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みさきの居場所は大体把握できる。詳しいことまでは分からないが、気配と匂いで感知する。突然通話を切られた時にはそりゃあ多少イラつきもしたが、不満はみさきを見つけてから思う存分吐かせてもらおう。



ーー多分、この辺りから匂うんだよなぁ。



赤信号で止まって青を待ち、その交差点を渡ってから突き当たりを左に。左手に見えてきた小さな喫茶店の裏通りをひょいと覗くと、案の定、探し求めていた彼女の姿がそこにあった。こちらに背を向けていた為表情は伺えず、それでも彼女がみさきだという確信は後ろ姿だけでも持てた。咄嗟に声を掛けようとするも、すぐにぴたりと停止する。口をあんぐりと開けたまま頭の中で様々な思考を巡らせ、暫しこのまま様子を見てみようという結論へと至った。というのも、みさきが自分に気付くまでの過程を内緒で見てみたかったのである。そんな悪戯のような小さな出来心をきっかけに、みさきのモニタリングは始まった。

が、思っていた以上に変化は一向に見られない。みさきは俺に気付くどころか動きさえしない状態で、その場に立ち尽くしたまま5分が経過する。それでも一向に動く気配は見られず、このまま10分20分と無駄な時間が流れることを恐れた俺は、ついに彼女の前へと姿を現すことを決心した。足元の砂利が音を立て、それに反応したみさきがこちらを振り向いたのはほぼ同時。赤く腫れた目元に、濡れた瞳。どうやら今の今まで泣いていたようだが、今は驚きが先行し、その拍子に涙なんてものは引っ込んでしまった様子。どうしてここにいるのか。そう言いたげな表情を汲み取り、俺はみさきよりも先に口を開いた。



「見つけた」

「ど……どうしてここが……」

「言っとくけど、みさきを見付けて5分くらい待ったんだからな。それなのにお前はちっとも気付きやしねぇ」

「そりゃあ、まさか見付けられるだなんて思ってもみなかったから……今だってびっくりしてて、上手く言葉に出来ない」

「それは、そのー……まぁ、あれだ。勘。あとは、匂い」

「(……犬……)」



ズカズカとみさきのすぐ側まで歩み寄り、近くの壁を背に全体重を預ける。コンクリート製の壁はひんやりとしていて、その固さ故に状態は良好ではない。おまけに薄暗い路地はいかにも不良が溜まり場として好みそうな場所で、ずっとここにいるのは如何なものかと頭を捻った。不良にも大きく分けてタイプは2つ。俺の顔を見て逃げるか否か。後者の方は非常に厄介だ。みさきの目の前で喧嘩なんて吹っ掛けられたら堪らない。



「とりあえず行こうぜ。ここじゃあ、なんだし」



そう言ってみさきの肩を抱えると、彼女の反応は意外にも小さかった。何も言わずただその身を委ねている。俺としては頼られているようで気持ち的には悪くない。

街はすっかり夜の姿へと変化を遂げていた。昼と夜の境目は曖昧で、ついうっかり夜の世界へと足を踏み入れてしまってはその違いに初めは皆驚くだろう。特に水商売の勧誘ほど面倒なものはない。1度それを経験して以来、俺は極力夜の街を1人で出歩かないと決めている。



「ところでシズちゃん。それ、何?」



みさきがそれと言って指差した先は、俺の頭に被さった帽子。バーテン服に不似合いだということは、ファッションに疎い俺でも十分理解している。



「変装、のつもりだけど」

「随分と雑な変装だね」

「仕方ねぇだろ。こんなのしか持ち合わせてなかったんだよ」

「でも、どうして変装する必要があるの?」

「そりゃあ、金髪が見られないように」

「金髪、ねぇ。そういえば根元あたりとか染まりきってなかったよね。染め直さないの?」

「……あぁ、そうだな……」



そのうち、と答えようとした。つい数秒前までは。しかし、今だに髪を染め続けるその意味を俺は見出せずにいる。何故なら髪を染めるのは見る者に危険だと知らしめる為であって、他人との接触を拒む俺自身がいたから。金色は警戒色。周りが平和ならそれはもう必要ない。サングラスと蝶ネクタイを外し、バーテン服を脱いで、そこに残るのは何も纏わぬまっさらな自分。何の特徴もない普通の『人』。きっとそのまま池袋の背景に溶け込んでしまうのだろう。



「……もうこれ、染めなくてもいっかなあ……って、思ってるんだよなあ」



半分冗談、半分本気。反応が見たくて言ってみたはものの、いざ目前とすると見るのが怖かった。怖がる必要なんてないのだけれど、肝心のみさきはというと特に変わった様子もない。



