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――どうして助けてくれたのかだって?

――んなもん、惚れちまったからに決まってんだろ。



幼少時、俺は自分が望まなくとも好きになった女を傷付けてしまった。それは何も女だけに限ったことではなかったのだけれど、だからこそ自分なんかが人を好きになってはいけないと幼心に強く刻み付けていた。

好きになりたい、なって欲しい。だけどそれは決して許されない――俺となまえの境遇にそんな共通点を見出だしてしまってからは気にならずにはいられなかった。そして救いたいとさえ思った。結果的にそれはいらんお世話だったようだけど、願わくば彼女が臨也にとってただの『暇潰しの玩具』でないことを祈る。あの様子じゃあ少なくともその可能性は低いと思うが。



「……さて、どーすっかなあ。コレ」



男になら誰しもある生理現象に頭を抱える。ヤろうと思えばヤれた。そこを理性で食い止めたのは、やはりなまえの前では良い人でいたかっただけなのかもしれない。事実俺はそこまでのお人好しじゃあないし、何とも思わない赤の他人相手にここまで懸命にはなれないだろう。

しかし、これから先なまえ程となる女に出逢える見込みも限りなく少ない。据え膳食わぬは男の恥とはよく言うが、いや、別に恥ずかしいことではなくて、寧ろ誘惑に打ち勝った俺を讃えて欲しいくらいだが、やはり1発くらいヤッてしまってもよかったかなあ――なんて、思ったり思わなかったり。



♂♀



ネオンだけが光る街中を形振り構わず走る。不思議なことに臨也さんの後ろ姿を探し当てるのにそう時間は掛からなかった。しかし彼の姿は道路を挟んで向こう側――いちいち歩道橋を使っていたら確実に見失ってしまうだろう。私は新宿に然程詳しくはない。ごちゃごちゃとたくさんのものが入り組んだこの街で、もう1度彼を見つけ出すことができるかと問われれば正直自信はないに等しい。だからこそ、今ここで見失う訳にはいかなかった。そんな切羽詰まった気持ちばかりが私に急げと責め立てる。

目前に広がる、車の通りが激しい大通り。人々が寝静まる時間であるにも関わらず、大人の街――新宿は眠ることを知らない。ピカピカに磨かれた高級車が通り過ぎたのを確認すると、私は大通りを横断するという思いきった行動に出た。左右確認を簡単に済ませ、彼の後ろ姿だけをひたすら目指す。その足取りに迷いなんてない。



「はぁ…、はぁ……!い、臨也さん!!」



今の自分の限界まで、声の限りに叫ぶ。臨也さんの動きがぴたりと止まるが、すぐに気のせいだと思ったのか再び歩みを進める。ここからじゃあ届かない。あともう少し、彼に近付かなくては。縺れ掛かった右足を一歩踏み出し、更に前へ。



「(臨也さん気付いて)」

「(私の声に気付いて)」



夜の街の焦燥に声は虚しくも掻き消される。姿はすぐそこに見えるのに、声が届かないのが酷くもどかしかった。自分の気持ちを伝えたいとこんなにも願ったのはいつぶりだろう。遠い昔のようにも、つい最近のことのようにも感じる。あの頃に戻りたいと何度も願った1人の夜――だけど今は違う。進みたい。切り開いたその先を見てみたい。



「…〜〜ッ、臨也さん!」



再び、叫ぶ。ぴたり、臨也さんは再び歩みを止めた。

こちらを振り向いた彼と目が合う。その顔には純粋な驚きの表情を隠しきれずにいた。あぁ、なんて人間らしい顔だろう。いつもの冷淡な高見の見物者である彼とは違う。ようやく伝わったことに安堵し、ホッとしたのも束の間――今の自分がまさに大通りのど真ん中にいたことを思い出す。思わず足を止めてしまったのが悪かった。1台のトラックがブレーキをかける様子もなく猛スピードで向かって来る。運転している中年の男は、余程疲れているのか首をカクカクとさせていた。(所謂うたた寝というものか)運転しながらそれをするというのはなかなかにデンジャラスな行為だ。



――……うそ。

――このままじゃあ私……轢かれる?



