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翌朝


『昨夜、殺人鬼ハリウッドとみられる人物が新たに2人を殺害したとされ……』

『これで被害も相当な数に達し、警察は単独犯でない可能性も視野に入れた模様です』

『一部では過剰派組織の犯行であるとも考えられ……』



ぶつり、ここで映像は途絶えた。テレビ画面へと向けていた視線を戻すと、リモコンを突き付けたまま仏頂面をしたシズちゃんの姿が目に映る。「せっかくのメシが不味くなる」と言い捨て、再び箸を進め始めた。今朝のメニューは和食。炊き立ての白米と、目玉焼きに焼いたウインナー添え。彼は半熟に焼いた卵をご飯に載せると、ぐちゃぐちゃと豪快にかき混ぜて啜るようにしてそれを食べた。一方、私の目玉焼きは完熟である。好み云々の問題ではなく、単に焼き過ぎてしまった。その原因も今朝からしつこく騒がれているニュースに意識を持っていかれたせいだ。焦がさなかっただけマシだと思いたい。

シズちゃんは昨夜のことについて特に言及することはなかった。単に覚えていないのか、敢えて何も言わないでいるのかは分からない。強いて私からその話題に触れることはしたくなかったし、彼自身この件に関してあまり快く思っていなかったので、火種となり得る話題は予め避けた。願わくばこれ以上の被害なく事が済んで欲しい。こんな時一般的に出来ることと言えば苦しい時の神頼みか、警察の活躍に期待することくらいだろう。しかし後者に関しては正直なところ、期待出来そうにないということを連日の報道が物語っている。捜査は難航、至って手掛かりナシ。事件解決までの道のりは険しい。



「このまま迷宮入りになっちゃうのかなぁ」

「さぁな。切り裂き魔の件だって未解決のまま警察間ではなかったことにされてるらしいぜ。ま、どうせ犯人が人外ですっつっても警察は相手にしねぇだろうよ」

「ふうん(なんだかやけに実感が込もっているような……)」



どのチャンネルも話題は殺人鬼ハリウッド。付けられた名前からして日本人らしからぬ故、一見するとまるで遠い他国の出来事のように感じられた。昨夜感じ取った気配の正体だってあやふやで、そもそもハリウッドであったかどうかさえ分からないのだから。仮に本人であったとして、私の中の罪歌が拒絶したことから人外であることが予想つく。人間でないのだから心もない。事件の詳細を耳にする度、残虐な手口にも納得いく。どう考えたって人間の成せる業ではない、と。そんなことを悶々と考えている一方シズちゃんはというと「天気予報やってねぇのか」とひたすらチャンネルを変えていた。



「くそッ、どこもやってねぇじゃねぇか!この間みたいに突然雨とかすげー大変だったんだからな!」

「うーん、今外を見る限りだと降りそうもないね。私の折り畳み傘、貸してあげようか?」

「……その花柄のやつか?」

「いいじゃん。黒白だし」



彼は暫し折り畳み傘を片手に頭を捻っていたものの、やがて出勤時間が訪れると「ま、いいか。サンキューな」とすんなり花柄を受け入れた。折り畳み式の小さな傘が実質役に立つかは微妙だが、ないよりかは幾分マシだろう。またいつものように玄関先まで見送って、行き際にシズちゃんは一瞬振り返ると私の額に軽く口づけた。すぐにぱっと離れた彼の顔は真っ赤に染まっており、それじゃあとだけ言い残して行ってしまった照れ屋の背中に私は小さく微笑んだ。

部屋に戻り、付けっ放しのテレビには誕生日月別の今日の運勢。なんと1月は最下位らしい。「げっ」しかもこの占い、悪い結果であればあるほど妙に的中する。今のは見なかったことにしよう。そしてどうか、今日も1日平和でありますようにーー



♂♀



3時間後 池袋


今はまだ空のアタッシュケースを片手に仕事場へと駆り出される。今日のターゲットはこの大きなケースが目一杯になる程の料金を滞納している輩らしい。その大きさから、相当な金額であることが見て取れる。



「悪ぃな静雄、今朝何も食ってねぇんだわ。うっかり寝坊しちまってさぁ」

「なんなら、そこのコンビニ寄って行きます?」

「そうさせてもらうわ。ついでに何か買って来て欲しいものあるか?」

「ええと、それじゃあ缶コーヒーで……あ、微糖のやつでお願いします」



眠気覚ましにはコーヒーが効く、というのはよく聞く話。実際どうかは分からないが、例え迷信でもそう思い込めば脳も騙されてくれるだろう。みさきのいる手前堪えていた眠気がピークを迎え、瞼の重みが今になって辛く感じる。

昨夜は眠れなかった。それは寝心地が悪かっただとか暑苦しかっただとか、そんな理由ではない。不安だったのだ。暗闇の中、表情が見えずともみさきの様子がおかしいことくらいすぐに分かる。今にも出て行きそうな気配を感じ取り、俺は何度も「行くな」と言った。腰へと回した両腕に力を込め、願うように繰り返す。理由なんてどうでもいい。ただ、今それを許してしまったらもう帰って来ないのではないかと怖かった。もう離さない、離したくない。2度と同じ過ちを繰り返さない為に。「ありがとう」そう言ったみさきの声は震えていた。彼女が眠りに就いた後も、俺はずっと眠れずにいた。昨夜ほど朝の訪れを早いと感じたことはない。