「ふぅん、どうして?」

「だって必要ねぇし」

「てことは、金髪に染める必要が今まではあったということ?」

「まぁ、そーいうことになるな。みさきにはまだ話してなかったっけか」

「うん。初耳」



というか、みさきに限らずこの話はあまり口にしたことがない。何もかも話した気になっていたから、彼女が俺のことを全て把握していると当たり前のように感じていた。実際、そんなことはない。まだまだ話さなくてはならないことが山積みのようにあるのだと改めて感じ、俺はまた1つ封をした箱の蓋へと手を掛けた。1度決心してしまえば、色々と曝け出すことへの抵抗感は随分と薄れていた。



「金髪ってさ、見るからに目立つだろ?近付いたら危険だって知らせる為の手段なんだよ、これ」

「それはつまり、あれかな?すっごい気色悪い色した虫とかいるけど、あれって捕食者である鳥なんかに不味いですよアピールしているらしいね。それと似た感じ?」

「なんだその例えは」



虫と一緒にされるとは心外だ。合っているといえば合っている、のだが。



「ちなみにトムさんからの助言だ」

「ほんとにシズちゃんはトムさんリスペクトしてるよねぇ。じゃあ、もし私が髪を赤色に染めることを提案したらどうする?」

「あ……赤、か……それはかなり目立つだろ……」

「あはは、嘘うそ!赤色はないよねぇ。V系ミュージシャンでもないし」

「……まぁ、みさきが似合うって言うなら、それもアリ……かもな」



そう言ってチラリと視線を送ると、みさきは案の定顔を赤く染めた。その反応が一々可愛らしい。個人的に赤と言われた方が、緑だとか青と言われるよりかは幾分かマシである。

確かに、ここ最近染め直していないせいで髪色はまさにプリン状態。根元は茶色で、あとは金色。右手でわしゃわしゃと頭を掻くと、そういえば髪の量も多くなったよなと手のひらでその髪の質量を感じた。生まれつき癖っ毛ではあるが、ぐんぐんと成長した毛の長さと量で更に拍車が掛かったようだ。視界にチラつく前髪の毛先を指で摘みくいっと伸ばしてみると、その長さは目を覆うほどまでに達していたことに気が付いた。なるほど、どうりで髪の触り心地が鳥の巣のようにもふもふとしていた訳だ。



「けど、今更違う色に染め直すにも、まだ今までの染髪剤残ってるから勿体ねぇし。地毛に戻すってのも染め直すことに変わりねぇから、どのみち面倒なんだよなぁ」

「へぇ、今まで自分で染めてたんだ」

「床屋だと高ぇんだよ。自分でやった方が安く済む。つっても、初めて染めた時はプロにやってもらったけど」

「なんなら私がやってあげようか?今までの染髪剤、まだ残ってるんでしょう?」

「! お、おぅ……サンキュ、」



どうやら俺はまだ金髪を貫き通すことになるらしい。少なくとも、今残っている染髪剤が底を尽きるまでは。やはり散々化け物扱いされた手前、そう簡単に受け入れてはくれない。

池袋の背景となるにはまだ少し時間が掛かるようだ。



♂♀



30分後 露四亜寿司


「でもさ。私、シズちゃんの髪結構好きだよ」



ポロリ、赤面した彼の手からお寿司が溢れ落ちる。お寿司なんて高価な食べ物を無駄にする訳にはいかない。私は反射的にそれを小皿でキャッチし、見事床への落下を阻止した。それを偶然見ていた白人の板前さんに「嬢ちゃん、いい筋してるじゃねぇか」と褒められ、若干照れる。



「ヘイ、お2人サン熱イーネ。生ダコ、ボイルサレチャウーヨ」

「ぶっ!?てことはこのタコ、ひょっとして生……!?」

「オー、そのタコ、今日獲レタテネ。生デモ食ベレルーヨ」

「た、確かに、妙にウニョウニョしてると思ったら……!まぁ、美味しいからいいけど」

「いいのかよ」

「コレ、ジャパニーズカルチャー。タコの踊り食いネ。静雄モ食べるヨ」

「とか言って、後でぼったくる気だろ……サイモン」



ニコニコと悪気のない満面の笑みでタコのお寿司を押し付けてくるサイモンと、それを引き攣った笑みで拒む2人の図は何処からどう見てもシュールである。間に挟まれた(お寿司の載った)小皿が双方からの力に耐え切れず、心なしかヒビが入りそうだ。



