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『みさきちゃん?』



物音を立てないように気を遣ってはいたものの、玄関まで来たところでセルティに肩を叩かれる。どうやら新羅さんとずっとゲームをしていたらしい彼女の手には、ポーズ中の携帯ゲーム機が握られている。



『こんな遅い時間に帰るなんて危ないよ。今夜は泊まっていけばいいのに』

「ありがとうございます。けど、1人で考えたいことがあるんです。帰りはタクシーを拾いますから……心配しないで下さい」

『私でよければ話は聞くよ』

「えっ……いいんですか?でも、なんだか忙しそうですし……」

『忙しいも何も!ただ新羅とゲームしてただけだし、今夜は仕事もないからね。まぁ、色々といざこざはあったけど、もう済んだことだし、みさきちゃんさえ良ければ』



そう記されたPDAをこちらに向けた彼女は肩を揺らし、どうやら笑っているようだった。こうも友好的に接してくれる彼女は誰よりも優しく、そして心強い。セルティになら全てを話してもいいのではないかと思わせてくれるほど、私にとって彼女の存在はとても頼り甲斐のあるものへと変わっていた。それは人間ではないデュラハンという人外であるが故かーーいや、多分、そんなんじゃない。きっと彼女の人柄の良さがそう思わせてくれるのだと思う。

セルティの好意に甘え、私はそっと忍び足で来た道を戻る。リビングへと戻るまでの廊下の途中に、今頃鎮静剤で眠っているであろうシズちゃんのいる部屋が位置する。その薬の強過ぎる効果故にちょっとやそっとでは起きないだろうが、動物的な鋭い勘の持ち主であるシズちゃんのことだから、仮に薬の効果が2日と保たない可能性も視野に入れておかなければ。とすれば、数時間後に迎える朝には行動を開始する必要がある。残された時間は限りなく少ない。その時間内にどこまでやれるか、早急に考えなくてはならない。



「おや、みさきちゃん。静雄の様子はどう?もしかして鎮静剤使った?」

「あ、今は大人しく眠っています。……あの、疑う訳ではないんですけど……本当にあの薬、大丈夫ですよね……?」

「うん、多分」

「(多分!?)」



やはり使うべきではなかったのではと今更ながら後悔の念に苛まれるも、やってしまったものは仕方がない。新羅さんが「まぁ心配ないよ。静雄だから」と根拠のないことを言う隣で『適当なことを言うな』とセルティが彼の?を抓る。



「いひゃいいひゃい、いひゃいけど嬉し……」

『ごめんね、みさきちゃん。こいつ、いつもこんなんだけど、医療においてはそれなりだから。……多分』

「多分なんて心外だなぁ。だから大丈夫だって!そんなことより、みさきちゃんを連れて戻ってくるなんて何事だい?」

『あぁ、そうだった。今からみさきちゃんと真剣に話をだな……』

「うんうん」

『……』

「……どうしたんだい?セルティ」

『どうしよう、みさきちゃん。こいつ、邪魔なら影で縛っておこうか?』

「まさかの人前で縛りプレイ!?」

『だからどうしてお前はいつもそういうことを!』



途端に辺りの影がシュルシュルと音を立てて集結し、布状になったそれで器用にも新羅さんの口を縛る。私が慌てて大丈夫だからと告げると、セルティはほんの少し考えるような素振りを見せ、パチンと指を鳴らした。同時に影は散り散りとなり、解放された新羅さんがズレた眼鏡を直しながら笑う。随分と馴れた様子だ。



『変なことを口走ったら、すぐにまた縛るからな』

「まったく、セルティは手荒だなぁ。そんなところも可愛い……おっと、縛られたくないから今はやめておこう。それで、本題に戻るけど……」

「えっと、その……どこから話したらいいでしょうか……」



私は暫し考えた後、話の筋が分かる程度にゆっくりと事情を説明し始めた。私の友人がシズちゃんを撃った犯人である可能性が浮上し、それを鵜呑みにしたシズちゃんが彼を殴ると宣言したこと。それをどうにか阻止し、恐らく友人以外にいるであろう真犯人を突き止めたいのだということ。真犯人が分かったところでどうにかできる問題ではないが、恐らくそれが沙樹との解決にも繋がるのではないかという根拠のない確信が私にはあった。友人の名が紀田君であることと沙樹のことは伏せた為、繋がりがあやふやで分かりにくい説明になってしまったにも関わらず、セルティと新羅さんは親身になって私の話を聞いてくれた。

最後まで聞き終えた上で、新羅さんがこんなことを口にする。



「みさきちゃんの言うことなら素直に聞き入れそうなのにねぇ、静雄のやつ」

「それが……どんなに説得しても頑なに信じてくれないんです」

「……もしかしてみさきちゃん、その友人のことばかり庇ったりしなかった?」

「えっ」

「いや、あいつのことだからさ、それって多分、その友人A君に嫉妬しているんじゃあないかってね」



ちなみに友人A君ってのがみさきちゃんの友人だとして、と、彼は説明を補足し、続ける。



「みさきちゃんの言う事が正しいと頭では分かっていても、嫉妬の感情が素直に聞き入れることを拒んでいるのさ。静雄は短絡的なやつだから、ちょっと強情な部分があるんだよね。みさきちゃんにその気はないにせよ、あいつはきっと友人A君を庇うみさきちゃんの言動が許せなかったんだと思う」

