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次の日、ハリウッドについて色々と調べた。調べれば調べるほど犯人の残酷さを思い知らされ、その犯行の手口はあまりにも惨忍過ぎた。ネットの掲示板ではあの惨忍過ぎる殺人をどんな方法で成し遂げているのか、そもそも犯人の正体は何なのか、そんな議論が電波を通して飛び交っている。中には「サイボーグではないか」と本気なのか冗談なのか分からない書き込みをしている輩もいたが、それをあり得ないと笑い飛ばす者も1人もいなかった。もしかしたら誰もが心の中でその可能性を認めているのかもしれない。今となっては私にすらそれを完全に否定することはできない。
明日は臨也との約束を控えている。彼は私に何を話そうとしているのだろう。きっとこの間あったことなんて笑いながら「冗談だ」と言って躱し、何食わぬ顔で私の名前を呼ぶに違いない。今までだってそうだった。その分厚すぎる仮面はいつだって彼の素性や真意を覆い隠してしまう。
「……ところで、」
ここで1つ問題が発生。いや、発生という表現もおかしい。なんせこの問題はたった今生じた訳ではなく、この4日間ずっと行動の妨げとして在り続けたのだから。ただ”触れなかった”、”無視されてきた”、”話題として挙げなかった”ーーだけで。
「もう治ったと思うんだけどなぁ」
さすがに、と最後に付け加える。痛くもない痒くもない。特にこれといった治療もせず、ただ包帯で巻かれていただけの両手を彼の目の前でぶんぶんと振って見せた。当然、彼もそのことを分かっていた。ただその事実を理由付けとして利用していただけで、こんな傷、始めから何てことないはずだった。シズちゃんはやや間を置いてから「そっか」とポツリ。そして、ようやく右手首と左手首が離れる時が訪れたーーように思われた。
「だろうな」
「!? (やけにあっさりと認めた……!)」
「つーか、怪我云々以前に、ただ単に俺が楽しんでただけなんだけどな」
悪びれもなく涼しげな表情でさらりとカミングアウトされ、何となく察していたこととは言えど若干の怒りが込み上げてきた。
「もう3日だよ!?3日!もう十分過ぎると思うんだけど!!」
「なんだよ、そんなに不便そうには見えなかったけど。みさきなら両手?げても大丈夫そうだな」
「そんな物騒な……」
「まぁ、もしもの時は俺が面倒診てやるから安心しろ」
そんな頼り甲斐のある台詞も素直に喜べず、私は不満げに口を尖らせた。両手を使えないのをいい事に、彼には散々振り回されたような気がする。とはいえお世話になったのも事実なのであまり強くは言い返せない。
「分かった、分かったから。仕方ねぇから外してやる」
「どうして上から目線なの」
「その代わり、1つ約束しろよ」
「? 無理のあることじゃなければ……」
「これからも、また一緒に風呂入ろうな」
あ、もちろん変な意味じゃねぇぞ。そう言ってふにゃりと笑うシズちゃんがあまりに可愛かったので、つい首を縦に振ってしまった。あぁ、なんて無邪気な顔をして笑うのだろう。この台詞が単なる下心でないことなど、言われなくとも分かっている。もし下心しかないような関係なら、きっと無理のあることばかり強いられていたに違いない。実際、私が本気で嫌がることは要求してこなかったし、単なる性欲を満たすだけの行為なら、相手を気遣うような台詞も口にしなかっただろう。彼を試していた訳ではないが、これを機にシズちゃんがどれだけ私のことを考えてくれているかを垣間見ることができたので、それなりに意味のある3日間だったのかもしれない。
ひとまず、私の両手の拘束は解かれた。露わになった両手首にはうっすらと痕が残されているが、見た目ほどは痛くない。指の動きが若干覚束なく感じ、とりあえずリハビリがてらグーパーの動作を繰り返してみた。特に差し支えなく、この調子だと心配もいらない。
「よし、それじゃあさっそく風呂入るぞ」
「いってらっしゃい」
「……いや、お前もだから」
首根っこをむんずと掴まれ、もはや逃げようもない。ようやくゆったりと寛げるかと思いきや、至福のバスタイムは再び遠退いてしまった。眉をひそめ、あからさまに嫌そうな表情をして見せると「なんだ。さっそくまた縛られたいのか」と鬼畜に笑う。
彼は何かに目覚めたらしい。やはり人の世話を焼くこと(?)に楽しみを見出したのだろうか。正直なところ、よく分からない。
♂♀
「こういうのって、母性本能とか言うの?あっ、シズちゃんの場合は父性本能とでも言うのかな?男だし」
「……お前ってさ、緊張するとすげー喋るよな」
椅子に座って背中を向ける私と、そのすぐ後ろに座るシズちゃん。無論、裸。顔を見合わせた途端に恥ずかしくなってしまいそうなので、私は敢えて後ろを振り向かずに会話を続けた。目の前の鏡は湯気で白く曇っていて「目の前のものをそっくりそのまま映す」というその機能を全く果たせていないが、寧ろそれが好都合。浴室にいるのが自分だけならともかく、鏡越しに自分らの姿を客観的に見るだなんて、とんでもない羞恥プレイだ。しかし背後の様子が見えない分余計に意識してしまい、ちょっとした物音や動きにさえ過剰に反応してしまう。視界の端に背後から伸びるシズちゃんの腕を捉えた瞬間、それだけで身を強張らせてしまうものの、その腕は私を通り過ぎて目の前の棚のボディソープを掴む。なんて過敏なんだと我ながら思うが、こればかりは仕方がない。寧ろ普段から堂々と構えられる彼のことを見習いたいものだ。
ーーそうだよ。恋人なんだから一緒にお風呂くらい入るでしょ。
ーーこれが普通。普通普通普通……!
