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「私、人を好きになったことがないんです」

「好きにも色々な意味があると思うんですけど、具体的に言うと……異性に対する好き、というか。恋をしたことがないんです」

「あっ、憧れてた人はいたんですよ?すごく格好良い人なんです。けど、後からその人は女の人だって分かって、今でも憧れてはいるんですけど……恋とか、そういうんじゃなくなっちゃって。仮にその人が男だったとしても、そもそもこの気持ちが恋だったのかどうかすら、よく分からないんですけど……」



苦笑いを浮かべつつも、彼女は私に色々なことを話してくれた。自分に限りなく近い存在である男の子が2人いることや、そのうちの1人が現在音信不通の状態であるということ。彼がいなくなったことによる喪失感が想像以上に大きかったことや、”もう1人の彼”との2人っきりの生活がそう悪いものではないということ。確かに彼らのことは好きなのだけれど、これが恋愛感情と言えるのかどうか、あるいは、ただ友達として好きなだけなのかーー第三者的な立場で耳を傾けていると、いかにも思春期の少女らしい初々しさに思わず胸がときめいてしまうものであるが、時折自分にも思い当たる節がちらほら。まるでかつての自分のことを聞いているようで、とうとう他人事とは思えなくなった。



「やっぱり私、普通じゃないんでしょうか……」

「ううん。分かるよその気持ち」

「!」

「ていうか、私もずっとそんな感じだったから……好きになるっていうことがどんな感じなのか分からなくて、たくさん迷って、後悔して……辛いことや悲しいこと、色々なことがあった。けど、今なら分かるよ」

「……大変だったんですね」

「あはは、確かに。今こうして振り返ってみると、かなり物騒なこともあったしさ。でも、終わってみるとそれも1つの通過点みたいなものであって、今に至る為にはなくてはならない経験だったのかなぁ……なんて。ごめんね。私自身よく分からないんだけど、上手く言葉で表現しづらくて」



自分でも理解出来ていないことを言葉にするのは難しい。それでも杏里ちゃんは笑わず最後まで話を聞いてくれた。

きっと彼女も今まさにこの瞬間、人生の大きな分岐点に立っているのだろう。選択を迫られ、どちらを選ぶかで結果は大きく左右される。その先に最悪の結果が待ち構えている可能性だって否めない。それでも選択しなければならない時が必ずやって来る。



「苗字さんは優しい人なんですね。私が切り裂き魔に襲われていた時も、普通なら見て見ぬふりをしてもおかしくなかったはずなのに」

「まぁ、その、他人事とは思えなかったというか……あはは」

「でも、助けてくれたのは事実です。私ならきっと、どうすることも……いえ、事実、何も出来ませんでしたから。目の前で同級生が3人も斬られて、ただ見ていることしか……」

「そっか。杏里ちゃん、目の前で人が斬られているのを見ているんだったよね。それは……辛いよね」

「……」



俯いた彼女の瞳は反射した眼鏡のレンズに隠れ、その色を伺うことは出来ない。ただかける言葉が見つからず、私たちの間には沈黙が訪れた。彼女は悲しんでいるのか、それともーー?



「……違うんです」

「え?」

「何も出来なかった訳じゃない。私は”何もしなかった”。感情の模索が出来なかっただけで……こんな時、私はどうしたらいいのだろうって。泣き叫べばいいのか、それとも」

「杏里……ちゃん?」

「分からないんです。私は、寄生虫だから……」



彼女が口にした『寄生虫』という言葉の意味とは何なのか。ただ、容易に聞いてはいけないような気がした。冗談にしてはあまりに表情が固い。もしかしたら彼女は私が思っている以上に大きな闇を抱えているのかもしれない。



「あの、差し支えなければ……苗字さんはその人のどんなところが好きなんですか?」

「えっ!?えーと……な、なんか、照れ臭いなぁ」

「些細なことでいいんです。少しでも参考にしたくて」

「うーん。でも、こういうのって同い年の子の話の方が参考になるんじゃない?私なんかより。お友達の中にお付き合いしてる子っていないの?」

「一応、います。けど」



杏里ちゃんはそう言うと視線を泳がせ、「ストーカーだったんです。彼女」ととんでもないことを口にした。これまでの経験上、大抵のことにはあまり驚かないと思っていたが、この発言はあまりに唐突過ぎる。というか、私の予想範囲の斜め上を行き過ぎていた。そんな「私の友達はストーカー」発言を前に暫し返答に戸惑った後、とりあえず私は平然を装い「へぇ、面白い子なんだね」と笑ってみせた。これこそが高校生相手に見せる大人の対応である。とはいえ、それ程歳が変わる訳でもないが。

社会に出てからの歳の差というものはあまり大差無いように感じるが、学生間となるとその差はかなり歴然としている。私が高校1年だった頃、高校3年の先輩がとてつもなく大人に見えたことを今でも鮮明に覚えている。しかし『学生』という枠組みから外れた大人たちからすれば、高校1年だろうと3年だろうと皆同じ『学生』である。彼らに向ける眼差しは若者に対する慈愛や羨望。大人になった今、私が高校生だった頃の大人たちの対応の意味が分かってきたような気がする。