危機的な状況であるにも関わらず、頭の中だけはやけに冷静だった。今から思いきりダッシュすればギリギリ避けられるだろうか、だとか、ぶつかったらどうなってしまうだろう、なんてことを考えてみたり。しかし頭の回転に身体の動きが伴わず、目の前が真っ暗になった。衝突を逃れることは絶望的に思えた――が、



「(……えっ?)」



何かに強い力で引き寄せられ、そのまま倒れ込む。すぐ後ろからブロロロ…とトラックの去ってゆく音が聞こえた。倒れ込んだ先は固いコンクリート――ではなく、温かい人の胸の中。頭上から臨也さんの荒い息遣いが聞こえた気がして、我に帰った私はすぐに自身の身体を起こした。多少擦り傷が痛むものの、臨也さんがクッションになってくれたおかげで大怪我には至らなかったようだ。しかし私にとって自分が無事であったことよりも、臨也さんがこんなにも息を切らして私を助けてくれたという事実に驚きを隠せない。「どうして?」思わず言葉を漏らす。だって私の知っている臨也さんは、私なんかの為に我が身を犠牲にしたりはしない。簡単に人を奴隷として扱う人間なのだから。

余程疲れたのか、臨也さんはすぐに身体を起こそうとはしない。手の甲で顔を覆い、暫し荒い呼吸を繰り返した後、第一声は「馬鹿じゃないの?」。きっとたくさん罵られると思ってはいたけれど、あまりにも予想外な反応に上手く言葉を返せない。「はい。馬鹿です」と素直に肯定するのも本当に馬鹿みたいだし、だからといって事実だから否定する訳にもいかまい。



「え……、あう……」

「…〜〜ッはあ……ていうか、なんで追いかけて来たの」

「な、なんでって……だって臨也さん、何も言わずに1人で行こうとするから……」

「馬鹿じゃないの」



本日2度目、またも一蹴。



「あのまま逃げちゃえばよかったんだ。そしたら君は自由になれた。シズちゃんは君を助けたがっていたから、俺さえいなければ強姦紛いなこともしなかっただろうし」

「……確かに、そうだったかもしれませんね」

「あぁ、君は本当に大馬鹿者だ。自分で自分の首を絞めるなんて」



臨也さんが本気で呆れている。だけど、それがなんだか新鮮だった。奴隷である私には、いつだって踏み入ることのできない領域があった。しかし今、妨げである『壁』は感じられない。臨也さんの存在をとても身近に感じることができる。



「ごめんなさい。でも、どうしても伝えたいことがあったんです。私、臨也さんのこと……」



好きなんです。そう言い掛けた口を掌で塞がれる。臨也さんは首を曲げ視線を逸らしながら、本当に小さな声で「勘弁してよ」ボソリとそう呟いた。彼の顔が心なしか赤く見えるのは、私の目の錯覚だろうか。都合の良い解釈でなければ、もしやあの臨也さんが照れている……?物珍しい光景に思わずまじまじと興味深げに見つめる私の視線に気付いたのか、臨也さんは無言のまま私の後頭部を掴むとそのまま強く引き寄せた。

引き寄せられた私は再び彼の胸へと顔を埋める形になり、なんとなく身動きが取りずらい。この行動の意味を問い掛けては彼の機嫌を損ねてしまうと思い、とりあえず反応が返ってくるまでは無言に徹することにした。暫し沈黙の末、私の身体を抱き抱えたまま臨也さんが突然立ち上がる。やはり何の説明もないまま腕を引かれ、ネオンすら届かぬ暗い路地裏へ。その間臨也さんの表情を伺うことは出来なかったが、少なくとも機嫌が悪いようには見えなかった。こうして常に相手の顔色を伺ってしまうあたり、奴隷としての自己の認識が強く定着してしまった証なのだと思う。



