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新宿 某交差点前


今、私は外にいる。ここに来るまでの経緯はとてつもなく長かったような感じがする。相変わらず過保護なシズちゃんを何とか説得し、若干不満げな背を押し、アパート前の分かれ道で別れる。シズちゃんは仕事へ、そして私は新宿へ。無論臨也と会うことは伏せている。



「ええと、確か待ち合わせ場所は……っと」



生粋の方向音痴であるが故、何度も何度も地図を見ては自分の位置を確認する。途中全くの逆方向へと向かっていたことに気付き、通り掛かりの老人に道を訊ねたり(あまりにも単純な道だった為、どうしてわざわざ訊ねるのだろうと言いたげな顔をされるが、快く答えてくれた。)同じ道をぐるぐる回ったりもしつつ、どうにかギリギリ時間前に目的地へと無事辿り着いた。迷子になることを想定し、早めにアパートを出て来て正解だった。

指定された場所は、新宿にある某高級ホテル。昼時に開催されるランチブッフェはセレブの奥様方に好評で、以前見たグルメ番組では独占的に特集していたほど。グルメリポーターに人気俳優の羽島幽平が抜擢されたことも加え、視聴率はここ最近の番組視聴率ランキングトップへと踊り出て、更なる集客効果を生み出したようだ。予約なしでは入れないとまでされているが、平日の午前中はさすがに人は疎ら。妨げとなる人の姿がない分、普段お目に掛かれないロビーの全貌を見渡すことが出来、なかなかの貴重な体験である。一通りぐるりと視線を巡らせ、天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアを見上げながら、まだ彼の姿がないことに安堵の溜め息。



「ふぅ。なんとか間に合った」

「遅い」

「!!!?」

「この俺を待たせるなんて、良い度胸してるよね。それともみさきの時計は壊れてるのかな?」

「……嫌だなぁ。だってまだ5分前じゃないですか」

「君ってさ、ゆとり世代だっけ?普通上司との待ち合わせ15分前には現地到着が基本でしょ。……ていうか、人を待たせたくないって理由であれだけ時間に厳しい君が珍しいね。もしかしてシズちゃん相手に手こずった?」



視線を向けた先には、いつも通りの彼の姿がそこにあった。季節問わず統一されたデザインのファー付きコートはそろそろ視覚的に暑苦しいが、肝心の本人は相変わらず涼しげな表情を浮かべている。しかし普段と違う点が1つだけ。それは、彼が色眼鏡を掛けているということだった。色眼鏡といえばやはりシズちゃんが仕事中に着用するサングラスを思い浮かべるが、それとは少し違ったものだ。シズちゃんはいかにも強面感を強調させた鋭いイメージがあるものを、対して臨也は雰囲気を若干和らげた若者寄りのスタイリッシュなデザインである。物珍しげにまじまじと見つめる私の視線に気が付くと、彼は色眼鏡を指差しながら「あぁ、これ、ちょっとした変装」なのだと教えてくれた。どうして変装をする必要があるのかはこの際聞かないでおく。



「積もる話もたくさんあるけど、今はとりあえずビジネスの話をしよう。俺が君をわざわざ呼び出したのにもきちんとした理由があるんだ」

「あの、それじゃあ1つだけ。その……沙樹は、元気なんですよね……?」

「それはみさきの方が詳しいんじゃない?まぁ、今は彼女が自分の意志で彼と行動を共にしてるよ。俺は強いて干渉はしない」

「そうですか……いえ、ありがとうございます。それだけ聞ければ十分です。それで、本題というと……?」

「腕」

「?」

「トラックに轢かれかかったんだってね。大丈夫?」

「よくご存知で……でも、もう大丈夫です。……多分」

「念のため病院には行った方がいい。なんなら、この後直ぐにでも。本当は付き添ってあげたいところだけど、生憎俺には時間がなくてね」



人が疎らだったロビーが、次第にホテル利用客で埋まっていく。大きなスーツケースをガラガラと引きずる営業マンや、ソファに腰掛け英字新聞を広げるインテリ風のサラリーマン。ランチブッフェ目当ての客の姿はまだない。人の声でざわざわと辺り周辺が騒がしくなってきた頃、臨也はちょいちょいと手招きすると目の前の階段を指差した。