「それで、そのストーカーちゃんはどうなったの?」

「今は矢霧くんと毎日楽しそうにしていますよ。矢霧くんって言うのは、その彼のことで……私の友人は張間さんって言います」

「付き合ってるんだ。す、凄いね……」

「でも、張間さんは良い人ですよ。昔、虐められていた私を救ってくれたんです」

「そっか。まぁ、色々あるもんね。ストーカーを好きになっちゃうこともある……のかな……?価値観なんて人それぞれだし」

「価値観、ですか?」

「例えばさ、自分が良かれと思っていることも、他人からしてみたらそうじゃないこともある。そういうものじゃない?」



私が分かったような口を叩ける立場ではないけれど、道に迷う後輩を目前にすると全力で何かしてあげたいと思う。どんなに些細なことでも何か1つでも共通点を見出せたなら、それはもう赤の他人ではない。同じ高校に通っていた、というだけで助言(アドバイス)することへの動機付けの1つになる。それ程までに人との繋がりは私にとって大切なものなのかもしれない。



ーー臨也もやけに私に親切にしてくれたけれど、もしかしたら彼もこんな風に感じてくれていたのかな。

ーーそう思うと、あの頃の私は少し素っ気なかったかも……なんだか今更申し訳なくなってきた。



「私と彼の関係もそう。杏里ちゃんからしてみたら、ちょっとおかしいと感じるのかもしれない」

「……」

「さすがに、私はストーカーじゃなかったけどね」



ふと、思ったことがある。それは誰しもが悩みを抱えて生きているのだということ。自分なんて世界から見ればあまりにちっぽけな存在で、見渡せばそこら中には当たり前の如くたくさんの『人』が存在する。中には稀にーー人ならざる者まで。皆がそれぞれの世界を確立しており、各々がその人生の主人公である。そんな孤立した世界を皆が必死に生きているにも関わらず、心の中なんて見透かせるものではないし、自分のことだけで懸命な人ほど他人の事情など知る由もなく、他人の目からは代わり映えない日常しか映らない。だからきっと、今この瞬間視界に映った名も知らぬ赤の他人にも、人には言えない何らかの事情があったりするのだろう。



ーーやっぱり、気のせいなんかじゃない。



そして確信する。杏里ちゃんと初めて顔を合わせた時に感じた違和感の正体には薄々と気付き始めていた。この胸のざわめきを間違えるはずがない。彼女の瞳に灯った赤い光も見間違いではなかったと今ならはっきりと言える。彼女は罪歌をその身に宿していた。ただ、贄川春奈とは明らかに違う。感情に任せて人を斬ろうとはしない。罪歌と人が分かり合えるとは到底考えにくいが、少なくとも彼女には罪歌を制する何らかの力があるようだ。それが精神的な心の強さなのか何なのかは分からないのだけれど。もしかしたら杏里ちゃんも私の正体に気付いていて、だから互いに相手のことを他人とは思えなかったのかもしれない。

その後、杏里ちゃんは警戒心もなく私との連絡先交換に応じてくれた。気付いたら窓から覗く空の色は淡いオレンジ色に染まっており、時計を見た杏里ちゃんは慌ててソファから立ち上がる。



「す、すみません!もうこんな時間……!」

「あぁ、私は大丈夫。私こそごめんね?ご家族が心配するから、早く帰らなくちゃね」

「それなら心配しないで下さい。私、一人暮らしですから」

「杏里ちゃんも?へぇ、来良に通う学生は意外と一人暮らしが多いのかな。送らなくて平気?」

「大丈夫です。近いので……ありがとうございます。また連絡、してもいいですか」

「勿論!それじゃあ、気を付けてね」



ぺこりとお辞儀をし、小走りで去って行く後輩の姿をかつての自分と重ね合わせる。無垢で無知で、良くも悪くも純粋だったあの時の自分とその後ろ姿があまりに似ている。けど、どうか私のようにはならないで欲しい。私はあまりに優柔不断で、無駄な時を刻み過ぎてしまったのだから。



ーー決して遠回りすることが悪いとは思わない、けど……



「お疲れ」

「その声……臨也?どうしてここに……」

「俺は用を終えて帰るところ。みさきこそ、ただの診察にしては随分と遅過ぎない?」

「偶然、知り合いに会ったの。あまりに久々だったから、つい時間も忘れて話し込んじゃった」



立て続けに度重なる偶然ーー臨也に関してはこれが本当に偶然なのか疑わしいがーーそれさえも、この街に長いこと身を置いているとそう驚くことでもなくなってしまった。だが、



「ちょっとだけ時間、いいかな」

「? 別にいいけど……どうしたの。今朝会ったばかりなのに」

「みさきに言っておきたいことがあって」

「?」



「お別れを言いに来たんだ」



別れは何時だって唐突で、心の準備などさせてはくれないのだ。

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