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――これだけはしないって決めてたんだけどなぁ。



朧気な頭の片隅で考える。想像はしてた。この子とキスしたらどんな感触で、この子はどんな反応をするだろう。頭の中で幾度も繰り返されるシチュエーションを現実で試そうとしなかったのは出来る限り焦らしておいてなまえにそれを意識させておきたかったから。

我ながら随分と屈折していると思う。それでも常に相手より優位な立場に立っていたいという無駄なプライドが自分から求める事を許さなかった。しかしいざ彼女から求められてしまうと――拒む理由が何処にも見当たらなくて。受け入れるどころか更に求めてしまう俺も俺でかなり重症だったんだと思う。きっと俺はなまえの方から求められる事を心の何処かで待ち望んでいたのかもしれない。今の複雑な心境を第三者的に客観視すると、答えは自ずと1つに絞られてゆく。



「ぷはッ ……は、ぁ」



頬を林檎みたいに真っ赤に染め上げて、酸欠で瞳を潤ませるその様はかなりそそられるものがある。今まで蓋をして抑えていたものが一気に溢れ出て、堪らず何度も口づけてしまった。



「初めてだね、キス(これ)」

「……ッ!!」

「ご褒美、ちゃんとあげなくちゃね」



――ご褒美?俺は何を言っているんだ。

――そんなもの、たかが奴隷相手に必要ないじゃないか。



これ以上は駄目だと本能が告げる。多分、これ以上続けていると自分で制御出来なくなるだろうから。情が移ってしまっては困る。何しろなまえは奴隷であるが故それ以上の感情を抱いてしまってはいけないのだ。

この頃自分がしている事に疑問を抱き始めている。彼女に求めているものは何か?主人への忠誠心或いは従順さではないか。それなのに、何故。何故俺は彼女に触れていたいと思ってしまうのだろう。かつて存在した主従関係に生ぬるい感情は皆無。これまでしてきたように不要なものは容赦無く切り捨ててしまえばいいものの――それが出来ない理由を俺は頑なに認めようとしない。いや、認めたくはなかった。"アイツ"との賭けに負ける訳にはいかない。それが長年培ってきた俺のプライドだったのだ。



――……だけど、



今だけはそのプライドを捨ててしまってもいいとさえ思ってしまう。まぁいっかだなんて、一瞬のその気の緩みが後にズルズルと後引くだなんてこの時の俺は微塵も考えちゃいない訳で。



「ちょっとだけ口開いて」

「えっ……ぁ」



再び目の前の唇を塞いでやると、強引に彼女の舌を絡め取った。口内には未だに僅かな苦味が残っており正直自分の精液の味なんて知りたくもなかったが、今となっては不快な味さえも彼女との行為への興奮材料と成り得た。口づけは徐々に深みを増し、一方で舌先が痺れる程に脳の感覚が失われてゆく。そんな刺激に酔いしれながら、懸命に俺を受け入れるなまえの姿に思わず胸の鼓動が高鳴った。

俺は全ての人間を愛してはいるが、人間が動物を愛でているそれと似ているようで全く異なる。独自の人類学を語ろうと思えばきりがないが、ただ1つだけ自分でも理解出来ないのが今抱いているこの感情の名だった。ただ(決してナイとは思うのだが)『恋』と呼ぶにはあまりにも胡散臭い。



「(何やってんの俺)」



あぁホント、あまりにも馬鹿らしくて反吐が出そう。

まるで中毒であるかのように何度も何度もキスを重ねる。その間にも俺は1人考えていた。同時に九十九屋の言葉が頭を過る。『本当に人間を丸ごと理解出来ていると胸を張って言えるのか?あんたの人類愛はこの先何年も通じるに値するものなのか』――と。



――……愚問だ。

――そんな事、寧ろ俺が聞きたいくらいだよ。



なまえの方へと両手を伸ばし、頬に触れようとしてすぐに止めた。優しくしてはいけないと思い止まったのはこれで何回目?自問自答を繰り返す。そこに答えなんて存在していないと知っていても尚、それでも自身に問わずにはいられない。

人間をより深く知る為だなんてただの動機付けに過ぎない。ただ『なまえ』という名の一奴隷に興味が湧いてきたのだ。だから今俺が成そうとしている事は当初の目的をことごとく塗り替えようとしている。



「……なまえ」



試しに彼女の名前を口にしてみたら、何故だか無性に気恥ずかしくなってしまった。その真の理由も見出だせぬまま火照る頬を手の甲でさりげなく隠し、再びなまえの小さな身体へと覆い被さる。ギシリと鈍い音を立て軋むベッド。戸惑いの色を見せるなまえの瞳――

腑抜けた今の俺の姿を見て彼は嘲笑うだろうか。俺だって頭では馬鹿げた事をしているって自覚くらいはある。そのうち段々とムラムラしてきている自分がいる事に気付き、自嘲気味に小さく笑った。そんな俺を目の前にしてなまえはやはり困惑気味だったけれど。



「はぁい、よく出来ましたっ」



5分、終了。

先程までとは明らかに違うテンションになまえの身体がびくりと震える。漫画的表現で言うならばまるで語尾に☆マークでも付いていそうな勢いだ。明白過ぎる態度の移り変わりに本能的な危機感を感じているのだろうか。サァッと青ざめてゆくなまえの表情が堪らなく愉快だった。同時に――一瞬忘れかけていた感情を取り戻す。背中をゾクゾクと這い上がるような、楽しくて仕方がないこの快楽。



――そうそう、これだよこれ!

