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まず「別れ」という言葉に頭の中が真っ白になる。現状が上手く飲み込めず、無意識のうちに脳が考えることを放棄しようとする。そんな都合の良い頭を抱え、くらりと眩暈がし今にも倒れそうなのをなんとか持ち堪えた。言いたいことは山ほどあるのに言葉にならず、ようやく絞り出した声は笑えるほどに小さい。



「……冗談、だよね?笑えないけど」

「本当は今朝言おうと思ってたんだ。いざみさきの顔を見たら言い出せなくてね。けど、やっぱり最後に言っておきたくて」

「だ、だって……別れって、何?どこかへ行っちゃうってこと?」

「まぁ、そんなとこ。暫くは裏役に徹しようと思う。近々姿を眩ませるって話は、もうしたよね?直接的にはもう関わらない」

「でも、2度と会えなくはないよね?外国に行くのとは訳が違う……」



言葉の途中であったにも関わらず、私は口を動かすことをぴたりとやめる。臨也はただ否定も肯定もせず私の顔をじっと見ている。何も言えなかった。これが何を意味しているのかはもう分かりきっている。それでも認めたくない自分が頑なに目の前の現実を受け入れようとしない。まるでもう2度と会えないような気がして、一瞬でも目を離したその隙にふらりとその姿を消してしまうのではないかと思った。



「や、やだっ、そんなこと急に言われても……無理。困る」

「はは、嬉しいなぁ。俺のために悲しんでくれるの?」

「ふざけないでよ!私はこんなにも真剣なのに」

「俺だって本気だよ」

「……ッ」



本気とは言うが、彼はいつもと変わらない。怖いくらいに何も変わらない。にっこりとした満面の笑みも、声音も、飄々としたその態度も。どうしてそんなにも平然とした表情でいられるのだろう。所詮、私も彼にとって取るに足らない存在なのか。

緊迫とした雰囲気の中、無言で向き合う2人の男女。きっと他者からは破局寸前の恋人同士として捉えられていることだろう。いくら人通りが疎らとはいえ、時折すれ違う通行人たちがチラチラと視線を送ってくる。身体に容赦無くチクチクと突き刺さるようで痛い。その視線を避けるように、臨也に背を押され促されるがままに路地へと身を潜めるように移動した。



「いつから決めてたの?その、姿を眩ませることとか」

「もう随分と昔。みさきと出会う以前の話さ。とうとう最後まで話すことはなかったけれど、俺には成し遂げたい目的がある」

「それを無理に聞き出そうとはしないよ。どうせ話してくれないんだろうし……でも、その目的を果たす為に別れは必要?もしかして1人で抱え込もうとしているんじゃあ」

「それは美しき誤解さ。俺が自分を犠牲に他人を助ける?馬鹿馬鹿しい。何のメリットもない、無駄骨じゃないか」

「臨也ってさぁ……意地っ張りだよね。そういうとこ、私にそっくり」

「そうかな。俺とみさきは違う。君がシズちゃんを好きである時点で、少なくとも好みは全くの真逆さ」

「もう、またすぐそういうこと言って……」



シズちゃんへの敵対心は相変わらず。刺々しい物言いに思わず苦笑いを浮かべる。



「でも、意外だよね。まさかみさきが俺との別れをそんなに惜しんでくれるなんて、さ。ねぇ、寂しい?悲しい?それともせいせいする?」

「……寂しいし、悲しいよ。そりゃあ、臨也とは長い付き合いだもん。なのに、今更お別れだなんて……」



新宿に行けばいつだって会えると思ってた。それが当たり前だと思ってた。だけど、これからは違う。当たり前が当たり前でなくなってしまう。それはとてつもなく大きな変化で、心をも大きくグラつかせた。