「もしかしたら君は、今日のこの選択を強く後悔する時が来るかもしれない。それでも君は俺について来るのかい……?」



これは忠告。引き返すのなら、今。あとは私の選択次第で全てが決まる――人生の分岐点に立ち、改めて気持ちがしゃんと締まる。1つ吸った息を静かに吐き出し、私は目の前の臨也さんの目を見て答えた。



「後悔なんて、しません」

「そう言い切れる?」

「臨也さんこそ、どうして今更こんなことを聞いてくるんですか」

「さぁ……ただの気まぐれかな。言っとくけど、これからも君の扱いは変わらないよ。君には奴隷に徹してもらわなければ困る」

「分かってます。私が臨也さんの側にいたいんです」

「……随分と積極的だね。何が君を変えたのかな」

「ようやく気付いたんです。自分の気持ちに」



今まで漠然と、それこそ人形のようにただ与えられるだけの快感に喘ぐ日々。そしてようやく私は感情を取り戻し、本当の意味で彼の奴隷であることを受け入れた。私は臨也さんのことが好き。それが真実。彼の望むように生きようとさえ思えるようになった。もしかしたらそう調教されただけで、始めからこうなることは既に描かれたシナリオだったのかもしれない。それでもいい。そしてこの身を我が主人に捧げよう。



「好きです」



ようやく告げることの出来た言葉に、我ながら酷く赤面してしまった。この恋愛感情が異常であることは分かっている。しかし、1度自覚してしまうとどうにも止まらない。恋をするのに理由や動機なんて、そもそも関係ないのだ。



「どうしてわざわざそれを言うかなあ。俺は君のその恋心でさえ利用するかもしれない」

「はい」

「それじゃあ、いかに君が本気なのか……それを今から確かめさせてもらうことにするよ」



路地の冷たい壁に追いやられ、もう逃げることはできない。壁に両手をつき、挑発的に私の顔を覗き込む臨也さん。もう既に彼の瞳はギラギラと冷たく光っていた。光の射し込まない暗闇でもそれがはっきりと分かる。恐怖は感じない。それに今まで散々色々と強要されてきたので、無茶な要求には慣れていた。だから今更何を言われようと特別驚きはしないだろう。

臨也さんの足の膝がクイッと曲げられ、私の疼く秘部を刺激する。布越しに与えられる微弱な刺激にさえ反応してしまいそうで。現にじわりと何かが滲み出る感覚を覚え、無意識のうちに調教されてしまった己の身体を厭らしくも思った。腰が勝手に揺れてしまうのも全部、欲しくて欲しくて堪らないから。恥ずかしいけれど、見て欲しい。彼になら例え全てを暴かれても構わない――



「今更後悔しても遅いからね。……なまえ」



そう私の名前を呼ぶ臨也さんの顔があまりにも妖艶で美しく、迫り来るその瞳に思わず引き込まれてしまいそうになった。柔らかい唇が首筋を這い、鎖骨に沿って動く。それだけでゾクゾクと身体が反応し、次第に脳髄が麻痺するかのように痺れてきた。ふわふわと現実味を失ってゆく中、突然冷たい声で命が下される。



「脱いで、こっちに下半身突き出して」

「……ここで、ですか」

「口答えは無しの約束だよねえ?なまえチャン」



わざとらしくちゃん呼びした臨也さんは、私の喉元に付けられた真っ赤な首輪に視線を移すと、大してない肌と首輪の密着した隙間に指を通し、キスするのではと錯覚させる程までに互いの顔を近付かせて言った。



「主人直々の施しに感謝せよ。君には俺を悦ばせる義務がある」

「どうすることが賢明な判断か……なまえになら分かるよね?」

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