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あの日を境に、私は臨也の姿を目にしていない。ただ彼がいたのだという証拠や跡は確かに残されていて、その度に私は彼の存在を確かなものとして再確認することができた。

季節は巡り、ようやく寒さも薄れ始めてきた春。卒業生を尻目に、私は見慣れた来良学園の立派な桜の木を見上げた。ここに来るとかつて編入してきた学生時代を鮮明に思い起こせるようで、度々ふらりと立ち寄っては初心に戻るのだった。ただ、あの時の自分と今の自分は明らかに違う。良くも悪くも様々な経験を経て、池袋で過ごした日々は確かに私の中へと蓄積されていった。だからこそ忘れてはならない。初心が、積み重なる記憶に埋もれてしまわぬように。



「飽きないよなぁ、お前も」

「ごめんごめん。待った?」

「別に構わねぇけどよ。桜なんて、そこら辺に咲いてるだろ。まだ満開……っていう程でもねぇのに、なんでわざわざ来良学園なんかに来たんだ?」

「だって、ここの桜が特別綺麗に見えるから。文句言うくらいならついて来なけりゃいいのにさ」

「みさきを1人にできる訳がねぇだろーが。忘れたとは言わせねぇぞ、決まりごと」

「分かってますようだ。1人で出歩くな、でしょう?相変わらず心配性なんだからシズちゃんは」

「最近はただでさえ物騒なニュースが多いからな……もしかしたら今も犯人が近くに潜んでるかもしれねぇ」



そう言ってキョロキョロと辺りを見渡すシズちゃんの形相は凄まじい。まるで敵対心剥き出しの番犬のようなこの様子では、どんなに恐ろしい犯罪者でも一目見たら怯えて逃げてしまうだろう。確かにここ最近の殺人鬼ハリウッドの動きは盛んである。ついこの間も一夜にして3人の犠牲者を出し、いずれも無惨な変死を遂げている。一向に犯行の動機は見えてこない。実質、警察グループのお手上げ状態だ。



「でも、さすがにこんな真昼間から人を襲うことはないんじゃないかな」

「そんなんだからみさきは危なっかしいんだ。今日は休みだから付き合ってやれるが、普段は絶対ぇ外出るんじゃねぇぞ」

「はいはい」



ある意味犯罪者よりも物騒なボディガードを引き連れて、桜の蕾を背に歩き出す。 すれ違う学生の胸には赤い花、その手には長細いケースに入った卒業証書。新しい生活への期待や不安、様々な感情が入り混じったその表情は初々しく、そしてきらきらと輝かしいものだった。それを「眩しい」「若いな」と感じる私もそれなりの歳だということだろう。いつもは飾り気のない校門が今日はきらびやかに飾られていることを除き、なんてことない平和な日常の風景である。

街は一見穏やかなようで、その裏には大きな闇を抱えていた。



♂♀



『よぉ、みさき!最近どうよ?全然顔合わせてねぇけど、久々に会いたいなーなんて思ってさ!』



ある日、その電話は突然に。電話越しでも伝わる彼のテンションの高さに懐かしさを覚えつつ、自然と口元が綻んでいることに気付く。六条千景。彼は私の古き友人であり、親しみを込めて『ろっちー』と呼んでいる。



「ほんと、久しぶり!埼玉はどう?」

『別になんも変わんねぇよ?相変わらずの田舎っぷりでさ。ところでみさき、まだ先の話だけど、GWは空いてるか?』

「GW……うーん、どうだろう。今はまだ分からないなぁ」

『だよなぁ〜。実はその休み使って池袋観光でもって考えててさ、どうせならみさきに案内してもらいてぇじゃん?そんで、前以て言っておこうと思って!どうにかスケジュール調整してもらえねぇかな?』



勿論と即答したい気持ちは山々であったが、明日にも何が起こるか分からないこの状況で自信を持って言い切るには些か不安が残る。そこでGWよりも早い時期に1度会わないかと誘うと、彼はすぐに飛びついて「じゃあ明日!」なんて突拍子もないことを言い出した。