ーー……私がこんなにビクビクしてて、シズちゃんはどう思ってるんだろう。
一瞬、ちらりとだけ彼の表情を確かめたくなるが、やはり後ろを振り返るだけの思い切りが私にはなかった。別に臆病な性格ではないと思っているが、人の表情や反応を伺うだとか、そういった類いは慎重過ぎるくらい気にし過ぎる傾向が私にはある。それは周りの環境や今までの経験によって培われてきたものだから、今更どうこうするつもりはないし、きっと性格を180℃変えるのと同じくらい変わるのは至難の術だと思う。それほど変化とは難しく、思い留まりしがちなもの。今この瞬間にも世の中はめまぐるしく移り変わっているというのに、人なんて、そんなに順応良くして生きていけるほど器用な生き物なんかじゃない。
シズちゃんがボディソープをわしゃわしゃと泡立たせ、泡に塗れた両手で背中へと触れる。それが前触れなく突然のことだったので、思わず尻餅をつきそうになった。ずるりと傾いた身体を支えてくれたお陰で頭からの落下は避けられたものの、咄嗟に伸ばされた両手先の位置がなかなか際どい。
「!!?て、てっ……手……!もう、大丈夫だからっ、手、どけて……!」
「手……?あ、悪ぃ」
両胸を下から掬い取られるように持ち上げられ、指の形がダイレクトに伝わってくる。まるで心臓を鷲掴みにされているようで、意識すればするほど心拍数が比例するように上がり、心臓は今にも爆発しそうなものだがーーその反面、妙に冷静な彼。
「そういやお前、胸デカくなったか?」
「!!? そ、そう……かな!?」
「おぉ、なんか触った感じ。……もしかして誰か俺以外に揉まれたりしてねぇだろうなぁ……?いや、それとも自分で……?」
ーーこういう話題にどう返せばいいのか分からない。
ーーていうか、シズちゃんがどんな顔して言ってるのかが気になる……
冗談なのか本気なのか分からないまま、とりあえずその場は適当にやり過ごした。時間差でカァッと熱くなる?に触れ、これは逆上せたせいだと言い聞かせる。湯船に浸かっていないけど。
「(もしかしてシズちゃん、胸揉めば大きくなるって都市伝説信じてるのかな)」
「(……わざとじゃねぇけど、なかなか悪くない)」
「あっ、あのさ、そろそろ交代しない?今度は私がシズちゃんの背中洗うから」
「サンキュ。……っと、その前に、一旦その泡流して……」
「!!いい!このままで!」
「?」
「いや……その……ほらっ、一気に流した方が経済的じゃない!?はい!場所交換しよ!」
自分でもよく分からない言い訳をし、全身を覆い隠す程の泡で身を包むと、素早くその場から立ち退いた。場所を入れ替わる際に身体を見られるのが恥ずかしいからーー実に簡単な理由。しかし、いざ彼の広い背中を目の当たりにするとまた違った意味で恥ずかしい。触れていいものかと戸惑うものの、直接ではなくスポンジ越しにゴシゴシと洗った。
広くて、筋肉で固く引き締まった背中。僅かに残った刺し傷はナイフによるものだろう。すると必然的に臨也の顔が頭に浮かぶのだが、そのことは胸の内に秘めておく。とはいえ大したものではない。目を凝らせば見える程度で、まるで猫の引っ掻き跡だ。思わずその跡を指の腹でツツ、となぞると、想定外の面白い反応が返ってきた。
「!!!!」
「わわっ!?」
シズちゃんが突然大きく身体をビクつかせたかと思うと、若干涙目でこちらを睨み付けてきたのだ。
「おま……っ、いきなりとか……く、くすぐったいだろーが……!」
「……シズちゃんって、背中弱いんだね……」
「おい。なんでそんなに楽しそうなんだ」
「んふふっ、別にぃー」
「またやってみろ。まじで張り倒すからな」
「それは勘弁」
新たな弱点発見。思わぬ収穫を得て、私は何処か満足げに声に出して笑った。笑いは伝染し、いつしか小さな浴室には2人分の笑い声が響き渡る。
そんな2人の笑い声も、湯から立ち昇る湯気さえも、外の世界に漏れることは一切ない。この部屋の外に広がる世界では、現に物騒な事件が巻き起こされていた。まるで別世界のようなのに、その隔たりはたった部屋の壁1枚。その薄い隔たりもやがて意味を成さないこととなるのだがーーそれを知る由も無い私も、彼も、今はただ「幸せ」だった。互いのことさえ考えていれば良かったのも束の間。