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これは、今から少し前の話。

あれは確かーー世の中にまだ罪歌が出回っていた頃、俺は四木さんと1度会っていた。話の内容は来良学園のセクハラ教師が金を持ち逃げしただの何だの、そんなチンケな話から始まった。



「もうとっくに卒業した身ではあるものの母校にそんな教師がいるなんて、不愉快極まりないですよ」

「ははっ、貴方が母校を大事にするような人とは到底思えませんが」

「まぁ、それもそうなんですけどね。なんたって1度、校舎内でガソリンを引火させようともしましたし……あはは、懐かしいなあ」

「ともかく、この件についてはあの優秀な運び屋に事を穏便に済ませてもらいましょう。本当は彼女の手を煩わすほどの相手ではないのですが、生憎こちらは忙しい」

「へぇ……”忙しい”、と。それは一体どのようなご用件で?」

「折原さん。これ以上下手に踏み込むと、互いの為にはなりませんよ。私は平和主義者でね……可燃ゴミは少ない方がいい」

「それはいい心掛けですね。地球のエコにもなりますし」



ここで一旦線引き。長年培ってきた経験がこれ以上の聞き取りは無謀だと悟る。大した利益も損害もなく、結局会話のほとんどを世間話で終わらせてしまった。それでもこの男相手ならば妥当か、と、今日はこの辺りで話を終わらせるつもりでいた。ジャケットを羽織い、部屋を後にしようと立ち上がる寸前で四木さんに呼び止められる。



「折原さん。1つ、売って頂きたい情報が」

「? なんでしょう」

「苗字みさきについて、知っていることをご聞かせ願いたい」

「……」

「金なら払いますよ。一定の常識範囲内であれば、の話ですが」

「……苗字みさき。身長160センチ程の黒髪。お人好しで、涙脆い。ごく普通の家庭に産まれ、特に不自由なく過ごす。高校時代に訳あって来良学園へと転校。池袋デビューを果たした彼女は、今や立派な池袋人ってやつですよ。……まぁ、1年ほど埼玉に帰っていた時期もありましたが」

「随分と穴だらけの情報ですな。貴方らしくもない。教えたくない、というのが本音でしょうが、それにしても……貴方たちとそんなに歳が離れていたとは意外ですね。いや、それ程のものでもありませんが、てっきり同世代か、それよりも1、2ばかり歳下なのかと」

「歳上に見られるのが彼女のコンプレックス、らしいですよ。街中でも明らかに歳上の男から『お姉さん』って呼び止められるそうですから。初めは幼い印象が強かったんですけどねぇ……恐らく、池袋での経験が彼女を変えたのだと。とはいえ、中身は純粋で可愛い子ですよ。だからこそ見ていて飽きない」

「ほぉ、なるほど。そしてその彼女こそが貴方の想い人であると」

「これ以上は追加料金を頂きますよ」

「失礼、少し踏み込み過ぎましたかな。貴方があまりに楽しそうにお話しするものですから、つい」



ーー楽しそう?この俺が?



そういう自覚は全くない。しかし、違った観点からでしか見えてこない真実が存在するのも確かだ。この男の言うことに嘘偽りがないのだとすれば、俺は無意識のうちにそういう態度を取っていたのだということになる。同じ人間といえど自分観察に興味はないが、そういった己の潜在意識に対してはまるで他人事のように思っていた。同時に、その意識が一体何処からくるものなのかを知りたい、とも。それを得るためにみさきが必要不可欠な人材であることはとっくに理解していたが、それでも彼女の心を縛れるほど俺は万能ではなかった。

つらつらと彼女の情報を述べてみたはものの、まだまだ伝え切れていないことは山ほどある。他人からの目に敏感で、故に見栄っ張りな部分があるところ。しっかり者で通ってはいるが、意外にも内面は脆く傷付きやすいところ。彼女と触れ合い、接してきた上で得たこれらの情報は容易く教えられるものではない。それはみさきのことを独占したいという本音の表れなのだろうか。



「しかし、彼女は平和島静雄と付き合っているそうじゃあないですか。もしや、貴方が彼女を気に掛ける理由はそこにあるのでは……?」

「利用できるものなら、とっくにそうしてますよ。これがなかなかうまくいかないもので」

「あの折原臨也でも手駒に出来ない人間がこの世にいたんですねぇ。実に興味深い」



冗談混じりに告げられたその言葉が若干気に障ったはものの、表情には出さず平然と対応してみせた。この男相手では尚のこと、こんなところで弱味を握られる訳にはいかない。取引とは常に相手と対等な立場でなければ。

それにしてもいつからだろう。ふと、物事の根源を振り返る。それは遠い昔のようにも感じるし、つい最近のことのようにも感じる。みさきのことをただの『駒』として見れなくなっていたのは。



♂♀



現在


未だに途切れず、繋がる電話。自分以外の男によがる彼女の声なんて聞きたくもなかった。ただ不愉快でしかないはずなのに、通話を切ることができない俺。たった1度だけ押せばいいそのボタンを押せず、目には写らぬ淫らな彼女の姿を想像する。きっと恥ずかしくて堪らないはずなのに感じちゃって、どうしようもない状況に赤面し、ただひたすら瞳を潤ませるーーそんなみさきの姿を。そんな可愛らしい姿を目の前にして、黙って耐えられる訳がないだろう。それはシズちゃんに限らず、俺だって例外ではない。携帯を耳に押し付けたまま、それ以上指1本たりとも動かすことができずにいる。硬直、と表現するのが正しいのかもしれない。