「場所を移動しよう。確か2階に小さなカフェがあったんだ。個室じゃあ君も警戒するだろうからね」



カウンター席に腰掛けるなり、臨也はすぐさま2人分の紅茶を注文する。落ち着きのある洒落た店内にも客は疎らで、平日ということもあって大半がお年寄りの方ばかり。朝のゆったりとした時間を過ごすのに打ってつけのカフェだった。暫し雑談のようなものを交えつつ「さて」、と彼が切り出したところから話は始まる。



「話が少し戻るけど、みさきを轢いたトラックのナンバーを覚えているかい?なんなら特徴でも何でもいい。色とか、形とか」

「ええと……その、ごめんなさい。もう遅い時間帯だったから、暗くてよく見えませんでした」

「そっか。いや、いいんだ。もともとあまり期待してなかったからね。ただ、みさきのことが心配で会いたかっただけだから」

「……(よくそんな台詞を恥ずかしげもなく)」

「俺は冗談は言わないよ?」

「あの、人の心を勝手に読まないでください」



熱くなった頬を隠すように運ばれてきた紅茶を一口啜る。彼といると紅茶を飲む機会が増えてきた為か、大抵のものは何であるか種類を飲み分けることが出来るようになっていた。例えばこれは『ディンブラ』と呼ばれるもので、すっきりとした味わいが特徴の紅茶である。これは事務所にも置いてある種類の1つで、私は以前これを使って温かい紅茶を淹れてしまったことがある。決して不味い訳ではないが、アイスティー向けの品種であることをこの時波江さんから教わった。他にも基本の『ダージリン』から『ニルギリ』等々、随分と彼女から学んだものだ。ちなみに『ディンブラ』の旬は丁度この時期(1月〜3月)で、旬のものはより美味しく感じた。



「これ、ゴールデン・ティップスが少し入ってるね。さすがは高級ホテルの喫茶店か」

「? なんですか、それ」

「これを多く含むほど品質の良い紅茶って訳さ。値段からすると恐らく、T.G.F.O.P. (ティピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコー)ってとこかな」

「てぃ、てぃぴ……ごーるでん……?」

「興味があったら調べてみるといいよ。君はまだ若いんだから、色々なことを学ぶべきだ」

「……なんだかそれ、まるで人生を達観したお年寄りの台詞のようですよ」

「あはは。前に頭悪そうな女子高生におっさん呼わばりされたことはあるよ。俺だってまだまだ若いつもりなんだけどなぁ」

「でも、私と大して違いませんでしたよね?確か4つ……」

「君が早生まれなら正確には5つ。つまり、俺はシズちゃんより1つ上の先輩だ。普通、歳上は敬うべきだと思うんだけど」

「それはちょっと……全ての早生まれの人相手に共通していることであって、シズちゃんだけに言える訳ではないと思いますけど……」



シズちゃんの話題に気を悪くしたのか、そういえば、と臨也がわざとらしく話を変える。こうして紅茶に纏わる話は早々と終わりを告げた。



「大学の課題は終わった?この時期結構集中するんじゃない?」

「あっ、はい。ついこの前全て終わらせたばかりで」

「ま、君のことだから単位取れないってことはないと思うよ」

「? そう、ですかね……?」



やけにきっぱりとそう言い切る臨也を不思議に思うも、特に深く考えることはしない。



「もういっそのこと、俺の秘書になればいいのに。アルバイトじゃなくてさ」

「私なんかより今は、もっと優秀な波江さんがいるじゃないですか」

「俺はみさきにいて欲しいんだ。……ていうか、ただ側にいて欲しいって意味で」

「!?」

「でないとこの先、俺はみさきのことを……いや、なんでもない」

「なっ、なんですか!?そこまで言われてしまうと余計気になります!」

「あのねぇ、俺は情報屋だよ?いくらみさき相手でも何でもかんでもぽんぽん教えてあげられない訳。信用第一の商売なんだから」

「……」



分かってる。人ばかりに頼ってはいけないということくらい。なら、自分でどうにかするしかない。「信用なんて、俺が言うと胡散臭いかもしれないけど」と自虐的な言葉を吐きながら、臨也はどこか思い詰めたような表情を浮かべていた。彼がこうも自分の感情を隠そうともしないとは珍しい。きっと何かがあったのだろう。