ーー眠ぃ。まじで眠ぃ。

ーー今日は上がり次第早く帰るか。



ふあ、と大きな欠伸をし、頼りない目つきをサングラスで覆った。こんなに眠たそうな表情では柄の悪い客に舐められてしまう。そういった意味も含め、色付きレンズは重宝する。この隔たりの外を別世界と捉え、仕事に励む今日この頃。ここ最近仕事に対する意識が随分と変わってきた。初めは幽との約束を果たす為にただひたすらがむしゃらで、何より自身の生活の為に働いてきた。今はそれ以上にみさきという守りたい存在が大きな意味合いを占めている。必死に働き、クタクタに疲れ切って帰った先に待つ彼女の存在があるからこそ、どんなことも乗り越えられる気がした。



「……うしっ」



ピシリと頬を叩き、気合いを入れる。ビニール袋を片手に帰ってきたトムさんから缶コーヒーを受け取って、一気にぐいっと飲み干した。



「……?トムさん。これ、微糖っすよね?」

「あちゃー。もしかして俺、間違えたか?」

「あ、いえ、すんません。微糖で合ってるっぽいっす。ただ……なんか、いつもより甘く感じるような……」



ーーあぁ、そうか。

ーーみさきの淹れるコーヒーの甘さ加減に舌がもう慣れちまったんだ。



何気無いところで、自分が気付かないうちに彼女からの影響を少なからず受けている。こうして彼女色に染まるのも悪くない。そう思うと自然と口元が緩んでしまうのを手の甲で隠し、もう片方の手で空き缶をぐしゃりと握り潰した。



「さぁて、行くかー。今日の取り立て先は厄介だべ」

「だろうと思いました。今までこんなん持たされたことありませんでしたよね」

「それがもう何ヶ月も渋ってる奴なんだわ。社長もいい加減最終手段だって静雄を指名したらしい」

「まじっすか」

「そうだぞ静雄。お前、会社から頼られてるって訳だ!少しは自分に自信持てよ?」

「あ、ありがとうございます……!」



仕事も私生活も順風満帆ーーそんな生活が手に入るなんて、一瞬でも頭を過ぎった俺はまだまだ考えが甘かったのかもしれない。

その甘い考えが幸いし、単純なことにモチベーションが上がった俺は普段以上に仕事をこなした。繁華街ではネオンが輝き、すっかり夜の帳が下りた頃にはアタッシュケースの中は札束で埋め尽くされていた。ずっしりとした手のひらで感じるその重みが今は有難い。まるで自分の頑張りを肌身で感じられるようだ。街の中心部から少し離れた公園で、今日の成果をトムさんと讃え合う。夜食のコンビニ飯をベンチに広げ、すっかり朝の眠気は覚めていた。「お疲れさん」そう言って手渡された握り飯を頂戴し、清々しい気分で夜の空を見上げる。どんよりとした空の色であるにも関わらずそれでも風を心地良く感じるのは、きっと今の感情が大きく関係しているに違いない。



「俺、今が1番幸せかもしんねぇっす」

「ほぉ?それは羨ましい限りだ」

「けど、それが逆に怖いんすよね……俺なんかがいいのかなって」

「ったく、だから朝も言っただろ!?お前はもーちょい自信を持て!今日だって無事仕事をやり遂げた訳だし、破損物もボールペン1本で済んだんだ。安いもんだろ?」



本日犠牲となったボールペンとは契約書を書く際に使うもので、常に持ち備えているものの1つ。穏便に済ませようと握り拳を力いっぱい握り締めた結果、つい力み過ぎてへし折ってしまったのである。



「さて、ここで一服したら会社に戻って事後報告、だな」

「そうっすね。……っと、そういや俺、今日煙草持ち合わせてないっす」

「お前、ここ最近吸う頻度減ったよな。俺なんて年々増える一方でよ、税金は高いはで辞めたいとは思いつつ、なかなかうまくいかねぇのな。見習いてぇよ」

「俺もそう思ってました。ほんと、つい最近まで。けど、煙草を嫌がるやつが近くにいるんで、自然と減りましたね」

「へぇ。それってもしかして、みさきちゃんのことじゃあ……」



刹那ーー目の前で何かが繰り広げられた。まさに一瞬の出来事だった。

相対する2つの陰。突然武器と化するアタッシュケース。振り上げられたそれが次の瞬間鋭利的なもので真っ二つに裂かれ、中身が宙を舞うその様はまるでスローモーションのようだった。目の前で繰り広げられるその光景に開いた口が塞がらない。隣でベンチに座るトムさんも同様、目を奪われ、呆気に取られている。やや遅れて脳の下したまず第一の判断は『アタッシュケースが奪われた=コソドロから奪い返せ』とのこと。盗難だ。しかも持ち主の目の前で、こんなにも堂々と。汚いことに変わりはないがそのやり方は潔い。



「このっ……コソドロがぁぁぁぁああぁぁっっっ!」



俺はそう叫ぶと同時に手に持ったベンチをフルスイングし、運悪く直撃した何者かは勢い良く薙ぎ払われた。相手の顔を確認する隙もなく、その姿は遥か彼方へと消えていた。つい反射的に抜いてしまったベンチを何事もなかったかのように嵌め込み、土埃で汚れてしまった大切な服を手で払う。ベンチの脚元のひび割れが若干気にはなるものの、大したことはないだろう。見たところベンチ自体に大きな損傷はなし。



ーークソッ、今日の被害はボールペン1本で済んだと思ったのによぉ。

ーーま、これはノーカウントでいいよな。



「ああ畜生。こんな夜中に現生を素手で持ち歩けってのか、このコソドロどもが……」

「コソドロ……だったのか?」


コソドロ2人組の正体を彼はこの先知る由もない。結果として吉となったか凶となったか、池袋の怪物が介入したことにより対峙した異質のいずれかが命を落とすということはなかった。もっとも、双方が致命傷に違いない傷を負ったことは確かではあるが。

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