「明日!?って、平日……だよね?ろっちー、学校は休みなの?」

『お?おー……うん、まぁ。そう、休み!』

「え、なにその間。さすがに学校サボらせる訳にはいかないよ。やっぱり明日はやめ!今週の土曜日にしよう」

『んな……ッ!?だ、だってさー!俺は1秒でも早くみさきに会いてぇんだよー!そりゃあメールはたまにしてたけどさ、全然会ってねぇじゃんかー!!』

「ちょっ、ろっちー声大きい!そんな台詞電話越しにしてたら、周りから痛い目で見られるよ?」

『それならお構いなく。もう見られてる』

「……」



それでも駄々をこねる彼をなんとか説得し、私たちは今度の休日に落ち合おうと約束した。場所は川越。池袋から電車でおよそ30分の距離に位置する。となると必然的に3時間は池袋を離れなくてはならない訳で、それをどう理由付けようかと再び頭を悩ませることとなった。シズちゃんが「俺も行く」だなんて滅茶苦茶なことを言わなければいいのだがーー



「川越?あぁ、気ィ付けてな」

「う……うん……?」



拍子抜け。どうやら私の考え過ぎだったようで、シズちゃんはやけにあっさりと認めてくれた。



「帰りの時間には連絡しろよ。駅まで迎えに行ってやるから」



先日お土産に買って帰ったホテルのクッキーを頬張りながら、彼は「忘れるなよ」と念入りに釘を刺してきた。そして早くも3枚目のクッキーへと手を伸ばすと、ぱくりと口に含んだ。どうやらキャラメル味が気に入ったようで、キャラメル、ストロベリーに次いで再び同じ味を摘んでいる。私はココアが飲みたいという彼のリクエストに応じ、マグカップ2杯分の湯を沸かしていた。



「シズちゃんは何か予定あるの?その日」

「急に仕事が入らない限り、特に用は……あ、そういえば」

「?」

「来週、弟来るからよろしくな」

「!?ら、来週!!?」



ーー確かに近々とは聞いていたけれど、まさかの来週!?



思わず持っていたマグカップを落としそうになる。慌てて取っ手を持ち直し、その拍子に熱したやかんに触れてしまった。じゅう、と焼ける音よりワンテンポ遅れて熱さよりも痛みが脳に知れ渡る。「熱ッ!」反射的に手を振り上げるも、その痛みはじわりじわりと触れた箇所を中心に波紋のように広がっていった。小さな悲鳴ですら聞き付けキッチンへと飛んで来た彼は、まずはカチリと火を消し、すぐに火傷した方の手を取る。



「おま、何してんだよ!!」

「いっっ痛ぅ〜……ッ!つい、うっかりして……!」

「早く見せてみろ、火傷したとこ」

「た、多分、人差し指の付け根あたり……」



と、私が言い終わるか言い終わらないかのうちに、シズちゃんは躊躇無くその指をぱくりと口に含んだ。ギョッとして目を見張る私を他所に、彼は火傷した箇所に舌を這わせる。当然爛れた皮の内面はじくりと痛むが、それ以上にぬるりとした舌の感触が何だかくすぐったい。火傷した指を舐めるなんてまさに少女漫画的な王道の展開ーーなんて内心考える余裕があるあたり、火傷具合はそこまで酷くないらしい。それからシズちゃんは手際良く救急箱を取り出すと、小さく切った冷えピタを貼ってくれた。ここまでの一連の流れ、およそ60秒。



「また両手を包帯でぐるぐる巻きにされてぇのか」

「そ、それは嫌です……」

「お前、しっかりしてんのかしてねぇのか、ほんと分かんねぇよな」



その言葉に反論も出来ず、私はうう、と言葉を詰まらせた。利き手の人差し指が包帯によって念入りに固定され、両腕をぐるぐる巻きにされた時よりは遥かにマシであったが、どうにもやりずらい感は否めない。「だって」に続く言い訳を出せずにいると、今度は突然目の前に例のクッキーを突き付けられた。それを条件反射でぱくりと食べる。途端に口の中に広がる甘味に思わず口元が緩んでしまった。