人は誰しもが胸に抱える、どす黒く卑猥な欲望の塊。普段はそれを理性で抑え付け、何食わぬ顔して生きている。だが、理性という名のストッパーはふとしたきっかけで容易く外れ、抑え込んでいた分だけその反動は大きい。そして性欲を他で解消できるほど人はそう単純な生き物ではないのだ。現に俺の身体が意思とは裏腹に反応してしまっているのも、また事実。



『つー訳だから、覚えとけ。もう2度と、みさきに近付くんじゃねーぞ。今、こっちは大事なお取込み中だからな』

「……はは、」



ほんと、笑える。滑稽極まりない。胸の内で高まる感情を紛らわすように、憎悪の対象であるヤツに向かって毒を吐く。実際のところ、今からでもそちらへ向かうことは可能であった。みさきの携帯には万が一の時の為のGPSが備わっており、恐らくそのことを本人は知らない。本当ならば今すぐ殺しに行ってやりたくもなる衝動に駆られたが、手元の携帯で確認すると居場所が新羅のマンションであることが判明し、どうにも下手に手出しはできないと判断した。というのも、彼らーー特にセルティにはこれから一役買ってもらわねばならない事情があるからだ。下手に俺が介入し、疑心を抱かれてはならない。元々信用されていないことなど分かり切っていたので、尚更下手なことはできないと思った。ここで感情に流されてしまっては、別件に支障をきたしてしまう。なんとしてでも此方だけでも思惑通りに進めなくてはーー



「勝手にしなよ、化け物」



これが、今言える俺なりの精一杯の皮肉だった。

絶対に絶対に許さない。頭の中で思い描く、いつの日かヤツを陥れるその日の為に。そして心底後悔させてやるのだ。化け物風情が俺にたてついたことを。



「化け物は化け物らしく、そうやって暴力的に愛せばいい。けど、それを本当の愛だと言えるのかなあ?……ねぇ、みさき。今の君に俺の声が届いているかは分からないけど、もし聞こえているのなら考えて欲しい。これが果たして本当に『愛ある行為』ってやつなのか、……ってね」





気付いたら通話は切れていた。今の言葉が彼女に届いていたか、それを確認する術はない。シズちゃんが一方的に電話を切ったか、みさきが抵抗し電話を切ったか、もしくはもっと早い段階から通話が切れていたかーーもしかしたら遠く離れた俺の言葉など何1つ届いていないのかもしれない。ただただ無情にも響き渡る電子音があまりにも不愉快で、俺はその手に持った携帯を床へと放り投げてしまった。容赦無く叩きつけられた携帯は案の定鈍い音を立て、その機体にピシリと亀裂が走る。当然、替わりのものはいくらでもあるし、壊れてしまったことに何の支障もないが、このあまりにも幼稚な方法ではやり場のない怒りを抑えようにも到底無理があるように思えた。



「……面白くないなあ」

「なによ、さっきまではあんなに楽しそうだったのに。随分と起伏が激しいのね」

「あれはあれ、これはこれだよ。”あっち”の方は順調だよ?笑えるくらいに。やっぱり純粋な高校生相手にするのとじゃあ比べ物にならないくらい厄介だよ、アイツは」

「1番厄介なのは貴方だと思うけど」

「はは……言ってくれるねぇ」

「別に黄巾賊のあの子に同情するつもりはないけれど、さっきの貴方の言動……随分と大人気なかったわ。よくもまあ、流暢にあんな言葉がポンポンと出てくるわね。聞いていて呆れたわ。あんな子ども相手に」

「子どもとはいえ、黄巾賊のリーダーだよ?侮れないじゃない」

「元、でしょ」



隙のない彼女の言葉に苦笑しつつ、俺は椅子に座ったままくるりと半回転し、背後に広がる新宿の街の遥か先を見据える。その先に位置する池袋の街に思いを馳せ、たった今この瞬間、自分以外の男と一夜を共にするみさきのことを想った。それは本当に微々たる変化であったが、心の奥底がキュッと縮むようなーーまるで抉られる感覚にも似たその痛みを知り、やはり俺は少なからず動揺しているのだと改めて悟った。その胸に手を当て、服ごと掴む。心臓が痛むとはこのことなのだ。



「俺、今なら波江さんの気持ちが理解できるような気がするよ」

「は?」

「叶わぬ恋ってやつさ、あんたも俺も。どうにか報われないもんかねぇ」

「私は……誠二さえ幸せならそれで……」

「はい、嘘。張間美香のこと、快く思ってないくせに」

「当たり前よ。あんな小娘、私の誠二によくもまあ馴れ馴れしく……」



口から張間美香への鬱憤を延々と吐き出しつつ、手元の狂いは一切見られない。無駄のないその働きぶりに感心すると同時に、今沸き上がるこの感情は彼女と同じく『嫉妬』なのだと理解した。俺は自分が思っていたよりも自分のことを知らないらしい。

今一度、自分の発言を再び思い返す。俺は今のアイツの行動を『愛ある行為』とは言えないと言った。だが、もし自分が今のアイツと同じ立場になったとして、果たして同じことをしただろうか。暫し頭を捻らせ、考え込んだ末ーー「まぁ、もしかしたらやるかもしれないな」という結論に至った。よくよく考えてみれば、これはつまり邪魔者を排除する為の戦略の1つ。相手に現実を突きつけ、そして無理矢理にでも理解させる。彼女は俺のだ。お前なんかに入り込む隙がないくらい、俺らは今もこうして愛し合っているのだ、と。そんな短絡的な手段でしかそれを意思表示できないシズちゃんはさすが単細胞だと嘲笑う。「もしかしたら自分もそうしたかもしれない」という可能性をひとまず置いといて。

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