『す、すごいな新羅……』

「まぁね。だてに何年も付き合ってないさ」

「(……確かに、言われてみれば……)」



先ほどまでの経緯を思い起こす。確かにシズちゃんは「どうしてキダを庇うのか」と言っていた。自分と紀田君どちらを選ぶのか、とも。彼はその質問に答えて欲しかっただけなのに、私は彼の真意を無視し、ただ納得してもらうことだけを考えた結果がこれだ。今思い返せば、あの時どうにでもなったはず。それなのにどうして私は冷静な判断ができなかったのだろう。「……うわぁ」思い返せば思い返すほど後悔ばかりが胸を抉った。彼のことを理解していたつもりで、全然できてなどいなかった。

頭を抱え込む私に、新羅さんが慌てて「あくまで僕の予想だけどね!」と付け足すが、確実に彼の予想は的を得ている。思い当たる節があり過ぎる。



「私……どうしよう。無神経なことばかり言っちゃった……シズちゃんに謝らなくちゃ……」

『え、ええと……とりあえず、静雄もここに呼ぶ……か……?』

「いや、さすがの静雄でもあの鎮痛剤では少なくとも2日は目覚めないよ。結構、あれは強力なやつなんだ」

「……」



ーー私は本当に馬鹿だ。

ーーいつもこうして失敗ばかり……



自分1人で散々悩んだ挙句、選んだ選択肢は決まって悪い方だ。こうして思い留まっている時間すら惜しいと感じた私は、セルティの淹れてくれた紅茶を飲み終えることなくその場を立ち、次なる目的へと新たに意識を向け始める。後悔している暇があったら、今の私にしかできないことを率先してやればいい。



「え、ちょっ、みさきちゃん!?まさか、今から行くってことはないよね!?」

「そのまさか、です」

「いやいや、まだ外は暗いんだしさ。せめて朝まで待ちなよ。善は急げっていうけれど、急ぎ過ぎるのもよくないよ?」

「気持ちは有難いのですが……、っつ!」



会話の途中、突如身体を襲う痛みに思わず顔を顰める。私の身体はシズちゃんとの最中、激しい行為からの疲労感によって既に疲れ切っていた。身体が丈夫であるが故に体力のあり余る彼に対し、私は人並みほどの体力しか持ち合わせていない。正直、本当に限界だった。特に痛みの激しい腰部分を摩りながら、セルティたちに勘付かれぬよう平然とした態度を取り繕う。ただでさえ心配を掛けているというのに、これ以上迷惑を掛ける訳にはいかない。何より、これは私たちの問題なのだから。

本当に大丈夫かとセルティが再度訊ねてきたが、私は何の心配もいらないからと出来るだけ笑顔でそう言ってみせた。無理矢理笑ってみたはものの、上手く笑えていたかは分からない。それ以降、そんな私に気を使ってくれているのか、セルティも新羅さんもこれ以上言及してくることはなかった。ただ『無理だけはしないでくれ』と言ってくれる彼女たちの優しさが心から嬉しかった。



「シズちゃんを……よろしくお願いします」



私は2人に彼を託し、ひとまず自宅へと向かうことにする。まずはきちんと着替えてから(もちろん下着も)話はそれから。

マンションを後にする直前、私は最後にもう1度だけシズちゃんの様子を見に部屋へと戻る。恐る恐るドアの隙間から中を覗き見ると、シズちゃんは小さな寝息を立ててすやすやと眠っていた。その光景にほっと胸を撫で下ろし、ベッドの脇まで歩み寄る。新羅さんの言っていたことはやはり本当だったようで、この調子だと当分目覚めそうにないが、今はそれで好都合だった。願わくば全てが無事に解決するまで彼が安静でいますようにーー



「……それじゃあ、行ってくるね」



眠る彼の唇にそっとキスを落とし、ワイシャツのポケットに入ったままのサングラス
を抜き取る。胸ポケットにサングラスの縁を引っ掛けて収納するのが彼の1つの癖だった。このままだと寝返りを打った拍子に割れてしまうかもしれない。そして何より、返すべきものがあった方が次にまた会える可能性を見出せる。すぐに戻ってくるつもりではいるが、この先何があるのかは保証できない。そう改まると同時により一層身が引き締まる思いになった。「これ、ちょっと借りてくね」私の言葉に当然反応はない。勝手に持って行ったことがバレたら怒られるんだろうな、なんてことを考えながら、私は今度こそ部屋を後にした。胸の内に強い思いを秘めながら。

そして、私たちは明日を迎え、今日を迎えるーー



♂♀



「やぁ、奇遇だね」



そう言って彼は右手を挙げ、にっこりと笑う。これは嘘を吐いているパターンBだ。付き合いが長くなるにつれ、私は彼の行動パターンのようなものを少しずつ理解していった。パターンは多種多様、実に様々であるが、いずれも彼の表情は決まって笑顔。それも清々しいほどまでに。「偶然なんて嘘ですよね」それを言わずとも伝わってしまったようで、彼ーー臨也さんは何故か嬉しそうに「さて、どうだろう」とはぐらかせてみせた。



