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激しくなる動機、そして呼吸。この症状が何を意味しているのかを私はよく知っている。1度経験した者にしか分からない、その薬のタチの悪さ。否応なしに性的興奮を植え付けられ、火照る身体はもはや手の施しようがない。嫌な予感はしていた。臨也さんが何か企んでいることも分かっていた。ただ1つだけ、理由が見つからない。こんなことをして一体何の意味があるというのか――私には何も理解できないのだけれど。



「あの、臨也さん。それって、もしかして……」

「そ。ご察しの通り、媚薬だよ。いつも君に使うものの何十倍も強力な……ね。シズちゃんの身体にちゃんと効くのか正直疑ってはいたんだけれど、その様子じゃあ順調に回っているようだしね、と」



そう言いながらチラつかせた液体の入った小瓶を懐へとしまい込む。薬を盛られた当の本人は胸のあたりを服越しに掴み、まるで何か込み上げてくるものを必死に抑え込んでいるように見えた。時折苦しげに顔をしかめ、笑いながら優越感に浸る臨也さんを睨み付ける。鋭くも、目尻に生理的な涙を浮かべた野生の眼で。

立場的には圧倒的に不利だというのに、この場に及んで尚気負けしない静雄さんを純粋に凄いと思う。私にはもう反抗する気力も、気迫もない。そんな意味のないものはとっくに捨ててしまった。自由を取り戻したいという青臭い希望を見出すよりも、私には別の願いを叶えたいという強い思いが芽生えた。それはきっと自由を掴むことよりも遥かに実現の見込みが薄いのだけれど。ただ1つ、関係のない静雄さんを巻き込んでしまったことが今のところ唯一の後悔だった。



「ッ……てめ、まじで覚えてろよ……」

「おー怖い怖い。少しばかり凄味に欠けるけど、その気の強さだけは流石」



リズムの乱れた呼吸はまるで発情期の獣のよう。静雄さんの額にうっすらと汗が滲む。苦しそうにしている人を前に何も出来ない無力な自分が愚かに思えた。遠慮がちに「大丈夫ですか?」と彼の肩に触れようとする。全く大丈夫そうには見えないのだけれど、例え無意味だとしても何もせずにはいられなかった。しかし伸ばした片手はすぐに払われ、暫し沈黙の後すぐに拒絶されたのだと悟る。



「触れんな。今は、まじでヤバい」

「し、静雄さ……」

「つまらないなあ。なに善人ぶってる訳?なまえとヤりたくて来たくせに、痩せ我慢しちゃってさ」

「勘違いすんな。全部、手前の思い通りにいくと思うなよ」

「へえ?じゃあ、見せてもらおうか。そんな状態でいつまで平常心を保っていられるかな」

「うっせーよ……ノミ蟲は少し黙ってろ」



挑発的な臨也さんの言葉を遮り、彼は若干フラつきながらも立ち上がる。そして爪が肌に食い込むくらいに力強く握り拳をつくり、突然その堅い拳で己の頬を殴ったのだ。ガツン、と鈍い音と共に拳が容赦無く頬へとめり込む。それでも静雄さんは俯いたまま微動だにしない。しかしやはりダメージはあるようで、口の中が切れてしまったのか口端からはツーッと一筋血が流れ落ちた。それをペロリと舌で舐め取り、静雄さんは何事もなかったかのような表情で再びジロリと臨也さんを睨む。その瞳からは殺気以外のあらゆる感情何1つ感じられない。ただただ視界に映る相手への怒りを静かに燃やしている。



