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真っ暗な闇の中、私の名前を呼ぶ声がする。この声は一体誰の声なのだろう。嫌だ嫌だと思っていても意識は次第に声のする方向へと引かれてゆく。もう戻りたくはないのに、これ以上傷付きたくないのに、それでも現実から目を背ける事など許される訳もなく。

嫌々重たい瞼を開けた。部屋の明かりに視界がチカチカする。視界いっぱいが一瞬だけ真白になり目を凝らして無理矢理焦点を合わせた。歪む視界に映る人影は2つ。共に見覚えのある特徴的な背格好をしている。



――臨也さんと……静雄さん?



取引から帰って来るには少しばかり早過ぎる気もしたが、何よりも私を驚かせたのは静雄さんが此処にいる事だった。色々な事があった手前こうも真正面から顔を合わせてしまっては上手い言葉も見付からない。話したい事はたくさんあったはずなのだけれど、今は何とも言えない気まずさに顔を逸らす事しか出来なかった。そんな私の心情を察したのか彼は頭をわしゃわしゃと掻く。



「よぉ」

「し……静雄、さ……」



声が震える。もはや悪い予感しかしなかった。私の現時点での居場所を知る人物はたった1人。きっと静雄さんを此処まで連れて来たのは臨也さんなのだろう。

ならば、それは何の為に?



「どうして……」

「どうしてだって?理由は単純。ここがどういう場所かって事くらい、頭の良い君はとっくに理解しているはずだよ」

「……」

「可哀想に。目、こんなに赤く腫れちゃって」



そう言って彼は私の目に触れ優しく撫で上げる。確かに私の目は泣いたせいもあり赤く腫れ上がってしまったのだけれど、ズキリと痛むのはそれでなく左胸のあたりだった。私を覗き込むように立つ臨也さんを濡れた瞳で見つめ返す。目は物を言うとよく言うが、やはり彼の真意は伝わらない。

首は動かさずに目だけを動かし、視線を静雄さんへと移す。彼もまた私を覗き込むように臨也さんのすぐ斜め後ろに立っており、何とも言えない複雑な表情を見せている。何か言いたげに口を開こうとするが、それを察した臨也さんがすぐに左手でそれを制した。



「ストップ。余計な事は口出さない約束だよね」

「ッ」

「変に情を移さないでくれよ。また"やり直し"になっちゃうじゃない。せっかくここまで出来上がったのにさ」



臨也さんが口にする事は大半が意味の分からない事ばかりだ。どちらにせよ、知ったところで私に出来る事なんてきっと無意味でしかない。ならばこのままされるがまま求められるがまま応じてゆけばいい。それこそ従順な"奴隷"のように。

吹っ切れた、と言ってしまえばそれまで。私は彼に多額のお金で命を買われ、生と引き替えに服従を命じられた。それでも尚死を望むと言うのなら、その時は主人の手で己の生涯を終えるのだ。それが私の運命。



――私は……決めたんだ。

――今の自分の現状をありのまま受け入れよう、と。



「臨也さん」



彼の名を呼ぶ己の声は、まるで自分の声でないような気がした。それでも今から口にする言葉は紛れもなく自分自身が決めた事。もう揺らがない、躊躇しない。



「欲しぃ……」

「……」

「欲しいんです……お願いですから、私に……何だって、しますから……」



欲しい、と、うわ言のように呟く。1度意識が途絶えたとはいえ身体が快感を忘れてはくれなかった。ただ優しくしてくれとは願わない。期待してしまう自分が惨めになるだけだから――

驚いたように暫し目を丸くしていた臨也さんも、やがていつもの不敵な笑みを口元に浮かべる。



「なまえはやっぱりいい子だね」



違う。そんな優しい言葉欲しくなんかない。



「いい子じゃなくたっていい。……酷くしてくれたって、いいから……」

「なまえ?」

「ううん、私が酷くして欲しいの。その方が……ずっとマシ」



まるで自分に言い聞かせるかのように話す。期待するだけ期待して、持ち上げられた末に高い場所から突き落とされた時の痛みを想像する。ならば身体を痛み付けられた方が遥かに傷が浅いと思った。どうせ彼は私の事を愛してくれやしないもの。少なくとも1ヶ月の間奴隷として過ごす事への抵抗は感じられなかった。

ごちゃごちゃになる己の感情。『愛したい』『尽くしたい』『愛されたい』『優しくしないで』『気持ち良くして欲しい』『酷くして』――正直今の自分の気持ちに整理がつかないのが現状。自分で何を言っているのかさえ分からないだなんて情けなくて。そんな時口を挟んだのはずっと黙り込んでいた静雄さんだった。



「なぁ、なまえ。お前が本当にこいつの奴隷だってんなら、これだけはちゃんと正直に答えろ」

「……え」

「いや、奴隷としてじゃなくたっていい。1人の『人間』として、あんたは一体……"何"を求めてる?」

「!」



――私が求めているもの?