「じゃあ選んで。俺かシズちゃん。今、もう1度同じ問いを投げ掛けるよ」

「!?」

「俺を選んでくれたなら……絶対に君を守ると約束する。一緒に蚊帳の外へ逃げよう」

「蚊帳の外?それって、何処?」

「きっと誰の想像もつかない、誰も知らない場所さ。だからこそ安全だと思わないかい」

「でも、肝心なことは何も教えてくれないんですよね」

「そりゃあ、みさきが首を突っ込みたがるだろうからね。それじゃあ意味がない」



守られるだけの受身の存在ーーどんなに楽なことだろう。危険な目に遭うことも、眠れぬ夜を過ごすこともない。だけど、それは私じゃない。自我を持たぬ人形と同じ。



「自分だけ安全な場所に逃げるなんて、そんなこと……やっぱり出来ない」

「……分かってたよ。みさきがそう言うことくらい。けど、今日だけで2度も断られるのはちょっとキツイなぁ」

「ごめん、なさい……ありがとう、臨也。でも、もう2度と会えないなんて私は認めたくないよ」

「はは、どこから来るのさ。その自信は」



強くなったね、と最後に付け足して。それからずいっと顔を近付けてきたかと思うと、?に触れるか触れないかのキスをした。唇はすぐに離れたものの、未だ残るその柔らかな感触にカァッとその部分へと熱が集中する。幸い、周りに人影はない。それでも条件反射的にきょろきょろと辺りを見渡してしまう私を指差し、臨也はケラケラと笑った。



「君、やっぱ最高!そう簡単に手離してやれないなあ」

「!? ……???」

「あーあ、これを機に諦め切れると思ったんだけど……ま、いっか」



オレンジ色の夕暮れ空は瞬く間に黒へと塗り潰され、大半は漆黒の闇に飲み込まれてしまっている。めまぐるしく移り変わるその空の如く、彼もまたそれなりに気分屋だった。真剣な顔付きだったかと思えば、悪戯っぽく無邪気に笑う。



「本当は無理矢理にでも君を連れて行くことを考えたよ。例えそれが犯罪紛いであろうと、やろうと思えば出来た。けど、それじゃあ意味がない。ただ言うこと聞くだけの人形はいくらでも代わりがいるけど、みさきという人間はただ1人だけだからね」

「臨也……」

「なんて顔してるのさ、近々また会えるよ。……まぁ、表舞台から姿を消すってのは本当だから。ただ、用心はしといた方がいい。君が蚊帳の内側を選んだ以上、厄介ごとは付いて回るだろうから」

「それなら大丈夫。もう慣れっこだから」

「それはそれは頼もしい限りだ」



そう言って空を仰ぐ彼の視線の先には大きな月がぽっかりと浮かんでいた。満月ではない、ほんの少し欠けた完全ではない月。そちらについ気を取られたのが悪かった。つられて月を見上げているうちに、臨也の姿は消えていた。まるで元々そこに誰もいなかったかのように、音もなく風もなく、何1つ残ってなどいなかった。大した会話も出来なかったけれど、きっとまた近いうちに会えるのだろう。なんせ彼自身がそう言ったのだから。

時間を確認する為に携帯画面をちらりと見ると、時刻と共に着信ありの文字がそこに表示されていた。着信元をわざわざ確認する必要もなく、私はすぐさま彼の元へと折り返し電話を掛ける。



「もしもし、シズちゃん?」

『おぅ、もう大丈夫なのか?取り込み中だったら悪ぃな』

「ううん、大丈夫。もう終わったから。そんなことより、どうしたの?普段ならまだ仕事中だよね」

『それがさ、今日はもう上がっていいって社長が』

「へぇ、珍しい!良かったね」

『でさ、お前まだ外にいんの?だったらこの後合流して、どっかで美味いもんでも食べに行こうぜ』

「やった!シズちゃんの奢り!?」

『ま、まぁ……たまにはな』



ーーあぁ、やっぱり安心する。



脳に浸透してゆく彼の声が、心地良くて。
この声がどれほどの安心感を与えてくれていることかーー



『……みさき。今、どこにいる?』

「え?いっ、いいよ、お迎えなら!ちゃんと迷えずに行けると思うし、確かに私は方向音痴だけど、そこまで重症じゃあ……」

『いいから言えって。だってお前……泣いてんだろ』

「!! なっ、泣いてない!」『嘘つけ。鼻声じゃねーか』

「な……泣いて、なんか……?ぅーーっ!」

『わっ、分かったから!そこで大泣きすんな!俺がそこ行くまで我慢してろよ!?そんで、このまま電話繋いでおけ!』



最後に『切るんじゃねぇぞ』と言いたかったのだろうけれど、それを言い終えるよりも先に私は電話を切ってしまった。事実、私の目からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。絶え間なく溢れ出る雫をどうすればよいか不器用なりに色々と試してみたけれど、完全に崩壊した涙腺はもはやどうにもならない。いい歳した女が路側で大泣きしている姿なんて、シズちゃんに見せたくなかったからーーそんな幼稚なプライドが、自ずと私の親指に通話ボタンをオフにさせたのだ。

結局、私は彼にばっちりとその泣き顔を目撃されることとなる。それも今から僅か5分ほど後に。

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