「痛みで邪心を紛らわすとはねえ。単細胞は単細胞なりによく考えたもんだ。やり方は随分と乱暴だけど」

「俺のやり方にケチつけんな。んな事より、俺は手前のやり方が気に食わねえんだ」

「あは、何の話?」

「しらばっくれんな。なまえで散々楽しんでおいてそれかよ」



回りくどい。静雄さんが吐き捨てるようにそう言うと、臨也さんがピクリと反応した。恐らく彼の態度が気に食わなかったのだろう。



「じゃあ聞くけど。どうしてシズちゃんは利用されると分かっていて、こんなところまでのこのことついて来たんだい?」

「なまえの気持ちは確かめるためだ。もしなまえが本当に手前から逃げたいと思ってりゃあ、俺は手前を殺人リストのNo.1にしてやったんだけどな」

「……知った口を」

「言っただろ。俺には分かるんだよ、なまえの気持ちが。手前みたいなヤツには一生理解出来ねえだろうし、初めから期待なんざしてねえ」



2人を纏う空気がピリピリとして痛い。一触即発とはまさに今の状況を言い表すのに相応しい。静雄さんは舐め取れなかった血の痕を手の甲でぐいっと拭い取ると、射抜くような殺気立った視線を臨也さんへと向けたまま、私に向かってこう語り掛けてきた。



「つー訳だが、なまえ。お前はどうしたい?」

「……私……?」

「あんたは奴隷なんかじゃねえし、こんなヤツの言うことを鵜呑みにする必要もない。あんたが望めば俺がここから連れ出してみせるし、こいつと一緒にいたいってんなら俺は止めねえ」

「……」

「選べよ。本当に自分が望むように従えばいい」



静雄さんの言葉で目が覚める。そうか。今まで不幸だと悲観視していた事態は全部、他人任せな自分自身が引き起こしたことだったんだ。「こうなってしまったものは仕方がない」と投げやりになり、物事全て臨也さんの判断に身を委ねていただけだった。本当にこれでいいのだろうか。このままでは本当にいつまで経っても人間扱いをされないまま、いつか飽きられ捨てられる末路がはっきりと目に見えている。それだけは絶対に嫌だ。だって、今の私が心から望んでいるものは奴隷からの解放よりも――



「……私は……やっぱりなにも言えません。臆病だから、自分のことさえ自分で決められない」



決断はいつだって怖い。その一言が、この先の運命を大きく左右させる程の強い意思を持っている。だから私は逃げていたんだ。他人の判断に任せていれば、例えこの先どんな運命を辿ろうと自分のせいにしなくて済む。他人に責任を押し付けてしまえれば、責任逃れできる。自分がいかにズルい人間であったかを改めて再認識すると同時に、そんな浅はかな考えを持つ自分を心の底から軽蔑する。



「奴隷なんて、なりたくてなった訳じゃあない。だけど、今は自分の意思で臨也さんといたいんです。臨也さんが誉めてくれると嬉しいし、ただ傍にいたいって思ってます……」



思うがままに口にしてみると、思っていたよりもずっとたくさんの言葉が溢れ出てきた。自分は無意識のうちにこんなにも様々な感情を溜め込んでいたのか、と我ながら驚く。声に出すことによって自分の気持ちを客観的に捉えることが出来たが、そうしているうちに「ん?」と自分の中で素朴な疑問が浮かび上がってきた。この感情の名を私は知っている。一般的なものとは程遠いが、これを「恋」以外の何物だというのか。

ありきたりな言葉で言い表すには、あまりにも普通からかけ離れている。権力者と服従者の間に成立するのは『契約』のみ。いくら私から一方的に好意を寄せたところで成就するとは思ってもいないが、いざこうして自覚してしまうと感情の歯止めが効かなくなってしまった。認めよう。私は臨也さんのことが好きだ。そう自分に言い聞かせた途端、かつて媚薬を無理矢理盛られた時とよく似た症状に襲われた。身体が疼き、頬は熱を持つ。今更ながら「恥ずかしい」という感情を取り戻した私は、今しがた口にした言葉を思い出してハッとした。これじゃあまるで、愛の告白を公言しているも同然ではないか。



「ご……、ごめんなさい!今のは忘れてくださ……」



あたふたと両手を振り、今のは失礼に値すると判断した私は咄嗟に謝罪の言葉を口にした。恥ずかしさのあまり、まともに彼らと顔を合わせられず、俯いたまま暫し反応を伺う。そして返ってきたのは――長い長い静雄さんのため息。