「身体の具合はどう?」

「……」

「まぁ、あれだけ盛り上がっていたようだし、寝不足なのも無理ないか。けど、無視はよくない。実によくない」

「ッ、あ、あんなことがあった直後に顔を見て話せるほど、私は図太くありませんから……!」

「……へぇ、意識してるんだ。そりゃそうか。なんたって第三者に恋人同士の営みを垣間見られちゃった訳だもんねぇ。もしかしたらその状況ですら興奮材料にしかならないような単細胞も中にはいるけど」

「……」



日付を変え、新たな日を迎えて早々なんて破廉恥な会話だろう。ろくに相手の目を見ることもできず、私はそっぽを向いたまま彼が飽きるのを待つ。移動しようにもタクシーが来なければ道のりは遠いし、かといって馴れない土地で他のタクシー乗り場を捜すのも些か不安である。なんせ私は方向音痴であるが故。



「みさきはこれからどうするつもりなのかな」

「これから沙樹のところへ行きます」
「拍子抜け。俺に教えちゃうんだ?てっきりはぐらかせるかと思った」



いつもはぐらかすのは貴方でしょう。そう言いたいのを抑え、代わりにため息を吐く。どうせ彼にはお見通しなのだ。今までだってそうであったように。



「シズちゃんを撃った犯人を捜し出すためです」

「あ、やっぱり撃たれたんだ?なのに死なないとか、アイツは正真正銘化け物だってことが証明された訳だ!あっはは!実に愉快……」

「臨也」

「……はいはい、ごめんってば。けどさ、シズちゃんも酷いとは思わない?携帯繋いだままヤるとかさぁ、彼女としてどうなの?やっぱりみさきも興奮する訳?だとしたら、そういうのやめてくれないかなぁ。その矛先にされた俺の立場にもなって欲しいんだけど」

「私だって、もう2度とあんなことは御免です。今回は私にも非がありましたから、とりあえず蹴り1発で許しました」

「おぉ、怖い怖い。ところで話が変わるんだけど、もしかして今……朝帰り?」

「!」

「そしてひょっとしたら、シャワー浴びてない……よね?」

「!!」


臨也さんの発言に思わず2度も飛び上がってしまう。誰だって少し考えてみれば、そうであることを想像するのは容易い。それにしたって、こうも単刀直入に言われてしまうと「はい、そうです」とは言えなかった。普通、こういった話題はオブラートに包んで言葉を選ぶべきではないか。しかしその『普通』が通用しないのがこの男、折原臨也である。



「あぁ、別に服が乱れてるとか、あからさまにそう見えるって訳ではないから、もしそこを気にしているのなら安心してよ。俺が言いたいのは……こう、なんて言えばいいのかな。シズちゃん風に言うと『くさい』って言うか……いや、本当にみさきが臭う訳じゃあないんだけど……」



そう言って臨也さんは腕を組むと、ああでもないこいでもないと自論を展開する。途中から専門的過ぎて私にはさっぱりであったが、散々悩んだ末、彼は1つの結論へと至ったようだ。まるで閃いたとでも言わんばかりに両目を見開き、その端正な顔をぐっとこちらへ寄せる。思わず仰け反る私に向かって、彼はその結論を口にした。



「そうだ、獣臭い」

「……は?ケモノ?」
「そう、それだよ!なんていうか、嫌な感じはしないけど……まさにマーキングされたって感じがしてさぁ、なんか気に食わない」



苦虫を噛み潰したような顔をしてそう吐き捨てる彼の隣で、私は否定も肯定もできず、ただ顔を赤く染め上げることしかできずにいた。マーキングとは少し違う気もするが、かといって違うと断言できるのかと問われれば押し黙ることしかできない。

その時、目の前に止まる1台のタクシー。タイミングが良いのか悪いのか、私は小さくぺこりとお辞儀をすると、そそくさと車体へと乗り込む。しかし驚いたことに臨也さんまで当たり前のように乗り込んできた訳だから、つい「ぇえっ」と変な声を上げてしまった。タクシーの運転手が驚いた表情でミラー越しに私たちを見るが、臨也さんはお構い無しに新宿の事務所の住所を告げる。



「それじゃあ、よろしく」

「えっ、ちょ、臨也!?私、さっきも話したけど……!」

「いいから、まずはシャワー浴びてくれない?話はそれから。そうしたら俺ももう何も言わないから」



そもそも一旦自宅に帰ろうと思ったのが身なりを整えたいという目的があって、何より下着がないのだけれどーーそんな私の意思なんて無関係に、タクシーは新宿へと向かって走る。車窓の外で流れ行くマンションの群れを呆然と眺めながら、私は偶然彼の呟きを聞いてしまった。それは誰に聞かせるためのものではなく、ポツリ、独り言のように。その表情は窺い知れず。



「みさきからアイツと同じにおいがするなんて、俺が耐えられないからね」

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