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目の前のテーブルに並べられた、輝かしいスイーツ達。サックサクのミルフィーユに最高級チョコ掛けパイ。池袋のデパ地下に期間限定出店しており、今しか買えない”超”がつくほどレアな代物である。たくさんの女性で長い列ができているのを、私は遠目でしか見たことがない。そんな中臨也さんが男1人ではるばる並びに行ったところを想像すると、まるで合成写真のような絵面である。



「あ、ちなみに俺が買いに行った訳じゃないからね」

「心の声まで読まないでください……」

「みさきは分かりやすいんだよ。顔を見れば何を考えているのか、すぐに分かる」

「……」

「まぁまぁ、とりあえずお食べよ。何から食べる?ミルフィーユだけでも3種類あるからね。『ハイミルク』……うーん、これは俺にはちょっと甘過ぎるかも」



紅茶を片手に、あらゆるスイーツを勧めてくる臨也さん。無論、紅茶は無糖。臨也さんは基本的に甘いものは口にしない。長い長いデスクワークの末、疲れた脳が糖分を欲しているとやらで時折チョコをほんの一欠片摘まむ程度。そんな彼が甘いスイーツを片手に帰って来るなんて、よほどの理由があって私を事務所に留めたいのではないかーーそんな深読みが頭を過る。



「あの、何か私に話したいことがあるんじゃないですか」

「どうしてそう思うのかな」

「それは……なんとなく、ですけど」



根拠などない。ただ、なんとなく何かを察知していた。何故なら彼は沙樹のことや、かつて勃発したグループ間での抗争、そして沙樹の想い人である『正臣』という名の少年のことまで全て知っているのだろうから。だから話をこうも上手い具合に逸らすし、いつだって巧みな言い回しで真実を霧に包んでしまう。

ミルフィーユを2つとパイを3つ、胃に納めたところで限界は訪れた。どんなに好きな食べ物でもこれだけ食べれば満腹にもなる。甘いものというのは少量を少しずつ味わって食べるからこそ美味しいのであって、1度にたくさん食べられればいいという訳ではないのだということを身を持って知った。手に持っていたフォークを皿の上に置き、指についたカスタードクリームをペロリと舐め取る。ふと足元に目をやると、相変わらず私から離れようとしない猫のみさきは小さく身体を丸めており、私と目が合ったかと思えばくわぁと大きな欠伸をしてみせた。初めて訪れた場所だというのに、神経質な猫にしては随分と肝の据わった猫である。



「ずっと気になってたんだけど、その猫は一体なに?随分とみさきに懐いているようだけど」

「さぁ……私もついこの間出会ったばかりなんです」

「ふうん。君は人外にも好かれる体質のようだね。シズちゃんといい、妖刀といい、猫といい……」

「ッ、何度も言いますけど、シズちゃんは……!」

「おっと、失礼。つまり、俺が何を言いたいのかというと、みさきには他人を惹きつける何かがあるんじゃないかってこと。事実、俺だって例外じゃあない」

「臨也さ、……臨也はそう言いますけど、そういうの、よく分かりません。私自身、自分にそういった魅力があるとは思えませんし、私よりも綺麗な人なんて世の中たくさんいますよ」

「うーん、そういう意味じゃあないんだよなあ。身近な人物でいうなら、例えば新羅。あいつと首無しライダーが恋仲にあるのは知っているだろう?新羅が昔からセルティに惚れ込んでいたのは知っていたけど、彼女には首から上が存在しない」

「それは単に新羅さんがセルティの内面に惹かれたんでしょう。セルティ、凄く良い……人、ですし」



彼女を『人』と言っていいものかと悩んだ挙句、他に良い代名詞が見つからなかったし、私が知る人物の中でセルティが誰よりも人らしい。生物学上間違いなく人間のカテゴリーに分類される臨也さんの方が、余程そこから程遠い。

事務所でのティータイムは緩やかに過ぎ去り、気付いたら病院の面会時間をとうに越えてしまっていた。もはや取り返しのつかないことではあるが、駄目元で病院に向かうと言った私に臨也さんは「無理だと思うよ」とさらりと言った。結局、上手い具合に彼のペースに呑まれてしまっていたということだろう。