「そうだろうと思ってはいたが……ほんと、面倒臭えな。あんたも、お前も」

「(……ん?)」



静雄さんの言う『あんた』とは、恐らく私のことだろう。それじゃあ『お前』は?疑問に思い、ふと顔を上げるとまず視界にしたものは――あまりにも信じがたいものだった。だって、普通じゃあ考えられるはずがない。普段の彼を知っていれば尚更、とてもじゃないが想像する事すら難しい。

如何なる時も平然と涼しい顔をしている"あの"臨也さんが、この場に及んで『赤面』しているだなんて……!私や静雄さんを含め、一体誰が想像できただろう!



「い、臨也さん……?」

「……はは」

「!?」

「あっははは!シズちゃんこそ、馬鹿じゃないの!?……困るんだよ。今、そういう風にされると……!」



これ以上引っ掻き回さないでくれ。そう口にした臨也さんの表情は、見たこともないくらい悲痛に満ちていた。一見いつものように相手を嘲笑っているかのようで、何かが違う。常に彼の顔色を伺ってきた私には分かる。例えばこうした些細な違いだとか、微妙な表情の変化だとか。



「あぁ、もう、いいや」



ひとしきり笑った後、唐突に笑う事をやめ、臨也さんは投げやり気味に言葉を吐く。私の顔をチラリとも見ず、上衣を羽織ると背を向けた。向かう先は――部屋にある唯一の出入口。ドアノブに手を掛け、最後に一言意味深なことを告げる。



「おかげで俺の計画は滅茶苦茶だ。あとはもう……勝手にすればいいさ」



こうして臨也さんは部屋を去った。取り残された私はというと、彼の一連の行動の意味を全く理解出来ずにいる。ただ確実に分かったことといえば、臨也さんに対する恋心の存在だけ。今更勝手にしろだなんて、どうしたらいいのか分からない。自ら判断し行動するという基本的な動作の仕方を私は忘れてしまった。今まで何もかも臨也さんに従って行動してきたせいか、その他人任せなところが後になって祟り、今まさに自分の首を締めている次第だ。



「追い掛けなくていいのか?」

「……でも、」

「だー!もー面倒臭え!!とりあえず下履け!で、上がはだけてんのも何とかしろ!早くしねえとマジで犯すからな!」



やや乱暴気味に服一式を突き付けられ、私はそれを受け取ると素直に従う。言われたことに素直に従うという一連の動作は、これまでの奴隷生活で培ってきたものなのだろうと他人事のように思った。いそいそと身なりを整える私の隣で胡座をかいた静雄さんは、気を遣ってくれているのかそっぽを向いたまま頬杖をついている。心なしか不機嫌そうにも見えるが、原因は恐らく私にあるので敢えて何も言わないことにした。



「あの……着替え終わりました」

「……」



無言のままこちらを振り向く静雄さん。やはり怒っているように見える。びくびくと顔色を伺う私に気付いたのか、静雄さんは「別に怒ってる訳じゃねえから」とだけ告げる。そうは言われても、やはり機嫌が悪そうなのに変わりはないが。

早く行けとでも言うように右手で払う動作をする静雄さん。しかし彼とここで別れる前に、どうしても聞きたい事が1つだけあった。



「どうして静雄さんは、私を助けてくれたんですか」

「ここまで関与しちまった以上、放っておける訳ねえだろーが。誰が好き好んで臨也の野郎に手ぇ貸すかよ。……んな事より、早く行けって。追い付けなくなるぞ」



何度も何度も頭を下げ、私は臨也さんの後を追って走った。勿論静雄さんが気掛かりではあったけれど、今臨也さんを追わないともう二度と会えなくなるような気がして。追い付いたらまず何を言おう?何をしよう?何1つ考えがまとまらないまま、とりあえず今は前に向かって走る。後のことはその時に考えればいい。

まずは目を見て、ありのままを話そう。

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