「自由か?それとも、ただ単純に性欲を満たしたいだけなのかよ」

「わ、私は……」

「違ぇよな?どういう経緯で臨也の奴隷に成り下がったかは知らねぇが、少なくとも今のあんたは」

「ちょっと、シズちゃん」



詰め寄るような静雄さんの言葉を途中遮ったのは臨也さん。表情から余裕綽々な笑みは消え失せ、苛立っているのが見てすぐ取れる。



「俺のなまえをいじめないでくれる」

「てめぇ、よくそうやって彼氏面できるよなぁ?酷ぇ愛情表現しか出来ねぇくせによぉ……」

「シズちゃんには関係ないじゃない。部外者は黙っててよ」



途端に辺りを包むピリピリとした緊張感。睨み合う両者の視線は鋭く、むやみに触れたら今にも爆発してしまいそう。そんな緊迫とした空気の中で静雄さんの口から聞いた『愛情表現』という言葉が妙に耳に残る。

愛情……?そんなものが今のやりとりに存在するというのか。私には到底そんな風には考えられなかった。



「なまえは何があろうと俺から離れられない。本人がそれをよぉく知っている」

「どっから来るんだその自信は」

「これは確信だよ。……ねぇ?」



同意を求める臨也さんの言葉に、私は曖昧に首を傾げただけ。実際よく分からない。自分が今何をすべきなのかも――分からない。



「……またこんなもん使いやがって」



静雄さんが嫌悪感を露にして目を向けた先には、今だに私と電池の切れたバイヴ本体を繋ぐピンク色のコード。秘部からは体内に埋め込まれていたはずのバイヴが愛液と共に流れ出てきてしまっており、チラリとだけ頭を覗かせていた。そこへと集中的に注がれる視線が今は何故か快感でしかなく、自分以外の誰かに見られているという感覚にまるで燻っていた残り火が燃え上がるかのように身体が熱を取り戻し始める。途端に速くなる呼吸と心拍数。そんな間の抜けた自分の姿はただでさえ想像するだけで羞恥で脳が焼き切られそうだというのに、このままでは本当に狂ってしまいそうだと頭の片隅で考えた。

此方へ伸ばされた静雄さんの右手がコードを掴み、そのままバイヴをずるりと引き抜く。口からは自然と甘い声が漏れ、引き抜かれる微弱な刺激にさえ身体が小さくビクリと跳ねる。与えられる刺激どころか開いた穴を塞ぐものまで失ってしまい、思っていた以上にその喪失感はとてつもなく大きい。要求を込め、悩ましげに眉根を寄せ主人の顔を見上げるも意思は伝わる事なく儚くも散った。



「あはは、ごめんごめん。思ってたよりも電池切れるの早かったよねぇ。もうちょっと持つかと思ってたんだけどさあ」

「!? な、何言って……」



あの時あの瞬間、臨也さんの姿は確かにこの部屋にはなかった。ならば何故そんな事まで知っている……?

ハッと見開いた視界に突然飛び込んできた2本の真新しい乾電池。そして、今や見慣れた小型液晶画面。



「正直、もっと早く気付いてもよかったと思うけど」

「……!」

「さて、問題です。この部屋に隠しカメラはいくつ設置されているでしょうか?」

「そ、そんな事……知ってる訳、ない……じゃないですか……」



気まずさに思わず顔を背ける。考えてみれば分かるはずだった。彼の油断も隙もない性格上、ごく僅かな時間さえも監視の目を怠る訳がない事を。恐らく私は彼のいない間に様々な事を口走っていただろう、それも無意識のうちに。それらが全て筒抜けに彼本人へと伝わっていたのだと考えるだけで顔が熱くなってゆくのを感じる。羞恥が積もりに積もり、滑稽な自分を思うと今すぐにでもこの場から逃げ出したい気分だった。

名前は、呼んだ。多分。曖昧な記憶を辿るもなかなか確信には繋がらない。



「この動画、今ここで再生してみよっか。シズちゃんもいる事だしさ」

「! やめて!」



張り詰めた声、そして直後辺りを包み込む静寂。こんなに大きな声が今の自分の口から出た事に内心驚く。



「……ください」



慌てて語尾にそう付け足すも、相変わらず気まずさだけが後に残った。だって此処はあまりにも居心地が悪過ぎて。……吐きそう。

普段の涼しげな目を欲にぎらつかせ舌舐めずりをする臨也さんに対し、静雄さんはそんな私を何も言わずにじっと見ていた。そして手に持っていたバイヴの電池蓋を指先で弾いて開いたかと思うと、強引に臨也さんの手の内から新しい乾電池を奪い取る。いきなり何するのさといかにも不満そうな彼の声を無視し、黙々と電池を交換する静雄さんの横顔は何処か不自然さをも漂わせている。思いもよらぬ彼の行動にただただ呆然と見ている事しか出来ずにいると、電池交換を終えた静雄さんがポツリとこんな事を口にした。やや困惑の色を声音に滲ませながら。



「正直……俺にはどうしたらいいのか分からねぇ。あんたを救う為に、俺はどうしたらいいのか。でもよぉ……あんたの願いってのは臨也じゃないと叶えてやれねぇ事なのか?もし本当に自由になりてぇんなら、ただ性欲を満たしてぇだけだったら……それは、代わりに俺が叶えてやる事は出来ねぇの?」



唐突過ぎる言葉、それは私の思考回路を掻き乱すには十分過ぎて。



「私は……」





刹那、視界を覆う"赤"――

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