞬間にも世間ではまた別の物騒な事件が報道され、人々は「怖いわね」と他人事のように呟いて、それでも事件の当事者となり兼ねない事態は誰もが避けられない。例の如く私たちも例外ではなく、むしろその中心部に近いと言っても過言ではないのだがーーやはりシズちゃんは何も変わらなかった。まるで何でもないことのようにさらりと口にする。だけど何故か信じられる。
「まぁ、今回もどうにかなるだろ」
「……うん」
「つー訳で、昨夜の埋め合わせはどうしてくれようか」
「え、昨夜?何かあったっけ」
「自覚なしかよ……いや、忘れてんのか?なら無理矢理にでも思い出させてやろうか」
「? あー……うん、思い出した。けどさぁ、あれはシズちゃんが悪いんだよ?意地悪なこと言うから」
「たまにはいいだろ。飴と鞭ってやつだ」
「なんか使い方が違う気が……」
結局、朝食に彼の大好物のフレンチトーストを作ってあげることにより機嫌を直すことに成功した。単純でよかった、なんて内心思ったことは内緒である。
無意識のうちであるのか、潜在意識がそうさせているのか、私たちがテレビを点ける機会は減っていた。それは世間を賑わす殺人鬼の件のみならず政治や芸能ニュース、その他全ての事柄に関し疎遠となってしまうこととなっていた。それでも生活に支障が出ることはなかったし、元々テレビっ子でなかった私に問題はなかったのだがーー全てに疎くなってしまったが故、知人のひと騒動に気付くこともなくただ時間だけが過ぎた。
♂♀
半日後 池袋西口
「……なーんかやけに騒がしくねぇ?」
「? そうっすか?いつもこんなもんでしょう」
「まぁ、確かにブクロはいつだって騒がしいけどよぉ……いや、やっぱ気のせいなんかじゃねぇだろ」
バイクのエンジン音、白バイのサイレン、暴走族の耳障りな怒号ーー猛スピードで駆け抜けてゆくワゴン車は何処か見覚えがあったが、それ以上考えを巡らせることなく俺は公園のベンチへと腰掛けた。その右隣にはトムさん、そしてーー左隣にはみさきが。仕事中だというのにどうしてこんな真昼間から彼女を連れ歩いているのかというのにはきちんとした(?)訳がある。俺自身、数時間前までまさかこんなことになるなんて予想だにしていなかった。今日も重たい腰を持ち上げ、玄関でみさきの見送りを受け、上司と共にテレクラの取り立てへと向かう。そんな日常をここにいる誰もが想像していたことだろう。
日常をちょいとばかしひっくり返す事の発端は数時間前、ちょうど出勤時間へと遡る。
「なんだろう、これ」
突如彼女の元に届いた、送り主不明の謎のメール。覚えのないらしいみさきは首を傾げ携帯の画面を見つめていた。俺はワイシャツのボタンを閉めながら、ひょいと横からそれを覗き見る。
「……『気を付けろ』?なんだこれ、新種のチェーンメールか?」
「ええっ、こんなもの知らないよ」
仕事前の慌ただしい朝の時間帯に何故、誰がこんなものを。これに『口座に数百万支払え』だの『5人に回さなければ不幸になります』だの胡散臭い台詞が記されていたなら「やはり悪戯か」の一言で片付けられたものの、一切の無駄のないその一文はある意味どんな言い回しよりも信じられた。改めて考え直しても、ただの悪戯メールだったのではないか、騙されたのかもしれないと疑わずにはいられない。しかし物騒な事件ばかりがあり溢れたこの世の中、何が起こるかなんて分かったもんじゃない。特に神経質になっていたことも加え、みさきだけを残し仕事に向かうなんて俺には出来なかった。とはいえ、仕事に彼女を連れ回すなんて前代未聞。当然罷り通ることではないと思われたがーー
「やっぱしみさきちゃん1人にするのは危ねぇわな。連れて来て正解だべ」
「けど、まさか一緒に仕事することになるなんて……普通は駄目ですよね?」
「まぁ、いいんじゃね?俺は別に構わねぇし、社長からオーケー出たんだし。みさきちゃんはとりあえず俺らと回って、その報告書さえ書いてくれればいいから」
「了解です!ええと、回収先の項目にはチェックマーク……っと」
自宅に1人残すことを危険だと判断した俺がまず考えたのが、ひとまずみさきを会社の事務所に置いてもらうこと。自宅以外に俺の目の届く場所と言ったらそのくらいしか思い付かなかった。しかし、いざ連れて行き彼女だと紹介すると、同僚や事務職の女からの興味ありげな視線をみさきへと集中させることとなってしまい、俺がいなくなった途端に質問攻めとなることが目に見えていた為、こうして連れて歩くことになってしまった。こうして休憩している間にも周りからの好奇の視線を痛いほど感じている。ただでさえ目立つというのに、女を連れているとなると尚更話題のネタとしては格好の餌食なのだろう。
ーーそりゃあ、野郎2人にみさきみたいなのが付いて回ってたら、変に勘違いされてもおかしくねぇよな。
ーー俺からしたって、みさきとトムさんが一緒にいるのが不思議で堪らねぇよ。
報告書の書き方について教えるトムさんとそれを聞くみさきの姿を何も言わずじっと見つめていると、その視線に気付いたトムさんが苦笑いを浮かべた。
「おいおい静雄。分かっていると思うが、俺はみさきちゃんに仕事を教えているだけだからな?嫉妬するのもいいけどよぉ」
「!! ち、違いますって!そんなんじゃあ……!ただ、俺のよく知る2人が会話してるのって、なんか不思議なんすよ」
「私だって、敬語話すシズちゃんって新鮮」
「な、何変なこと言ってんだお前……話しづらくなるだろうが」
「はいはい、イチャイチャするのもいいが俺の身にもなってくれや」
「「し、してません!!」」
「おースゲぇ。見事にハモったな」
この際みさきちゃんもレギュラー入りするのもいいかもな、なんて口にしながらニヤニヤするトムさんだが、すぐに「冗談だけど」と釘を刺す。それはこの仕事がいかに危険であるかを熟知しているからだ。取り立てと言っても相手先は野蛮な者が多く、テレクラで料金で滞納するくらいだからロクでもない連中であることは察しがつくが、中には逆上し襲い掛かってくる輩も存在する。それを知っていたからこそ、トムさんはボディガードとして適任だと俺を誘った。職を失い、路頭に迷った矢先の出来事。あの時のことは感謝してもし尽くせない。
「ほんとすんません……俺のわがままで」
「いいってことよ。その代わりと言っちゃあ何だが……」
「?」
「ちょいとばかし聞きてぇなぁ。2人の馴れ初め、とかさ」
「!!?」
「そんで、どーよ?みさきちゃん。静雄のヤツは」
「えー、シズちゃんですか?それがもう酷いんですよ。昨夜なんて……」
「待て!頼むからストップ!!お前何女子高生みたいなノリで話そうとしてんだ!?」
「ん?トムさんならいいかなぁって。シズちゃんだって普段色々聞いてるんじゃないのー?そのあたりの事情、私も詳しく聞きたいなぁ……?」
ーーもう、仕事が危ないからだとか以前に絶対ぇみさきは連れて来ねぇ!!
これが想像以上の羞恥プレイであったことを知り、余程のことがない限りもう2度とみさきを仕事場へ連れて来るものかと心に強く誓った。今更ではあるが。