――絶望に顔を歪めるなまえの表情といったら、これ以上の興奮材料はない!



俺だけは――主人であるこの俺だけが自分の意のままになまえを支配する事が出来る。奴隷としての生活を強いられ外の世界から孤立してゆく程、彼女の世界には『主人(おれ)』という名の絶対的な存在が欠かせなくなってゆく。少しずつ少しずつ、俺の思い描くシナリオ通りに事が進んでゆくのがあまりにも楽しくて。

正直、気分は最高。そして俺は思うのだ。かつて人間を使役してきたワンランク上の人間達――つまりは奴隷を従えてきた支配者ってのは、こんなにも清々しく優越感に浸れる事が出来たのだと。そして1度浸ってしまったら最後。もはや支配者はこの快楽(奴隷)無しでは"生きられない"。



「言っただろう?これはご褒美だって」



幾度もの口づけで腰砕けになった彼女の身体を丈夫な紐で縛り上げる。この部屋がラブホの一室であるが故にそういったプレイに使えそうな玩具は既に一通り揃っていた。中にはかなりアブノーマルなものもあるがここまで調教され尽くされた彼女の身体ならば難なく受け入れる事が出来るだろう。声に出さぬも内心そんな期待を込めつつ、俺は鼻歌なんかを歌いながらゴソゴソと玩具を漁り出した。

ご褒美?いいや違う。これは『実験』だ。今の段階でなまえがどのくらいまで出来上がっているのか、この目できちんと確かめたい。



「ひぅッ!……ぁ」



先程のキスで濡れてしまったのかすっかり水浸しになった彼女の秘部へと無理矢理異物を捩じ込み、コードのようなもので繋がった機器のリモコンを彼女本人の右手に握らせる。動き方や強弱まで細かく設定可能な高性能バイヴだ。


「分かるよね?これは君がだぁい好きな玩具」

「す、好きなんかじゃあ」

「へぇ?あんなにあんあん鳴いてたくせして、よくそんな事が言えるよねぇ」



顔を背けるなまえの目の前に勢い良く突き出した小型液晶画面。ボタン1つ押すと現れたのは、かつて何時間もの長い間バイヴを挿入されたまま放置された哀れな奴隷の乱れゆく姿。それが自分であると瞬時に悟ったなまえは途端に口をパクパクとさせるが縛られた身体では当然ながら何1つ出来ない非力な存在。俺はゆっくりと顔を近付け、わざと彼女の耳元で吐息混じりの声でこう続ける。



「俺は常に君の弱みを握っているよ。当然、この映像はコピーして既にPCにも保存してあるから。自分の力で何とかしようだなんて考えない事が賢明だね」

「……」

「とりあえずこのリモコンは君にあげる。好きにするといいさ。使うか使わないかは君次第……あぁ、そうそう。俺、今から少しの間席外すから」

「!? えッ……!?」

「いやぁ、この後結構大事な取引があるんだよねぇ。ほんとごめんね、相手してやれなくて。そこそこ楽しかったよ」

「い、臨也さ」
「そろそろ行くよ。相手は時間に厳しくてね。情報屋である以上、お客様は何よりも優先しなくちゃ。奴隷は二の次だって事、君も分かっているだろう……?」



立て続けにまくし立てられた俺の言葉に、なまえは物足りなそうな表情を浮かべつつも消え入るような声ではいと答えた。そうせざるを得なかった。俺がそうせざるを得ない状況へと自ら意図的に追い込んだのだ。

最後まで何かを言いたげだったなまえ。俺は彼女の言い分を聞こうともせず、強制的に会話を終了させてから見返りもせずに部屋を出た。閉じた扉に背中を預けて寄り掛かり、ふぅと息を吐く。細くて薄暗い廊下の天井を仰ぎつつ、僅かに聞こえる物音にそっと耳を傾けてみた。壁に防音が施されているだろうに別の部屋からは耳障りな女の喘ぎ声が聞こえてくるが、それらに混じって僅かだが時折バイヴ音が耳に入る。それもたった今俺が出て来たこの部屋から、だ。思惑通りの展開に頬が持ち上がるのを意識せずにはいられない。



「(さて、と)」



このまま俺の思い通りに事が進めば、数分後にはバイヴの電池が切れてしまうはず。それもそのはず、バイヴ機器内の新しい電池を古いものと予めすり替えておいたのだから。そして彼女はきっと絶望する。どうしようもなく火照った身体を自分で慰める事すら出来ぬまま、いつ帰って来るかも分からない主人をこの先何時間も待たなければならない絶望感。彼女の精神が崩壊するのも時間の問題か。

当然ながらこの部屋には監視カメラと盗聴器を設置してある。手元の液晶画面をチラリと見れば、バイヴの振動に身を捩らせるなまえの姿を確認出来る。少なくとも今のところは、だが。



『ひッあぁッああ……!』

「……ほーんと、可愛い声で鳴くよねぇ君は」



そして今日こそ、完全に俺のものにしてみせるから。

扉1枚の隔たりの向こうにいる彼女へ一言だけ言い残し、携帯機器をポケットへ突っ込むとホテルの出口へと足を向けた。これから仕事の取引がある事は確かに事実だ。しかし今回ばかりは前回のようにわざと長い時間焦らさせていられる程俺に余裕はない。今日は出来るだけ早く帰って来てやろう。まず初めにただいまのキスをして、たくさんたくさん様々な玩具で夜通し遊んであげなくては――

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