こういう時の選択肢は2つ。深堀りするか、あるいは敢えて話を避けるか。私が関わっているとなると尚更気にはなるのだが、彼は人からの余計な詮索を嫌う。いつだって踏み込んではいけない境界線が引かれていて、私は彼と会話を交わす度にその隔たりのようなものを察知する。言われなくとも「あぁ、これ以上聞いては駄目なのだ」と自ずと理解するようにしていた。



ーーけれど……今日は違う。

ーー何かが違う、気がする。



「……やっぱり、訊いてもいいですか」

「今日はやけにしつこいね。どうしたの急に」「臨也こそどうしたの。なんだか、変」

「変、か。確かに今の俺は客観的に見たらそうかもしれない」



ティーカップを持ち、くるくると水面を揺らす。そこに映った彼の表情は窺い知れず、私は次に何と言ったらいいのか分からなくなってしまった。残り少ない紅茶を飲み干そうとして唇を縁に付けるも、つい最近知った”とある名”がふと頭に浮かびピタリと動きを止める。

そこで1つ、私は小さな賭けに出ることにした。



「ハリウッド」

「!」

「やっぱり。ねぇ、何か知ってますよね?もしかしてそれが絡んでいるんでしょう?」

「……白状するよ。半分正解、けど、半分は間違い。もしみさきが少しでも関わろうとするのなら、俺からは何も言えないよ」

「そりゃあ私だって、危険な目には遭いたくないです」

「なら、今すぐシズちゃんと別れて」

「!?」

「近々、俺はしばらく姿を眩ませると思う。色々と訳ありでね……場所も転々とするつもり」

「な、何があったんですか!?もしかして臨也が変装してるっていうのも……!」


勢い余って今にも立ち上がりそうな私を諫めようと、臨也が人差し指を私の唇へと押し当てる。



「しーっ、声が大きい」

「ご、ごめんなさい……」

「心配してくれるのは有り難いけど、俺は大丈夫。慣れてるから。それよりも心配なのはみさきだ。ただでさえ危なっかしいのに、これ以上は……俺にだって限界はある」

「それ、どういう意味……?」

「……」




それ以降、臨也は頑なに口を閉じてしまった。こうなってしまってはもう何も聞き出せないだろう。私は胸の内でもやもやとしたものを感じながら、自分の知らないところで起きているとんでもない事態を想像する。もし、つい今しがた臨也が話を振った話題1つひとつに関連性があるとすれば、何かが浮かび上がってくるかもしれない。ハリウッドという名の殺人鬼、私を弾いたトラック、そして姿を眩ませると宣言した彼ーー



「なんだか、嫌な予感がします」

「その予感はもしかしたら当たっているかもしれないね。それでもみさきは後悔しない?今、君がこちら側を選べば、少なくとも君”だけ”は何も知らなくて済む」

「気持ちは有り難いけれど……遠慮しときます。私だけ何も知らないなんて、まるで仲間外れじゃないですか。そんなの、寂しいじゃないですか……」



知らない、ということだけで除け者にされたくない。無知がどれだけ恐ろしいことかを私はよく知っている。だからこそ私は包み隠さず全てを知りたかった。例えそれが危険なことだと分かっていても、知った上でこれからの自分が何をすべきかを考えたい。



「みさきはいつもそうだ。俺の予想を覆してくれる」



そう言って頬杖をついた臨也の横顔はほんの少し不機嫌そうで、困ったように笑いながらふぅ、と溜息を吐いた。何と捉えたらいいものか、彼らしくもない複雑な表情。偽りの仮面を被ろうともしない、きっとこれが彼の本当の姿なのだ。いつもの涼しげな表情も飄々とした態度も、自分がどう立ち回るべきか事前に考えを巡らせているから。計算高い彼のことだから、きっとこれから起きるであろう事態も難無く躱してしまうだろうけれど、苦悩し、頭を抱える今の姿は限りなく人間そのものだった。

何かが超越した人間のことを私たちは「万能」だと勘違いしがちだが、それは違う。完璧なんて嘘。他人が創り上げた虚像や己の理想を壊さまいと必死に努力し、足掻いて、人はまた1つ分厚い仮面を作り上げる。一見とてつもなく硬そうに見えて実は脆いその仮面を私もいくつか隠し持っていた。中でも1つ『強がり』という名の仮面。それを別名『意地っ張り』とも呼ぶ。



「私は大丈夫だから」



自分の弱さを悟られたくないが為に、私はその重たい仮面を被る。その重さ故表情が引き攣ってしまわぬよう、笑顔には細心の注意を払いながら。

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