「おいおい、やめろ2人共。今日は嬢ちゃんに免じてサービスしてやっから」

「ッ!い、いや、それも何だか悪ぃ気がするんだが……」

「へっ、礼なら彼女に言いな。お前さん、以前より随分丸くなったじゃねぇか。これで店周りのもん破壊されちまう心配もせずに済むって話だ」

「平和、1番ネ」

「ぐ……っ、ま、まぁ、確かに店先のポストぶっ壊したことは謝るけどよぉ……」



露四亜寿司店前にあるひしゃげた郵便ポスト、犯人はシズちゃんらしい。(というか彼以外にそんなことができる者はそれこそサイモンくらいではないか。)かろうじて穴もなく郵便ポストとしての本来の目的を果たすには差し支えない為、特に手が加えられることもなく未だ若干ひしゃげたままである。当時のひしゃげ具合はもっと酷かったらしいが、サイモンが力づくで捩じ戻したのだという説得力のある有力説を風の噂で耳にした。彼なら間違いなくやってみせるだろう。シズちゃん以上に逞しく太い腕を改めて目前にし、私は1人納得する。



「話が途中逸れたが……その、なんだ。あんま人前で好きとか言うな。恥ずかしいだろうが」

「シズちゃんって照れ屋?」

「うっせぇ。そういう意味じゃねぇよ」



そう言うとシズちゃんは辺りをキョロキョロと見渡し、誰にも聞こえないくらいの小さな声でボソリと呟く。



「押し倒したくなるだろ」



ーー……こういう場合、私は何と返したらいいのだろう。



「私、別に金髪が特別好きな訳じゃないよ?正直、高校時代の同級生だったら怖い子だって勘違いするかも」



それを聞いて、心なしか落ち込んだ素振りを見せるシズちゃん。私は慌てて言葉を続ける。



「でも、それは第一印象であって、その後どうなるかは分からないじゃない?初めの思い込みだけで人を判断しないよ!少なくとも、私はね」

「……確かに、雨の中血塗れの男を家に連れ込むのなんざ、お前くらいかもな」

「あ、あれは……咄嗟の判断で、とにかく助けなくちゃって思って……」

「まぁ、おかげで俺はみさきと出会えた訳だけど」

「……なんかさ、そう考えると人との巡り合わせって不思議だよね。シズちゃんを見つけたのだって偶然で、もしあの時私が違う道を通っていなかったら……それ以前に、私が池袋にいなかったら出会えていなかった訳でしょう?」

「あぁ……そうだな」



ひょいと寿司を摘み、ぱくりと食す。その繰り返しで10皿ほど軽く平らげたシズちゃんは、暫し動きを止めたままじっと何かを見つめていた。その視線の先にあるものは空になった皿の山だったのだけれど、きっと食べ終えてしまった寿司が名残惜しいなどという理由ではなくて、きっと目に見えない何かを見据えているのだと思う。ただ何を考えているかなんて人の心中を覗ける術を私は持ち合わせておらず、無理に聞き出そうともせずに5皿目の注文をした。



「サーモン、おかわり!」

「はいよ。ちょいと待ってな」

「みさき、イイ食べっぷりネ。もっと食ベルーヨ」



と口では私のことを言いつつ、サイモンは次々とシズちゃんの目の前に新たな寿司を差し出してゆく。考え事をしているのか上の空なシズちゃんがそれを黙々と食べてゆきーー最終的にどうなったかというと結果は言わずもがな。無意識のうちに何十皿も胃袋へと納めた彼がようやく満腹感を感じ始めた頃にはもう時既に遅しであった。後に残ったものは大量の空き皿、そして凄まじい額の領収書。「もはや何食ったのかさえ覚えてねぇ」と絶望するシズちゃんの肩をぽんと叩き、サイモンは「毎度アリ〜」と始終笑顔であった。幸いなことに板前さん(後に名前をデニスさんだと教わった)の言うサービスのおかげで、会計はその合計額の10%引き程度に済んだ。

食後に出された抹茶をずずずと啜りながら、ふと壁一面に張り出されたメニュー表へと視線を向ける。そこに書かれた『マトリョシカ巻き』という文字に、私はかつて臨也とここを訪れた日のことを思い出していた。きっとあの時のような日はもうやって来ない。当たり前だった日常が徐々に変わりつつあることを感じ、まるで何かに侵食されてゆくようで背筋がぞっとした。寒くもないのに身体を震わせる私を案じたデニスさんが、空になった湯呑みに再び抹茶を注いでくれる。熱過ぎず温くもない湯加減は飲みやすく、ひやりと冷たくなった胃を温めてくれるようだった。



「ねぇ、サイモン。マトリョシカ巻きって、何?」

「オー、ソレ、この店の看板メニューヨ。ココでしか食ベレナイ、レアネ。まるでマトリョシカの如ク、ビックリするコト間違いナシヨ。最後に食ベテミル?」
「ん、今はお腹いっぱいだからまた今度ね」



また今度ーーそれはいつ、誰と訪れることを指しているのだろう。願わくばどうかその時間には何も思い悩まず、ただ純粋に寿司を楽しめるひと時でありますように。そして次こそは、味も覚えていないマトリョシカ巻きを口いっぱいに頬張って堪能しよう。

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