「一体何がしたかったんですか?まさか、本当にお茶がしたかっただけじゃあないですよね……?」

「俺だってたまにはゆっくりと紅茶を飲みたくもなるさ。どうせなら誰かと一緒に、ね」

「ふふっ、臨也でも寂しいとか思うんですね」

「寂しい?俺が?まさか!俺はいつだって楽しいよ?なんたって、愛すべき対象がこんなにもありふれた世界だからね」

「……それ、本気で言ってます?」

「辛辣だなあ。君も波江に似てきたかな」

「私は不器用ですから、たくさんの人を平等に愛することはできません。ただでさえたった1人相手を愛することさえ難しいと思うのに」

「そうだよねえ。君が俺とシズちゃんに二股かけられるような器用さがあれば、少しは気が楽になれたかもねえ」

「な……ッ!」

「分かってる。みさきは真面目だから、器用だとかそれ以前に、そういった行為を許せないんだろう?……正確には、そんなあやふやな行為に走る自分自身を何よりも許せない」

「……そういうところ、相変わらずですね。私がどうこう言う前に、全部読み取っちゃうんですもん。その通りですよ、多分。真面目って言い方がどうかは微妙ですけど」

「君は真面目だよ。それだってきっと、シズちゃんを傷つけたくない一心なんだろうねえ」

「……」



何と言葉を返せばいいのか分からず口ごもる私に、臨也さんはわざとらしくハァ、と深いため息を吐き、面白くないなぁとぼやく。



「そこは否定しないんだ?あーあ、結局みさきにはアイツしかいないって訳だ」

「……ごめんなさい」

「どうして謝る?」

「だって、私が中途半端に付き合うことを選んだから……」

「勘違いしないでよね。そもそも始まりは俺の提案だったし、俺は君を諦めてもいない。むしろ、もっと君に興味が湧いたよ。なんたって、その身体に罪歌を宿している可能性がある訳だろう?実に興味深いじゃないか!……俺はね、それを確かめたかったんだ。どうして俺が君を引き留めたか……もう、分かるよね?」

「……!!」



刹那、彼の右手の内に光る銀色の刃が私の胸元を真っ直ぐに裂く。その風圧に肌が斬れることはなかったが、裂けた服の布地ははだけ、斬れ味が恐ろしくも良いことを知る。そのナイフが対シズちゃん用のものと全く同じ代物なのだから、その斬れ味の良さは折り紙つき。



「いっ、いきなり何す……ひっ!?」

「試したいのさ。君の罪歌はどうしたら出てくるのかな?俺が思うに、主人の身の危険を感じた時……恐らく、君の中の罪歌は感情の起伏によって、目に見える形に具現化する」



まるで事件の犯人が警官に現行犯逮捕される時のように、きつく拘束された両手首を背中に回され、やや背中が仰け反るくらいの容赦ない力で引き寄せられる。ギチリと軋む身体の節々に思わず顔を歪ませるものの、彼は腕の力を一向に弱めることなく、背後から耳元で囁いた。



「みさきはどんな刺激に弱いのかな。痛み?それとも……快感?」

「!」

「あは、そんなに身体強張らせなくても。つい、虐めたくなっちゃう」



臨也さんは私の両手首を右手から左手で拘束し直すと、自由になった右手をそのままするりと私の胸元へと滑らせた。ナイフで裂かれた箇所から服の中へと片手を潜らせ、探るような手つきで指先を躍らせる。その動作があまりにも的確で、触れるか触れないかくらいの際どい指使いに背筋がぞくぞくと泡立つ。



「臨也……ストップ。待ってよ」

「待てない。俺、我慢した方でしょ?」

「でも、これはただのお遊び半分の恋愛ごっこだって、そう言ったのは臨也で……」

「誰が中学生レベルだと言った?いい歳した男女が付き合うっていったら、ただ手繋いで、はいお終い、な訳ないでしょ。俺はそんなことしたくて君に協力すると言った覚えはないよ。俺だって男なんだからさ。君にもそういった対象として見てもらいたかったなあ。結構傷付くよ?そーいうの」

「ッ!」

「ま、君にこんなこと言ったって無駄なんだろうけどさ。どうせお遊びの恋愛ごっこも、じきに終わりにするつもりだったんだろう?提案したのは俺だけど、それを受け入れたのは君だ。今更逃げる気?」

「……」

「期間限定のお遊びとはいえ、きちんと期限を決めておくべきだったね。お互いのサイン付きの証明書でも存在しない限り、『こんなはずじゃなかった』なんて言い訳、通用しないから」



彼の言うことはもっともだった。それ故、反論することができない。この危ない橋を渡るのに、私はあまりに無防備過ぎた。



「臨也、くすぐったい……」

「大丈夫。そのうち気持ち良くなれるから」

「だ、駄目だって!これ以上は、もう。ほんとに……!」



私の制止の声をひたすら無視し、臨也さんは構わず次の行動へと移る。



「気付いてる?今、俺たちを邪魔できる輩は誰もいない。波江は仕事を終えて帰ったし、そもそもこの事務所の場所を知る人間は数知れず。大声出したって、誰も助けに来てくれないよ」



さぁ、どうする?そう言ってにたりと笑う彼の目は笑ってなどいなかった。今感じているこの感情は紛れもない『恐怖』であるが、私の中の罪歌が反応を示す気配は一向に感じられない。ならば、あの時働いた防衛反応は一体何だったというのだろう。願わくばこの危機的状況を脱する為に何らかの反応を見せて欲しかったのだが、あれだけ臨也さんを毛嫌いしていた罪歌が拒もうともしない理由が見つからない。あれは彼女の気紛れだったのか、或いはあの時と今では何かしら心情の変化があるのか。それを考えようにも、今は抵抗することに手一杯で結論に至るまでの余裕は皆無。自分の意思とは裏腹に身体の芯が熱を帯びてゆくのを感じ、焦りはピークにまで達した。このままでは流しに流され、とんでもないことになってしまう……!