「お、美味しい……!やっぱこのホテルのクッキー、最高……!」

「(ほんとに単純だな、こいつ)」

「? どうしてそんなにニヤニヤしてるの?」

「や、別に。餌付けみたいで面白ぇ」



若干冷めてしまったお湯でココアを淹れ、間も無くしてクッキーは全て2人で平らげてしまった。空になった缶は処分に困るが、何か使い道があるかもしれないということで一旦ゴミ行きは保留とする。なんてことない1日だった。火傷を負ってしまったことを除き、ただのんびりとクッキーを食べただけの1日。

ざわざわ、ざわざわ。これは胸騒ぎ。きっと気のせいだと目を瞑る。そうであって欲しい、今日はなんてことない1日だったと締め括った矢先の、真夜中の出来事。嫌だ、本当に嫌だ。どうして、こんなにも嫌なのに。寝苦しさに耐え切れず寝返りを打てば、すぐ隣で眠るシズちゃんの寝顔。なんて無防備でのんきな寝顔だろう。もし今この瞬間、何者かが襲いに来たとして、きっと無傷ではいられない。命に別状はないにせよ、この鋼のような肉体にも傷は付く。ふいに以前自分が付けた引っ掻き痕が気になって、朧げに残る記憶を頼りに彼の肩へと目を向けた。しかし、はだけたシャツの隙間から覗くことは出来ず、いくら寝相が悪いとはいえ、さすがに肩まで剥き出しにはならないかと笑う。まるで夜這いのようで気が引けるが、意地になった私は潔くシャツの裾を勢い良く引っ張るーーが、傷跡を見ることは叶わず、代わりにシズちゃんの瞳がうっすらと開いた。だがしかし、彼は寝起きに弱い。ドキドキしながら、何事もなかったかのようにまた再び眠りに落ちるのを待つ。



「行くな」



沈黙の末、彼はやけにはっきりとした口調でそう言った。たった一言だけ。まるで私がこれからしようとしていたことを見破ったかのように。どきり、心臓が大きく跳ねる。身体はなんて正直だろう。



「何も言わなくていいから、行くな」



ーー本当に……いいの?

ーー私はここにいていいの?



池袋最強と呼ばれる彼は、その人並み外れた強さ故に様々なトラブルを呼び寄せる。本人は自身のそれを心底嫌っていた。それなのに私といることで、関わる必要のないトラブルにまで巻き込まれてしまうことになる。平和な日常を願うのなら尚更、私といてはならない。今感じているこの気配が異質であることは明らか。人、ではない。あちら側が私を認識しているのかは定かでないが、それはゆっくりと、しかし確実にこちらへと向かって近付いて来る。

精神科を専門とした何処かの医者が言っていた。何故、組織のチーム制は効率が良いのか。それは個々が自分が失敗すること以上に、他人へ迷惑を掛けてしまうことを1番に恐れているから。自分のヘマがチームの足を引っ張ってしまうーーこの意識が人の潜在に根付いており、だから人は自身の失敗を全力で阻止しようとする。これが上手くいくとその組織は結果として良い成績を残し、企業の利益へと貢献するのだ。つまり何が言いたいのかというと『人の重荷となることは精神的に辛い』ということ。仮に自分の不注意で誰かが命を落としたとして、誰だって罪の意識を背負い続けることになるだろう。私はそれが何よりも怖いのだ。



「行くな。大丈夫だから」



ありがとう、涙声でそう返した。気付いたら涙が堪えきれず溢れ出ていた。どうしようもなく不安な時、根拠のない「大丈夫」の言葉1つがこんなにも心強いなんて。

気配はいつの間にか消えていた。音もなく通り過ぎていった。人ならざる気配が向かった先で殺人が起きたと私が知るのは、それから数時間後の朝のニュース番組。清々しい朝には相応しくない、非情で惨い殺人事件だった。

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