身体を必死に捻じるも、拘束され、自由を奪われた両手首が痛い。ならば振り払うまでと抵抗を試みるが、男女の力の差は歴然。そのまま力で捩じ伏せられ、顔から突っ伏すように抑え込まれてしまった。これでは逃げるどころか相手の顔さえ見ることができない。恐怖心がより増し、不安ばかりが募る。



「本気……?」

「俺はいつだって本気だよ。冗談でこんなことするもんか」

「!? ふッ、……やぁ」



下着の中にまで入り込んできたか細い指に胸の突起を摘ままれ、くりくりと捏ねくり回される。痺れるような快感に鳥肌。ふつふつと沸き上がる性への欲に思わず涙が溢れた。相手が誰であれ身体はこんなにも正直で、こんなにも感じてしまう。それがなんだか悔しくて、みっともなくて、情けない。この涙はきっと、そんな自分への不甲斐なさの現れなのだ。

声を我慢しようとすればするほど、外に発散することのできない痺れが身体の中を巡回するようで。至る所がぴりぴりと麻痺し、頭の中が真っ白になる。



「罪歌は出てこない……か。俺としては好都合なんだけど」

「んぅっ、……〜〜ッッ」

「君も随分と強情だなぁ。それとも、俺を煽ってる訳?罪歌が反応しないってことは、満更でもないってことかな」

「ち、違……あぁっ!」

「口ではいやいや言ってても、本心はそうでもなかったりするんだよねぇ。本当はからかうだけのつもりだったんだけど……ちょっと、俺もヤバイかも」



途端、彼の纏う空気が変わる。顔を見ることはできなくても、背中から感じる気配からそれとなく感じ取ることはできた。ヤバイ、と発する彼の声にもはや余裕などない。甘く、誘うような声音が骨振動となって内耳へと伝わり、それだけで感じてしまう。思わず肩をふるりと震わせ、目をぎゅっと瞑る僅かな仕草を彼は見逃さなかった。私が感じているのだと悟ると、ここぞとばかりに外側、耳たぶ、山や溝、そして耳核を攻めてくる。耳の産毛を撫でるような軽いタッチーー言い換えるなら、こそばゆい感覚。時折耳元で息を吸われ、一度に耳全体を襲うような快感に耐え続けるのがやっとだった。



「〜〜ッ、いい加減にしてください!」

「あはは、怖い怖い。そんな力の抜けた身体で抵抗されたって……ねえ?」



抵抗の末ようやく振り切り、振り上げた右手もあっという間に捕らえられる。掴まれた手首に掛かる握力の強さが、彼がいかに本気であるかを言わずとも物語っていた。表情こそは笑っているものの、それは偽りでしかない。まるで道化師だ。己の感情を隠し、本心は決して見せない。心の内で私を嗤っているのか、恨んでいるのか、実際どう思われているのかさえよく分からなかった。

肩を掴まれ、強引に身体ごと仰向けにされる。口元を歪ませた彼の表情はもはや笑顔から程遠く、全く別物のものだった。それをどう言葉で言い表せばいいのか分からなかったけれど、少なくとも見る者の不安を煽るものではある。事実、私は彼を「怖い」と思っていた。



「怯えてるの?かーわいい」



そう言って臨也さんは舌なめずりすると、剥き出しの首元に軽く歯を立てた。チクリと針を刺すような痛みに顔をしかめ、すぐに痕が残るのではないかという不安に駆られる。シズちゃんに見られてしまってはたまらない。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、臨也さんは唇を一旦離した後も執拗にその箇所を愛撫する。舌先で歯痕をなぞるように舐め、時折リップ音を響かせる。ぴちゃぴちゃとわざとらしい水音が耳の受容器を震わせる度、反射的に身体がぴくりと跳ねた。

快楽の波に溺れそうになりつつも、頭の隅では冷静に今の状況を客観視するもう1人の自分。



ーーあぁ、大変なことになった。

ーーこんな筈じゃあなかったのに……

ーー……あれ?そういえば……



ーーさっきまでここにいたはずのみさきはどこ?

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テーマ「人外ファンタジー」
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